「え――?」
奏が鏡へと振り返ろうとした瞬間、殺気を爆発させた悠里の蹴りが彼女を狙う。間一髪のところを避けた奏は距離を取り、信じられない表情で悠里を見上げているではないか。御影が口を覆っている。
「怪しけりゃ……殺せば早い」
「え、ゆ、悠里さん!?」
「……まさか……嘘だろう……」
「輝石――!」
悠里の腕に
白に近づきつつある、明るい灰色だ。純然とした黒はすっかり見る影もない。奏が顔を真っ青に、悠里を見上げている。
「う、うそ……た、楯山さん待って、どうして!? あの時何があったんですか!?」
「あ……もしかして、幻影のせい、じゃ……!」
もしかしなくても――他にあるはずがない。
あの時、無理やりにでも開ける方法があれば、なんとかなったのに……!
「鏡くん、意識を清浄にする魔術は接触じゃないと効かないんだろう!? おれたちでサポートに回る、とにかく止めないとまずい――彰吾さんと同じことになる!」
はっとした途端、奏が耳を疑って介を見た。
そうだ、証の
「え……? しょ、彰吾って……?」
「わかりました! 奏さんも話は後です! 取り返しのつかないことになる前に、悠里を止めなきゃ……!」
「さっきまでが幻影とか、今が幻影とかもうどうでもいい」
低く据えられた声が、殺気を
冷え切った目も、敵意に歪められた顔も。いつもの悠里じゃない。
「俺は――何も信じねえ!」
「――こっの……大ばか……!」
泣きそうな奏の声が、震えている。悠里を睨む目は悔しげだった。
「風見さん、私とエルデさんで陽動します。詠唱と後ろを取ることに集中してください!」
「そう易々背後を取らせてくれればいいんだけど……!」
奏が正面へと走る。悠里が鎌の形をナイフへと変え、彼女へと投げ飛ばした。腕に突き刺さるそれに動きが鈍る奏の後ろから、エルデが彼女の前に立って第二投を刀で弾く。
エルデがはっとした時には、悠里は二人の脇をすり抜けて御影へと走っていくではないか。踏み込まれた足に鏡は歯を食いしばって走った。
「さっきのお返し、高くつくぜ?」
「させないっ!」
悠里と御影の間に素早く踏み込む。悠里の足が御影を蹴り上げる前に、鏡は腕を固めてなんとか
「よ、よくわからない、ですけど――! あとで悠里さん、デコピンです、からね!」
「
瞬時に魔術が発動し、衝撃を和らげる加護が鏡たちを取り巻く。介が鏡たちの後ろから悠里を睨んだ。
「まったく――開け幻門、我が門は水。ラリマーの輝石を
「お前らの手の内、誰が一番わかってると思ってんだか……お前らがどう動くかぐらい、手に取るように……」
「顕現せよ水。
鏡と接敵したままの悠里が飛びのいた。水の網が火の魔術によって相殺され、悠里は目を据わらせて鏡を見下ろしていた。
「わかってんだよ!」
蹴りが脇へと容赦なく入る。衝撃に
御影の魔術だ。瞬間的に詠唱を唱えすぎては、彼女の輝石も濁りかねないのに――!
奏の手が、きつく固められた。
悠里の後ろへと単身突っ込む奏に目を見開く。悠里が気づかないはずがない、陽動なんてものでもない。介が顔を引きつらせた。
「待て、前に出すぎてる!」
「いいんです、いつも通りに動いてたってだめなら――それに勝つための戦いじゃない!」
「なら俺のことなんて諦めりゃいいだろっ!」
「ふざけないでよ! 絶対に嫌!」
「ふざけてんのはどっちだ、あいつの真似しやがって――!」
真似? 真似って何? どういうこと?
一瞬の困惑の
「開け幻門、我が門は闇。ブラックスターの輝石を以て力をここに具現する……顕現せよ、闇。我、闇に応える者也。我は影、影は我。光打ち消す絶望を示せ!」
影が立ち上がる。ナイフの姿を取って、矢のシルエットを真似て影が縦横無尽に飛び交い、鏡は歯を食いしばって避ける。
こんな破天荒な術を使うなんて――!
御影が身を
このままじゃ皆――!
「ふざけてないわよ……! 諦めて助かるくらいなら……」
振り返って、目を見開いた。影の攻撃を受けても受けても、彼女の足は止まらない。
悠里が目を丸くした。奏の手が悠里へと伸びる。
「あんたの目覚まさせるまで――諦めな」
蹴りが、女性の脇腹に綺麗に入った。
地面を転がっていく奏に、鏡も、御影も、介もぞっとする。
「奏さん!!」
「もうやめてよ悠里!! 自分が何してるかわかってるの!?」
「わかってるさ……偽物は纏めて倒さなきゃな」
偽物? 何を言っているの?
そんなのあるわけがない、ここにいる全員本物なのに――!
御影が傷を癒そうと魔術を唱える。素早く目を光らせた悠里の蹴りを、なんとか鏡が庇って凌ぐ。代わりに消えた影たちの猛攻も、気休めにすらなってくれない。
まずい、術者から狙う気だ――!
素早く拳を叩き込もうとする動きを見切られ、鎌で再び
「これ以上魔術を使ったら――!」
「――意志を砕く暗闇となりて、彼の光を奪い去れ」
御影の悲鳴が、介の呻きが聞こえてはっと振り返る。二人の姿が暗闇の中に紛れて消えていく。
昔見たことがある。光を奪う魔術――!
これでは御影が奏の傷を
体を何かに押さえつけられ、地面に引きずり倒された。
体に纏わりつく影に歯を食いしばる。アレンの動きを封じた影を操る魔術だ。エルデに至っては重力を増す魔術で動きを完全に封じられている。
「――親和せよ光。暗き道を照らす灯火となれ!」
いつもより語気を荒くした介の魔術が、暗闇を打ち消した。鏡はほっとするも、自分が動けないままでは介たちが危険だ。
悠里の舌打ちが介へと向けられている。
「やっぱ相性悪いか! だからお前はどっちにしろ相手に回したくなかったんだがな!」
「――だろうな。いくら魔力量が少なくったって、おれは厄介だろうからね」
壁を使って加速しハイキックを繰り出す従兄を止める術がない。介が短縮詠唱で氷の壁を形成し、足を氷の中へと閉じ込めた。お見通しなのか、悠里は詠唱もなしに火を足に纏わせる魔術で氷を溶かしてしまう。
「ああ、だからお前はさっさと沈めたかったよ――お互い手の内はわかってる以上厄介極まりないけどな」
「なら沈めてみるかい? 君が神崎≠倒してくれるって言うならね」
「た、介さん……!?」
信じられない、なんでそんなことを――!
悠里を止めなければ。悠里へと拳を構え直したその時、違和感に気づいた。
彼がじっと耳を澄ませるように、表情を変えていたのだ。やがて介へと向け直された目は据わっている。
何を聞いていた? まさか、まだ幻覚はなくなっていない?
でもそんなはずはない。奏がとっくに罠を解除したはずだ。なのに――
「偽物に言われる義理はないね」
はっとした。悠里の蹴りが踏み込み、介の腹を狙う。
「介さん!」
一撃。
身が反り返りそうになった介が、歯を食いしばって悠里の足にしがみついた。目を見開く悠里は、介が虫の息を弱々しく吐き出す様に舌打ちしている。
「だったら……正気に……げほっ、戻るんだな……!」
「お前が俺の足掴むなんてな……生憎正気だよ!」
「こんの……バカ!!」
影が消えた。素早く起き上がって悠里へとラリアットを叩き込む。
悠里が自由な片足を振るい上げて、相棒を蹴りつける。介がぶっ飛ばされ転がっていく。介の腕から解放された直後、悠里は鏡の一撃を受け止めきった。
視界が回った。
背負い投げられたと気づいたのは、体の反射任せに床を転がった時だ。御影の詠唱に悠里が舌打ちしている。
「戦士たちの傷つきし体に、治癒の加護を与えよ!」
鏡たちを包む光が傷を癒していく。微かに身動ぎする奏にほっとするも、悠里が油断なく見渡す目に冷や汗が流れる。
いくら拳や蹴りを叩き込んでも、かわされる。いなされる。お互いに手の内は読み解いていたつもりだったのに、鏡は悠里の容赦ない蹴りと動きに呻かざるを得ない。
「いつもなら当たるのに……!」
「やっぱ後衛から潰すのがセオリーだよな……さて、どうするか……」
「顕現せよ、地」
はっと悠里が目を向けた。舌打ちして御影へと走る従兄に、鏡は歯を食いしばって回り込み、拳を叩き込んでわざと回避させた。
「堅牢なる岩の守護壁よここに。護るべきものを傷つかせぬ不動の城となれ」
悠里の周りに岩の壁がそそり立ち、閉じ込めた。止められた猛攻にやっと息をつく中、御影が震える声を張り上げる。
「鏡くん、今のうちに詠唱しておいて……! きっとすぐ破られちゃう!」
「わかった! 御影も気をつけて!」
「うん! エルデさん、鏡くんのフォロー、お願いします!」
「了解です」
兄貴分がこんなことで止まってくれるわけがない。エルデも動けるようになっていたのか、すぐに鏡の傍へとやってきている。鏡と離れていたからか、エルデの破れた袖の下は、まだ痛々しく腫れている。御影の術が届かなかったようだ。
起き上がろうとする介へと、御影が走っていき、治癒の魔術を使っているも首を振って止められた。
「もう治さなくていい、あいつがあれだけで治まるはずがない……」
「そーいうこと」
岩壁が壊された。御影の魔術はただでさえ威力が高いのに。
「いつもより……強い……?」
「もしかすると、いつもは無意識にセーブしているのかと……」
エルデの傷を御影が癒す。悠里の呼吸が整う前に刀を構えて牽制の姿勢を保つ彼女は、青い目をかすかに細めた。
「半ゲート化して、普段抑えているものを全て解放しているかもしれません……」
介も同じ見解だろうか。だとしたらと身構える鏡だが、介が呻く声に耳を疑った。
「くそ、まずいな……これ以上は……」
介のラリマーが濁りきっている。淀んだ海のような色に、御影があっと口を押さえた。鏡は歯を食いしばって黒かった輝石を見やる。
「っていうことは悠里も……!」
限りなく白に近づいた輝石の色に背筋が粟立つ。
これ以上は取り返しがつかなくなる。
「開け幻門、我が門は闇――」
詠唱にぞっとして走ろうとする。鏡が止める前に、介が青い顔で手を前に突き出した。
「くそっ!」
悠里の口の中に水が少量滑り込む。咽せる従兄の詠唱が止まり、舌打ちを溢した。エルデがさらに魔石を割って、水の網を作り出したも避けられる。
これ以上攻撃させられない。これ以上魔術を使わせたくない。
焦げ茶色の髪が、視界の端で揺れた。
よろけながらも手の平に爪を立てて、唇を噛みしめてまで前に進む女性に、鏡は言葉が出なくなる。
「絶対……諦めない……!」
「光と闇は相反属性……だっけ?」
向けられる言葉に、奏が泣きそうな顔になっている。
「もう魔術使わないで、戦わないで! 本当にゲートになっちゃう……!
「この半年がおかしかっただけだ。俺は独りだよ! これまでも、これからもっ!!」
「おかしくなんてない……! 独りだったら、とっくに……離れてたでしょ。ここを、壊したくなかったんでしょ……!」
「お前に何がわかるってんだ!」
「言ってくれなきゃわかるわけないでしょ!」
叫ぶような声に気圧される。御影が悠里の死角から、口だけを動かしていてはっとした。
ま じゅ つ
そうだ、今のうちに――
「だからあの時嬉しかったの……言ってくれたこと……」
悠里の目が見開かれていく。鏡もあっと言葉が途切れた。