朝起きて、悠里が入れ替わりに奏を起こしに行ったことが不思議だった。普段の彼女なら自分より早く起きて朝食を作ってくれているのに、先に起きてきた御影や介が、まだ下りてきていないことを教えてくれたのだ。
昨日悠里相手に本気を出しすぎたかもしれない。稽古もして、ランニングもして、足も手も少し重い。眠い。
程なく、煩いノックの音が下まで響いてきて、介が目を据わらせている。
「悠里の起こし方
「そうですね……」
「本当に大丈夫かい? 昨日はしゃぎ過ぎたんじゃないか?」
違うと言い切れなかった。うとうとと首が
目の前にあるのはフレンチトースト。どう考えても悠里が作ったものだ。そういえば朝食当番は今日、悠里だったから、奏が寝坊しても問題はなかったか。
目がしっかりと開いてきたからか、御影がほっとしていた。
「よかったあ……すっごく寝ぼけてたから……」
「あー、うん、昨日ちょっと寝れなくて、朝走る余裕なかったからかな……?」
途端に介が生暖かい顔を向けて同情してくれた。違いますからと言いたい反面、事実なのでぐうの音も出ない。
程なく、悠里が降りてきて動揺を隠そうとしてしそこねた、変な真顔で介に声をかけている。マグカップを探して、奏用のそれを見つけて取り出していた。
「こりゃ重症だな……介、コーヒーもう一杯頼むわ」
「重症って何がだい? いいけど……」
「鏡並みに寝ぼけてるわ、こいつも」
と、悠里が示す先。廊下には誰もいない。介が生暖かかく笑んでいて、鏡は御影と顔を見合わせた。コーヒーをすぐに淹れる準備をする彼は、慣れた様子で奏のマグを受け取って廊下を示していた。
「みたいだね……後ろについてきてすらいないみたいだよ」
やっと、悠里は苦い顔で振り返っていた。扱いかねているような表情に、鏡は
「悠里、昨日何したのさ……」
「何もしてねえ……はずだが。おーい、起きてるかー?」
戻りながら声をかけるも、結局彼の足は廊下を過ぎて階段を登っていった。奏は一階にすら到着していないらしい。大丈夫だろうか。
「奏さん、寝る前すっごく顔真っ赤だったよ? 大丈夫って聞いたら『わかんない』って言ってたの……」
「原因悠里じゃない、どう考えても……」
「え? そうなの?」
どうして同じ女性なのに、御影はわからないのだろう。介が生暖かい顔で天井を見上げているのに。
「……何やったんだろうなあ、悠里は……」
「絶対悠里のせいで寝不足ですよね、あれ……」
「そうだろうねえ。昨日の夜、二人で話してたみたいだし」
「え、ランニングから帰ってきた時にはいなかったですけど……あの時から寝てないって考えたら相当ですよ」
コーヒーを淹れ終えた介は、奏の席にマグを置いて自分の席に座り直している。一人だけ目玉焼きを乗せたトーストを口に運ぶ彼は、遠い目をしていた。
「……本当に何したんだろうな……」
「絶対今も何かやらかしましたよ、奏さんの様子的に……まだ降りてこないなんて」
「人聞き悪いなお前ら」
じとりと、悠里が睨んでくる。開け放していた扉に腕組みして寄りかかっている青年に、介は呆れているようだ。
「いや人聞き悪いも何も……」
「普通のことしかしてねえよ……俺なんかしたのか?」
なんかしたのか、だって?
どう考えてもしているから、まだ奏が降りてこられないのだろうに。鏡は溜息が零れた。
「悠里ってたまに鈍感だよね……」
御影並みに。介も頷いている。
奏がふらふらと降りてきて、こちらを見たもののいつもの元気が果てている。疲れているわけではないだろうが、明らかに顔が赤い。
「お、おはようございます……ちょっと、か、顔洗ってきます」
……これで普通のことしかしてない? 絶対嘘だ。
自分のやったことに無自覚に違いない悠里は、ご親切にも心配そうに見送っている。鏡は呆れて言葉がなかなか出てこなくなりそうだ。
「天然
「まったくだ……恐ろしいぐらいその気がないだけで、行動がただの誑しだよ」
「介もフレンチトーストがいいってか?」
「どう考えても君が悪いんだよ。他人に仕返すのが
「いや、普通のことしただけだぞ? まじで」
「へえ、具体的には?」
「熱あるかどうか確認しただけ」
えっと、鏡は目を丸くした。
「……それだけ?」
「それだけ」
「それだけなら……どうしてああなったんだろ、奏さん……」
「君らの血筋って天然と鈍感が主成分なのかい?」
その言葉には、悠里が蹴りを入れて返事した。テーブルの下で
奏が相変わらず、やや早い足音で戻ってきた。赤みが引いた顔はすっきりした様子だ。
「ふあーさっぱりしたあっ」
「あ、おはようございます」
「おはようございます」
「あー……おはよう」
「おはようございまーす。楯山さん、起こしてくれてありがとうございました」
やっぱり普通のことをしただけじゃないかと言わんばかりの目に、鏡は呆れてものも言えない。確かに普通のことをしたと自分も思うが、それなら彼女の顔がさっき
悠里が奏へと目を向け直している。
「おう。お前相当寝不足だったろ。足元すら
途端にうっと黙る彼女は、なんとなく恥ずかしそうだった。
「はい、自分でも凄く寝ぼけてたなあって……」
「俺のこと名前で呼んだしな」
「えっ」
目を見開く鏡は、さらに目を
奏自身がぽかんとしているのだ。明らかに身に覚えがあるように見えない。御影が不思議そうに奏を見上げている。
「そうなんですか?」
「え、うそ、そうだっけ……」
「さすがに俺もビビった」
「悠里は呼ばないのにね」
小声で指摘すると、当の本人が閉口している。昨日からかってきた仕返しは、少しばかりできた。
奏がうんと唸りながら席について、首を傾げている。
「すみません覚えてないです」
「いいんじゃないかい? 悠里は恥ずかしがって呼べてないわけだしねえ」
「別に照れてるわけじゃ」
「ぐーてんたーく」
奏が閉めたはずの扉が勢いよく開けられた。ぎょっとした鏡は、悠里があっと口を開けたことで彼を見上げる。
「やっべ、そういや帰ってきた後鍵閉め忘れてた」
「悠里!?」
「はい、開いていたので入ってきました」
「エルデさん!?」
「こんにちはー、エルデさん」
似たようなことを平気でやる奏には気に留める場所がなかったのだろうか。無表情なエルデは、手に不思議なひし形を
「ぐーてんたーく。
「ああ、もうできたのか。わざわざ持ってきてくれてありがとう」
介ももう慣れたものだった。食事を一足早く食べ終えた彼は席を立ち、食器を下げてエルデのために椅子を出している。
包みを受け取った彼は、青を主体とした鮮やかなボウガンに目を見開いた。エルデは勧められた椅子に座りつつ、介を見上げている。
「おそらく私が今まで作った武器の中で、最も邪道なものかと……」
「邪道?」
オウム返しに尋ねる介へと、エルデは頷いている。
「はい。私が何度か試し撃ちしたんですが、一発も当たらなかったんです。これでも武器は全て使えるんですが……。たまにあるのが、特定の魔術を得意とする人間しか使いこなせない武器です。つまりこれはそれにあたるかと」
へえと、介は感心している。奏がエルデへと飲み物を出していて、失念していたのだろう介が礼を言っている。
「そういうものもあるのか――わかった。早速試させてくれないかい?」
「どうぞ。命中精度と魔力伝導に
目がかすかに活き活きとしているように見えるのは気のせいだろうか。介が礼を言いつつ、和室の窓を開け放って、かつ的を準備し始めた様子を見やって笑みがこぼれる。
試し撃ちが楽しみでしょうがないのだろう。パーティのためと射撃を習っていた彼からすれば、あまりいい思い出ばかりとは言い
悠里がそういえばと、生クリームを乗せたフレンチトーストの最後の一欠片を飲み込んだ。
「命中率四割ってなんだっけか……あ、的が動いてる時か」
「たしか、介さんって百発百中だよね……動かなければ」
一瞬、準備する介の手が止まった。
「いや、動いてなかったら……八割……」
……。うん。
思わず見守る目が憐みを帯びてしまう。再び動き出した彼を見て、エルデがごそごそと矢を出している。水属性の魔石をあしらった、シンプルな装飾の矢筒に、
「ふむ。もうじき実践に出せるレベルですね。矢とセットでお渡ししておきます」
矢も
矢筒を念のため装備して、矢を取り出した介は和室と続き間になっているダイニングの入口へと向かった。軌道に鏡たちが座るテーブルは全く
――引かれる引き金。
的の真ん中を射抜く矢に、御影がわっと目を丸くした。弓にはさほど詳しくない奏も呆気にとられている。
「凄っ……!」
「な、馴染むどころじゃないよ。使い込んでるボウガンより手にしっくりくる……」
「それは光栄です」
ボウガンを下ろす介も
エルデのツインテールがぴょこぴょこと揺れている。
……動くんだ、そこ……。
「お前すげえな……」
「……これなら中衛でも立ち回れますね」
「ありがとう、大切に扱うよ。凄いな……軽い分反動は覚悟してたのに、そこまできつくない。距離は若干短いイメージだけど、この距離なら狙い定めてるうちに相手が詰めてくる想定内だ。いけるよ」
「
「まだ四割しか当たっていない以上、過信はしないよ。遺跡に行く前に一度慣れたいな」
いえと、短く
「実際見たほうが調節しやすいので、よければご一緒しても? 私の所持魔力では、調節が上手くできませんので」
「店はいいのか?」
「
きっぱりと言い切った彼女に、鏡もうんと頷く。遺跡に一緒に来てくれるということもあるのだ。今のうちに連携を確かめたいから助かる。
介も嬉しそうに頷いている。
「わかった。あとで依頼受けてこなきゃね」
「私も頑張らなきゃ。エルデさん、よろしくお願いします」
あっと、鏡も御影も頭を下げて
「こちらこそ、よろしくお願いします。メンテナンスが必要になったらいつでも言ってください」
わあ、心強い……!
正直武器のメンテナンスほど、急場でほしいものはないのだ。悠里が助かったと声をかけて、一同を見渡した。
「よろしく。と、お前ら。各自担当の家事こなせ。今日洗濯物担当誰だ。あと掃除関連、週二つったろ!」