境界融和世界の幻門ゲート

第29話 02
*前しおり次#

 雷が落ちた。鏡にだけ。
 一瞬で顔を沸騰させる奏ににやりと笑う悠里へと、ついに介が冷めた目で睨んだ。
「さっさと行け」
 ロボットもびっくりの一本調子だ。
 悠里はけろりとして肩を小さく竦めた。
「へいへい。んじゃ、おやすみー」
 奏を抱えたまま階段を登っていく従兄を呆然と見やる。鏡の口から出た息はのろのろとしていた。あまりにも真っ赤な顔で悠里を見上げていた奏が、ちょっとかわいそうだ。
「向き合った途端にあれとか……奏さん大丈夫かな……あれ……」
「心臓、バクバク言ってるって、顔に書いてあったね……」
 御影ですらわかるのだから、よっぽどだ。介は食器洗いを済ませる前に、アイスコーヒーを取り出していた。口から甘さを逃がしたい気持ちがよくわかる。
「あー……砂糖濃かった……」
「ほんとあれ、糖分高すぎですよ……例えるならクリスマスケーキに乗ってるサンタの砂糖菓子レベル……」
「ま、マジパン……?」
「あ、うんそれ」
「あはは……でも、ちょっといいなあ、なんて……」
 ボチャボチャボチャボチャ
 激しい音を立ててアイスコーヒーが介のマグから溢れ出した。鏡はぎょっとして思わず隣へと振り返る。
「ぼ、僕にあそこまで求められても困るよ!?」
「え、あ、ち、違うの、そうじゃないの! なんていうかその……! ほ、本当に違うの! 奏さん、緊張してたから、悠里さんがほどいてくれた、みたいだったから、よかったって意味で……!」
「ああ、そういう……あー、びっくりした……さすがにあそこまでやれって言われたら僕無理だもん」
「鏡くんしないのわかってるよ……!」
 鏡は自らに食い込んだ言葉の釘に、身も心も灰色に染まりそうだ。
「それはそれでヘタレって言われてるみたいで……」
「え!? へ、ヘタレじゃないよ、鏡くんいつも守ってくれてるのに、ヘタレなわけないもん、かっこいいの!」
 机に突っ伏した瞬間の言葉に撃沈した。
 奏のことを言えないくらい、自分も顔が赤いことがわかる。熱い。灰色が一気に朱に変わるなんてどんな拷問だ。
「そ、そこまで褒め殺されるの……!?」
「え、ええ!? な、なんでえ……!?」
「無自覚怖い……」
「え!? ご、ごめんなさい……」
 御影は悪くないんだけど……そろそろ耐性をつけないとだめだなあ。
 一回一回この調子では、本当にもたない。嬉しいのに、無自覚の褒め殺しに身も心も光を放って爆発できそうだ。今魔物が来たらやたらいい位置に一撃が入るか、簡単によけられてしまうかの二択ではなかろうか。
 盛大な溜息が聞こえてきて、鏡も御影もはっとする。
 アイスコーヒーを盛大に、流しの横のステンレスに溢した介が、静かに食器を洗って、流しも拭いていた。
 疲れが、暗黒物質ダークマター化している。空気中に放たれている。
「……た、介さん大丈夫ですか? 服に染みついてません?」
「……あー……大丈夫、シンクは拭いたし服は濡れてない。やっぱり今日籠もり部屋でデータ纏めるよ。二人ともおやすみ」
「あ、はい。おやすみなさい」
「お、おやすみ、なさい……」
 介が足を引きずり気味にリビングを出て行く。げっそりとした顔で。
 ……聞かれた。全部。食器洗いまでしてもらって。いっそ「砂糖」と吠えられるほうがマシだったかもしれない。
 明日寝不足になるのは自分と奏なのだろうと、嫌でも想像ができた鏡である。
 
 
 悠里が奏を起こしに行ったのは、確か二回目だ。
 彼女は基本早起きだし、普段は疲れをあまり溜めないのか自覚がないのか、朝食をさっさと作ってしまうのだ。中々朝起きない鏡や悠里が、朝食当番を何度肩代わりしてもらっただろう。
 けれど今日は、輝石の濁りも予想以上に早く取れた悠里が、朝食も昼食も準備してくれた。中々降りてこない奏に、天井へと目を据わらせて見上げている。空になった丼茶碗を流しに置いた彼は溜息を溢した。
「ちょっと起こしてくるわ」
「扉いっぱい叩くの、だめです、よ」
「はいはい」
 そういえば最初それをやって、煩いと苦情が出ていたか。
 足取り軽く二階へと上がっていく従兄を見送り、鏡はえび天うどんをすすった。御影が嬉しそうに食べている姿を見ると、また作ってあげたいと笑みが溢れる。
 悠里に作り方を聞いておこう。出汁が美味しい。
 ふと、悠里が真顔で戻ってきた。麺を熱湯に入れる彼は、奏の分だろうえび天うどんを手早く作り上げると、持って上がっていってしまう。ついでに濡れタオルを作っていたのは、きっと奏が目を腫らしているのか、傷による微熱があるのだろうか。
 まだ起きられないのだろうか。大丈夫だといいけれど――
 ……。
 なんだろう、あの悪戯のタイミングを楽しみにしていそうなご機嫌な足取りは。
 以前にも増してわかりやすくなっている従兄の感情の変化に、鏡は目を据わらせた。
「奏さん大丈夫だといいなあ……」
「えと、何が?」
「ううん、こっちの話……というか、悠里たちの話」
 途端に奏の何やら叫んだ声が、一階のここまで響いてきた。介が無表情にうどんを啜っている。
「……あいつこの中に砂糖でも入れたかな」
「……介さん……最近味覚大丈夫ですか」
「お陰様で狂ってるよ、随分と」
 まあ、そういう会話が上で繰り広げられているのは間違いない気がするけれど。
 鏡たちがうどんを食べ終える頃には、悠里はけろりとした様子で戻ってきた。足取りがご機嫌で、介がげんなり顔で睨んでいた。
 そのまま奏に頼まれていたアップルパイを準備する気になったのか、リンゴを二玉ほど出して切り始めている。
「あ、朝の間に海理サンと大和には連絡取ったから。そろそろ来ると思う。アレンは佑に抑えてもらうよう頼んどいた」
「助かるよ。アレンがいても、あいつ引っ掻き回すだけだろうからなあ……。けど風見くんには悪いことをしたね。こっちに呼ばなくて……いいみたいだな」
「佑呼んだら色々解説しなきゃだし、多分……あれに発展すっから」
 鏡も苦い顔で頷いた。主に兄の「表出ろ」から始まって、稽古に発展するのは目に見えている。
 介が生暖かい顔で相槌あいづちを打っていた。
稽古あれは面倒だから勘弁してくれ。今のうちに纏めようか。悠里も、おれたちと分かれた後のことを把握できてないだろう。ある程度共有しよう」
「ああ。俺しっかりきっちり幻影にとらわれてたからな……で、俺どこから話せばいい?」
「そうだな……御影さんの幻を見たって言ってたろう? そこと、声≠フ件を頼むよ」
 鏡も気になっていたことだ。悠里はアップルパイを準備していた手を一度休めて、介へと振り返ると頷いている。
「兵が幻影だって気づいたから、根本もとを断とうとしてたんだよ。そしたら、御影――の幻影が、俺らが入ってきた扉から入ってきた。最初幻影だって気づかなかったけどな」
「御影さんが、落ちた場所から自力で出てくる可能性が頭に過ぎっていたんだな……」
 それだけだろうか。何か引っかかる。
 鏡はに落ちないままに、悠里が肩をすくめる姿に目をやった。
 輝石の濁りも気になっていたが、悠里の心が弱っていないか、心配だったのだ。今朝、自分の知る限りのカウンセリング知識で状態を見て、大丈夫だとは思ったけれど。
 今は話をそのまま聞こう。
「偽物って気づいたのが遅かったんだよ。幻影兵からかばってたら、そいつに後ろから刺されたよ。幻影とはいえ痛覚あったから動けなかった」
 状況的に、御影が偽物かどうか疑う余地なんてなかっただろう。味方だと信じ切っていたならなおさらだ。
「でもって、俺が閉めた扉簡単に開けて行ってな。最後に聞いたのは、幻覚とはいえお前らの悲鳴。偽物の御影にやられたんだと思った。で、何が正解で何がいつわりかわからなくなった時に、あの声≠ェ聞こえたってわけだよ」
「それで偽物、本物って言ってたわけか……」
 そういうことと頷く悠里の話は、顔色が曇っていた。
 絶望を叩きつけられた当時の悠里に、ゲート化の時に聞こえるという声≠ェそそのかしてきた言葉は、いつもと違っていたという。
『失いたくないんだろう?』
 これ以上ないほどに、その時の悠里には的確すぎる誘い文句だった。
 幻といえど、ナイフの傷を知覚していたために、悠里は思考が働いていなかった。仲間が殺されたと思って生まれた喪失感に耐えられずに、声≠ノ聞き返したのだという。
 
 失いたくないって言えば、それだけの力でもくれんのかよ……っ!
 
「したら、『望むなら』って返しやがった……この時点で疑えばよかったんだがな、俺も」
「……これは、声≠調べてる海理さんに意見をうかがったほうがよさそうだね。その後声≠フ言うことを受け入れて、ゲート化しかけたんだな」
 頷く悠里に、介は腕組みをしつつ、指で二の腕を叩いていた。
「けどゲート化しなかった――ということは、恐らく君が聞いた声≠ヘ本物じゃない。偽物だ」
 断言する介に、鏡は同意して頷く。介の目は悠里のブレスレットに収まる黒い石を見据えていた。
「あれだけ普段慣れない魔術を使った以上、輝石の濁りは進んでいたはずだよ」
「魔術、練習はしてたけどな……まさかあそこで成果出ても嬉しくねえけど」
 少し溜息にも似た弱音だった。悠里の独自の魔術を手伝っていた介が頷いている。
「あれだけ暴れても砕けなかったということは、声≠ェ本物でないということの証明だよ。疲労や消耗から来る、声≠ヨの警戒心が招く幻聴のたぐいだとされているほうだね」
「ああ、そうじゃねえかなと思う。あの声=A遺跡の内部にも詳しかったしな。道案内してもらったし」
「それでおれたちのところまで迷わずに来たっていうのか?」
 聞けば聞くほど、悠里が聞いた声≠ヘおかしいものだらけだ。
 しっかりと対話ができるなんて、ましてや道案内までするだなんておかしい。
 さらに悠里が言うには、介が挑発した時にこう言われたらしい。
『とどめを刺させば、幻は全て消える。奴らを殺せば出られる』と。
 本物なのか、偽物なのか。悠里が揺れる余地をいとも簡単になくす言葉だ。
 介が呻いている。鏡もこめかみをつついた。
「変、だね……介さんが言ってる特徴じゃない気がする」
「だよな。幻聴で対話はまあギリできるとして、迷わねえ道案内まではな……」
「罠はどうしたの? 僕らも駆け足で抜けたし、実際は罠なかったんだけど。調べなかった?」
 悠里の顔色が一瞬にして変わった。
「……そういりゃ、罠がないことまで教えられたわ」
 ぞっとする。悠里が自分たちに早く追いついてきた理由に納得すると同時、あまりにも異質な声≠ノ耳を疑った。
 介が深刻な顔つきで、動揺を顔に出している悠里を見やった。
「もしかしなくとも、悠里が聞いた声≠ヘ、本物でも偽物でもない、第三者のものじゃないのか?」
「……今冷静に考えて俺も同じこと考えてたところだ。第三者で俺の本心知る機会がある奴って言えば……」
「神崎≠セけだな」
 歯を食いしばる悠里の気持ちが、痛いほど伝わってくる。
「次会ったら絶対ぶっ飛ばす……!」
「も、もしかして、私の幻影作ったのも……あの変な人、ですか?」
 頷く鏡に、御影が不安そうにしている。
「そうだろうね。それどころか、あの部屋の仕掛けを改造したのもあいつだと思う」
 いつの間にか、歯を食いしばっていた。
 御影を落としたことも、利用したことも。悠里を追い込んだことも、仲間と殺し合わせようとしたことも、何もかも許せなかった。
 介の目が、冷静になれと忠告してきても、簡単に感情を切り替えて戻せるほど、鏡も悠里も器用ではなかった。
「声≠ノついての確証はある程度得られた。なら次に考えるべきは、おれたちが見た子供だろうな……あ、その前に。御影さんは落ちた後何もなかったのかい?」
 御影が慌てて頷いている。背筋を微かに伸ばしたような気がして、鏡はそっと手を握った。
 なんとなく、彼女にはもうこうしてあげる必要がないというのは、わかってはいるのだけれど。
「ダストシュートみたいに、いくつも落ちる場所があったから……。今までの罠も、同じ場所に繋がってたんだと、思います。謎解きは二ヶ所あったんですけど、どっちも誰かが、解いてくれてました……」
 解かれていた?
 鏡は悠里と顔を見合わせた。御影も不思議そうに首を傾げている。
「だから、他に落ちた人いるのかなって、不思議だったんですけど……」
「それは確かに……別のパーティでもいたのかな……?」
「案外神崎≠ェドジってたんじゃねえの? だったら笑い飛ばせて気持ちだけスカッとすんだけど」
 確かにざまあと笑いたい。けれどなんだか、そうではない気がする。
「少なくともおれたちの他に、誰かがあそこにいた可能性は高いな」
「その辺り、推定仲間の兄貴のこと、エルデに聞いたほうがいいかもな」
 インターホンが鳴る。悠里が目を上げ、重たい腰を上げて席を立った。
「来たみたいだから行ってくるわ……殴られる覚悟しねーと……」


掲載日 2021/06/06


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2026 *Nanoka Haduki* all right reserved.