下り坂へと戻ってきた。先ほどは通り過ぎた坂の先に目を向けた鏡は、うっと言葉に詰まった。
「な、何ここ……!?」
海理がどうしてここを確かめなかったか、一目でわかった。
地下牢が壁に沿って延々と連なっている。人の気配はあっても見張りらしい姿がない。かすかに感じる臭気に息が詰まりそうになる。
異常はそれだけではなかった。
介が顔をしかめ、慎重に降りていく。程なく立ち止まった彼に、慌てて鏡も隣まで走って絶句する。
見張りがいないだけではない。どうして地下牢の鍵が一切ないのだ。
左右に四つ、前方に二つは見える、薄暗い地下牢からは誰の声もしない。なんとなく人がいる気がするだけだ。御影がそっと、魔術で明かりを灯して――その光で三人の背筋がぞっと粟立つ。
地下牢に、乱雑に放り込まれた人々の姿。
十人。二十人なんてものではない。みな横たわっているか、人が来て目をそっと向けて、力なく俯いているばかり。とてもではないが話を聞くことも叶いそうにない。
介が苦い顔で地下牢を見渡している。
「――なるほど、輝石を奪った後、魔物化するまでここに閉じ込めていたのか……輝石を奪われた人は弱体化するからね……」
「ひ、ひどい……!」
御影の声が震えている。鏡は舌を噛んで、
もしこの中に悠里たちがいるなら――
「あっ、悠里、奏さん!」
奏と悠里が同じ牢で横たわっている。他にも子供たちが数人ぐったりとしており、状態が悪いのは目に見えている。
いくら力を込めても微動だにしない鉄格子の扉を殴りつけ、鏡は呻いた。
「もしかして、悠里がやったのと同じ魔術で施錠されてる……!?」
「退いてくれ、それならおれが解ける――」
介が手近な石ころを拾い上げ、鉄格子にぶつけている。
「開け幻門、我が門は水。ラリマーの輝石を以て力をここに具現する。顕現せよ水。封じられし扉、色を示せ。我が意志を鍵とし、力を開放せよ」
鉄格子が、赤く光った。介のラリマーの色が瞬く間にくすんでいく。苦い顔をした彼は、それでも鉄格子を睨み続ける。
赤い光が弾けて消えた。
勢いよく開けられた扉に、鏡は急いで飛び込む。悠里と奏を揺するも、二人とも意識が全くないようだ。至るところに打撲の痣があり痛々しい。
「許さない……!」
「鏡くん、悠里さんお願い……! 奏さんの傷治すね!」
「わかった、介さんは周囲の警戒をお願いします!」
「わかったよ。……ここで誰かの魔物化が始まったらまずいな……大惨事になる」
きっと、あの上り坂は魔物化した人を外に出すための出口だったのだろう。
魔術の光が悠里の傷を治していく。傷はもう問題ないだろうが、それでも目を覚まさないなんておかしい。
「奏さん、大丈夫ですか? 奏さん! ……へ、変……起きない……!」
「こっちもダメ……! もたもたしてる場合じゃないのに……っ!」
気配に敏感な悠里に限ってこんなこと、想像もつかなかった。介はちらりとこちらを見、すぐに鉄格子の向こうへと注意を向けている。
「……輝石を他人に使われると、しばらく意識を失ったままになると聞いたことがある。きっとどちらかそれをやられたんだろうな」
「そんな……! 魔術でどうにか、できないん、ですか?」
鏡もはやる気持ちを抑えきれず介を見上げた。彼が悔しそうに首を振っていて、床を殴りつける。
「おれが知る中にはないんだ」
「なんとか……そうだ、二人の輝石も取り戻さないと……」
「……そうだね。二人をこのままにしておこう。牢の外にいるより危害は及ばないはずだ」
本当は置いていきたくなんてない。こんな状態の二人にもし何かがあったらと思うと、苦しい。
けれど。
「ですね、上はお二人がいますし、僕たちは……ないと思いますけど、別の道を探してみましょう。別の地下に繋がってる隠し扉とかもあるかもですし」
そういう場所があるなら、輝石が保管されている可能性が高い。御影や介と頷き合って、牢から出ると扉を閉めた。
万が一中に入っている誰かが魔物化しても、勝手に出てくれるだろうと――そう、願いを込めて。
地下牢には、他の地下室らしい入口はなかった。
坂の入口まで戻り、介と話し合った結果、恐らく海理たちが突破していった拠点のほうにあるだろうと推測できた。急いで海理たちと別れた地点まで戻ると、階段の至るところに転がっている
ほぼ一撃だ。賊の傷からよくわかる。
「二人だけでこの数を相手にしたのか……!?」
「つ、強すぎだよ……」
おかげで簡単に一階へと上がることができたけれど、そこでもやはり屍がそこかしこで倒れていて、目を覆いたくなるような惨状が広がっている。
三十人――いや、四十人は下らない。これだけの人たちが、あの牢の人たちをあんな目に遭わせてたんだ。
地上階は中世の洋館のような内装だ。所々吊るされたシャンデリアが、魔術によるものだろう頼りない光を放っている。
御影が身を震わせていて、鏡は手を握って落ち着かせた。
海理たちは、とっくに違う場所に向かったようだ。敵をあらかた片づけたのか、人の叫ぶ声は全く聞こえない。
無人になったかと思うくらい静かだ。所々に残された水溜まりが薄暗い室内を映し出す。
左右に伸びた通路の先、左手にそれらしい入口を見つけて目を見開いた。
「あそこに何かないかな――う、うわ、暗っ」
「おれがやろう、御影さんは念のために術を使えるように待機していてくれ」
「お願いしま――きゃっ!?」
「御影!?」
急いで振り返り、目を見開く。
御影の首筋に短剣を突きつけて、歪な笑みを浮かべている少女に見覚えがあった。
「そんな――」
そこの男の子、見た感じ新しい異界の民≠ンたいですね。石の鑑定ですか?
「あっはー、ダメじゃないですかあ。こんなトコで何してるのかなー? ここ、魔物がいっぱいうろついてて危ないんですよお?」
輝石の鑑定士、リトシトの店の店員ガレナではないか。石が大好きで、悠里のブラックスターにも、鏡のマラカイトにも、御影のグリーンアンバーにも目を輝かせていた少女の面影が、そこに見えない。
歪な笑みを浮かべて、
介が苦々しい顔で少女を見下ろしていた。
「やっぱり君だったのか……こんな場所、ずっと冒険者から隠し続ける結界張れるなんて君ぐらいだからな」
もしかして、今日ずっと介が連絡を送っていたメールの相手は――リトシトさん?
じゃあ、連絡に出なかったのは……最初から返ってこなかったのは……!
「あっは、神崎さんの目に留まって光栄でーす! もうわかってるんでしょ?」
鏡の目が鋭くなる。
彼女が、ここの一員だったなんて――!
「この子の首赤く染めたくないならあー、おとなしく石渡してくださいっ」
「誰にもの言ってるの?」
素早く死角に入り込み、悠里仕込みの蹴りでナイフを蹴り上げようと踏み込んで――
「あっは、怖いですよおおおおおっ!」
御影を盾にされて歯を食いしばった。彼女の首筋に食い込まされたナイフに背筋が粟立つ。
「状況ちゃあんと見なきゃだめですってばー。
御影のグリーンアンバーを指先で撫でる少女の手を払いたい。青ざめていた御影の表情が、少しずつ目を吊り上げていく。
迫力はなくても、冷静になれる。
「……悠里さんと、奏さんの輝石も、そうやって……奪ったんですか……!?」
「そうですよ! あっははっ! おっかしかった、ブラックスターのお兄様、スフェーンの女の人を盾にした途端投降するんだもん。お美しい友情ですよねえーっ!」
鏡も御影も目を見開く。
にぃぃぃぃっと吊り上った笑みが、
「女の人は一生懸命、ブラックスターのお兄様のこと、『仲間じゃない』って叫ぶしーうるさいし。ちょっといじめてあげたら、どっちもおとなしくなっちゃって! おかげでこんな綺麗な輝石――二つもい、た、だ、け、ちゃ、った」
ポケットを叩く音に、鏡の食いしばった歯が軋んだ。
奏がどんな思いでそれを口にしたのか。悠里が降伏した理由がなんなのか。この人、全部、全部わかってて――!!
「
「あっは、こっわーい! 戦えない使えない子たちの輝石を有効活用してあげてたんですよ。ちょっと苦しい思いさせちゃうけ、ど。ちゃあんと外に出してあげてるじゃないですかっ」
「魔物に、した後に、でしょう……!」
なんとか御影を助けて、ガレナの動きを封じないと
何か手が――
驚いて見開きかけた目を、慌ててガレナに向けた。ガレナの後ろの角から、海理と大和が構えているのだ。
「お悔やみ申し上げまあーす。でもねえ……そのおかげであそこの資金は回ってたんですよお? 異界の民だけで回るはずないでしょ」
ナックルを嵌めた手をきつく固める。
「そんなの慈善事業じゃない」
「あっは! 誰がそんなこと言いましたあ? 私
「じゃあなんで……ッ!」
二人とも納刀し、海理は腰の刀を押さえて、大和は投げナイフを構えている。ちらりと目を向け直すと、海理が頷いた。
任せろ
そう、海理が言っているのが見えていたから、ガレナに目を向けていられる。
「立ち上がりもできないはぐれ者を養うためですよお。そのための尊ーい、美しーい
御影の肘が勢いよくガレナの鳩尾にめり込んだ。痛みで少女の手が御影から離れる。
鏡は遠慮なく踏み込んだ。
「ナイス御影!」
海理が駆け出してくる。御影の首筋から赤が一筋流れるも、ガレナが地面に倒れかけて呼吸を震わせている。大和から投げられたナイフが、ガレナの肩と、両足のふくらはぎに突き刺さった。御影が逃げ出したその隙間を縫うように、アッパーカットを叩き込む。
痛みに声を上げようとした顔が
海理が鏡と御影を後ろに庇う。短剣を持つガレナの手を蹴って開かせ、武器を奪い取った。ガレナが海理と大和を睨んで焦りを滲ませている。
御影の首の傷はすぐに止まっている。ほっとすると同時、御影を後ろにやった鏡の目が鋭くなる。
許さない……!
「う……う、嘘でしょ、扉閉めてっ、出られないように……!」
「はっ、施錠なんざ水操れる奴に効くわけねーだろタコが。でもって鏡、先に人質救出するように動け! 首に突きつけ直されたら今度こそ命取りだろーが!」
「ごめんなさい、血が沸いて。殴らないと気が済まなかったので」
目を据わらせたまま平静を装って返すと、海理が呆れた目で見下ろしてきた。大和が肩を竦めて、ガレナにいつでもナイフを向けられるようにしつつ距離を縮めている。
「ったく、てめーも上二人と一緒の口かよ」
「気持ちはわかるけど、血が沸いてても冷静さは必要だよ。さて、しっかりきっちり首落とさせてもらおうか。今の証言はきっちり録音させてもらったしね」
「多勢に無勢、人質はもういねー。投降しな、てめーの輝石こっちによこせ」
荒い呼吸が、無理やり作られたにっとした笑みに