海理の行動は早すぎると思う。
翌日には彼自ら、イドラ・オルムで得た情報を紙に纏めて持ってきてくれたのだ。書類を見た一同は、同時に海理自身から彼の十年前の経緯も聞いて言葉を失った。
現実世界で死んだという十年前。その死の間際に聞いた声≠ヘ、海理に「現実を恨め」と誘ってきたという。それにあえて頷いて、海理は現実世界からではなく、この異世界イドラ・オルムから真実を探ることにしたのだそうだ。
そうしなければ、そのまま死んでしまって何もできなくなるから。
そうして、彼はこの世界から情報を集め続けて、十年の月日が経っていた。家族はまだ誰もイドラ・オルムへと来ていないそうだ。ついてきていた大和が平然とした様子を見ていると、彼は知っていたのだろう。
悠里へと渡された資料を、鏡も隣から覗き込んだ。どれも気になるものばかりだった。
異界の民としてこの世界に呼び込まれる、現実世界出身者。彼らの多くは、既に呼び込まれた異界の民の家族や親戚、親しい人々だという。これは悠里と鏡、そして鏡の繋がりでは御影が当てはまる。
ゲート化の進行により聞く声≠ヘ、肉体や精神が追い込まれた者だけに聞こえているらしい。
感情が
声≠フ目的はまだ不明。ただ、遺跡に
さらに海理の推測では、遺跡は本来の「歴史上の価値を保存し、守る役割」や「封印」といったものから外れている可能性があるという。その一文に鏡は目を丸くしていた。
まるっきり、自分が先日考えていた内容と同じだった。
これまでの内容を統合した内容もあった。
遺跡の中には声≠ェ遺したと思しきものがある。わざと冒険者に挑戦させてゲートを生み出しているのではという推測だ。
見解を読んだ介がなるほどと考え込んでいた。
鏡も思い出すのは、延々と挑戦する人々に与えられる魔術の知恵のことだった。あながち的外れな推理とも言い
そして悠里が目を見開いて
「げっ――最後の奴もしかしなくてもあいつじゃねえか……ッ!」
・例外的に長い期間人間の姿を保ったまま、思考もきちんと持ち合わせて人間的な行動をするゲートも存在する。
現れた期間は比較的最近。目撃者が少ない(もしくは殺害されている)。確かな情報は少ない。確定情報は異常に強い魔術を詠唱無しに発動する。
期間のずれ、また最近アンデッドの出現の増加から推測するに、ゲートという存在も進化しているのではないかと思われる。
・最近東響、境途周辺で名を尋ねては殺すという、今までのゲートにはない行動を繰り返している個体が出現。情報の詳細は目撃者がほぼ殺されているため不明。
最終目撃証言は東響。固体が言葉を発した途端、その言葉通りに行動を制限されてしまうという、今までにない魔術を使ってくる。仮称「
言葉や音に力を持たせるやり方は世界の呪術に多数見られる傾向。名を尋ねて回るということは、特定の人物を探しているのか、もしくは名にまつわる何かを狙っている可能性あり。対策は現在思案中。
「……神崎=c…」
「知ってんのか?」
目を鋭くさせる海理。悠里の顔つきはやや険しい。
「ここにいる俺らにとっちゃ……特に介に因縁のある相手だ。事実、こいつはあれに苗字を奪われてる」
「……名を奪われた? そいつの魔術、名前を奪えるってのか?」
「はい。おれは今自分の本名を口に出したくても、出せない状態になっています。当時契約みたいなものをされかけたのですが、その時仲間に助けられました。結果、今も苗字を奪われたままです。なのでそいつの苗字の神崎をあえて名乗っています」
「名前は一番短い呪い……それを上手く使ってるんだろうな……」
「鏡、またスイッチ入りかけてるぞ」
うっと、鏡は苦い顔で押し黙った。海理から苦笑いされ、どうにも彼が自分を見る目は弟を見ているような雰囲気で、正直戸惑ってしまう。
「……そいつが何を目的にしてるかはともかく、奪われるっつー事例が存在してたって言うのはでけえ。しかもそいつの名前が神崎≠ゥ……助かるぜ、まさか情報持ってる奴らと知り合えるとは思わなかった」
「あ、それと、神崎≠チて人、ゲートになった存在にとって、心の弱い人は道具だって言ってました――もしかしたら関係あるかと」
慌てて口を開くと、海理が苦いものを飲んだような顔をしていた。
「……そりゃ、恐らくだがゲートが持つ能力の話だろうな」
「能力?」
介がああと、なんとも言えない顔をしていた。
「強い力を持ったゲートの中には、ゲートになりかけた人々、ゲートになったばかりの存在を、配下のように操る能力があるんだ。しかし心が弱いことは、関係があるのですか?」
「大ありだ。ってかてめーは敬語抜け、さっきからやりづれー」
「申し訳ありません。営業をやった身としては
……。今、水流のぶつかり合いが見えた気がした。暖流と寒流のような、自然界が豊かになるぶつかり合いではなさそうだ。間違いない。
海理は溜息をついて諦めたらしい。
「ゲートになった奴の特徴だ。まあ狂って自分から望んでゲートになるタコもいるっちゃいるが……」
……海理はどうやら、バカと言うところを、タコと言うらしい。
「おおよそ、そうじゃねー奴らは心が弱ってる。その隙に付け込んで操ってるのは、生で何度か見てるぜ。……それも神崎≠チて野郎に言われたのか」
「はい」
「……気に食わないね」
ぼそりと溢す大和は、先ほどまでの静かさから一転、表情を平静に保ちながらも、言葉がややきつくなっていた。
「ただ、さすがにそんなのと出くわしたら、僕も刀使わざるを得ないだろうなぁ……」
「刀を使うより、まず逃げてほしいけれどね……」
「戦うことになったら、だよ。それに、僕の病気から考えると逃げるってことは選択肢からなくなるんだろうなって思うし」
病気? ――もしかして、自分たちと同じように戦いになると退かなくなりやすいタイプなのだろうか。
けれどそういうことに無縁なのだろう介は、あまり
「それは……いくらなんでも命を捨てるようなものだよ。あいつの仲間だった時期があるから言える。単純なゲートの強さじゃない。それこそあいつは化け物だよ……」
「随分な過大評価だね。……言霊ついでだから僕も言っておくよ。自分より相手が強いと思っているうちはどう
「……あいつはおれの――自分の仲間を皆殺しにしたよ」
介の手に、腕に力が入ったのを、鏡は隣で感じた。
「自らゲートになってね。過大評価というより、事実おれじゃもう太刀打ちできないんだ。だからこそ気をつけてくれ」
ハーフフレームの眼鏡の奥で、青みがかった黒の目が細められた。しかめられた顔は機嫌を損ねたことを微かに伝えてくる。海理が
「大和、てめーはちょっと口塞いでろ」
「嫌だよ。後ろ向きでうじうじされると腹が立つんだ。腐れ縁思い出してね。――僕の言葉にどう思うかは自由だよ。けど、後ろ向いて無理だって決めてうじうじしてても、前には進めないし、それこそどうにもならないと思うけど。それだけ。じゃあね」
丁寧に下げられた椅子から立ち上がり、少年はさっさとリビングから出ていってしまった。海理が目を閉じて溜息を溢し、黙り込んだ一同に目を向けている。
「わりーな。あいつ、かなり現実見るっつか、妥協ってのを許さねー性格してんだ。オレがこの世界に来た経緯も、聞いた時には一言ざっくり刺してぶち切れやがった。その分腹の虫はてめーで片付ける
鏡も捨て身な行動すぎると思っていたから、気持ちはわからなくはない。ただ、どんな言葉であれ、別の気がかりはあった。
悠里だ。肩を竦めて流してはいるも、鏡には平然を
「むしろ俺向けて言ってるわけでもねえのに余波受けたわ……あそこまでシビアに考えられるから強いのかもな、あいつ。あれで鏡と同じ年だって信じられるかよ……」
「情がねーわけじゃねーぞ。口はあれだがな。他人の思慮配慮も知ってる上で、必要と思ったらざくざく斬り込みやがんだ。抜身の刀もいいところな性格してやがる」
そう言う海理の言葉はどこかやわらかい。きっと大和を信頼しているのだろう。
鏡はそっと頷く。
「なんとなくわかります。言葉自体はきつかったですけど、気持ちは凄く心配してくれるの伝わりましたし……」
「鏡ぐらい感情に機敏じゃなきゃ、ただの
それには、少しだけ苦笑いを溢した。海理が溜息を溢している。
「そりゃ普通の感情だ。オレも弟にあれだけきつい物言いしてる奴いなかったらぶち切れてた」
「海理さんの弟さんって、凄く個性強いんですね……」
「ああ、四人揃いも揃って個性豊かすぎるぞ」
「四人!?」
「あと末に妹一人な」
「多すぎだろ……」
ついでに言うと、個性豊かなのは海理も同じだ。介は平然と肩を竦めてみせた。
「まあ、何はともあれ、お互いにできる忠告はし合ったわけです。耳が痛いと思ったのはまるっきり違う人物で申し訳ないですが」
海理の目が呆れたように細められていた。
「てめーは嘘八百得意な口か」
「買い
竦められた肩も、表情も。平然を綺麗に表していた。鏡はかすかに引っかかるも、悠里がひょいと肩を竦めていた。
「ま、介は嘘つく時目
「
「お前は一回わかるとわかりやすい。だいたいの見分け方は鏡仕込みだけど」
……あれ? 介さん、苦笑してる?
普段の彼なら、仕草なんかを見抜かれると苦い顔をしそうなのに。
「まあ、よそのことに首を突っ込みすぎてるのも事実っちゃ事実だ。そこでオレも言ったら同じ穴のムジナだからな。とりあえず互いに無茶だけはするなってことでいいだろ」
鏡は頷いた。正直、考えすぎて話の本題を見失ってはいけないという思いはあった。
「ですね。無理無茶はしないということ、過干渉はしない――これでどうですか?」
「おう。ただまあ、あいつもだが、オレもてめーらのことは気に入ってる。過干渉は弁えるが、また押しかけに来るぜ」
「……は?」
嬉しくて持ち上がった肩の斜め向かいで、介が固まった。海理がにやりと笑んでいるではないか。
どうしてだろう。どこぞの悠里と同じ
「腹割る。なんでアレンの奴、ここを早く教えなかったんだってぶっ潰してえ」
「はあ!?」
素っ頓狂な声に、ついに鏡は苦笑いが零れた。悠里は悠里で頭が痛そうだ。
「嵐が増えた……」
「あ、それでも大和くんと話す機会があるのは嬉しいかな」
「そりゃお前はな……この人仮にも先輩だってのに……」
正直悠里にはご愁傷様と声をかけたい。海理本人がいる前では到底口に出せないけれど。
「……あ、あの、これだけこたえる気がない人間がいるんですよ……」
介の強張った表情なんていつぶりに見ただろう。海理は
……奏に頼んで、御影と部屋に戻ってもらって正解だった。
「てめーのそりゃわざとだろ。自分のくせ利用して仲間にも悟られねーようにしてたんだろーが、表情
介の目が、死んだ。悠里が呆れた顔で隣の青年を見やっている。
「お前、さすがにそれ言ったらバレるわ……」
「ってわけだ。感情繕うならもっとまともにしやがれ。んじゃ長居して悪かったな。また来るぜ」
見送りはいらないからと、手を振ってリビングを出た海理が、扉を閉めた。
その扉を死んだ魚のような目で見つめる介と、疲れた顔で睨んでいる悠里。早々に考えが落ち着いたのか、介の肩を叩いていた。
「お前、あの二人とはかなり相性悪そうだな」
「二人じゃない。全員だよ」
アレンまで加えられ……るのは、当然か。そうでなくとも、エロ本エロ本と叫ぶ彼には、正直鏡も困っていたから。
ただ、介の溜息が重い。
「……最悪だよ……海賊頭に気に入られたパーティなんてもう……全員喉が
「もう腹
ああ、そんな話あったっけ。
ただと、介が深い溜息を溢した。
「……ノイローゼを起こす暇ももらえなかった……」
「そう言われればそうだな……って、起こしたくて起こすもんでもねえだろ」
「いや起こすものだよ。じゃないとおれの発散先がない。ってわけで籠る」
「あ……はい」
そういう発散ってどうかと思うとは、どうしてか口に出せなかった鏡である。