「――海理の奴、千理と万理のこと考えずに言うんだからな……」
いつの間に部屋に来た。
夕食も終わって、食事前に送信しておいたメールの返信が来ていないかチェックしていた隻は、げんなり顔で廊下近い机の椅子に腰かけている天理を見上げた。勝手に人の机で書き物をしている、まだ見た目少年は、腕や足の関節を時折擦っている。
「いいのか、こっちにいて」
「響基も誘ったけど逃げられたよ。別にいじる気はないんだけど」
「今だけだろ」
「ばれるかな」
「ばれてるな」
天理がペンを止めた。今度は左手を擦っている。
顔に出にくいとはいえ、完全に出さないまま体をさする姿は隠し通したくても隠せないほどに、急激に成長する体が相当悲鳴を上げているのだろう。
「響基も純粋じゃなくなったよね。人に疑いかけるなんて」
「かけられて当然のことしてるのはあんただろ」
「海理にはみんな、殴り飛ばされても寄って行ってたんだけどなぁ」
ぎし。
背を預け、椅子を軋ませた天理のぼやきに、隻は携帯のメールに目を落とす。
このメールは……ただの広告だった。次。
「全部正面から受けるからじゃないのか。表裏ないだろ」
「あるよ。ああ見えて傷つきやすいのに意地張ってるし、大人の前ではおれ以上に皮被るの上手いんだ。意地を張るのが心の支えって意味では、歪んでるね」
つらつらと並べられたその言葉は、まるで千理を語る万理のようで。
隻は溜息をついた。
「別に天理に表裏があるとは思ってない。ただお前、策士タイプだろ」
「うわ、ばれるとは思ってたけど」
「ばれてるよとっくに。
大体一年も付き合って見切れないほうがどうかしている。さらに次のメールを開いて、後輩の伊原からのメールにさっさと返信を書いて送信した。
『今暇ですか?』との問いに、『暇があるんなら寄越せ』とだけ。
さらにメールを開いた。今度は高校の同級生からだ。
『二十三にもなって彼女できないんだどうしよう』? ……あ。
「あいつ誕生日だったな……」
「ああ、友達から? 人脈薄そうなのになあ」
「喧嘩売るぐらいなら帰れ」
『そういえば誕生日来てたっけおめでとう。その相談は
……
「冗談だって、きついなあ」
「喧嘩売るようなセリフを冗談にカウントするなよ。――で、どうした」
メールの確認を一通り終えて視線を向ける。天理は不思議そうに見下ろしてきた。
「何が?」
「千理がいないだけなら、わざわざ来ないだろ」
「――人をよく見てるっていうか、本人が気づいてないところまで気づかせるのまでは感心しないよ」
「お前に感心されたくて言ってもない。――海理の件だろ」
はぐらかされるつもりもなくとどめを刺す。天理は間延びした声を出した後、「多分ね」と頷いていた。
「成仏したいとか言ってたくせに、引き
開き直れば素直に言う辺りは、千理と似ている気もする。隻は壁を見上げて続きを待っただけだった。
「気づいてない振りし続けたって、気づいてる奴にはばれるのにね」
「……多生さんに勘付かれてるのか?」
「勘付かないはずがないよ。九年間おれたち相手に怒鳴り散らしてたのに」
怒鳴り散らしているだけで、十分説得力があるのはレーデン兄弟が相手だからだろうか。
「おじさんだけじゃない。政も、
青慈は海理の成仏を望んでいないのか。
薄々気づいてはいた。成仏したいと事ある毎に口にする海理に、その時ほどいい顔をしていない彼を見れば誰でもわかることだ。
「青慈から聞いたんだ。海理のバカ、怨霊すれすれだったらしいんだ」
「――親父さんを殺すように仕向けた奴、怨んでたのか?」
「違う。自分自身をじゃない?」
それこそ、不毛なことでしかない。
不毛でしかないとわかっていても、なぜか納得してしまうし、隻にとっては――
「千理たちが何か大事に首突っ込む度に、悔しがって傷ついて、結局怨霊にどんどん近づいてったんだってさ。自分は千理の前に顔を出さないって決めてたくせにね」
顔を出さなかった一番の理由は、千理が死んだ兄≠ノ縋ってしまうことを怖れたから。
あの千理だ。十年間天理が生きていると確信して奔走していたなら、海理が生きていることで余計、海理にも天理にも執着して周りが見えなくなっていたはず。
響基からもいつきからも、そのことを教えられて。最初ははっきり言ってむしゃくしゃしてしまうものだったけれど、わからなくはなかった。
「そんなに苦しむぐらいなら、さっさと成仏すればよかったんだよ。未練があったって本気で成仏したいならできるんだ。自分のせいだとか、千理に執着されようが、自分でけりをつければ済む話だろ。なのに欲しいものを欲しくないふりして、
いつもの倍以上回る口は、はっきりと苛立ちを吐き出していた。
「さっきだってそうだよ。千理がいないって言っても万理はいたんだ。万理がどんな苦労を重ねたのかあいつわかってなさすぎるよ。今まで知らされてなかったものを突然常識って叩き込まれるつらさだって
顔は淡々としているのに、語気だけが強まっていく。
「上の兄弟が実は三人もいただの、上二人と父は死んでるだの行方不明だの、全然知らない父や兄の跡を目指せだの言われるのがどんなことか。あいつが、おれが一番わからなきゃいけないんだ。訳わからないまま頑張ってた万理を、あの時の千理がまともに支えられたわけないのに『自分の力が足りなかったから』? ふざけんなって感じだよ。だからバ海里っておれが呼んでるの気づけって話なのにさ」
とめどなく溢れていく。怒り任せに、静かに、昼間こらえた黒が吐き出されていく。
隻はただ、
「万理が千理のこと嫌ってる雰囲気あるだけで十分見透かせる範囲だってあるはずなのにさ。力が足りないって必死になってる万理の前で、力がなかっただけの話なんて終わらせ方許せるわけないってのに。千理がなんのためにあれだけ強くなったのかも考えてないから言えるセリフだよ!」
ついに怒鳴るような声音と共に、天理の手の中のシャーペンがノートを勢いよく貫いた。
隻は天理を見やって、「そっか」と返す。
――恐らくだけれど。
「お前、海理の何にキレたいんだよ」
「全部」
横暴だ。いや、そう言う他ないのだろう。
無表情が
「なんであのバカ、欲しがらないんだよ……ムカつく」
そうしてほしいからこそ、もどかしいのだろうか。
海理の横暴さは普段
対象が違うなら、当然向かう先も違う。それでもやっていることはどちらも同じでしかない。
欲しくても欲しがらず、自分を保つために堪えるというのは、隻もあまり覚えがない。理解もできないものではあるけれど。
そうするしかやり方がなかったと言われたなら、わからないわけではない。
「ならムカついてろよ。俺もあんまり好きな考えじゃないし」
「――そうだね。隻も海理と同じかと思ってた」
「欲しがっても手にできることなかったけど、欲しいものは奪わせないし、奪い取るほうだぞ」
家での居場所がないなら、バスケットボールでのポジションを奪った。隼に友人関係をズタズタにされたなら、確かに信じてくれる仲間を探して、自分の道を奪い取った。
諦めるのは好きじゃないのに、海理の考えに賛同できるわけがない。
天理がしばらく黙って、「そうかあ」とぼやいた。
「あーすっきりした」
「よかったな。――タイミングいいな萌……じゃないのかよ!!」
翅からの通話に突っ込みながら応答ボタンを押してしまった。携帯を耳に押し当て、苛立たしげに「なんだよ」と一言返す。
『うわ、なんでそんな不機嫌なの』
「タイミングよく電話来て萌じゃなかったら不機嫌にもなるだろ!」
『あれ? 隻、萌のこと好きだったの?』
「気色悪い切るぞ」
『ごめんねごめんねー』
ブツッ。
即通話終了のボタンをプッシュした隻は、苛立たしげに携帯を閉じて――
またかかってきた電話に一瞬居留守を使おうかと考えたが、千理からだったので諦めて電話に出た。
「電話リレーならお断り」
『ううん、そういうんじゃないんすけど。天兄にいぶし見つかったって言っといてほしいんすよ』
本気で別件だったようだ。わかったと返して伝言ゲームをすれば、天理が「代わって」と、人の携帯を受け取って話し始めている。
「もしもし? 見つかったって? ありがとう。――ああ、ちょっと八つ当たりさせてもらっただけ」
愚痴ってたでいいだろ。
これではどちらが素直じゃないのかわからなくなりそうだ。目を据わらせる隻に、天理はひらひらと手を振っている。
「うん、うん……大丈夫体は無事だから」
「訂正しないと
「わー怒られたー。愚痴聞いてもらったから精神的には苛々させたかもね」
一緒だろ。
「あーうん。分裂体は全部独立してるけど、本体
いぶしがかわいそうだろやめてやれ。
しばらくそうして会話があった後、携帯を渡される。交代するつもりなのだろうと耳に当てれば、『もしもーし?』と翅の声。
「お前も代わったのか」
『あ、隻か。代わった代わった。今度は切るなよー陣の件だから』
それがなかったらもう一度切ったのに。
「なんだよ」と不機嫌に返した途端、翅が苦い声になったではないか。よほどさっきの強制終了が効いているのだろうか。
『ごめんって、マジで怒らないで? ……一応、
標? ……ああ、人の名前なのか。
やっと納得した隻だが、嫌な情報に渋面を作った。天理がじっと隻を見ていたので、通話モードを切り替えてテーブルに置いた。
「東京でもあの陣、目撃されてるらしいんだと」
『そうそう――あれ、声
「ああ。天理も聞いてたほうがいいんだろ」
『了解。とりあえず東京にも陣があったってことは、隻のおじいさんが知ってたのは偶然かもしれない可能性が出てきたんだよな』
『そんなわけあるか、あの道楽は幻術の情報を集めていたぞ』
猫が不機嫌に、天袋の襖を開けて睨んできた。隻はぎょっとして浄香を見上げた。
「お前そこ寝床にしてたのか!?」
『悪いか、貴様の隣で寝たくないからここに入っていたんだ感謝しろ!!』
「じゃあ別の部屋行けよ!!」
『印籠がある以上貴様を見張っていないといけないからここにいるのだ
「余計渡せるかよ!!」
『せーきー……隻さーん』
「さん付けなくせ!!」
『あ、やっと戻ってきた』
気まずくなった傍、天理が天袋を閉じた。
『あっ!? 貴様ま』
浄香を無視して腰を下ろした。
「ごめんね煩くてさ。それでその陣の細かい特徴、わかった?」