奏の衝撃が走った顔に、悠里はにやりと笑った。
「へー? このねーちゃん、お前が今までに言ったこととやったことで泣きたくても泣けなかったのにいい棚の上げ方だなー?」
「だって今泣かせてるのお兄ちゃんだもん!」
「ははっ、俺がこいつ泣かせるのは割と今さらだからなぁ。溜め込んだ時は泣かせねえとやべえし」
「お兄ちゃんサイテーだーっ!」
「ゆ、悠里さんからかって煽るのやめてください!!」
「いやぁ。ここまで二人ともからかいがいあると、家のこと思い出してついな」
家と言っても、もう出た孤児院だけれど。ネルクが頬を膨らませて威嚇してきている。御影以上に迫力がない威嚇も、世の中にはあったものだ。
「お兄ちゃんやっぱり悪い人だっ! 悪い人はグリフォンが食べるんだよ!」
「な、なんでグリフォン……」
そろそろ奏も疲れが顔に出ているし、からかうのはやめておこうか。それより、確かにグリフォンが出てきたことが気になる。
「お姉ちゃん知らないの? 街の外で、グリフォンを見たって人がいるんだよ。お荷物取られちゃって、慌てて逃げたんだって」
「――あ? その話……東響郊外で起こってる行方不明事件の核じゃねえの……か……」
海理が話に入ってきた。今の今まで鏡たちと話していたが、声をかけた途端にネルクに怯えられてやはりショックを受けている。言葉が途切れる彼に若干肩が震えた。仲間であるはずの大和は清々しい笑顔だけれど。
「レーデンさんどんまい」
「てめー……」
一緒にからかいたかったが、後が恐ろしいことになりそうだ。おとなしく話を続けるか。
「噂にゃ聞いてる……地形の問題もあって行方不明者が絶えない。死者も出てる……だっけ?」
「ああ。旋回してくる影はだいたい崖の上かららしいな。てめーらが郊外で片づけた魔物とアンデッドがいたな。そいつらがいたっていう洞窟よりさらに
「ど、どうして、ですか?」
御影が不思議そうに、やはり海理に怯えながら声をかけている。海理は腕組みをして、苦い顔をしている。
「グリフォンは空飛んでる上に、元々が
鏡も同じことを思ったに違いない。死ぬんじゃなく大怪我なのかと。
ただ、海理の言うことも一理あると、悠里は頷いた。
「オマケに俺らは空を飛ぶ奴を相手にしたことがねえ。だいたいが獣だったしな。半年前に出した課題、前衛がクリアできてたとしても俺もあんまりゴーサイン出したくねえな」
「でも、行方不明者が出てるんですよね……」
奏の拳が固まっていく。それに気づいたわけではないだろうが、海理の目は細くなっていた。
「実力の
「ま、気持ちもわかるし、実力自体はついてきたとは思うぜ。問題は空中戦慣れしてる奴がいねえことだ」
うっと、奏が苦い顔になった。悠里はじっと彼女を見やる。
海理の言葉は端的だが、噛み砕けば彼女だって理解できるのだ。
「そんな状態でグリフォン挑んでも袋叩きにされるだけ……わかるな?」
「……はい……」
俯く奏を見やって、ネルクが悠里へと目を向けてきた。
「お兄ちゃんたち強くないの……? おじちゃんは?」
海理に衝撃が走った。瞬間、全員が海理から顔を背けて吹き出しそうになる口を必死に噤む。ただ、大和だけは隠しもせず吹き出していた。
「ぷっ、おじちゃん……!」
「あー、うん、俺らも強いけど海理サンには及ばねーな」
だめだ、笑いが漏れそうになる。海理が沈黙しきって、背中に漫画で見たような棒線の影を背負っているように見えて仕方がない。
「おじちゃん強いんだ……じゃあおじちゃん、グリフォンやっつけ……あれ? おじちゃん? おじちゃんどうしたの? ねえ、おじちゃん!」
「……ネ、ネルクくん……お兄さんって呼んであげて……」
「ごめんね、このおじさん、君みたいに騙されたり、力ずくで奪われた人に魔石を返すっていうお仕事があるから、グリフォンを倒しにいけないんだよね」
「ええー! ……じゃあ、グリフォンどうするの!!」
子供の言葉って、純粋無垢という砥石が満遍なく手入れをしている鋭いナイフだなと感じた。大和が考えるように地面を睨んでいる。
「うーん、僕が行ってもいいけど……一人で行くのはさすがに無理かな……」
「大和……悠里……てめーらあとで稽古付き合え……」
「お断りだよ、レーデンさんの
「うちのバカ兄がすみません……」
「んー、稽古は歓迎なんだけど気分じゃねえからパス」
海理の舌打ちが苛立たしげに入った。本題に戻す気になったのか、大和へと目を向ける彼は恨みがましそうだ。
「グリフォン退治は大和一人ならやめとけ、投げナイフは簡単にかわされる」
「なら、ちょっと矢の補充に行ってきますよ。おれ、ボウガン担当なので」
途端に、海理の不機嫌まっしぐらだった顔がさらに目を据わらせている。今まで笑いを堪えていた介は、平然と肩を竦めているではないか。
「……てめー人の話聞いてたか……」
「グリフォンは昔の仲間と一緒に討伐したことがあります。彼らなら十分いけますよ」
「兄貴、倒したんですか?」
ああもう、こいつは……。
御影もむっとして奏を迫力ゼロの目で睨んでいる。それほどあからさまに釣られた奏の表情はやるという二文字しか見えないのだ。正直介を恨みたい。
「お前なー。折角他の奴らが無理無茶しないよう止める誘導してたのに……。空中戦、叩き込むのかよ……」
「事実を言ったまでだよ」
鏡がまた、介が認めてくれたと目を輝かせている。介の無意識のデレは効力が大きすぎやしないだろうか。
大和がにっこりと笑んで、介や鏡を見やっている。
「じゃあ、援護要員でこっちについていこうかな。最近そういうの討伐してなかったし、正直溜まってるし」
「ああ、大和くんが来てくれると心強いよ」
大和の穏やかな笑みで頷く様は、およそ少年らしくないところがある。だが冷静な性格という点ではこの上ない頼もしさだ。
「とはいえ、僕も神田さんと同じ参謀タイプの中衛型だからね。指示全般はお任せするよ」
「おれたちもほぼ前衛の動きに合わせるタイプだから、多分そちらと変わらないと思うよ。シャッフェンさん、今回は誘わないと怒りそうだなあ……グリフォンは魔導鉱最高ランクのミスリルを生み出すからね」
ああと、鏡が苦笑いをしている。ネルクの表情が晴れていて、立ち上がった悠里を見上げている。
「お兄ちゃんたち頑張ってね!」
「ネ、ネルクくん……あの、そろそろ帰らなくていいの? あと、動けないから……」
「おう、頑張ってくるよ。お前もねーちゃん守れるぐらい強くなれよー? 少なくとも、俺倒せるぐらいにはな」
「たっ、楯山さん何言ってるんですか!?」
「お兄ちゃんは僕でも倒せるよー!」
「おー、やれるもんならやってみろ……」
挑発して、ふと奏の視線の先が変わったことに気づき、辿ってみる。ドイツ系だろうと思える外国人の男がこちらを見ていて、視線が合うより先に、彼はさっさと出ていってしまった。ネルクのちょこまかとした自称「攻撃」をあしらいながら、悠里は奏を見下ろす。
「今の奴がどうかしたか?」
「あ、いえ……なんだかじっと見られてた気がして……」
「ふーん」
まあ、墓場でこれだけ騒いでいれば、目もこちらに向くだろう。そんなに気にかかるようなことではないし、ネルクのちょこまかとしたいたずらを裁いているとどうでもよかった。
今度は背中か。ぶっちゃけ痛くない。笑いが出てきそうだ。
「えいっ、えいっ!」
「はは、それで攻撃のつもりかー?」
「って、何やってるの二人とも! あとネルクくんは帰らないとだめだよ、日が暮れるでしょ?」
「……ちぇ、やっつけれなかった……」 だからやっつけられるとでも。百年は早い。
頬を膨らませたネルクは、ぱっと表情を変えると、墓地の出口へと走っていく。振り返った少年の小さな手が、奏へと大きく振られた。
「お姉ちゃん、またねー!」
「またいつでも挑戦待ってるぜー?」
ぐったりした奏の代わりに茶々を入れると、彼女は脱力していた。
「……な、なんなんだろ……」
「あ、あはは……懐かれてるん、ですね……」
「なんていうか、お姉さんに彼氏ができてそれに納得できない弟って感じだよね……」
「あっ」
大和の声が若干強張り、鏡がはっとした。人類最高峰と言っていい鈍さの御影ですら固まっていて、介が呆れた顔で溜息を溢している。
当然、周りに自分の胸中を気づかれていないと信じ切っていたのだろう奏が固まらないはずがない。ただ悠里はというと、へえと溢すだけ。
「そう見えるもんなのか」
「渦中にいるのによくそんなけろっとしていられるね……」
「いや、どう見られようと、その人の主観と俺自身の感覚は違うわけだし、一々気にしても仕方ねえだろ?」
「そりゃ君は気にしないだろうな」
介から冷めた目を向けられた。言いたいことはわかったが、だから奏を
「そう見たいならそう見てりゃいいだろ。俺もこんな場所で答え返すわけにはいかねえし?」
「知らないよ君の答えがどうとか。興味からないよ」
「お
「知ってるよ、こっちに出されても気色悪いね」
「男色の気はねえわ、仮にあったとしてもお前だけはねーよ」
「君にあっても気色悪いしこっちから願い下げだ」
隣で糖分が高いだの高くないだの無駄な言い争いをしているが、大和がばっさり斬って捨てたようだ。南無。
今日一日、完全に意気消沈していた海理が溜息を溢した。
「さて、帰るか」
「だね。グリフォン挑みに行く日決めたら連絡ちょうだい、いつでも行けるから」
「ああ、わかったよ。仲間にも連絡をとって、確定次第連絡する。当日はよろしく」
大和が頷いて、海理と共に去って行く。後姿を見送って、悠里たちも帰ることにした。
ただ、鏡は御影に頼まれて、ぬいぐるみ店にデートしに行くことになったようだけれど。
――さすがにそこにまで見に行って茶々を入れる気はなかった悠里は、行く手前まで二人をからかっておいた。が。
素直じゃないのはどっちだか、自ら胸に五寸釘を打ったような気分だ。
奏にまた本心を言いそびれた自分に内心溜息を溢していたのだった。