境界融和世界の幻門ゲート

第29話 03
*前しおり次#

 鏡は苦笑いをして見送った。御影が不思議そうに首を傾げていて、大丈夫だと頭を撫でて伝える。
 ゲート対策課――警官としての悠里の立場で見ても、海理は彼にとっての先輩であり、現状この世界では上司のような感覚だろう。
 いくら第三者に唆され追い詰められたからといっても、悠里はゲートになりかけることを自ら望んだのだ。海理から容赦なく怒られることを覚悟しているのだろう。
 それだけの自覚があるからこそ、彼はああ溢したのだろうから。
 ただ程なくして、悠里の嬉しそうな「さんきゅー!」という声に、鏡も介も沈黙した。
 挙句少しして戻ってきた彼は抹茶を立てると言い始めていて、海理と大和が沈黙して入ってきた様子に介が身を引きかけている。
「どうもこんにちは……いったい今の数分で何があったんですか」
「あいつの人生経験密度おかしいぞぜってー……」
「ああ……悠里一時期抹茶にハマってたから……」
 確かに、料理や菓子を作るとはいえ、武闘派一直線に見える悠里が抹茶まで立てられるなんて、想像しがたいものなのかもしれない。当の本人は肩を竦めながら薬缶やかんに水を入れているけれど。
「さすがに本格的には立てねえよ、道具ねえし」
「……まあ、とりあえずだ。説明頼むわ」
「じゃあかいつまんでします」
 まさか、到着五分以内に海理が疲れた顔で溜息をつく姿を見るとは思わなかった。
 悠里の手元でどっさりと置かれた和菓子の山が、妙な輝きを纏っていたように見えたのは気のせいではないだろう。
 
 
「バカじゃないの?」
 一連の話を聞いて、まず大和の開口一番はナイフのような感想だった。悠里は静かに頷いて、非を認めている。
「言われると思ってた、反省もちゃんとしてる」
「……とりあえず、言いたいことは色々あるが……悠里こっちこい」
 黙って立ち上がった悠里を、海理の鋭い真っ黒な目が睨み上げる。やはり立ち上がった彼は、悠里がそばに来てもその目をやわらげない。
 御影が鏡の手を握ってきた。鏡も握り返して――ただ黙って二人を見上げる。
「何発かもらう覚悟はしてた、甘んじて受ける」
「っのタコが!」
 手が勢いよく、悠里の頭を乱暴に撫でた。
 面食らう悠里の頭がいくら揺れようが、海理は気にした様子なく、疲れたような溜息を溢した。決して高いとは言い難い海理の身長で、百八十を超える悠里の頭を撫でる姿は、少しおかしく見える。
「……は? へっ?」
「てめーを今さら殴ってなんになるってんだよ。全員無事で何よりだ」
「だね。みんな無事に帰ってこれたんだから。悠里だって反省してるし責める気はないよ」
「そういうことだ。それに表に一旦顔出す奴は違うらしいしな?」
 悠里の頭から手を離し、じろりと見下ろしてくる海理に、鏡は苦笑いをして身をかすかに固めた。
「やだなぁ、気のせいですよ?」
 この人、人の感情を見抜くのまで得意なんて、どれだけのチートだ。大和がたのしそうに笑んでいて、新たな友人の物騒さに笑みが若干強張る。
「あ、その時は加勢するよ鏡くん。たまには膝つかせたいから」
 どうしよう、甘んじたとしても断ったとしても後が怖い。曖昧あいまいに笑うと、介が無表情に海理を見ていた。
 ……もしかしなくとも、絶賛ストレスがかかっているのだろうなとわかった。
「それはともかく、まだ報告には続きがあるのですが」
「あ? ――ああ、そういやちらっと入ったな、その子供の件か」
「そっちは俺も気になってた。俺がああなったこと知ってた口ぶりだったみたいだし、神崎♀ヨわってそうだし」
 言い出した介の表情がすぐさま、難しいものへと変わっている。鏡も、あの子供のことをどう説明すればいいかなんて想像がつかなかった。
「って言ってもね……実を言うと、悠里を止めるように言われたのはおれとエルデさん以外ってこと、それからあの子供は本当のを奪われたらしいこと……神の界って、人々が呼んでいるっていう場所を、何者かが目指しているらしいことぐらいだったよ」
 提示された内容に、鏡はじっと考え込む。
「かがみ、影、旋律、悠久……確かに介さんとエルデさんに当てはまるものはなかったですね……」
「……なんかこっぱずかしい」
 それは僕たちも一緒なんだけど。
 悠里が怪訝けげんそうに、介へと確認を取るように目をやっている。
「神界……名前欲しがってる以上、何者かは神崎≠チてほぼ断定していいか?」
「腑に落ちない点があるんだが……なんでそれを神崎≠ェ欲しがる? 神になるってか?」
 あっと、御影が目を丸くした。海理は難しい顔で腕を組んだまま、介へと目を留めている。
「それならもっと違う名前を使うだろ。介の名前を欲しがったところで、手に入るのはあくまで神の界≠チていうキーワードだけじゃねーか。行く方法も入る方法もなけりゃ、ましてや神になる手引きすらねーはずだが」
「それも確かに言えてる」
 悠里が落ち着いた様子で頷いていた。
「となると、一から情報整理しねえと……それにあの声が神崎≠ニしたら、なんで介じゃなく俺や御影を狙ったかも気になる。神の界についての情報も足りてねえ……八方塞がりだ」
「だな――まず介を狙ってメリットがねーのは明白だ。名を奪うために今までも泳がせ続けてたんだろ。自分てめーの言葉をひるがえすってのは、紙に書いたものと違って、一度発した以上できねーからな」
 確か、同じことは介も言っていたはずだ。
神崎≠ヘ言葉に縛られている。簡単には手を出せないのだと。
「で――次にてめーらを狙った理由だ。大和から聞いたが、てめーらは全員名前知られてるんだったな?」
「ああ、奏の記憶からフルネームでバレてる」
「何、レーデンさんの嫌な予感でも的中したの?」
「だろうな……」
 
 最近東響、境途周辺で名を尋ねては殺すという、今までのゲートにはない行動を繰り返している個体が出現
 
 海理からもらった報告書の内容は、確かに神崎≠フ目的と一致していた。
「ただ、やり口が微妙におかしいんだよな……」
「お、おかしい、ですか……?」
 恐る恐る尋ねる御影に、海理は目元を緩める努力をして頷いたようだった。
「名を使った術ってのはな。他人の名を奪ったからって必ず自分にその力が及ぶって代物じゃねー。例えば今回の神崎≠チて奴が、介の名前を全部奪ったとしてもだ」
 はらい屋としての血筋もあってか、海理は呪術に関することに詳しいそうだ。
 眉間に寄せられたしわは、呪術に関する記憶を頭の本棚から取り出しているように見えた。
「元々自分につけられた名の力は、そいつに残って消えねーもんだ。あいつが神の界ってところに入れるはずもねーんだよ」
 じゃあ、神崎≠ェ望んでいた、自分と介の名を入れ替えることは、成立しようがない?
 鏡が目を瞬かせる中、海理はうなっている。
「介がその神の界に入れるってんなら話ははえー。それでこいつが命狙われるのは納得できる。そいつの行動の意図が見えねーな……他のものに名を与えたり、写したりってことはできたはずだが……」
「写し、かぁ。それか、名前を写し取って、別の何かに違う名を与えてるとか……聞いた限りそこまで頭働くタイプには思えないから、それはなさそうかな?」
「写し取って違う名か……可能性高いな」
 海理から同意されるとは思わなかった。着物の両袖に手を入れる海理は、何度見ても横文字の名字がしっくりこない人だ。
「どこにも繋がってない、見せかけだけの扉に名を与えることで、通常は繋がらねー場所への出入り口にするっていう考え方がある。そいつを使ったなら、名を奪った理由の説明にもなる――人間は空間を仕切る扉にはなれねーからな」
 その一言に、想像したくないものが頭を過ぎって、鏡は少し身震いした。
 大和が平静な目で一同を見渡していて、考えが据わっている彼にも舌を巻きそうになる。
「元の名で使えそうなものは使ってるんじゃないかな? 君たちの名前もね」
 それには、介が首を振った。
「あいつはまだ彼らから名前を奪ってない。神崎≠ェ術を使う時に名を誰かから取らない限り、その名は使えないはずだ。何度か言霊の魔術を使う実験は見てる」
「てめーそういうことは早く言え! ってことは、名を奪われて使われたらおしまいだな……ただその神崎≠ナもなきゃ、神の界ってところには辿りつく方法がねえ、か」
「神崎≠ナもなけりゃ、って……神崎≠ヤっ倒して無事に名字を取り返せば介でも可能じゃねえのか? 言霊ことだまの実験見てたなら、見様見真似で使える可能性も無きにしもあらずだと思うが」
 介が苦い顔で閉口していた。
 大和が海理へと一度目を向けた。
「……神の界について先に調べたほうがよくない? 推測で語るより、情報収集したほうがいいと思うけど」
「それなら、今まで集めてきた古文書にいくつか出てきていたよ」
「へえ?」
 大和の眼鏡が輝いたように見えるほど、彼の表情が変わった気がした。悠里が唖然としている。
「お前いつの間にかき集めてたんだ……全く気づかなかったぞ」
「君らと会う前に見てきた古文書は、全部昔の仲間のところに置いてきたからね。必要な内容は全部こっちに書き写してるんだ」
 取り出されたものは、いつも介が手元に置いて離さない、手製の魔術書ではないか。あっと、鏡は目を丸くしてかつての宿屋の光景を思い出す。
 そういえば介は常に、寝る時ですら肌身離さず魔術書を持っていた。
 ちらりと隣を見やると、御影も目をしばたかせていた。
「ノート、呪文しか、載ってなかった、気が……あ。あれと、違うノート……です?」
「ああ――御影さんに見せたのは、おれが最初のパーティにいた頃に使ってたものだよ。今使っているほうは、こういう内容も含んでる以上、気軽に見せられなかったからね」
 文字通り介の最初のノートだったのか。鏡は納得して苦笑いをこぼした。
 古文書を纏めたノートを、この世界に来たばかりの異界の民に見せたらどうなるかなんて、考えなくともわかる。介が避けたのも道理というものだ。
 糖分を口に入れて満足げな様子から一転、茶を手にした悠里は呆れ果てたようだ。
「うわ、よくやるな……」
「露骨に専用ノートを作るよりいいだろう? これなら仲間からも気づかれにくいと思ってね。――こうでもしないと、巻き込まなくていい人まで巻き込みかねなかったからな」
「ああ、そういえばお前この中で一番飛び抜けて性格ひねくれてたな。すっかり忘れてたぜ」
 お世辞でもないのに、介が穏やかに笑んでいた。いつもの余裕を残した笑みに、鏡は苦笑いを浮かべる。
「敵をあざむくには、まず味方からだろう?」
 この人の頭の使い方は、本当に人嫌いのなせる技だろうかと疑いたくなる。昨日悠里が言った、「敵に回ると厄介だ」という言葉に内心頷く思いだ。
 ページをめくる音が響く中、大和は肩を竦めた。
「確かに、その立場が僕でも同じようにするよ。……アレンくんがあれ持ってても宝の持ち腐れだろうから、帰ったら持ってないか吐かせないと……」
「だな、古文書の類を持ってなかったか吐かせるか。てめーはあいつの手持ちは見てねーんだろ?」
「はい。彼が遺跡に潜る前に、おれは彼らのもとから去りましたから」
 行動が決まったのだろう。海理と大和が頷き合っている。介の手が止まり、ページを広げて中央に置いた。
「これだよ。字が汚いのは勘弁してくれ」
「――いや、まだ読める」
 海理の無自覚の汚い宣言は、鏡ぐらいしか気づかなかったようだ。


掲載日 2021/06/06


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