カタン
小さく響く木の音に、隻ははっとして目を瞬かせた。
神社。
中央で穏やかに咲き乱れていた
人の気配は、なかった。
先ほど眠ったはずなのにここにいるということは、間違いなく祖父絡みだとわかるのに……
「……じじい?」
声は返ってこなかった。
返ってこない代わりに、桜が風で揺れる。
柔らかく、暖かい風だった。
怪訝な顔になって立ち上がると、途端に顔へと桜の葉や散りかけの花が当たってしかめっ面になる。枝葉を
女性が穏やかに微笑んでいる。
「久しいね、隻」
「……なっ……!」
別に理由などないさ。君にも覚えはあるだろう? 理由などない感情ぐらい、ね
信じられない。まさかこんな場所で会うなんて。
静かに笑む女性を見下ろして、落ち着けるよう自分に言い聞かせてやっと、心が静まった。確かに見据える先は、千理の師匠で。
「……あんた、どうやって来たんだ」
「随分と間の抜けた質問だね。私と
くつくつと笑う女性の言葉に、拳が固まった。
確かに聞いてはいる。留華は、生前の――仙人になる前の永咲に宿った精霊だ。
「じゃあどうして」
「君の祖父君が忠告したにもかかわらず、まだ首を突っ込みたがっているようだったからね。幻境からでは、ここが干渉できる限界だ」
幻境から干渉する?
けれど幻生は、幻術使いに呼び出されない限り、現実にはやってこれないのでは――
「祖父君には無理を言わせてもらったよ」
「……首突っ込んでるっていうか、突っ込まないと危ないかもしれないから突っ込んでるだけだぞ」
「体に陣が現れたのか」
耳を疑った。
永咲はただ風のない水面のように落ち着いているのだ。
「やはりね」
「……狙ってやがったのか……」
「言ったはずだ。君に天理の魂を埋め込む形になるとは思わなかったと。あの言葉に
桜の葉が揺れる。花弁が
永咲は地面に落ちた桜を静観して、ふと笑んでいる。
「私が
「……手を出さないで、俺たちが無事って保障はあるのか」
「ないな。君と天理が命を差し出せば、丸く収まるという意味で言ったつもりだけれど」
手を出して、君たちが勝つとも到底思えない。
はっきりと口にする女性に、隻は思いっきり顔をしかめた。
相変わらず人の気に障るようなことばかり言う人だ。
「自分が何者かを知って、君は何も変わらなかった。ある意味で驚異であり、脅威だよ」
「納得するしかないだろ。ほかにしっくり来る仮説もないんだぞ」
「自分の定めを受け入れるなんて、君らしいとは思えないな」
「あんたに俺の何がわかるって? 冗談じゃねえ」
血で選択を狭められているだとか、定めを受け入れるとか、そういうことに縛られたくないからそう言っているだけだ。
確かに納得するしかなかったのは本当だ。それを定めというのなら確かに受け入れているのかもしれない。
けれどそれが自分らしくないというのかは、別問題だ。
「自分のことも理解しないでこれからをやっていけるんならそうしてるよ。理解してるだけで納得はしてないけどな」
結局まだ理解しきれていないのかもしれない。一般人であるはずなのに、幻生の血が混じっていただなんて、頭が追いつけるはずがないようなことなのだ。
それでも、もう目を逸らし続けるだけ無駄だから。
糸川の時も、あのまま違うって思い続けてたら、彼は自分から死ぬ道を選んでいた。そうでなければ
「目を逸らしていい時じゃないんだったら、真っ向からぶつかるしかないだろ。他に道がないんなら自分で作らなきゃ納得できないだけだ、悪いか」
永咲はすっと、目を細めた。睨み返す隻を見据え、薄く笑む。
「恐ろしいほどの貫徹精神だね」
「そりゃどうも」
「――留華の枝を使いなさい。君たちには扱えるだろう」
目を見開く隻に、永咲は口に孤を描く。
「ただし、君と天理が幻境に行って、果たして無事でいられるか。それは保障しない。海理のようになっても構わないなら、その目で確かめてきなさい」
「やっぱりあんた、わかってて――!?」
ざあっ
桜の花が沢山散った。風が何かを伝えるように吹き流れ、永咲の姿がどんどん薄れていく。
「お、おい!」
「言っただろう、私にはここが限界だと」
呆れた声音に、隻は戸惑って棒立ちになる。
「幻境への行き方は海理が知っている。あの子に尋ねなさい。――間違っても」
自分が選んだ道を、自分で放り投げるようなことはしないと、約束してくれるならね
「――!」
勢いよく上半身を起こして、自室で目を覚ましたと気づいた隻はほっと一息ついた。未だ収まらない、耳の中で響く太鼓の音に、首を振って深呼吸する。
まさか、夢の中でかつての敵と会うなんて思いもよらなかった。確かに永咲と留華がどういう関係なのか聞きはしたが、だからと言って幻境にいるはずの存在がああやって干渉してくるなんて。
「……留華の枝って、言っても……」
そもそもどう使うと言うのだろうか、あの師匠は。
「せーきー、起きてる? 入るよー」
「起きた。今」
響基がやってきた。後ろには海理まで。げっそり顔の海理は素早く部屋に入り込み、響基が苦笑いして襖を閉めている。
……昨日の件、まだ引き摺っているのだろうか。
「翅からさっき連絡が来たよ。千理がまだ寝てるから、帰ってくるの二時ぐらいになるって」
『レーデン家伝統のダンベル起こしで叩き落とせっつったってのに実行してねーな』
ダンベル起こしって何。
少なくとも弟にやる起こし方ではないようだ。突っ込むまいと口は
響基が、頭が痛そうな顔で溜息をついて、すっと隻を見据えてきた。
「何か変な夢でも見たのか?」
「――変って言うのとは違うと思うけど……よくわかったな」
「呼吸の仕方かな。あとおれたちが入る前に、
相変わらず音に関してはプライバシーが通じない青年だ。なんとも言えずに沈黙していれば、海理が眉をひそめている。
『あれから陣は平気か』
「一日しか経ってないんだぞ――多分変わってないだろ。
心臓に悪いったらないとげんなりしてしまう。響基が廊下へと視線をやり、天理が声をかけるわけでもなく普通に部屋に入ってきて――ああと言いたげな顔だ。
「みんな勢揃いでおそよう」
「おはようだろそれ言うなら――今何時?」
「隻……時計確認しようか」
十時だった。
「留華蘇陽の枝を使うって、どうやって?」
『知るかよんなの』
海理がそう答えるのだって無理はない話だ。予想通りすぎていても、隻は肩を竦め、響基も苦笑いしている。隻と同じように遅く起きてしまったらしい万理は、やや寝不足気味な顔で食べ終えて
「前回は隻さんのおじいさんの家にあった召喚の陣を使って、呼び出せましたよね?」
「あの陣も俺たちのと関係あるんだろ? ……また呼び出せるものなのか?」
「どうでしょう……生命力を外部に流しにかかる陣を、違う目的で使っても支障がなかったのは不思議ですけど」
そう、そこなのだ。昨日のエーテルがどうのという話にも出た生命力が吸われるのなら、精霊なんて剥き出しの命でそこにいるようなもののはずなのだから。
『もしかしたら、大量生産されてる似た系統の陣は、量産されてるのかもしれねーな。改良を加えて』
「……青慈兄さんが
万理が頷いている。意味が通じず、響基に目をやった途端、響基が困ったように天理を見やった。
天理は真顔で頷いている。
「昨日ある程度、幻境については話してるよ。隻、青慈が言ってた陣の付け足されている部分がある感じっていうのは、意味わかるよね?」
「そりゃ、昨日話聞いてたし――」
「似ているけど微妙に違う陣の形。創っている存在は恐らく同じ奴と見ていい。ここまでもいいよね。同じ奴が作ってるのに、わざわざ微妙に形を変えてる。例えばバスケでスローのフォームを、一人の人間が何度も微妙に変えていたら、隻だったらそいつをどう見る?」
「どうって、自分なりの投げやすい体勢を探してるんだろうなって――あ!」
『そういうこった』と、海理が腕組みしている。
『微妙に箇所を変えながら陣をばら撒いてるそいつにとって、今までの陣は全て予行演習――ただの実験の可能性もあるってこった。欲しい結果を探すために、あれこれ試行錯誤してたんなら。似てるけど微妙に違う陣がそこかしこで見られても不思議じゃねー』
だから昨日、天理は陣の資料を睨んでいるという千理に、陣の系統をグループ分けできるかと聞いたのか。納得して思わず自分の足へと手が伸びる。
「じゃあ俺たちの陣も……」
「下手しなくても、実験だろうね。伏見稲荷神社の陣が、おれたちが想像する中で最新版だと思うよ。それ以外に陣の報告は聞いてないし……後は千理が上手いことグループ分けできていれば、万々歳かな」
「陣が作られた時系列を追うことで、目的のものをある程度絞る気ですか?」
万理が問えば、響基が感嘆の溜息を漏らしているではないか。
「そんなところまで考えないよ、さすがに……」
「響基……当主になったんだろ? ……せめてそのぐらいの洞察力と推理力は持ってよ。奏明院家危ないよ、そんなんじゃ」
「偶然でも実験に巻き込まれたのかよ、俺ら……」
『もう一つ考えられるとしたら、だ』
一番可能性がないだろうがと、前置きをつける海理。
『
「それは大げさでは……」
『じゃあ万理。わざわざ幻術使いっていう、いわゆる警察の前にだ。泥棒がわざわざ自分の実験段階を
それはと言いかけた万理が息を呑んだ。
『自己表示だったらまだかわいげがある。それこそ高架線下の落書きレベルでな。だが人の命を奪って――それもわざわざ目の敵な
「あ……」
表情を
「どう転んでも喧嘩売ってるなら買うだけだ。ってか買わないと解けないんだろ、この陣」
「仕掛けて来た本人が丁寧に陣を消してくれるだなんて、確かに考えづらいかな……あ、いつきだ」
響基が即座に反応して、隻はぎょっとして食器を片付けようとして――
障子が開けられ、茶碗と皿と箸を手に固まってしまった。
「……すまん、食事中だったか」
「……い、いや……もう終わりました……」
怪訝な顔をされたも、うっかり片付け忘れていたことに冷や汗が流れた隻であったという。