正直ほっとしている。立ち上がり続けるように、決して座ることも立ち止まることもしないようにし続けた奏は、いつ壊れてもおかしくなかったのだ。
出てけ人殺し!!
墓場にいた男の子に投げられた石ですら、ただ黙って受け続けて。そんなボロボロの心で、歩けるわけがなかったのに。
背中を叩いてやりながら、悠里はぼんやりと部屋を見やって、苦笑いを溢した。
「さっきも言ったけど、俺は両親喪った時、ただただ喪失感に襲われて、俺が弱いからって責めて、変に達観してた」
同類に感じるはずだ。強がっていた奏と、どこが違ったというのだろう。独りであっても、闇雲に強さを求めた彼女となんら変わらない。
同族嫌悪と言われるわけだ。
「……けどさ、俺が強くなろうとした理由思い出せたよ。夢で現実帰れたと思ったら、かーさんに説教されたせいで」
「お母さん、に……?」
泣きすぎて上手く開かない目が、不思議そうに見上げてきた。少しだけ感情が向かう先が逸れたのか、涙が止まっているように見える。
悠里は苦笑いして頷いていた。
「おう。あんだけ消費してたのに帰れなかったってのは、御影と鏡のおかげだろうけど……俺の深層心理の反映かね、『女危険に
「えっ、な、殴られたっ!?」
ぎょっとする奏に、悠里は呆れて見下ろした。信じられないと言いたそうな顔に、逆に信じられないと思う自分は間違っていない。……はずだ。世の母親が同じかどうかは知らないけれど。
「お前、俺のかーさんだぞ? まともなわけねえだろ、主に物理的な意味で」
「あ、えと、そこは……えっと……あの、返しづらいです」
そうだろうか。事実は事実と思っていたけれど。まあ、母が生きていたら、こんなこと口に出した暁には、鏡以上の強烈なラリアットを受ける羽目になっていたのは間違いない。
気まずそうな奏へと肩を竦めても、苦笑いは止まらない。
夢とはいえ、久しぶりに会えた母は、それだけおっかなかったし変わらなかったし、安心したのだ。
……ただ、幼少期の体の自分にラリアットを叩き込んだ恨みだけは忘れられそうもない。
「『あんたは何のために武道を始めたんだ』って、二発目までもらったぐらいだ……おかげで荒療治とはいえ、思い出せたけど」
「あ……えっと……思い出せた、って始めた理由を、ですか……?」
「おう。ここ来てからは――いや、ここに来るまでもか。機械的に稽古してたし、お前らが入ってからはお前らを失わないように強くなろうとしてたから。……大事なものを守るために武道始めたのに、なんで忘れてたんだろうな」
「それ、って……失いたくないって、大切だから守りたいっていうのと、同じだと思いますよ」
細めていた目を、見開いた。
奏が、泣き疲れているだろう顔で笑っているのだ。
「それがプラスでも、マイナスでも。大切じゃなかったら、失いたくないなんて思わないです。失いたくないから、大切だから守りたいんだと思いますよ」
「……そか、そういう考え方もあるんだな……さんきゅ、ちったー前向きになれそうだ」
「いいえー」
気の抜けた笑顔は、無理やり作られたものでないとわかった。
もう、それから目を逸らす気はない。
「そろそろ俺も、腹決めねえとな……」
「どういうことです?」
「んー……ま、ちょっとこっぱずかしいし、今言うとあれかもなって思ったりはするんだけど」
うわ、自分らしくない。
ここまで前置きを並べるなんて、鏡といい勝負をしている。介のことすら言えないのではないだろうか。
「……最初は多分同族嫌悪だった。次第に隣にいるのが当たり前になってほっとけなくなった。……途中から自分の感情がわからなくなったけどな」
きょとんとされる。大きめな焦げ茶色の目が、自分の黒の目をしっかり捉えている。
――うわ。なんて情けない目してんだよ、俺。
「多分俺はお前のことが好きなんだと思う。恋愛的か友情的かまではわかんねえけど」
奏の目が大きく見開かれた。
「残念ながら人を思う気持ちなんて、遠い過去に置いてきぼりにしたから、自分の感情もよくわかってねえんだよ。だから曖昧な答えで返したくなくて、今まではぐらかしてた」
これも散々に曖昧な気がして、申し訳な――
「え、あの……え!? ちょ、ちょっと待ってください、返したくなくてって……私がずっと好きなの、ば、バレてたの!?」
……。
こいつ、やっぱバカだ。
「バレバレだよ。つーかバレてないと思ってるのお前だけだぞ? 鏡はおろか、エルデからですらバレバレだってのに」
顔を真っ赤にして俯く奏に呆れる。
なんでバレてないと思えたんだかわからない。あれだけ鏡にもストレートに「惚れました? 悠里に」などと言われて、それが自分にまで聞こえてないとでも思ったのか。
それでなくとも簡単にわかったのに。だから目を逸らしてきたのに……。
……本当に、こいつは大丈夫だろうか。溜息が零れる。
「だから半端な気持ちで答えたくなかったんだよ」
「……な、なんだかすみません……」
「気にすることじゃねえと思うけど?」
「でも……接しづらかったんじゃないんですか……?」
申し訳なさそうな奏に、ただただ苦笑いが零れる。
「自分の感情に嘘、つくのは得意なんだ」
きっと本心はそうだったのかもしれない。
望んでいいのか、それを受け取っていいのか。差し出されたプレゼントの宛先がわからなくて、それは自分の思う形かもわからなくて、ずっと尻込みし続けていただけだ。
奏がこうして目を伏せる必要なんてない。悠里が自分で
「だめ、だなあ……嘘つかせたくなかったのに、そうさせちゃってたなんて……」
「自分がどう思ってるか考えるのに
「ばか」
今まで何度も言われてきたが、改めて言われると若干心に刺さった。
けれど奏のくすぐったそうな顔を見て、その意味が、自分が捉えているものではないとすぐに気づける。
「情けないなんて思うわけないですよ。それに……どんな形でも、好きって言ってもらえるの、嬉しいです」
「……そか、どういう気持ちで好きかわかったら、また改めて伝えさせてくれるか? もう少し整理つけたい」
「……はい」
優しい笑みを見下ろすと、申し訳なさが走る。
ずっと抑え込ませて、まだ待たせるのは情けなかった。
「ごめんな、明確に答えられなくて」
「楯山さんは考えすぎです、それでへこたれるような人間だったら、私とっくに諦めてますよ? ――正直、嫌われるかなって思ってたから……気持ち聞かせてもらえただけで嬉しいです。十分すぎるぐらいです」
黙っていられるよりずっといいの、やっと聞かせてくれた本音だもの!
――そっか。こいつにとっては、隠されるよりも、本音を言える相手がいることのほうが……。
「そか。じゃ、答え出るまで保留にさせてくれ」
「あははっ、はーい。じゃあ気長に待ってます」
気恥ずかしそうな笑顔に、なんとなくほっとする。
彼女の爪は手の平から離れていた。赤い
奏の頭を優しく叩いた。
「おう。ちゃんと答え出すよ」
「だ、だから、急がないでくださいよ……」
「ああ。急がねえよ。ゆっくり考える」
「はい……あ、やば。ちょっと顔洗ってきます。このままアップルパイみんなで食べるのは、ちょっと……」
なんだかんだ、まだ食べていないアップルパイを思い出せたということは、彼女の中で区切りがついた証拠なのだろうか。
鏡たちも帰ってくる頃だろう。もう一度頭を撫でてやって、悠里は立ち上がった。
「おう。食後にするつもりだから俺も夕飯仕込んでくる」
「はい。……楯山さん、一緒にいてくれてありがとうございます」
恥ずかしそうな、嬉しそうな笑顔に、もう堪える影はない。
悠里はにっと笑った。
「こちらこそ。こんなロクでもねえ奴好きになってくれたんだ、感謝してもしきれねえよ」
「だっ、だから、ろくでもなくないですっ! そ、それに……や、やっぱりなんでもないです、顔洗ってきますっ」
本当忙しい奴。
よろよろとした足で立ち上がる奏に心配の目を向ける。支えるか抱えて連れて行こうかとも思ったが、また顔を赤くして悲鳴を上げでもしたら……本人が後で落ち込みそうだ。
本人なりに急いで出るつもりのようだが、走る体力はまだ戻っていないらしい。奏が部屋を出る前に、悠里は心配を隠せず口を開いた。
「階段気をつけろよ?」
「あっ、う、はい」
まあ、大丈夫か。
奏がいなくなった女子の部屋は、男部屋に比べると狭いはずなのに、妙に広く感じた。さすがに女の部屋に長居するつもりもなく廊下に出る。
もう奏は階下に降りたようだ。大きな音もなく、無事に降りられたようでほっとした。
「さて……本気出して自分の感情と向き合いますかねっと……」
夕飯の仕込みに取りかかるべく、階段を降りる。
ある程度仕込みが終わった頃、奏が空腹を訴えてリビングに来た。悠里は吹き出すように笑い、海理が置いていった茶菓子を投げて渡す。
全員が揃った食事を終えて、彼女がデザートのアップルパイを幸せそうに頬張っていた時には、みんな揃いも揃って笑いを堪えていた。