海理が頷いている。介も目を閉じ、短く息を吐き出すと、冷静な目が鏡を見据えてくる。
「『反徒の種』が仕組んだってことは、ゲート化の仕組みも魔術って線が出てきた。『反徒の種』を倒した時に、もしかしたらゲート化した人でも助かるかもしれないな」
「なんだよ、やっぱ可能性出てきてるんじゃねえか」
にやりと笑む悠里の手を見た鏡は、あっと目を見開いた。
奏の手が、握られているのではないだろうか。もしかしたら、落ち着けようとしたのかもしれない。
「問題は山積みでも解決策がないよりマシだろ? 色々と頭は痛いけど」
「そうだな。何も突破口が見えない状態より、方向性がはっきりしただけ気は楽だよ。それとその問題も、やっぱり遺跡に潜って力を
御影も頷いている。
「悲しいこと、これ以上繰り返させたくない、です」
「うん。もう終わらせなきゃいけないんだ……面白半分に世界を滅茶苦茶にするなんて、絶対……! わっ」
いつの間にか立ち上がっていた海理に頭を乱暴に撫でられ、鏡は目を白黒させた。仕方なさそうに笑う海理を見上げると、彼の手が放れる。
「てめーらのことはオレも大和たちも気に入ってんだ。全員意気込みすぎて急ぎ過ぎるなよ」
……急ぎ過ぎて、いるだろうか。
そのまま悠里や介と一言二言言葉を交わして、彼は帰っていった。御影が不思議そうに鏡を見やっていると、悠里が苦笑いを溢している。
「海理サン、お前と似たような性格の弟がいるんだと」
「……やっぱり、そうなんだ……」
道理で事ある
「あと、海理さんのご兄弟には、ゆうりって名前の子がいるらしいんだよねえ」
「ああ……」
海理の名前はどうにも悠里や佑理と語感が似ていると思っていたけれど、彼に同じ読みの弟がいるなら、悠里を気にかけた理由の一つに納得できた。
後輩というだけでなく、やはり会えない兄弟の心配も重なってか、自然と自分たちに気にかけることが増えているのだろう。当の悠里は見事に苦笑いを浮かべているけれど。
「掘り起こすなよ……海理サンにばれたら睨まれるぞきっと」
「自覚してると思うよ、彼。その辺りはちゃんと分けて考えるタイプの人みたいだけど、やっぱり気を抜くと思うものも過ぎるみたいだしねえ」
「弟かあ……」
あっと、御影が奏を見やっている。気持ちが落ち着いてきたらしい奏は、ぼんやりと呟いていた顔を思い出したように苦笑いさせていた。
「私も弟いるから、なんとなく気持ちわかるかも」
「弟こっちに来てないんだろ?」
「そうですね、メール送ってますけど、全部エラー。――ちょっとほっとしてますけどね」
それはきっと、兄のことがあるからだろうか。
彼女は悠里に曖昧に笑っていた。彼がそれで、微かに目を細めていたことを、鏡は見抜いていた。
――ただ、その理由までは、よくわからなかったけれど。
ふと、外で会話が聞こえた気がした。鏡が廊下へと目を向けると、途端に扉が開いて目を丸くする。
「エルデさん、こんにち……は」
気のせいだろうか。
彼女の目が、いつになく据わっているような……。
「ぐーてんもるげん。皆さんの武器の点検をしに来ました。先日は大活躍だったそうですね」
奏がはっとした顔になる。悠里がすっと視線を逸らして逃げの姿勢だ。介がかすかに冷や汗を浮かべたような顔で、ぎこちなく口を開いた。
「も、もう話が出回ったのか……」
「当たり前です。一言声をかけてくれれば冒険者の伝も使って事態を把握できたのですよ。自分たちでしようとするのはいい加減悪癖と覚えてください。うちの店と私のティータイムを路頭に迷わせる気ですか」
「悪か――いや後半はおれたちの問題とは言わないだろう!?」
「あなたたちのせいで、問題ですよ」
一瞬吹き出した悠里が怪訝そうにしている。鏡たちも首を傾げた。
エルデはふうと一息つくなり、いつもみたいに紅茶缶を手に、食器棚からティーポットを取り出す。
「ここで飲む紅茶が一番美味しいんですから」
奏が目を丸くして、嬉しそうに笑った。
「私もエルデさんの紅茶が一番好きですよ。ごめんなさい、次はちゃんと言います」
「そうしてください。そして今日はダージリンです」
「お、香り重視の奴だったな。なら今日の茶菓子はマドレーヌ出すか」
「ほう。楽しみです。それと楯山さん。メンテ代は今回期間が短すぎるので、割増ししますのでお願いします」
「まじかよ……」
げっそりした声がリビングに漂う。
途端に、鏡たちに笑い声の花が咲いた。
数日と経たないうちに、やはりあいつは行動していた。
季節外れの白い花たちが、寒そうに腕から垂れている。当の本人だって寒いはずなのに、来ているのはいつものノースリーブの服と、パーカーぐらい。悠里ですら厚手のコートがほしいと思う季節なのに、風邪を引いてもおかしくない格好だった。
馬車が行き交うほどに広い道であっても、少しずつ人通りがまばらになっていく。寂れた街の様子は、並ぶ家のあちこちに空いた穴や焦げ跡を見れば、なんとなく何があったかわかるような場所だった。
そんな一見スラムにも似た場所にあるのが、共同墓地なのだ。奏が定期的に独りで家を出て、花を手向けに行く場所。
霊園というには質素で、墓石だってほとんど粗末なものばかりが立ち並ぶ、そんな墓地は、ほとんどがゲートの被害に遭った人や、ゲートとなって殺された人たちの墓だった。ただ、ゲートとなった人の墓は、その下に眠る体を持たない、纏めて名前を刻んだだけの一番粗末で肩身の狭そうなものだ。
海理が言うように、皮肉にも人々は『反徒の種』の思惑の通りに動いてしまっているのだろう。あの古文書の束を解読しなくとも。
墓地へと姿を消した奏をそっと追って、悠里は物陰から覗き込んで苦い顔になった。
墓地の墨にぽつんと立つ木の根元。そこに作られたとても粗末な墓の群れこそ、ゲートとなった人々を慰めるためのものだ。けれど墓石の前で奏を睨み、仁王立ちする子供の足元には、無残に散らされて枯れ果てた供花が虚しく落ちているではないか。
新しい供花を手にしていた奏が固まっていて、悠里は溜息が零れる。
こうなることは予想していたけれど、実際に目の当たりにするとなんとも言えなくなる。
「来るなって言っただろ、あっち行け!!」
何かあったら出よう。でなければ、また奏は抱え込む。
そうでなくともあの子供は用心しておかなければいけない気がしていた。悠里自身が今まで抱えていた張りつめた感情を、あの少年は抑える術を全く持っていないから。
「……私のことは、嫌いでもいいよ。でもね……ネルクくんに、何もかも拒絶してほしくな――」
「うるさい!」
目を見開いた。
嫌な予感が急速に渦を巻く。咄嗟にブレスレットのブラックスターを見下ろし、奏たちへと目を向ける。
「やべ――」
「うるさいうるさいうるさいうるさい! みんなお母さんを悪者にしてっ、お母さんは悪くないんだ! 悪いのはお前だ、みんな消えればいいんだ!」
「悪者にしてなんて――っ」
奏へと投げつけられた石を、咄嗟に魔術で影を操り受け止める。悠里は素早くスマホをいじって鏡や御影、大和へと至急来るよう連絡して物陰から飛び出す。足音で奏は気づいたのか、振り返って目を丸くしていた。
「奏、そいつ相当溜め込んでやがる! 下手するとここで半ゲート化すんぞ!」
「た、楯山さん……!?」
「あいつ……! 仲間連れてお母さんのお墓、壊しに来たんだな!」
んなわけあるかよ。
怒りが湧き上がるも、相手は正気なんて欠片もないと、先ほどの言葉で十二分にわかった。奏が戸惑って見下ろし、首を振っているも、少年が聞く耳なんて持っているはずがない。
「あんな石のせいでみんなお母さんを悪者にするんだ! 悪者なんかあっち行け、お母さんに近づくな!」
「墓荒らすなんて罰当たりなことするわけねぇだろうが!」
もう怒鳴らずにはいられなかった。そこらの子供のように怯えるどころか、少年の目が憎悪に満たされた目で睨んできて、悠里は微かに顔を歪める。
こいつも壊れかけてるのかよ……!
「嘘つき嘘つき嘘つき! ここから出てけ!」
「ネルクくん、もしかして石、濁ってるんじゃ……」
「石なんて欲しがってたお姉ちゃんにあげたよ!」
耳を疑った。奏も顔を青くして、悠里へと振り返っている。
こいつもだったのだ。このネルクという少年も、ガレナに輝石を持っていかれていたのなら――
「あんなののせいでお母さんが苦しんだんだ、あれがなければお母さんは……! あんなのなければよかったんだ!」
「てめえの母さんは今のお前を見てどう思うだろうな!? 身を呈して守った息子が誰も信じられなくなって、石投げて、挙句には殺そうとして? 絶対悲しむだろうな。寧ろ悲しんで泣くだろうな!? しかも墓前なんてお前、それを母さんの前でやってんだぞ! ちっと考えりゃわかることだろうが!」
落ち着け、冷静になれ。
後ろ手で、ネルクの視界に入らないように気をつけて、海理にも連絡を送った。まともな文章になってくれている自信はない。けれどGPSメールで送れたはずだ。彼なら意味を理解してくれるはず――!
ネルクの目から、涙がぽろぽろと零れていく。
「お母さんのこと知らないくせに、知ってるみたいに言うな! お母さんもう話したくても話せないんだ!」
「……お母さん、私に言ってたよ。『独りで、淋しい思いさせて、ごめんね』って……『お母さんいなくても、みんなと仲良くしてね』って」
「嘘だ! お母さんがお前にそんなこと言うはずない! お母さんを殺したくせに、お母さんの仇なのに!!」
「お前の母さんだろ! お前が信じてやれなくて誰が信じるんだ!」
頼む
早く、早く来てくれ。
必死に言葉をかけて説得しても、何度言い聞かせても、きっとこの子供はわからないのだ。それだけ錯乱しているし、聞く耳だって持っていない。時間稼ぎにしかならない。
「知らなくても想像はできんだろうが、俺だって母さんも父さんもお前と同じぐらいの年で亡くして生きてきてんだからな!」
「うるさいっ! それも全部嘘なんだろ、騙そうってしたって無駄だよ! お母さんは、僕が守らなきゃいけないんだ……!」
疑心暗鬼だ。遺跡で悠里が陥った、人を信じられなくなる泥沼に、ネルクも嵌まってしまっているのだろう。
「……私の兄貴も、死んじゃったみたいなんだ」
奏にはっとして、目を向けた。
まだ彼女にとってそのことは傷のはずだ、なのに言うなんて、抉るようなものだっていうのに。
「……仲間の人を庇って。でも兄貴、後悔してないんだよ。それだけはわかるの。だって大事な人たちを、仲間の人を守ったんだよ」
泣きたそうな目を、無理やり閉じて笑っている。
「その時を見てはないけど、兄貴がどうしてそうしたかも、本当は知らないけど――でも、兄貴がどう思って動いたかは、わかるよ。ネルクくんは? お母さん、どう思ってるのかな」
「うるさいっ、お前らなんて嘘つきだっ、お母さんのことも知らないくせに、知ってるみたいに言うな!!」
自分のためを想ってくれた言葉も、何もかも、本物があると信じれなくなっている。
海理からのメールが来た。――もう近いのだろう。
それなら、この子供に教えてやるべきだ。
「じゃあお前は、んな胸糞悪い嘘つけるか?」
影を操り、ナイフの形にして少年の足元に放る。奏が目を見開いて青ざめさせ、悠里を見上げている。
「つけるってなら刺せよ。俺は逃げも隠れもしねえ」
「ゆ、悠里さん何言って……!」
少年がナイフを握る。
躊躇わない目に、手に、悠里は目を細めて――微かに見開いた。
どうして切っ先をこちらに向けない……いや、奏に向ける。
「バカ、俺にだよ。奏刺したところで新しい怨恨が生まれるだけだ」
いざとなったら、庇わないとまずい。
奏はきっと避けない。まだ彼女の中で全部に折り合いがついたわけではないはず。
少年の目が怒りと憎悪に歪められ、奏を睨んでいる。
「お前のせいでお母さんは死んだんだ!!」
「そこまでだ!」