朝起きて、鏡は自分が寝ている二段ベッドの上へと目を向けた。
そこで寝る予定だったはずの悠里の姿はない。鏡は微かに目を伏せる。
「……本当、素直になれるといいのに」
……そう呟いて自分に刺さるのは、どうしてだろう。
下に降りようと服を着替えて、部屋の外に出る。すると、丁度布団を持って下から上がってきた奏とばったり会った。目を丸くする鏡に、奏はほっとした顔をしている。
「風見さんおはようございます。なんともなさそう……ですね」
「えっ?」
「その……私、気絶したりして、あの時何かあったらって……楯山さんにはぐらかされた気がして」
――悠里は教えなかったのか。いや、告げないほうがいいという判断は、間違いじゃない。それでも、事実を隠された彼女はまだ気にしているのだろう。
鏡はただ笑顔を作った。
「大丈夫、みんな無事でしたよ。奏さんが守ろうとしてくれたおかげで、僕らもなんともなかったですから」
「あ……よ、よかった。あ、朝食、楯山さんが作ってくれてますよ。すっごい眠そうだったんですけど、武器のメンテナンスがあるとか言って外に出てます」
「え、今は必要ないんじゃ……」
「ちょっと変だったんですよね……今日も頭撫でられたし」
固まった。
悠里が――今まで距離を取っていた相手の頭を、撫でた?
え、今日も?
じゃあ……昨日も!?
「あ、あの奏さん……他に変わったこと、悠里言ったりしたりしてました?」
「……え? ……」
途端に顔が真っ赤になる彼女に、鏡は思わず冷や汗が溢れる。
何したの悠里!?
「か、奏さん……あの」
「お、お布団戻してきますっ!」
……。
扉が、目の前で勢いよく開けられて、勢いよく閉まった。
……何があった。主に昨日。
奏自身から動いたならそれこそ彼女は開き直るだろうし、そうじゃないなら……
もしかして既に悠里は、腹を
……。
自分の部屋の扉を、開けた。閉じた。
ベッドの上にはやはり、兄貴分の姿がない。介がぼんやりと欠伸をして起きて、ごそごそとベッドから出てきた。呆然と彼のベッドを見ていると、介が目を丸くしている。
「おは――どうしたんだい?」
「……悠里……が……」
「は? 今度は悠里? 朝っぱらからまた?」
「……腹、括ったかも……」
「――は」
「全部じゃないけど」
「……あ。はあっ?」
「……まさか、直球……では、ないよな。昨日のあれで」
「じゃないと思います……いったい何がどうなってるんだか……」
玄関のインターホンが鳴らされる。奏がバタバタと走っていって、「はーい」と元気な声を響かせていた。
介はあんぐりと開いた口をそっと閉じている。
「……本人は?」
「今、出てるみたいです。多分昨日僕らが
「違う理由じゃないか、多分……まあ、悠里が考えそうなことと言ったら……」
……。
扉がノックされた。
困惑した顔で立っているのは奏だ。弱ったように廊下の向こうを指差している。
「あの……来ちゃったんですけど」
「え? 来ちゃったって、誰が?」
言ったそば、金髪が見えた。介が目を
大きな包みを一つ、薄い包みを一つ持っている彼は、「よお」と手を上げている。そのまま重量感たっぷりの大きな包みを鏡に手渡した。
ビン? え、箱の中にビン……? 中は液体? これって……
お酒?
「新しく家買ったんだってな。これ、新居祝い」
「あ、どうも……ええええええええええ!?」
「なんでお前がここに来てるんだ!?」
金髪の少年、アレンがけろりとして介を見やっている。
「介がいねえから宿屋のおっちゃんに聞いたんだよ。教えてくれた」
「あれだけ教えるなって言ったのに!?」
「へ? 笑って教えてくれたぞ?」
「嘘だろ顧客情報じゃないか!! 個人情報漏えいしすぎだ!!」
「いや今日は単純に祝いに来ただけだから」
「お前おれの命狙ってたんじゃないのか!?」
「そんな新居に物騒事持ち込まねえよ、バカじゃねえの」
「
どちらが正しいとかは特にわからなかった。段々どうでもよくなってきた。
だから、奏が腹を抱えて笑って、扉の枠にもたれて息をつけずに苦しんでいても、生暖かく見守れた。
「えっと……とりあえず、お茶出しますね」
「その前にお前らは飯食い上げろ」
「きゃあああっ!?」
途端に驚く奏に、女性部屋の扉が勢いよく開いたではないか。パジャマ姿の御影が血相を変えている。
「か、奏さん何があったの、大丈夫、ですか!?」
「……お前ら大げさすぎ」
元はと言えば気配消して帰ってきた悠里が悪い。
生暖かい目を向ける悠里に、奏が心臓を押さえていることで察しているはずなのに。
「しっかり食えたか?」
「あ、はい……ご馳走様でした。美味しかったです」
ああ、とっくに開き直ってるのか。悠里の後ろに武器屋の店主、エルデ・シャッフェンが顔を覗かせていて、鏡はあっと目を見開いた。
「ぐーてんもるげん」
「あ、こんにちは……悠里、本当にエルデさんのところに行ってたの?」
「ちゃんと行くって伝言したろ。介のボウガンの件で前に聞かれたから、報告に行ってた。あとこの間の打ち上げで寄った店のマスターに、食材分けてもらいに行ってたぜ」
言われてみれば、彼の手には野菜がはみ出んばかりに蓄えられた袋が二つ。重そうだと片方を持つと、悠里から若干苦い顔をされた。
苦笑いが零れる中、アレンが怪訝そうに口を開いた。
「なんなんだ? いったい」
「それはおれのセリフだからな」
「あ、それで思い出した。こっちお前にだよ」
介が目を瞬かせた。薄い包みは鏡の目には本にしか見えなくて、へえとアレンを見やる。
「介さんが探してる本、買ってきたんですか?」
「ああ、一番探してる奴だと思う」
「ど、どうも――開けていいかい?」
さすがに人からもらったものを無下にはできなかったのだろう。アレンが真顔で頷いていて、介が包みを開けて――
表紙が一割見えた段階で手が止まった。覗き込んだ悠里が、鏡が。片や吹き出して笑い転げ、片や固まる。
介の手があからさまに震え始めた。
「……は」
文字通り、介が一番いらないだろう通称薄い本。アレンが堂々と、輝く目で胸を張っている。
「な、お前が一番欲しがってた奴だろ!!」
「ふざけるなお前が欲しいだけだろう!!」
かわいそうだ。
御影にも表紙が見えたのか、衝撃を受けて固まり、泣きそうな顔をしている。
「た、介さんがそんなの欲しがってたなんて……!」
「誰が欲しいだなんて考えるんだ、興味すらないよ!!」
「っ、ははははははははっ!! ひーっ!!」
「いったい何もらったんです――あっははははっ! これひどすぎ!!」
さすが、男兄弟がいる女性は芯の太さが違う。
それにしたって笑いすぎだ。可哀想だ。御影の拒絶も固そうだけれど、これでは介が報われない。
思わず同情する鏡の隣で、エルデが無表情に介を見上げた。
「大変そうですね。賑やかで」
「そう言いながら君同情してすらないだろう!」
「同情? 同情するならミスリルを持ってきてください」
「魔導鉱最高ランクを真顔でねだるな!!」
悠里がついに壁に頼り始めた。
奏は廊下でも構わず座り込んで息も絶え絶えだ。御影はまだ介から距離を取っていて、鏡の後ろに避難してきている。
ただ、パジャマな彼女に思わず顔が赤くなったのは鏡だった。
「介さん最低ですっ」
「おれじゃないだろどう考えても!!」
介の絶叫は、悲痛だった。
本気で介に同情したのは、多分今日が初めてだろう。ただ
「僕収集つけるつもりないので頑張ってくださいね」
「君の幼馴染みのずれすぎてる誤解ぐらいは解いてくれ!!」
「これの説明すると、僕も流れ
たまにはいいだろう、介がこうやってやられているのも。正直すっきりしているし。
アレンが介の肩を叩いた。苛立ちを隠さない彼の睨みに、アレンは同情の目。
「なんだよ」
アレンの顔が破顔した。
にっやあ。
「ざまあ」
ああ、悠里と奏が呼吸困難を起こしている。笑いすぎで。
なんだろう。凄くすっきりした。介が力など欠片もない筋力を振るって、アレンから渡されたエロ本を彼の顔面に投げつけた。
「ぶっ!?」
「どいつもこいつも……!」
「ティータイムにしましょう」
「紅茶ですか? 飲みますっ」
御影がぱあっと笑顔を咲かせている。悠里が震えながら頷いている。今にもまた吹き出しそうだ。
「お、俺も……! パウンドケーキ作ってあるから、出しといてくれ……」
「わかりました。七人分用意すればよろしいですね」
「アレンの分はいらないだろう! お前ももう用は済んだだろ、出ていけよ!!」
「はあ? やなこった、ケーキもらえるってのに引っ込むバカはいねえよ」
「こっのガキ……!」
「今日も命狙わずに来てやってるんだから感謝しろよ!」
「ケーキ食べたいだけだろ!!」
ああ。奏がついに笑いすぎて撃沈している。悠里が抑えたくても押さえきれない笑いを、大声で響かせ続けた。
自分もこの従兄と血が繋がっているらしい。ぷっと吹き出して、堪えきれない笑いが漏れる。
久しぶりに、凄く楽しいや。