境界融和世界の幻門ゲート

第29話「握られた手」01
*前しおり次#

「うー……」
「あっ、奏さん!」
 罠を全て解除された遺跡を出る頃には、皆へとへとだった。星明りも少ない夜の家路は、エルデが奏の代わりにつけてくれた光の魔術のおかげで灯りに困らない。
 身動みじろぎした奏へと、鏡も悠里も心配そうに見やる。
「……起きたか?」
 寝ぼけまなこが、悠里の顔へと向いた。とろんと落ちたまぶたは、そのまま悠里の背中にうずめるように落ち着いていく。
「もう……ちょっと、寝……えええええなんでこうなってるの!?」
 あ、覚醒した。
 真っ赤になった奏に、鏡は苦笑いをこぼす。悠里がなんとも言えなさそうに黙って、溜息を溢していた。
「お前が寝落ちたらこうなるだろ……介がお前背負えると思うか? 無理だろ?」
「えっ、うそ、寝……!? って、す、少しは減量してますから!!」
 今後の方針をエルデと話し込んでいた介は、奏のおかげで頭から話す内容が綺麗さっぱり吹っ飛んだようだった。疲れは消し飛んでくれなかったらしい。
 ……日頃のうらみを忘れずにざまあと思わなかったわけではない。
「あ? 別に気にしてねえけど? ……つーか、それよりも大丈夫か?」
 ……あれ?
 どうしたのだろう。奏へと心配そうに振り返っている悠里は、今まで以上に何かが違う気がする。
「えっ、だ、大丈夫って、何がですか……?」
 背負うことは今までもしていた。ややきつく叱咤しったすることも。ただ、あんなに案じたような表情を見せることはなかった気がする。
「だいぶ泣き疲れてたみたいだし、割と女子から狙った自覚あるし。お前傷もだいぶ多かったろ? 悪かった……後、止めてくれてありがとな」
「え? あ。いえ……」
「あれ、鏡くん、どうしたの?」
「う、うん……なんでも……ないといいなぁ……?」
 御影が不思議そうに見上げてくる。動転気味に腕や、あちこち破れた服を見下ろしている奏は、自分にかけられた悠里のコートに気づいたようだ。ずり落ちかけていた黒い上着を慌てて着直していた。
「でももう傷もないですし……あの時私怪我してましたっけ……? あ、あれ?」
「あ、えと、奏さんの傷治しました」
「あ、それでなんだ、ありがと……あれ、いつ怪我したっけ」
「ひ、ひとまず帰って休んで明日改めて話し合うことにしませんか!?」
 なんだかまずい気がする。こんなに記憶にずれがあるなんて神崎≠フ時以来だ。
 悠里がなんとも言えない表情で前を向いた。
「結構がっつりやらかした自覚あったんだがな……」
「……別にいいですよ。悠里さんも皆も無事だったんだから」
 もたれるように、奏は悠里の背中に体を預けていく。目の下のくまがはっきりと、彼女の限界を訴えていた。
「すみません、まだ歩けるほど眠気取れてなくて……もうちょっと寝ます……」
「おう。寝心地悪いだろうけどゆっくり休んでろ」
「ううん……温かくて、広いですよ」
 悠里のちょっと丸くなった目が、優しく細められた。
 初めて見る顔かもしれない。
「……いつも、ありがと……」
「どーいたしまして」
 今まで、こんなに優しい悠里の声だって、聞いたことがなかった。
 家に着いてすぐ、奏を部屋に寝かせに行った悠里は、鏡がリクエストしたドリアをすぐさま作ってくれていた。エルデはいつものように店舗兼自宅に帰っていき、悠里はどこかすっきりとした顔で調理に取りかかっている。
 介がからかっていた口を休めて、ふと悠里をまじまじと見やっていた。今回手に入れた古文書を閉じている。
「悠里。もしかして君、ダム壊れてたのか?」
「はは。壊れたんじゃねえ。自分で壊した」
 介の面食らった顔は、やがて笑みに変わっていく。近くのサイドテーブルへと本を片付けた彼は、「そっか」と短く返した。
「ちゃんと戻って来れてよかったよ」
「ああ……最悪の結果だとお前に引導渡す汚れ役押しつけてたと思う……本物だって気づけてよかったよ」
 まだ不慣れなのだろう、下手くそな笑み。介も苦笑いを溢していた。
「そうだね、覚悟してた……彼女が止めきれなかったら、その時は鏡くんたちにどう言われようと、動く気でいたよ」
「……あいつには感謝してもしきれねえよ。全部ひっくるめな。――っし、できたぜ」
「あ、じゃあ私、奏さんに伝えてきますね」
 走っていく御影を見送って、鏡は悠里を見やると首を傾げた。
 なんというか、ダムを壊した後だからということもあるのだろうが、何かが変わった気がする。その何かがよく掴めないけれど。
 程なく、御影に支えられて奏が降りてきた。奏自身は気にしないでと何度も断っているようだが、御影が頑として譲らなかったようだ。
 小さい頃ああして支えられてたっけ。
 恥ずかしい記憶が過ぎった鏡は、苦笑いを溢した。
 悠里が途端に、奏を心配そうに見やって、彼女用に作った卵粥を奏の席に置いているではないか。
「まだ貧血気味か? 無理はすんなよ?」
「うー……大丈夫だと思うんですけど……あ、家まで運んでくださってありがとうございました」
「気にすんな。このメンバーでお前背負えるの俺と鏡ぐらいだし、俺のが適任だろ? 当然のことをしたまでだ」
 やっぱり、何かが引っかかる。けれど空腹で頭を回せるほど器用にはできておらず、素直に出来立てのドリアを前に合掌した。一口食べて全員が美味しいと口を揃える中、奏がもの淋しそうに卵粥たまごがゆを食べている。
「ドリア食べれるぐらいに、早く体力戻そう……」
「またそのうち作ってやるから」
「……お願いします」
「はは。りょーかい。しばらくはリクエスト受け付けた分溜まってるから、いつになるかわかるんねーけどな」
 御影はえび天うどん、奏からはアップルパイ……介は何かリクエストしていただろうか。そう言えばちゃっかりしていたか。辛いもの。
 楽しそうに笑った奏は、悠里へと目を向けている。
「楯山さんはいいんですか? 食べたいものあるなら、私今度作りますよ」
「俺の分はいいよ。今回、お前らを危険にさらしたのは俺だしな。お前らが気にしないってのはなんとなくわかってるけど、俺なりのケジメって奴」
「はーい、じゃあ勝手にプリン作ります」
「やりい」
「美味しいけど盛りすぎだぞ、これ」
 冗談とはいえ、帰り道で大盛りを許可したのは介なのにと、鏡は肩を竦めた。
「リクエストに便乗した上にあそこまで悠里が言い切ったんだからこうなりますよ……ざま……ゲフンゲフン」
 咳をしてごまかしたも、介は目が据わっている。
「鏡くん、あんまり嫌味言い続けてると嫌われるよ」
「疲れてるとつい口すべるんですよね……」
「相手を限定して毒吐けるって天才的だと思うよ」
「あんまりめられると照れますよ?」
 ついに介が溜息を溢した。鏡も言った後で、そっと口を閉じた。
 うわあ、今のまるっきり悠里やバカ兄と同じ言い方だったかも。
「似なくていいところだけ、君らそっくりだよなあ」
「疲れてたりスイッチ入ると似るんですよ、考え方……僕も所詮しょせん風見ですよー……」
「はは……まあ、みんなゆっくり休もう」
 そうしたほうがよさそうだ。ここまで悠里たちに似るほど疲れがひどいのだから。御影も弱ったように笑っていて、胸元で揺れているチョーカーのグリーンアンバーの濁りに目が留まった。
「御影も大丈夫? 相当魔術を使って疲れたでしょ?」
「うん、ちゃんとゆっくり休むから、大丈夫。鏡くんも、今日はゆっくり休んで? 明日の当番、私するね」
「ありがと……助かる……」
「あ、楯山さんっ。プリンの代わりにアップルパイお願いしますね?」
「パイシート買ってきたらすぐ作るよ。ワンホール食っていいぜ?」
「どうせならみんなと食べたいですっ」
 鏡と御影は顔を見合わせて、こっそり笑い合った。
 悠里が笑いを堪えて頷いている。
「わーった。んじゃ明日か明後日のおやつにするか?」
「やった、楽しみーっ! しっかり休んでお腹空かさないと――あ、介さん。明日お願いしていいですか? 遺跡でわかったことの話」
 声をかけられた介は、苦笑いしていた顔を真顔に戻して頷いていた。真剣な目に、鏡は閉口する。
「――ああ、わかった。まとめておくよ」
 彰吾しょうごのことも、伝える気なのだろう。奏自身、きっと知りたいと思っているはずだ。
 結果がどんなに残酷でも、彼女はまだそれを知らないから。知る権利があるのだから。
「……それなら俺も今回の件纏めたほうがいいか? 実際声≠ニ意思疎通しちまったわけだし」
「ああ、そうだね。とはいえ、全員まずは休息が先決だ。輝石の消耗も激しい上に、負傷もしてたんだからね」
「……寝れなさそうなんだけどな」
 無理もないだろう。悠里があそこまで自分を追い込んでいたのも、その結果仲間を危険に晒したことも、彼にとっては重い事実のはずだ。心配そうに声をかけた奏に、悠里は落ち着いて大丈夫だと返していた。
「意思疎通できるって時点で怪しいし、海理サンと大和にも相談してみるわ」
「そうだねえ……知恵を借りるついでに、情報を渡して損はないだろうな」
「それにあの遺跡、人為的すぎる……何かが裏で糸を引いている気しかしなかったです」
 気になった点を指摘すると、介が頷いていた。
「所々、あからさまに遺跡らしくない罠の仕掛け方があったからね。偽装された問題文もそうだしな……まあ、明日考えよう。みんな寝ないと、疲労が顔に出てるよ。纏めたらおれも休む」
「さんきゅ。んじゃ、お言葉に甘えさせてもらうわ……」
 悠里が立ち上がって食器を下げに行く。奏も介に頭を下げて立ち上がろうとして――足が震えているではないか。御影が不安そうに奏を見上げている。
「か、奏さん、大丈夫ですか?」
「……うん、大丈夫。このぐらいなら歩けるわ」
 大丈夫に見えるわけがない。口を開こうとした鏡の後ろで、悠里の溜息が聞こえた。
「肩貸すから捕まれ。おぶるか抱えたほうが安全だけど、お前嫌だろ?」
 時が止まった。鏡と介の時間だけ。
「えっ、あ、だ、大丈夫っ、大丈夫です! ちゃんと立ててるから……!」
「生まれたての子羊みたいに震えてる奴が何言ってんだ、ばーか。ほら、意地張ってないでさっさと掴まれ」
 時間が動いてくれなかった。鏡と介の分だけ。
「……い、意地張ってるわけじゃ……」
「奏さん、無理しないで、悠里さんにお願いしたほうが、いいと思います……」
「えっ、ちょ御影ちゃん!?」
「ほれ、援護射撃も入ったことだし腹ぁくくれー?」
「え、な、腹括れってなんでそうなったんですか!? なんの話!?」
 にやりと笑んだ悠里を見て、やっと鏡は顔を真顔に固定する。もう見ていられないと言わんばかりに、介は食器洗いに逃げてしまった。
 どう考えても腹を括ったのは悠里のほうだ。確信犯だ。他にない。間違いない。
 どういうこと!?
「その、私じゃ奏さんがこけた時、支えられないだろうし、危ないから……悠里さんなら、大丈夫だと思う、から……」
 いや御影そこじゃないからね!?
 にやりと、悠里の笑みがさらに悪戯っ気を帯びた。鮮やかな手つきで奏を抱え上げたのを見て、鏡の目は天井に逃げていく。
「きゃあっ!? ちょっ、え、ええええええ!?」
「後、俺も本気で行くから。覚悟しとけよー? 奏?」
「ほ、本気って……本気って、なんの話!?」
 居た堪れない。
 介が呆れ果て、悠里の頭を軽く叩いている。左手には食べ終えた誰かの食器を持って。
「さっさと運んでやれよ……」
「わりいわりい、さすがにこんな可愛い反応されたらからかいたくなってな?」


掲載日 2021/06/06


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