後ろから響き渡る
「フィリップ、アーエ!」
「万物の根源、
「大地の
少年の声と女性の声、ウィルの後ろから響く獣の絶叫。身を
「効いたろ? オレの
「さあ? 俺は
おどければ、相手は面白くなさそうだ。後ろから「気を抜くな」と水を差され、互いに肩を
「わかっています。注意引くの頼みます、司教」
「ああ。くれぐれも手はず通りに行くぞ」
熊の突進を大斧で受け止める司教。
すぐさま木々の間に隠れる。熊の左右へと回り込む青年らの代わりに、男は熊と対峙。再び彼へと振り下ろされる爪の光を、ウィルは確かに見た。
「我らが正義、お見届けくだされ! 騎士神の
爪を再び受け止める巨漢の男性。見計らったように、ウィルの反対側から飛び出した影が熊を
振り返った獲物が避けに転じるのを、
広がる音。
これだけ傷を負ってもまだ動けるらしい。毛皮を纏った大きな体が
「
少女の声が響いた。
射抜かれた衝撃を殺せず、熊は
「ひゃっほー! 美味しいところ持ってかれたな、ウィル!」
「別にお――僕がやる必要ないだろ。いたっ、痛いっ、浮かれすぎだフィリップ!」
「お前たちどちらもだ!」
ズガン
司教である男性が
「ウィル。確かに、ここまでの誘導はお前に任せた。だが合図は私が担当だったはずだぞ」
「だ……ですが……いっつぅ……」
「フィリップ、前線に出るタイミングは私の指示のはずだ。さらに言えば左右に散った後の行動も身勝手、連携と呼ぶなど見苦しいものに
「だ、だけどよ……いってぇ!?」
相変わらず口の
女性と少女が近づいてきて、片方は盛大に呆れ、片方は困ったような笑みだ。
「あなたたち、十八でしょ。いい加減大人の落ち着きぐらい持ちなさいよ」
「倒したんだからいいだろ! ご長寿オバサンの小言なんて聞きたかねえよ――いだぁっ!? そりゃねえよオッサン――わ、わかった悪かったよ! なんでオレばっかり……」
言う必要もない。口の利き方以外ないだろう。守護と正義を
現に大地に宿る意思、精霊達に語りかけ、最初に援護してくれていたエルフ族の女性は拳を震わせている。
「あたしはまだ二十五……っ。あんたと十も違わないでしょう!」
「アーエ」
「司教、こればっかりは許せないわ。女性の歳を
重い溜息だった。上から降ってくるどんよりとした空気に、ウィルは暗灰色の髪の上から頭を押さえるのをやめ、見上げた。その間にもフィリップとアーエは言いたい放題の大
「森中の動物が
「いっそ、怯えたほうが人里に下りてこなくて、好都合なのでは。カヤネ、放っておこう」
「で、でも……と、止まってください、二人ともぉ……」
それで止まるようなら、この強面司教も溜息をついたりしないのに。
ウィルは心の中で静かに突っ込み、カヤネのフォローのため、不毛な喧嘩に首を突っ込まざるを得なかった。
たまに、いやいつもわからなくなる。
これが冒険者だっただろうかと。
ゲイル・ヴェレイジス国。大きな五つの島と小さな群島が集う島国だ。
ウィルたちは、十字に見立てた島の並びのうち、南側のノムルスに
ただ、
「おばさんたちに手紙書けないだろ。お前も返事ぐらいそろそろ返せよ」
「母さんたちは遅れたってなんにも言わねぇよ。どうせもうすぐ帰るだろー」
確かに、毎年どちらかの誕生日には村に帰り、互いの両親と会っている。もうすぐ自分の番とはいえ、ウィル自身はできれば、今回だけは帰りたいとは思っていなかった。
簡素なベッドに腰かけ、テーブルを引き寄せて羊皮紙にペンを滑らせていたウィルは、フィリップの親に宛てた手紙を書きつつ眉をひそめた。
「今年は――」
「あーあーそーだったなーお前らお熱いもんなー。連れて行けばいいだろ、カヤネだけ」
「なんでそこでカヤ――ま、まさか父さんたちに会わせるなんて言う気じゃないよな?」
暗灰色の髪の青年は顔が
「付き合ってもう二、三年か。なげぇよな。いい加減いいだろ。おじさんたちも喜ぶぜ、きっと」
普通の親ならそうかもしれない。けれどウィルたちの親は、元々国から秘密裏に追われていた側だ。
現にカヤネも元々はその追手の一人。敵であったのに任務を失敗し、殺されそうになっていたところを、ウィルが彼女を見捨てられずに庇ったことで、自分たち冒険者一行に招いたのだ。
確かにその時から好きだった。一目
大体、あの司教がいる限り
「次の依頼まで余裕あるだろ。お前が警戒してたらカヤネだって不安になっちまうぜ」
「……別に警戒している気はないさ、俺だって――はい」
ノックに応え、扉へと向かう。フィリップが焦げ茶色の目でやや気を
どうしたのだろう、腕まで組んで。
「次の依頼の話が来た。早々に食堂まで降りてくるように」
「げぇっ、さっき終わっただろ!? また行くのかよ!」
上半身を起こし、思いっきり嫌そうな顔をするフィリップに、
「フィリップ。以前の損壊はきちんと覚えているだろうな。銀貨三百枚の大皿と大理石の階段」
「はーい頑張って働かせていただきまーっす!」
ウィルはうろんげな顔を幼馴染の魔法剣士に向けた。
本当に、フィリップが神殿の大皿と階段を依頼の際に破壊しなければ、こんなに頭が低くなることもなかった気がするのに。
「つまり、だ。オレが
食堂に下りたのは泣けなしの時間で食事を済ませるためであって、話を聞きに行くわけではなかった。
早速街道へと向かいながら、話の序盤を聞いたフィリップは苦い顔だ。ウィルも気まずくなる。
司教は
「確かに最初は断ることを考えはした。だが相手はお前たちのことを知りすぎている。いささか不安になってな。単なる薬草探しらしいし、いくら言葉の悪い依頼人とは言え相手は少女。見逃すなどできん」
どれだけ礼儀作法や上下関係に厳しくとも、人の安否を第一に考えるこの司教にはいくら尊敬を示しても足りないものだ。彼のようになりたいとは思えないけれど。
げんなりするフィリップを見やり、ウィルは頷く。
「司教の言う通りだと僕も思う。僕たちのことに
「私なんぞより、心配する相手を
言われ、ぽかんとして。やがて赤面した彼は、盛大に言いたいことを口に広げそうになって、
「で、いつになったら移動してくれるんだよ。しきょーさんよ」
見えた街道の入り口から、
青い髪、青い目の少女だ。エルフ以上に長寿な種族の特徴である、人間でもエルフでもドワーフでもない特異な色の目と髪。やや
動きやすそうなその格好と、顔の
「ティファ!? じゃあ依頼人って」
ウィルたちの親の冒険者仲間の少女――
「毒消しの薬草、ヴェルドーテ十
「よく言うぜ、師匠気取っといて一年放置しやがって! いってぇ! 殴らなくてもいいだろオッサン!」
途端に、笑いが
「へえ、その一年の間に賠償額銀貨三百枚なんて大目玉食らってたわけか。お前いったいどんなバカ術飛ばしやがったんだよ。親父が聞いたら泣くぜ」
「うっせえな、ティファだって学院の備品いくつか壊してたんだろ!」
「あれはオレじゃなくて、ウィルの両親だぜ。あとラドンな、ラドン」
聞いたウィルは飲んでいた水が喉に詰まりかけて
「すみません、口の悪さは師匠譲りなもので……あと両親」
「いや、今はとやかく言う気はないが。……お前も苦労していたのだな」
乾いた笑みをこぼすのでやっとだった。
依頼の薬草が生えている森はこの街道の先だという。今でも迷いの森として知られるそこに向かうのはいいものの、戻ってこれる自信でもあるのだろうか。
「ティファ。迷いの森は長い間遭難者が多発しているんだろう? ノムルスの領主たちが開発を渋るくらいに」
「ああ、それもう解決してるぜ」
は?
「貴族連中に言ったら好き勝手自然壊しやがるから、一部にしか知らせてないけどな」
え?
「ってわけで、このこと知ってるのはさっきの街の貴族に深く関わってる奴ぐらいなんだよ」
ちょっと待って。
言いたいことは山とあるが、「迷いの森」が「迷わない森」になっていただって? そんなのすぐに飲み込める話じゃない。どう聞いてもティファや自分たちの両親が三枚は噛んでいる話ではないか。
ウィルは溜息をついて首を振る。
「いいのか……そんな森に勝手に入って。余計帰ってきたら怪しまれそうだよ」
「あら、入れるわよ。エルフならあの森の外周ぐらいよく行くもの」
けろりと、そのエルフのアーエが伝えてくれてがっくりと首が
――面白くない。二人していつも
カヤネが不思議そうにティファを見ている。ウィルは肩を
「ティファはあまり、人に心を開かないんだ。僕らの親は特別らしいんだけど」
「そうなんですか? ――でも、温かい人ですね」
ウィルは頷いた。どれだけ口が悪くても、決してウィルやフィリップを差別することのない人だ。姉貴分として分け
「……悪戯や
「え……そ、そんなことはきっと! ……あ、あはは……」
「あったぜ、この薬草な――おっ、なんだよ。ここ群生してるじゃねえか。間違えて葉が二股になってる奴
「え、ええ!? なんでご存知なんですか!?」
聞いた一同は盛大に言葉に詰まる。アーエがやっと、弓を持ち替えてカヤネの肩に手を置いた。
「あんた、あれっだけ足音しないじゃないの。街道でも。普通は気づくわよ」
「……す、すみませぇん……」
冒険者で言えばいい特技のはずなのに。
すぐに薬草を探そうとして、
ガサッ
「――司教」
「ああ、聞こえていた。どうやら先客がいるようだな」
素早く声をかけると同時、司教も頷いてくれている。カヤネが目を回しているのを見て不安になるも、仕方ないとアーエの
「これで元は凄腕の盗賊だったっていうんだから、本当なのか全くわからないわね……」
「あの時は気を張り詰めすぎていたんじゃないか? 少なくとも、僕にはそう見えるよ」
「どうやらお出迎えらしいぜ――っと、いきなり穏やかじゃねえなっ」
貫くように迫ってきた
「
「はっ、オレを誰だと思ってやがるんだてめぇ。水の精霊と共に
言うが早いか、迫り来る蔓を切り払うと同時に詠唱を始めているではないか。フィリップは笑いながら「そーでした」などとおどけて、彼女の詠唱を妨げないよう敵の蔓を切り捨てにかかった。
ウィルも前線に立ち、司教からの合図が来ないのを悟るとすぐに蔓へと切りかかる。さらに地面から水鉄砲が飛び出し、ウィルが払い損ねた蔓を水圧で切り
緑が溢れる奥に見える、岩肌に張り付いていたのだろう本体。
「アーエ、あそこだ!」
「光の
青白い光の球が浮かび上がったかと思うと、一直線に肉食植物へと突進して大火傷を負わせた。
光が消える。
植物は
後ろから拍手が聞こえ、ウィルたちはぎょっとした。司教が満足げな顔をしているではないか。
「うむ。合格だ」
「だな。ったく
ティフィーアまで。アーエもフィリップも困惑する中、はっとしたウィルは思わず怒気をこらえ忘れる。
「あっ、まさかこの依頼、司教も一枚噛んでたんですね!」
「いや? ティフィーアどのからの依頼のついでにテストを」
「噛んでるじゃねえかよ思いっきり! いってぇ!?」
ああ、また拳骨が飛んだ。
ウィルは頭痛を堪え、司教に麻痺毒を取り除いてもらったらしいカヤネが落ち込んでいるのを見て、フォローに回った。
フィリップ絡みのフォローより、カヤネのほうが断然落ち着ける。
「要するに、また別の依頼を受けるに当たって、僕らに司教がいなくても連携が取れるかの確認をしたかったんじゃないんですか。カヤネの麻痺は思いっきり計算外だったようですが」
「相変わらず察しがいい。その通り。しばらく神殿関係で私が抜けなければならない。穴をティフィーアどのが埋めてくれるが、お前たちも一度ご両親の元に帰るのだろう。その間に私の用事が終わるとは到底思えないものでな」
そこまで長く空ける用事が
「まだ新米だった僕らにずっとついてきてくださってたんです。そろそろ期待以上の成果を出せるように頑張りますよ」
「ついていくも何も、私はあくまで自分が
「さあー元気よく帰ろうじゃねえか我が家に! 本土行こうぜはっやっく!」
顔を引きつらせたままの笑顔で上ずった声で。
皆、盛大に笑い飛ばしていた。
「おい、ウィル! 荷物さっさと纏めろよ!」
「だっ、から、最後の
すんなり入った。不思議に思って鞄の後ろを見るも、破けてはいない。よくよく見れば、小さいくせにかさばっていたうちの一つがなくなっているではないか。
血相を変えて探すと同時、いつの間にかティフィーアが部屋に入ってきていて、彼のベッドで小さな箱を見て感心している。
小さな、箱?
「へぇー、お前ついに指輪買ったのかよ。いつ渡すか知らねえけどおっせーなぁ」
「ティファアアアアアアアアアアアアッ!? 返せよおい!」
「カヤネー、ウィルが渡したいもんあるんだとー」
「あ、はーい。なんですかー?」
「いっ、いや後でいいんだ後で! 返せティファッ、俺の立場も返せ!」
ベッドで退屈をしていたはずの幼馴染が大笑いだ。ティフィーアは逃げ様に彼の腹を盛大に踏んづけて悶絶させた。
避けそこなったウィルも間違えて背中を踏んだ。
旅立ち早々
「あたし、変かもね。彼氏を踏み潰されても清々してるだけだなんて」
「ええっ!? 付き合ってらっしゃったんですか!? あっ、ウィル、ティファさん、だめですって暴れちゃあっ」
ゲイル・ヴェレイジス国、ノムルス島のある村の一画にて。
「ほらよっ、カヤネ! ウィルからのプレゼントだと!」
「え? あ、ありがとうございま――」
「ティファお前っ、俺のセリフまで返せ!」
冒険者とは
危険ですら楽しみ、旅の合間でも楽しみ抜く。そんな力強いエネルギー溢れる人生と世界の開拓者。
「いってぇ……オレもお前のこと愛してるぜアーぅぐぇふぁっ」
「あんたは一生寝てなさいこの
「こりねぇなお前ら……」
……なのかもしれない。
平成23年9月頃 執筆