境界融和世界の幻門ゲート

第32話 03
*前しおり次#

 ……物音が一つとしてない。
 ぞっとする鏡だが、介がカウンターの撥ね戸を持ち上げて中に入っていく。鏡が止める間もなく、奥の通路を確認した彼は苦い顔になっていた。
「――リトシトさん、いらっしゃいますか!?」
「お店に住んでるん……ですよね?」
「ああ、前にガレナが溢していた限りはそうだと思うよ……」
 苦い顔で頷く彼に、鏡は俯きそうになる。
 彼女に腹が立つことは、まだある。介たちが託した子供たちもああやって輝石を奪われていたのかと思うと、それを知った介の気持ちを思うと、どうしようもなく。
 海理は冷静になれと叱ってきたが、それでも、抑えられなかったのだ。親のもとに帰りたかった子まであんな目に遭わせたかもしれないのだから。
 部屋を一つ、一つと開けていく。
 鑑定室、調理場、洗面台、風呂場は――人の気配がないのと、さすがに憚れたのか介が躊躇を見せたので、鏡が代わりに確認した。
 鍵のかかった部屋は応答がない。帳簿をつけるための部屋、ダイニングらしい場所――どこにも見当たらない。
 少しずつ足を速める介に、鏡はついに肩を掴んだ。焦りを隠せない彼の青ざめた顔が振り返ってきて、はっと鏡より高い位置を見上げた。
「悠里……もう着いたのか」
 えっと振り返って、悠里が肩で息をする様に鏡は顔を引きつらせた。すぐに治癒術をかけると、彼は少し重い動きで鏡の頭を叩いてくる。
「途中で佑がアレン連れて合流したからな。早く来れたわ。んで……いないのか?」
「ああ。開けられる扉は開けた。けど……」
「――なるほどね。開けられない扉ってここ?」
 鍵のかかった部屋を目敏く見つけて、彼は微かに顔色を変えた。介と鏡に離れるよう指示して、木戸をじっと確かめた。こちらが声をかける間もなく、ドアノブより少し上を蹴りつける。
 使い込まれた板が砕け落ちていく。空いた隙間から気をつけて足を抜いた彼は、隙間に手を突っ込み直して鍵を開けたではないか。
「ゆ、悠里……こういうことよくやってたの」
「んなわけねえよ。ガレナんとこから鍵くすねてたらやってねえわ」
 確かに鍵もなく、スマートに開けるのは無理だけれども。
 扉を開けた彼はすぐに部屋の奥へと向かっていく。私室だろうか。薄暗い室内は窓がなく、鏡はぞっとした。
 店の中に住んでいるとはいえ、窓のない部屋で人が寝るなんて異常だった。
「リトシトサン、大丈夫か?」
 はっとした。
 戸棚が二つ、直角に並ぶその隙間に、女性の姿があった。意図せずそこに隠れるはずもない狭い隙間に、手首も足も縛られて、口は猿轡まで噛まされている。縄を解かれた彼女は弱々しく咳込んでいて、鏡はすぐにそばにしゃがむ。
 ――悠里が来てくれていなかったら、微かな物音だって聞き逃していたかもしれない。
「治癒術かけます!」
「ありがとう……ございます……ガレナ、は……」
「捕まった。海理サンたちが輝石を持ち主に返してくれてる」
 ベールの下で、リトシトがほっと笑んでいた。
「そうですか……皆様の武勇に、感謝致します……」
 治癒術をかけ終えてホッと一息つく。ベッドまで女性を連れていくと、介がバタバタと戻ってきた。
 温かな白湯と必死な様子に、リトシトは優しく笑んでいた。
「――感謝致します」
「いえ……おれは、何もできていません」
「でも、介さんが気にかけてなかったら、僕たちも明日動こうって考えてましたよ……悠里と奏さんを休ませたかったのも、あるんでしょうけど……」
「で、俺らが休んだの見た後で、鏡と御影に後任せてリトシトサンの様子見に行く気だったろ」
 途端に黙った介に目が据わりそうになった。
 ただ……今回ばかりは無理もない。
 万全な体力と魔力を持てているのは、実のところ彼だけだろう。けれど、介は前衛を張れるほどの技量はない。残党が残っているかもしれないと考えていたはずだ。
「介さんまで悠里みたいな無茶しないでください」
「――一応言っておくけど、君たちが休んだ後風見くんたちに声をかける気だったよ」
「アレンくんもついてくるのにかけたんですか?」
「人の命を前にしてそんなに狭い心持つように見えるかい? それに、あいつもそこまで子供じゃないよ」
 鏡はきょとんとして、ぷっと笑った。介は気に障ったようだけれど、溜息をついて「何か胃に入れられるものがないか見てきます」と言い残すなり出ていった。
 リトシトがヴェールを纏ったままの顔で、鏡と悠里を見上げてきた。優しく微笑まれたような気がする。
「皆様は――とてもよき方角へと、道を選ばれたようですね」
「さてな」
「もう目を逸らすほどの不安は、ありませんか?」
 鏡は目を丸くした。誤魔化しきれなかったような面食らった顔は、やがて苦笑いを浮かべている。
「ま、な。――あの時は心配かけてすいません」
「いえ。皆様が欠けることなく傍にいることに喜びはあれど、ブラックスターの方が謝罪なさるようなことはありません」
 悠里の笑いが、どことなくむずがゆそうだ。鏡は不思議に思って見上げたも、その目はドアに行く。
「……で、アンタガレナの本性知ってたのか?」
「――はい。申し開きもできません」
 静かに俯く女性に、鏡は苦い顔で見下ろした。
「じゃあ、どうして……おどされていたんですか?」
「――彼女は私を脅すことはありませんでした……私が携帯などの機器に疎いために、連絡手段を彼女に預けたままだったのです」
 ぞっとした。
 悠里が苦い顔で「なるほどな」と呟く。
「外との連絡手段はアイツが牛耳ってたのか……介が『ガレナがいるから店が安全な場所』っつってたぐらいだ。介だって彼奴が裏切るなんて疑わなかったんだからな……異界の民のコミュニティとやり取りしてたのもガレナだったよな」
「そ、っか……リトシトさん、軟禁されてたようなものだったんだ……」
 安全な場所と知っている人はここを頼りにするだろう。店という存在を、客を、人質にされたのだとしたら。
 苦い思いで俯いていると、リトシトが静かに首を振った。
「それでも、私は皆様に託していただいた方々を――責務を果たせなかった事実に、違いはございません。処断は如何様いかようにもなさってくださいませ」
「処断って……そんなの、リトシトさんにすることじゃありませんよ」
「だな。核心のガレナは捕まった。アンタは脅されてた。それがわかったんだからもういいだろ」
 ほんの微かに口を開いた女性は、ヴェールの下で温かな眼差しで笑んでいた。
 安堵すると同時に、むず痒さも感じたのは鏡だけではなかったようだ。
「ってか、女一人でこの家に居続けるって危ねえな……」
「そうだね……一度、僕たちの家とか……あれ、介さん電話してる……?」
 悠里が肩を竦めた。何食わぬ顔でいる辺り、内容はよく聞こえているのだろう。
「アレンに木のドアの修理できるか聞いてるみたいだぜ? あと知らねえ女の名前聞こえた」
「介さんが女性の名前を!?」
「……ちっ。昔のパーティ仲間か……ってか連絡取れる奴できたんだな」
 そう言われればそうだ。確か仲間とは一切連絡先を交換していなかったと言っていたはず。
 もしかして、再会して連絡先を交換したのだろうか?
 鏡はぽかんとして、笑みがこぼれた。
「介さんも変わったんだ……」
「あなた方と共にいるからこそでしょう。彼の面差しは、かつて私の下に保護された方を連れてきていただいた時と、まるで違いますから」
 だったら、嬉しい。恥ずかしさもあるけれど、何よりも。
 戻ってきた介は、余りもののパンとチーズをリトシトに渡していた。かつて師事をした仲間をリトシトの新たな店員に迎え入れる提案を携えて。
 アレンがドアを簡単に直してくれたおかげで事なきも得た。
 ただ。
 御影と奏の守りを鏡の兄佑理に託しはした。
 誰が玄関前に作られた、岩壁のドームなんて拝むことになると予想しただろう。それにもたれて眠りこける兄の図太さを見る羽目になると思うだろう。
 ついでに土壁を悠里がパルクールで悠々登って行き、人影を見かけて女性部屋の窓から入ったせいで奏が悲鳴を上げるなんて、どんな修羅場だ。
 原因は喧嘩を売りたがる佑理に、怪我人のはずの奏が一つ返事気味に買ったせいらしいけれど。
 理由はどうあれ、自分が出した魔術の消し方がわからないなんて、御影は本当に大丈夫か不安になってきた鏡である。


掲載日 2021/07/04


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