えっと、奏が振り返っている。悠里も料理を盛りつけていた手を止めた。
帰りたいとげんなりしていた大和が、目つきを変えている。
「推定仲間だろう、シャッフェンさんのお兄さんにも、他人の名前を聞いて回らせているのはそのせいかと思うんだ。あいつはおれの名前を自分の名前と入れ替えることで目標を達成して、また別の目標のために準備しているとも考えられないか?」
「……確かにありえる可能性だな。……その考えで言ったら魔術的に力強そうな奴ばっかじゃねえか、うち」
「ああ。あいつがその可能性に気づいてないから今も手出しされてないんだろうけど……ああ見えてバカだから、本質は。……ゲームになると異常に強い以外はね」
「そりゃ厄介だな……んなのが鍛治師のチートと組んでるかもしれねえと思うと頭痛いぜ……と、そういりゃ契約ってどんなことされかけたんだ? 知ってると知らねえとじゃ対策違うと思ったんだが」
「それは――……ああ、くそっ」
悠里は眉をひそめた。介の口が開かれたにもかかわらず、少しの間音を発していなかったのだ。大和も気づいたのか、じっと介を見ている。
「だめだ、これまで話せなくなってたのか……! 一言一句覚えてるんだ。でも中身を話せなくなってる……」
「まじかよ……そういりゃ書けないの? 言えねえなら書けるんじゃ……」
「――今なら、試してみる価値はありそうだな」
「試したことなかったのか……」
「最初に思いつきそうなのにね」
さらりと塩を塗り込む大和に、介は肩を
「今まで泳がされているとはいえ、書いて残すとなると、安全でいられるか自信がなくてね……生き残るためにわざと書かずにいたんだ」
文字を少し書き出した介は、一度手が止まっていた。けれどすぐに続けられた文字に、悠里は呆気にとられる。
「うわ、適当に言っただけなのにまじでいけたのか……すげえな」
「……あいつ、こういうところは間抜けだな。それか言葉の魔術である以上、声に出す以外の方法を封じれなかったのか……こんな内容だったよ。長いけどパターンはほぼ似たり寄ったりだった」
名をここに記す。我が名は神崎
名をここに記す。彼の名は神田 介
名をここに移す。其の名は神崎
名をここに写す。個の名は神田
途切れた名前と詠唱らしい文章の続きに目をやると、介は椅子の背もたれに体を少し預けていた。
「この時に仲間に助けられたんだ。後の流れはわからない」
「悠里ー、夕飯もらえ……あれ、取り込み中?」
「ああ、終わったのかい? ちょっとあの
その調子だと上手く行ったか。
鏡が降りてきて、まだ微かに赤みを残した顔がいつも通りの表情を浮かべていて、悠里は内心ほっとした。従弟へと頷きつつ、介が書いた文章を覗き込む。奏が鏡へと天丼を渡してくれ、彼の相手は彼女に任せることにした。
「……なるほどな。そういう方法なのか……長文詠唱型なら止める
ひょいと、奏と鏡も中身を覗き込んでいる。首を捻ったのは奏だった。
「あれ? これちょっとおかしくないですか? あの記憶覗きスケベ、介さんの名前欲しがってたなら……ここ、『個』じゃなくて『我』になるんじゃないんですか?」
最後の文章に指を当てる彼女に、大和が
「確かにそうだね。『個』っていう字には『一人の人』って意味があるからそれじゃないかとは思うけど……」
「完全に名を奪う……つーか、『成り代わる』のが目的じゃねーのかもな……」
「えーと、個っていうのは、本来ギリシア語のatomonに由来するから、原子同様不可分なものが原義。他とは区別される独自性を持ってて、中に部分を含む統一体で、状態の変化はあっても本質的に自己同一性を保つ全体だ――って、化学で習ったような」
鏡には悪いが、説明の頭半分で理解を止めた。そんな化学だの数学だのを覚えるほど器用な頭は持っていないし、魔術である以上学問が通用するなんて思わなかったのだ。
露骨に顔をしかめると、鏡から若干呆れた目をされた。
「なんで化学で考えたんだよお前。国語じゃねえのかよ」
「だから――その観点で行くと『個』も『一人の人』だけじゃなくて、『我』と同じ、『自分自身』って意味もあるよ?」
……ごり押しされた。全員で顔を突き合わせて唸るも、答えが簡単に出てこない。
圧倒的な判断材料不足だ。
「うーん……成り代わる以外の目的ってなんだろ……あーわかんないっ! もうご飯食べましょ! それかもう一品作りますっ」
「来栖さん……」
大和でなくとも呆れて当然だった。悠里も生暖かい目を向ける中、彼女は腹を
本当に空腹なようだ。まあ天ぷらもそろそろ冷えて味が落ちるし、食べてもらうのは構わないが。それならと、悠里は奏に軟骨の唐揚げを頼むことにした。
介が溜息をついて首を振っている。
「当時の現場は――遺跡の最奥だった。魔石の台座があって、地面はおれたちが最初に行った遺跡と同じ石造りだった。他には特に何もなかったよ。あいつが用意した魔法陣以外はね」
「そこまでこっちがわかってるならそこに飛び込むなんて、『はい、もらってください』って言うようなものだからね。相手もこっちが警戒するのはわかっているだろうし、今じゃ違う契約方法があると考えていいんじゃないかな。向こうも魔法陣なんて大掛かりな準備する余裕ないだろうしね」
「可能性はあるね……ただ、一度発動しようとした魔術の中身を、途中で変更するなんてできないだろうから、おれには同じ手を使ってくるはずだ」
大和が合点が行ったと頷いている。
「なるほど。言葉に縛られるってことは、一度発動しかけた契約方法も縛られるってことか……それなら納得だね」
そんな危険な橋は渡らないだろうというのは、悠里も納得できた。
「あくまでおれに対する契約に限った話だよ。他の人相手の契約は、君の言う通り手を変えている可能性がある」
介も大和も、どちらもブレイン肌だ。話の歯車の噛み合いがいい。
鏡も黙って聞いて、その割にちらちらと上の階を見上げているけれど。
「それと魔法陣は、多分言霊と関係ない。別の何かに使おうとしてたんだと思うよ……例えばこの間の、遺跡の最奥に出てきた魔物に関わるものとかね。あれも確か魔法陣がどうとか言っていただろう?」
問いかけられ、悠里は頷いた。奏が嬉しそうに唐揚げを作りに行ったことが少しだけこそばゆいが、話を振られた以上今顔に出す気はなかった。
「……んあー、あれな。そうだな、あれ魔法陣描かれてたわ……」
「あいつは影を使って、本体じゃなくても移動する手段がある。魔物を操る技術を探っていた結果が出たとしたら。あの魔法陣を置いて、それを起爆剤に魔物を操ったとしたら……と思ってね」
「うわぁ、それは十二分に考えられる可能性だね。厄介だなぁ……」
合掌して天丼を食べ始めた大和の苦い顔は、決して味の問題ではないだろう。奏は鏡に小声で何か伝えて、二人分の天丼と唐揚げを渡して、二階に上がらせていた。
彼女の気の遣い方は、普段のストレートな言葉遣いの割に優しいなと感じられた。……いや、そういう話ではなく。
ビールを保存庫に取りに行き、グラスに注いで久しぶりの酒を準備しながら、悠里は口を開いた。
「とはいえ、あの声≠ニゲート化しかけた時に聞く声は一緒だから、あいつ倒してもまだ終わりじゃねえんだよな……」
「そこが、頭が痛いところだよ……神崎≠フ目的もそこかもしれないな。あいつ、気になるものには、他の何を捨ててでも知ろうとする悪癖あったからなあ」
「あいつほんと厄介だな……つーか、ほんとこの世界最初に来た頃の俺と考え方似てて、鳥肌立ってきたわ……」
介から生暖かく見られ、なんとなく言いたいことは察して軽く手を上げ、謝った。
介との喧嘩の大半の理由は、確かに介からしたらもどかしいものだらけだっただろう。反省はするが酒は飲む。
介は「とにかく」と区切りながら、天丼を食べ始めていた。
「あいつの口を封じる手段がほしいな。手立てとしてはおれの水の魔術、もしくは鏡くんの風の魔術による音の遮断が妥当だとは思う。大和くんたちのパーティは水属性に特化していたね。恐らく方法としてはいけるんじゃないかな」
「水を口に打ち込むってわけか。まあ確かに、そういう荒っぽい方法はうち得意だけど」
「今のところそれしかねえだろうな……他に方法も思いつかねえし」
「あとはあいつの演説と魔術の詠唱聞かなきゃいけないからね。真っ平ご免だよ」
「ほんとすっごい荒っぽい……相手もそれぐらい警戒しそうですけど……」
奏が唐揚げを作り終えて、苦笑しながら渡してくれた。礼を言うと、彼女は嬉しそうに笑っている。介は肩を竦めていた。
「名を奪われないように、という点ではやる価値はあるよ。最終手段だろうけどね」
「他の方法はお手上げかな。一応、帰ったらレーデンさんに相談してみるよ」
「あの人殴れば早いって言いそうだけどな……頼んだよ」
同感だった。殴って黙らせたほうが早い。ちなみに言うと自分は蹴ったほうが早い。
大和は肩を竦めていた。
「言いそうだけど、あの人その辺りはしっかりしてるからちゃんと考えてくれるよ。半年付き合いがある僕が保証する」
「……理解しがたいよ、いろいろと」
「常人の理解を超えてるからね」
最初に考えることを放棄したからか、奏はそれ以上言う気はないようだ。天丼にありついて、美味しそうに食べている。
作り手としても嬉しいけれど、悠里ですらこの会議には頭を回してきたのに、こんなにマイペースだと呆れるものがある。
――まあ、唐揚げを作ってもらったし、いいか。
着流し姿の少年が立ち上がり、悠里はああと目をやる。
「ご馳走様。あんまり言ってると察せられそうだ。僕も帰るよ」
「いいんじゃないかい? お互いに軽口や冗談や小言を吐ける関係じゃなきゃ、長くは続いてないだろう?」
「まあ、ね。この半年、退屈したことはないよ……それじゃ、また」
凄いなと思って――悠里は苦笑いを溢した。
思えば、自分も介とは半年の付き合いになるのか。鏡が加わってとっくに四ヶ月は経とうとしているのだから。
食事中だし見送りはいらないと、大和はあっさりと出ていった。食べ終えていた介がそれでも見送りに出ていって、程なく帰ってくる。食べ終えた食器を下げて、彼は欠伸を溢していた。
「……で、当面打開策打つにも材料足りてないし、これまで通りゲートに関する資料や、帰る方法を探すしかないな」
「だな。遺跡巡りしかなさそうだ……」
「また準備をしないとな……あと、さっきの呪文の紙は悠里が持っててくれ。おれが持ってると抹消される可能性も捨てきれない。隠し場所もおれにはわからない場所で頼むよ」
相変わらず、捻くれた発想で心理を突く介らしい考えだ。悠里は肩を竦めて返した。
「ま、保管は一応しとくよ……焼きたいけど。すげえ焼きたいけど」
「私もあの記憶覗きスケベの考えたのだって思うと燃やしてほしいですけど、何かの役に立つ時が来るかもしれないですしね……」
「……言うかどうか迷ってたんだけど、あいつのこと凄い呼び方してるんだな」
「え? 間違ってます?神崎≠ウんって呼ぶと介さんと混同しそうで嫌なだけなんですけど」
きょとんとする奏に、悠里は苦笑いを溢した。
「なげえよ。気持ちはわかるけどなげえし、今時スケベって……」
「うーん……じゃあ覗き魔?」
「まぁそれなら妥協してもいいか……?」
「そういう問題じゃないだろう……君らのネジやっぱりずれてるぞ」
どうしてそこで一括りにされる必要があるのか色々言いたいものはあるが、口を出す前に、毎度行動も早ければ口も早い奏がむっとしている。
「だってあいつのこと名前で呼びたくないです。年上だろうが介さんの友人だろうが関係なく呼びたくないです」
「そーいうこと。正直神崎∴ネ外に呼び方思いつかねえからそう呼んでるだけだしな、俺も」
「ああ、なるほどね……ただ訂正してくれ。あいつが友人なわけない。あいつを友人と呼べるなら学校にいた全員が友人になれるね」
言わんとすることはわかる。奏がけろっとした後、ご機嫌な顔で合掌していた。
「ご馳走様でしたっ、美味しかったー。あ、あと、介さんのことをスケベとか覗き魔とか言ってるわけじゃないんですからいいじゃないですか」
「……君は悠里並みに一言多いな」
そうかと悠里はすっとぼけつつ、鬱憤晴らすなら付き合うぞと持ちかけて――断られた。
なんにせよ、介のノイローゼが随分と減ったようで、悠里はおかしくて笑う。
きっと介は無自覚だろうが、彼の対人嫌悪症は少しずつ治ってきているのだろう。
面白いからこのまま見ているか。普段からかわれている分、いつかいじり返してやろう。