本を睨む青慈の苦々しい声に、ヨシ子が頷いている。
「本見なくても大体わかったかな。――天理の姿とってたってことは、人か、天理そのものの姿を欲しがってたってことでしょ。天理はあたしのなのにっ」
さっと顔を背ける隻といつき。天理が頷いた。
「本当だよね」
「何が?」
「リア充はよそでやれ」
『じゃあてめーがよそに行け』
「そういう意味じゃねえ!!」
だがしかし、今回ばかりはいつきに同意したい。
「陣……姿を写し取る……力、あるんですか?」
煉に見上げられた青慈は気難しい顔で『まだそこまではね……』と呟いている。
『今のところ推測できる範囲では、魂を抜き取る――生命力を欲しがってるのはわかった。でもこの陣、色々と付け足されてるみたいなんだよね。複数の用途があるのか、オリジナルの陣を作り出そうとしてる結果なのか……使われていた以上は目的に沿うものを用意しているはずなんだけど、今のところはなんとも言えないかな』
「付け足されてるって、どうして?」
『陣の形は大体、傾向があるものなんだ』
青慈が本を閉じて、肩を軽く背表紙で叩いている。
『術者それぞれのオリジナルがどこかに必ず出るものなんだけど、この陣には規則性がある場所と、規則が崩れて、別の規則があるのかなって感じる場所がある。いくつも規則があるってことは、複数の目的があるとも捉えられない?
隻のおじいさんの家にあるものと微妙に形が違うっていうのも気になるんだよね。海理の報告書の陣は――これ、想耀と雷駆の記憶を見て書いてるんだろ? これも形が微妙に違う。癖はほとんど一緒なんだけど……あ、報告書のは千理の癖が入ってるから役には立たないよ』
例えばと示された、一番外側の円。一筆書きをしたような流れは、書き出す位置が、どれも六時から始まって、最後を短く払うように細く繋げられている。
線の引き方も、どれも力強いとは言わない。細く弱々しいのに、はっきりと目に付く形だ。角には押さえがぐっと入って、線が太くなっている。
不可解な文字も、似た文字の軌跡を見れば筆跡が似ていることぐらい、国語教師を目指していた隻にも見抜けるものだった。
「……じじいの家の布に書かれてたのと一緒……ってことは、じじいが……?」
「そりゃないでしょーよ。隻さん、おじいさんとは夢の中で会ってるんでしょ? そんな怪しい人っぽい感じしたんすか?」
首を振る。むしろ最後に言われた言葉が、今も耳から離れられないのに。
不器用な道楽じじいの頼みだ。下手に深く突っ込むな
お前さんたちまで失うのは、耐えられねぇんだからよ
「……下手に深く突っ込むなとか……じじいがやろうとしてたことや、じじいがなんだったのかって所まで聞こうとしたら、『これを知ったら極論で考えないといけなくなる』とか言われたりはしたけどな」
「隻さんから預かってる、おじいさんの手帳なんすけど。一部のページだけごっそり破り取られてたんすよ。それも関係あるんですかね」
千理が思い出したように顔を上げていて、万理がはっとして響基へと目を向けている。
「響基兄さん、さっき海外でも失踪事件が多いと仰ってましたよね」
「あ、うん」
「海理兄さんは十一年前の事件が終わってないかもしれないって」
『ああ。響基と、麗憧って奴が知ってる限りで起こってる失踪事件。オレが生前、最期に首突っ込んだ件と関わってるんだったら可能性はあるな』
いつきがギンと海理を睨んだ。海理は渋面を作り、『今見える限りでそいつが一番だろ』と可能性を指摘している。ヨシ子が苦い顔でそっぽを向いた。
「それ、一応五神に関わる情報でしょ?」
「五神としてはその内容は、当主や家督でもない限り公にさせるのは認められんぞ」
『幻境は千理も万理も聞かされてんだ、今さら大して変わりゃしねーだろ』
……元凶?
首を捻りかけたそば、翅が喉に何かが引っかかったように唸ったではないか。
「聞いたことあるような……それ、どんな字?」
「幻の境目。で、幻境」
「あ、うん聞いたことある。誰が言ってたんだっけ」
『……まさか……千理?』
問われた千理はぽかんとして、俯いて、考えて――
「……あ、やっべ言ったかも。さーせんごめんなさい!!」
「お前の頭に機密の文字はねえのか!!」
いつきが切れた。天理が無表情で頷いている。
「予想はしてたけどさ」
『……ここにいる全員がその単語、もう聞いてるならいいだろ』
確かに隻も聞き覚えがある。確か夢の中の世界とか、幻生が帰る場所だとか……。
煉は真顔でこっくりと、海理に頷いていつきを止めようと立ち上がっていて。
結李羽はきょとんとした顔で、「機密だったの?」の一言ときた。……取りついている地獄の鬼の知識だろう。
「せめて、陣がどこに繋がっているかわかればいいんですが……想耀もそこまで見ることはできませんし」
『悪魔ならいけるかな? 対価頼まれそうだけど』
『魂半分か? ならオレのでいいだろ』
「はあ!?」
「ダメに決まってるでしょう!!」
机に手を叩きつけてまで反対する万理に、一番驚いたのは海理本人だ。怒りが治まらないままに、苛立たしげに手を引っ込める万理は「すみません、失礼しました」と謝る。
「――いくら死者でも、
目を丸くした長男の霊に、天理は予想通りと言いたげな溜息。いつきの呆れた顔はやはり、海理へと向けられていた。
「ひとまず考えられる材料は今のところ手を打った。幻境については明日にするぞ」
「――って、明日も家空けていいんですか?」
「よくないな」
さらりと告げられ、結李羽が表情を強張らせる。
「呉服屋も、阿苑本家も大変なんじゃ……」
「やることは山積みだが……どちらをとるか問われれば悩むほどのことでもない」
「で、でもいつき様――ぁ、ご、ごめんなさい」
呆れた顔が、今度は結李羽に向いた。小さくなった結李羽の背中を叩いて宥めつつ、隻は肩を竦める。
「幻境がどうのはともかく、陣を何とかする方法、考えればいいんだよな。俺も自分の伝使ってみる」
「え、隻にあったの?」
「……あのな。
東京駅のホームで。ぶつぶつ文句を言いながらも「緊急時には連絡寄越してくださいよ!!」と噛み付くように吠えた兄の
響基が生温かい表情で天井を見上げているではないか。
「うん、じゃあ俺も探してみようか。陣に詳しい人間なら知り合いにいるし……あ」
「その知り合いって被ってると思うんだ。将太だろ」
「……ごめん役立てそうにないっ」
居候が泣き崩れた。翅が「はーい」と手を上げる。
「俺もわかるよ、伝。丁度家に向かうつもりだったし聞いてくる」
「家? ――あ、ご両親のほうか。行くのか?」
よっこらしょと立ち上がった翅が頷いている。
「今から」
「そっか行ってら――うん行ってこい」
「行ってきまーす。あ、誰かついてくる?」
「んじゃオレ行くー」
千理が手を上げた。隻はぐったりして、軽く手を振って見送った。
響基だけが心配そうな顔で翅と千理の後姿を見送っているけれど。
「大丈夫かなぁ……」
「自分でやることはやるだろ。片方成人しただろ、仮にも」
「仮にも……まあそうなんだけど。一番心配なのは翅たちじゃなくて翅の弟のほうだなって」
ああと、隻も苦い顔になった。
一般人ではなくなった翅がレーデンに引き取られた代わりに、両親は別の家に保護された。保護された後に生まれた弟には、翅は自分が兄だと一切告げていないと聞いたのは、去年東京から帰るその新幹線の中だった。
確かにそこは不安だけれど……
「……そこはあいつがやるところだろ。心配するより待ってやろうぜ」
響基はまだ、心配が抜けないままの様子で。
それでもしっかりと、頷き返してくれた。