家の近くになって、最初に限界を訴えたのは悠里だった。崩れるように眠った彼を、鏡は介から引き受けて背負う。ふと、介が悠里を見る目を細めていて首を
「どうしたんですか?」
「ああ……いや。悠里、随分と成長したなと思ってね」
鏡たちが仲間として加わるまでは、体力の限界を訴えても絶対に起きていたそうだ。宿屋の部屋の中に着いてからしか、張り詰めた集中を解かなかったという。
思い当たる節なんて介の細い腕で、鏡は生温かく笑んだ。
「介さんが背負えなかったからでしょうね……」
「……
「僕たちだけじゃなくて、介さんのこともですよ。きっと」
途端に、介は言葉も視線も
やっと落ち着いてきたらしい奏がふと悠里を見やっている。
「楯山さん、体格大きいけど細いほうですしね……私でももしかしたら運べるかも」
「やめてください、やめてあげてください」
「え? 運ばないですよ、男の人のプライド折る
十分折られていたし、本気で居た
エルデはというと、その後家に帰っていった。武器のメンテナンスもついでにやってくれるというので、素直に甘えることになる。
彼女は魔導鉱が大量に手に入ったことで、無表情ながらに機嫌がよかったようだ。あのツインテールは本当に便利かもしれない。
食事の用意を手伝ってくれた介が、悠里と奏を気遣っていた理由を聞かせてくれた。
悠里たちが言っていた声≠セ。
介の話では、ゲートになった人間は確実に聞いているらしい。本物の声≠ヘ破滅をもたらす
だからこそ、引っかかるものがある。
――おいで
たった一言だけ。あの狼たちの親玉を倒した時に聞こえた声。あれは本物だったのだろうか。それとも偽物だったのか。
疲れで聞いていた幻聴だと思い込んでいたものだから、まだ実感は湧かないけれど。
ハヤシライスは、起き出した悠里も奏も、思った以上に喜んでくれた。
遺跡から戻ってしばらくは、介が戦利品を換金し、日記についても調べてくれた。どうにも、悠里が言うように発狂していく人々の経過を
遺跡で果てた人々の持ち物を、遺跡の最深部に、形見として置いていく人もいる。その持ち物は誰かが持ち去るまではそのまま
悠里たちが声≠聞くきっかけになった、黒い布の手がかりは日記になかったそうだ。恐らくあれは日記とは別に誰かが
さらに、いつの間にかアレンが鏡たちの家に来るのが日常になっていた。悠里がついにいつでも来ていいと許可を出したせいで、介が吠える機会が増えてしまう。
一つ思ったのは……引っ越した意味、どこに行ったのだろうか。
ただ、賑やかなのは嬉しいし、友達ができたようで鏡は正直嬉しかった。介に対してのアレンの感情にやるせない気持ちがあってもだ。
彼のことは嫌いかというと、御影の一件を除けばそうでもなかった。
そして変化といえばもうひとつ。エルデも暇な時はよく家に来るようになっていた。
「ぐーてんもるげん。ティータイムにしましょう。今日はアッサムです」
「お前店は?」
「定休日です。いえ、皆さんの世界でいう有給休暇ですね」
「君自営業じゃないのか? ……いや待ってくれ、まさか紅茶のために……!?」
「どや?」
おかげで悠里や奏がよく笑えている。もう精神的な疲れは随分
本当に紅茶葉とティーセットを持ってきた彼女には、介が閉口していた。
数週間経って討伐依頼だけでなく、おつかいに似たような内容もいくつもこなせた。それぐらいには全体的に落ち着いて過ごせたし、エルデも店が暇な時は連携を確かめるために参加してくれていた。
遺跡の最奥に触れて得た魔術は、今でもまだ使う気になれない。
あの魔石が置かれていた意味が、まだよく掴めなかった。なんとなく、そういうものだと流してはいけない気がしたのだ。
介も、その意味については知らないようだった。自室――というより、男子共同部屋に籠って、遺跡で拾った魔術書の
魔術書と言っても、ほとんどが似たような魔術ばかり
生活に必要なのだろうもの。介がくれた魔術書に載っているような、基礎的な攻撃魔術――。
所々違う魔術が書き込まれていて、その解読をして、イメージを掴む。そんな課題が残る中、考えることは山ほどある。
あの遺跡にいた魔物は、本来いるはずがなかったと言っていた介の言葉が引っかかった。
「……なんなんだろう……遺跡が生きているって、介さんは言ってたけど……」
それは彼曰く、魔術を人に
そこまでして魔術を渡す相手を選別するなんて、何かがおかしい。
まるでゲームの中のダンジョンをクリアしているような……与えられて当たり前のように思える、そんな違和感。矛盾。
罠は確かに危険だ。なのに、到達できた人へはどうぞ使ってくださいと言いたげに、あっさりと魔術がばら
一度力を誰かに渡したなら、それ以上渡す必要がなくなるようにしなければ、力のインフレが起こって
「……それが起こらないなんて……変、だな……」
そして、悠里たちがあの時聞いた声=B意思をしっかりと持っていたはずの魔物の暴走。
……なんだろう。嫌な予感がする。
玄関のインターホンの音が響いて、鏡ははっと顔を上げた。
もうとっくに夕方になっていた。昼食を
「あっちゃあ、洗わないと……」
元気な少年の声が聞こえてきて、鏡は一瞬真顔になった。少しして苦笑いが漏れてくる。
「よっ。
「また来たんだ、アレンくん……」
この間無自覚に御影を
おまけに稽古と聞いて、誰につけてもらう気だろうと遠い目になった。
下に降りると、悠里が呆れた目でアレンに溜息をついていた。介が疲れた顔で出ていけと言いたげな空気を放っている。
「お前らの仲間につけてもらったほうが早くないか? それ……」
どうやら、悠里につけてもらう気だったようだ。彼は特段アレンが来たことに驚いていないようだし、きっと連絡をつけろという言いつけどおり、悠里には事前に来ると伝えていたのだろう。
珍しく、アレンの表情が死んでいて目を丸くした。そばに行くと、ラフに手を上げられて鏡もそっと上げ返す。
「仲間の誰かにつけてもらうのは難しいの?」
「……オレのとこのリーダーがスパルタで、命がいくつあっても足りない」
……一瞬、自分の祖父が頭をよぎった鏡だが、すぐに頭を振って忘れた。この悠里が怯えた、あれ以上のスパルタなんてこの世にいるわけがない。
途端に、紺色の着物が目に入ってぎょっとした。
「まったく、人様のパーティに迷惑かけるとか何してるの?」
鏡より少しだけ大きい背丈の日本人の少年だ。やや青みがかった黒の目を、自分より背が高いアレンへと向け、呆れ果てている。中性的な顔立ちで、知的な青のハーフフレームの眼鏡をかけているも、体格や手の平は剣道経験者のそれだ。
「ヤマト来てたのか!」
「そうじゃなくて、人様に迷惑かけるなって言ってるの……それと、今アレンくんが言ったこと、レーデンさんに筒抜けだからね? 後で覚悟しときなよ?」
声音は落ち着いた雰囲気で、棘のある言葉は刺さるほどではない。奏と御影もやってきて目を丸くしていた。
当のアレンは、見事にヤマトという少年へと、開き直った顔を向けている。
「え、カイリいないだろ? あ、こいつオレのパーティの一人な。あと海の魔神がリーダーやってる」
「へえ、アレンの……?」
介が珍しく、目を丸くして聞き返していた。ヤマトと呼ばれた少年は、アレンへとついた溜息を脇に置いて、介たちへと温和な笑みを向けている。
「……
ちらりと見せられたのは青いスマホ画面だった。通話中の文字に、アレンの口がぴったりと閉じられ、苦いものを食べたように口を歪ませていた。
「うえー、ヤマトやり方汚ねえ」
「そう? あと、そういう言い方してると、どう考えても僕のほうが年上に見られるよ、年齢知らなければ」
穏やかなようで、ビシバシと言う性格のようだ。当たり障りがないから優しく聞こえる。
奏たちがそれぞれ挨拶をしていて、鏡もおずおずと頭を下げた。
「風見鏡です、えっと、よろしくお願いします?」
「こちらこそ。うちの末っ子が迷惑かけているみたいで」
「末っ子じゃねえよ、お前のほうが年下だろ!?」
仲がよさそうだ。見ているこちらが微笑ましく思うぐらい、アレンの言葉は介の時のそれと変わらない。ちらりと介を見やると、悠里がにやりと彼に笑んでいたところだった。
「よかったな、肩の荷一個降りたみたいで」
「まったくだ。けど君に言われたくないなー。まだ降りきってないだろう」
相変わらず、こちらは素直な感想だけでは終わらないらしい。
どうやらアレンのパーティリーダーを務めている人物は、結構な兄気質のようだ。そんな会話が大和から聞こえてきて、悠里を見上げかけた鏡は固まる。
「お兄ちゃん……って、いいですね」
「あいつ兄貴じゃねえ!! 魔神でスパルタだ!」
「それも聞こえてるって忘れてない?」
……お兄ちゃんの意味合いが、ちょっと違った気がした。御影に言ってもわかってくれるとは思えないけれど。苦笑いを溢して、鏡はアレンを見やると頷いた。
「確かに弟っぽいというかなんというか……」
「鏡くんも、だもんね」
「うん、僕もある意味末っ子だからね」
柔らかく
「お兄ちゃん、元気してる、かな……」
あ、と、口が開いた。