境界融和世界の幻門ゲート

第23話「変わりゆく形」01
*前しおり次#

 家の近くになって、最初に限界を訴えたのは悠里だった。崩れるように眠った彼を、鏡は介から引き受けて背負う。ふと、介が悠里を見る目を細めていて首をかしげる。
「どうしたんですか?」
「ああ……いや。悠里、随分と成長したなと思ってね」
 鏡たちが仲間として加わるまでは、体力の限界を訴えても絶対に起きていたそうだ。宿屋の部屋の中に着いてからしか、張り詰めた集中を解かなかったという。
 思い当たる節なんて介の細い腕で、鏡は生温かく笑んだ。
「介さんが背負えなかったからでしょうね……」
「……随分ずいぶんと刺すね。まあそうだろうけど……それだけじゃなく、今君たちを信頼できているからこそだと感じたよ」
「僕たちだけじゃなくて、介さんのこともですよ。きっと」
 途端に、介は言葉も視線も彷徨さまよわせていた。こういうところだけ、従兄いとこ並みに素直じゃないなあと鏡は苦笑する。
 やっと落ち着いてきたらしい奏がふと悠里を見やっている。
「楯山さん、体格大きいけど細いほうですしね……私でももしかしたら運べるかも」
「やめてください、やめてあげてください」
「え? 運ばないですよ、男の人のプライド折る趣味しゅみないですし」
 十分折られていたし、本気で居たたまれなかった。
 エルデはというと、その後家に帰っていった。武器のメンテナンスもついでにやってくれるというので、素直に甘えることになる。
 彼女は魔導鉱が大量に手に入ったことで、無表情ながらに機嫌がよかったようだ。あのツインテールは本当に便利かもしれない。
 食事の用意を手伝ってくれた介が、悠里と奏を気遣っていた理由を聞かせてくれた。
 悠里たちが言っていた声≠セ。
 介の話では、ゲートになった人間は確実に聞いているらしい。本物の声≠ヘ破滅をもたらす甘言かんげんで人をまどわせる。自らの思い込みで聞こえただけの幻聴であっても、錯乱さくらんする人は後を絶たないのだそうだ。
 だからこそ、引っかかるものがある。

 ――おいで

 たった一言だけ。あの狼たちの親玉を倒した時に聞こえた声。あれは本物だったのだろうか。それとも偽物だったのか。
 疲れで聞いていた幻聴だと思い込んでいたものだから、まだ実感は湧かないけれど。
 ハヤシライスは、起き出した悠里も奏も、思った以上に喜んでくれた。
 遺跡から戻ってしばらくは、介が戦利品を換金し、日記についても調べてくれた。どうにも、悠里が言うように発狂していく人々の経過を克明こくめいつづった、助ける方法を探していた人のメモのようなものだったらしい。
 遺跡で果てた人々の持ち物を、遺跡の最深部に、形見として置いていく人もいる。その持ち物は誰かが持ち去るまではそのままのこされたり、遺跡の一部として復元されるようになることもあるらしいと、エルデが教えてくれた。あの日記もその一部なのだろう。
 悠里たちが声≠聞くきっかけになった、黒い布の手がかりは日記になかったそうだ。恐らくあれは日記とは別に誰かが故意こいに置いたものなのだろう。誰がいつ遺跡にもぐるかもわからないのだから、不特定多数を狙ったものかもしれない。
 さらに、いつの間にかアレンが鏡たちの家に来るのが日常になっていた。悠里がついにいつでも来ていいと許可を出したせいで、介が吠える機会が増えてしまう。
 一つ思ったのは……引っ越した意味、どこに行ったのだろうか。
 ただ、賑やかなのは嬉しいし、友達ができたようで鏡は正直嬉しかった。介に対してのアレンの感情にやるせない気持ちがあってもだ。
 彼のことは嫌いかというと、御影の一件を除けばそうでもなかった。
 そして変化といえばもうひとつ。エルデも暇な時はよく家に来るようになっていた。
「ぐーてんもるげん。ティータイムにしましょう。今日はアッサムです」
「お前店は?」
「定休日です。いえ、皆さんの世界でいう有給休暇ですね」
「君自営業じゃないのか? ……いや待ってくれ、まさか紅茶のために……!?」
「どや?」
 おかげで悠里や奏がよく笑えている。もう精神的な疲れは随分えたように見えたし、鏡も御影も安心できた。
 本当に紅茶葉とティーセットを持ってきた彼女には、介が閉口していた。
 数週間経って討伐依頼だけでなく、おつかいに似たような内容もいくつもこなせた。それぐらいには全体的に落ち着いて過ごせたし、エルデも店が暇な時は連携を確かめるために参加してくれていた。
 遺跡の最奥に触れて得た魔術は、今でもまだ使う気になれない。
 あの魔石が置かれていた意味が、まだよく掴めなかった。なんとなく、そういうものだと流してはいけない気がしたのだ。
 介も、その意味については知らないようだった。自室――というより、男子共同部屋に籠って、遺跡で拾った魔術書のたぐいをいくらめくっても答えは出てこない。
 魔術書と言っても、ほとんどが似たような魔術ばかりつづられていた。
 生活に必要なのだろうもの。介がくれた魔術書に載っているような、基礎的な攻撃魔術――。
 所々違う魔術が書き込まれていて、その解読をして、イメージを掴む。そんな課題が残る中、考えることは山ほどある。
 あの遺跡にいた魔物は、本来いるはずがなかったと言っていた介の言葉が引っかかった。
「……なんなんだろう……遺跡が生きているって、介さんは言ってたけど……」
 それは彼曰く、魔術を人にさずける、あの魔石の台座を守るための機構だそうだ。
 しかるべきものに正しい知恵を与えるために、魔術を求める者を選別するため遺跡は何度でも罠を復活させる。中を修繕する。
 そこまでして魔術を渡す相手を選別するなんて、何かがおかしい。
 まるでゲームの中のダンジョンをクリアしているような……与えられて当たり前のように思える、そんな違和感。矛盾。
 罠は確かに危険だ。なのに、到達できた人へはどうぞ使ってくださいと言いたげに、あっさりと魔術がばらかれる。
 一度力を誰かに渡したなら、それ以上渡す必要がなくなるようにしなければ、力のインフレが起こってしかるべきだ。
「……それが起こらないなんて……変、だな……」
 そして、悠里たちがあの時聞いた声=B意思をしっかりと持っていたはずの魔物の暴走。
 ……なんだろう。嫌な予感がする。
 玄関のインターホンの音が響いて、鏡ははっと顔を上げた。
 もうとっくに夕方になっていた。昼食をった覚えは……あった。目の前に食器が残されたままだ。
「あっちゃあ、洗わないと……」
 元気な少年の声が聞こえてきて、鏡は一瞬真顔になった。少しして苦笑いが漏れてくる。
「よっ。稽古けいこ頼む!」
「また来たんだ、アレンくん……」
 この間無自覚に御影をおびえさせた時、稽古と称して容赦なく仕返ししたのに。彼のさっぱりとした声は切り替えが人一倍のようだ。
 おまけに稽古と聞いて、誰につけてもらう気だろうと遠い目になった。
 下に降りると、悠里が呆れた目でアレンに溜息をついていた。介が疲れた顔で出ていけと言いたげな空気を放っている。
「お前らの仲間につけてもらったほうが早くないか? それ……」
 どうやら、悠里につけてもらう気だったようだ。彼は特段アレンが来たことに驚いていないようだし、きっと連絡をつけろという言いつけどおり、悠里には事前に来ると伝えていたのだろう。
 珍しく、アレンの表情が死んでいて目を丸くした。そばに行くと、ラフに手を上げられて鏡もそっと上げ返す。
「仲間の誰かにつけてもらうのは難しいの?」
「……オレのとこのリーダーがスパルタで、命がいくつあっても足りない」
 ……一瞬、自分の祖父が頭をよぎった鏡だが、すぐに頭を振って忘れた。この悠里が怯えた、あれ以上のスパルタなんてこの世にいるわけがない。
 途端に、紺色の着物が目に入ってぎょっとした。
「まったく、人様のパーティに迷惑かけるとか何してるの?」
 鏡より少しだけ大きい背丈の日本人の少年だ。やや青みがかった黒の目を、自分より背が高いアレンへと向け、呆れ果てている。中性的な顔立ちで、知的な青のハーフフレームの眼鏡をかけているも、体格や手の平は剣道経験者のそれだ。
 ね気味の髪は襟足えりあしがやや長めな程度だ。文武両道や士族や若武者の文化人といった言葉を想起させる雰囲気がある。そんな和装少年に、アレンがおっと振り返った。
「ヤマト来てたのか!」
「そうじゃなくて、人様に迷惑かけるなって言ってるの……それと、今アレンくんが言ったこと、レーデンさんに筒抜けだからね? 後で覚悟しときなよ?」
 声音は落ち着いた雰囲気で、棘のある言葉は刺さるほどではない。奏と御影もやってきて目を丸くしていた。
 当のアレンは、見事にヤマトという少年へと、開き直った顔を向けている。
「え、カイリいないだろ? あ、こいつオレのパーティの一人な。あと海の魔神がリーダーやってる」
「へえ、アレンの……?」
 介が珍しく、目を丸くして聞き返していた。ヤマトと呼ばれた少年は、アレンへとついた溜息を脇に置いて、介たちへと温和な笑みを向けている。
「……白波瀬しらはせ大和やまと。今アレンくんとパーティを組んでいる一人。よろしく。あとアレンくん。連絡、繋がってるんだよね」
 ちらりと見せられたのは青いスマホ画面だった。通話中の文字に、アレンの口がぴったりと閉じられ、苦いものを食べたように口を歪ませていた。
「うえー、ヤマトやり方汚ねえ」
「そう? あと、そういう言い方してると、どう考えても僕のほうが年上に見られるよ、年齢知らなければ」
 穏やかなようで、ビシバシと言う性格のようだ。当たり障りがないから優しく聞こえる。
 奏たちがそれぞれ挨拶をしていて、鏡もおずおずと頭を下げた。
「風見鏡です、えっと、よろしくお願いします?」
「こちらこそ。うちの末っ子が迷惑かけているみたいで」
「末っ子じゃねえよ、お前のほうが年下だろ!?」
 仲がよさそうだ。見ているこちらが微笑ましく思うぐらい、アレンの言葉は介の時のそれと変わらない。ちらりと介を見やると、悠里がにやりと彼に笑んでいたところだった。
「よかったな、肩の荷一個降りたみたいで」
「まったくだ。けど君に言われたくないなー。まだ降りきってないだろう」
 相変わらず、こちらは素直な感想だけでは終わらないらしい。
 どうやらアレンのパーティリーダーを務めている人物は、結構な兄気質のようだ。そんな会話が大和から聞こえてきて、悠里を見上げかけた鏡は固まる。
「お兄ちゃん……って、いいですね」
「あいつ兄貴じゃねえ!! 魔神でスパルタだ!」
「それも聞こえてるって忘れてない?」
 ……お兄ちゃんの意味合いが、ちょっと違った気がした。御影に言ってもわかってくれるとは思えないけれど。苦笑いを溢して、鏡はアレンを見やると頷いた。
「確かに弟っぽいというかなんというか……」
「鏡くんも、だもんね」
「うん、僕もある意味末っ子だからね」
 柔らかく微笑ほほえまれて、鏡は頷いていた。御影が淋しそうに目を伏せていく。
「お兄ちゃん、元気してる、かな……」
 あ、と、口が開いた。


掲載日 2021/04/17
誤植修正 2021/5/1


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