「……大丈夫じゃないかな。スマホ確認してるけど、連絡来た試しがないから」
「そうなんだ……」
ほっと笑む顔に、ずきりと胸が痛む。
……確認なんて、していなかった。
なんとなく、兄は来ないだろうという気持ちがあったのだ。改めて彼女に言われると、不安がかすかに胸の内を揺らす。
どれだけバカだアホだと
御影に曖昧に笑んだ途端、柔らかいものへと鈍く打ち付ける音に、目を見開いた。
アレンが、体を折っている。その彼の腹へと拳をめり込ませている
瞬間、鮮やかな手つきで右手をアレンの頭に乗せ――ていなかった。鷲掴みだった。
折れたアレンの上半身を、頭を下げさせるように押さえつける男は、絶句する悠里たちへと頭を下げている。
「うちのバカが迷惑かけて悪かった!」
……アレンの息が、できていない。
あれは、ま、まずい。悠里すら困惑する勢いで、何がどうしてこうなっているのかさっぱりだ。
「お、おう」
「……レーデンさん、兄っぷりでごまかしきれないレベルで綺麗に入ってるよ、腹部に」
「入ってるんじゃねえ。入れた」
本気と書いてマジだ。
真っ黒な短髪が持ち上がる。三十代手前だろうか。悠里より頭半分近く低い男は、悠里と歳が五つと離れていないのではないだろうか。
整った顔はどうにも
武術、剣術……そんなに体を
この人、我が強いタイプかもしれない。
「ってわけだ。
「だったらなおさらやりすぎ。普通に他の人引いてるから。
「おう……」
ただ、大和の言葉には賛成だった。もはや怖いとかそういう次元を超えている。御影が
男はやっとバツが悪そうな顔をしたが、それも一瞬だった。
「あー、わりーな。弟にやるのと変わらねーやり方にしちまった……
「……は? 海理・N・レーデン……!?」
「知ってるんです?」
鏡は目をこすりそうになった。
怪訝そうな奏の問いに、介は開いた口が
……いや、顔が引きつっていた。
「通称……海賊頭って言われている風雲児だよ……十年ぐらい前からこっちにいるっていう、おれたち異界の民の中では大ベテランだ」
「じゅっ!? ええ!?」
鏡だけではなかった。ゲートと相対してきた警察組織の悠里を見上げるも、彼も耳を疑っている。御影も奏もぎょっとして言葉が出ないようだ。
海理が一瞬にして
「誰が海賊頭だってんだ。こっちの経験が人より多少なげーだけだろーが」
大和が溜息を
「どう考えてもその評価で妥当だと思うけど? サポートする僕の身にもなって欲しいぐらいには」
「あんまり海賊って響き好きじゃねーんだがな……海上自衛隊とかなら、まだ妥協できる」
「どこが自衛なの。嬉々として戦線に突っ込んでいくのは自衛じゃないと思うけど?」
悠里の呆気にとられた顔なんて、久しぶりに見た気がした。気のせいだろうか。最近彼の表情から作られたものが剥がされている気がする。
「お前……苦労してんだな」
「当たり前じゃない。
「オレはチートじゃねーぞ、刺されりゃさすがに死ぬ」
「その死にそうになってるところを、パーティ組んで早半年以上見たことないけどね」
ついに悠里の顔がげっそりとしたものになった。
「随分チートってことに変わりはねえってことじゃねえか……」
「え、ま、待って、その前に、十年って、全然『少し』じゃないですよ!? ゲートが世界で報道され始めた時期よりも結構前じゃないですか!!」
本当だ。十年前だなんてゲートの「ゲ」の字もなかったのに。ここ数年の話だったはずだ。
これは、悠里たちと一緒に話を聞いたほうがいいだろうか。いや、今は御影を部屋に連れて行ったほうが
御影が鏡の後ろに逃げて一度も顔を出さないほど怯えるなんて初めてだ。誰に対しても最初は不安そうに接しているが、その比じゃない。いくらなんでも海理は……自分でも怖い。
「……まさか十年前から来てた人がいるなんて……」
「おれが知る限り、一番古い異界の民の出現は、十数年前って言われてるよ。ほとんどもう亡くなってるそうだけど……」
「そうか。あっちじゃ十年ぐらいになるんだったな……もう少し短いと思ってたが」
アレンが
御影に目を留め、彼女が鏡の後ろに隠れたままと気づくなり苦笑いを溢している。
「……あー、わり。
「普通はビビる。俺でもビビるわ」
「さすがに嘘っぽいよ、悠里」
さらりと、悠里は指摘を流して考え込んだようだ。そんな彼が珍しく、鏡は首を捻って見上げる。
「ほら、見せて――
耳を疑った。
大和が短縮した詠唱は介のものより速い。それなのに、アレンはアレンは頭を押さえていた手を離すほどに回復して、ほっとした顔をしていた。
「す、凄い……!」
「サンキュー、助かったぜ。キョウ驚いただろ? ヤマトは生命属性に強いんだ」
「元々外科医志望だっただけだよ。今の高速詠唱や並行詠唱は、レーデンさん仕込みだけどね」
「えっ、君も医者志望なの!?」
目を見開くと、相手もえっと驚いた様子だ。御影が恐る恐る顔を出していて、鏡を見上げていた。
「鏡くんも、だもんね……」
「そうなんだ。こっちに来てから同じ夢を持ってる人、初めて会ったよ」
「僕も……!」
嬉しくてはにかんでいると、御影がほっと笑っている。
「よかったあ。お話しできる人、増えたね」
「うん……!」
「僕からも
よろしくと、互いに握手して笑う。話を聞けば大和は鏡と同い年で、親近感が湧いてしょうがなかった。
ということは……アレンは年上だったのか。今さら気にする彼でもないか。自分たちを見て嬉しそうだ。
一方、険しい顔をしているのは悠里だった。
「レーデン……レーデン……ねぇ……うちの課の活動が活発化するきっかけになったのが、そんな名前だった気が……」
「課? ――ゲート対策課か、まさか」
えっ?
目を見開く鏡は、苦い顔で頷く悠里を見上げた。海理が皮肉げに笑っている。
ゲート対策課なんて、それこそ悠里が所属している課の名前で――ここ数年で設立された課の名前のはずではないのか?
「ああ――記憶違いであって欲しかったぜ」
「てめーもあそこに所属してんのか……」
「悠里、どういうこと? 警察がゲート対策課の設立をマスコミに発表したのって、ここ数年じゃなかった?」
「いや、正確には十年以上経ってる。表立って世間に公開したのがその時で、それまでの
どういうことだ? 不祥事?
奏も耳を疑っているではないか。海理が苦い顔で悠里を見上げている。
「あの課、十年経ってちっとは対策打てるようになったか? つってもゲートにはゲートで対処しねーと勝てねーレベルの強さだ。せいぜい情報戦で戦うしか無理だろうが……」
「多少は……だろうな。俺みたいな問題児すら引き入れるほど
海理の目元にくっきりとしわが刻まれた。
「十年経ってもか。まあ、先輩らみてーに無茶させられて、命落とす奴が増えるよりいい」
「……ゲートへの対策を始めてそれだけ経ってるのに、情報少ないんですね……」
言われてみれば、そうだ。それだけ時間が経っていれば、現実世界で打てる対策はもっと多かったはず。
けれど今もまだ、ゲートの存在はその名前と超常的な能力を持って、社会を乱すように暴れているなんて、妙だ。
悠里が苦い顔で肩を竦めている。
「何年経っても圧倒的な情報不足だよ……今のゲート対策課は腕っ節に自信ある奴と情報戦に自信ある奴を寄せ集めてできてる」
「そうか……こっから情報を送ることができりゃ、それだけで随分違うんだがな。声≠窿Qート化の仕組みも、ちっとは掴めてき始めたってのに、オレは現実世界じゃ死んじまってるらしいしよ……」
「えっ……!?」
「……事実だ」