目を丸くする隻。天理が苦い顔で「じいちゃん……」と呟いている。
いなくなったほうがいいということだろうかと立ち上がりかけたそば、千理が上着の袖を引っ張ったではないか。
黙って首を振られる。言葉に詰まっていると、正造は隻たちに背を向けたまま「そうじゃのう」と考え込んでいる。
「幻術使いと幻境で一番深い繋がりはどこじゃったろう。神隠しか? 夢の中か? はてさて、アルツハイマーは怖いのう。とんと出てきやせぬ」
――ここでのことは、立ち聞きして偶然知ったと
「海理ですら行くには半年かかったのう。ただどうじゃろう、千理も縁道も先祖返りで幻生の血が濃いほうじゃからの。ひょんなことでいけるかもしれんし、それを狙った連中が体を乗っ取りかねんのう」
愕然とした。
どこかで聞いたことがある内容に絶句していると、天理の拳がギリッと固められる。
ただし、君と天理が幻境に行って、果たして無事でいられるか。それは保障しない。海理のようになっても構わないなら、その目で確かめてきなさい
そうだ、永咲が。
そして海理自身が、確かに――。
「当主としては行かせるのはまずかろう。そりゃあまずかろう。五神からも止められるじゃろうし、見つからずに行かねばなるまいて。あそこは混沌とした土地じゃ」
多生もこのことについては止めるしかできない。
そう言われているとわかって、乾ききった唾を飲んだ。
「行くなら神隠しが手っ取り早いじゃろうが、肉体ごと行ってしまうからのう。暗示をかけて夢の中から入るほうが懸命じゃろうのう。帰る時はどうしておったかのう。安全な場で、現実で最後に見た景色をきちんと思い描かなければ帰ってこれなかった気がするのう」
行くなら夢の中から入る手段を使え。帰る時には、幻境に行く直前の現実の風景をきちんと思い描くこと。
「間違えたらそのまま、幽霊となって漂ってしまうこともあるじゃろう。体は植物状態になってしまうかもしれんのう。そんな場所に孫たちを行かせるのは、わしゃあ嫌じゃのう。甥っ子も、孫同然の甥っ子の息子もなくしてもうた場所に、何が楽しくてやらねばならんのかのう……」
……本当は、行かせたくない。行くなとすら言っているように、聞こえる。
視線を逸らしかけて、隻はそれでも確かに、正造に頭を下げた。何も気づいていない振りをする正造は、こちらを見ない。
「何か幻境に深く関わりのある土地を思い描けば、きっとそこが幻境の入り口に繋がる気はするのう。それを知らん者は
手がひらひらと、優しく振られた。
千理がもう一度土下座して、「あんがと、じーちゃん」とだけ溢し、隻と天理に合図して共に部屋を出ていく。
最後に出た隻が障子を閉める前に、正造の背中が見えた。
あの穏やかで明るい空気が
黙って廊下を歩く。その間にも千理は鋭い顔のまま頭を回しているらしい。天理の顔が険しくなっているというのに、それにも気づいていないようだ。
「幻境に行くなら神隠し……じーちゃんの言い方からして、土地そのものが神隠しになっているタイプの場所……秋穗みたいな座敷童系の神隠しじゃ駄目か……あだっ!?」
ついに天理が手刀を打ち込んだ。頭を押さえて呻く千理は、天理の苛立った表情を見て身を竦ませている。
「なんで今言い出したのか聞かせてもらおうか」
「……せ、隻さんと天兄の陣、幻境かな、って……」
「それだけか? 海理までダシにして? へぇーえ」
千理が視線をさ迷わせている。自分に関する嘘がどれだけ下手か自覚がないのは考え物だが、兄弟の役目かと言及を避けていた隻は溜息すら零れた。
「……り、理由は他には……ない……」
「嘘だね」
「嘘じゃ――!」
「永咲さんの件だろ」
途端に口を
天理の目が据わっているではないか。
「死んだ師匠にまだ甘えるっていうの? 我儘も大概にしろ」
「そん……そんなつもりじゃ……」
「お前がそう思っていなくても。お前が師匠に会ったら、師匠はお前への責任を果たさなきゃいけなくなる」
ざっくりと言った言葉に、千理が目を見開いて顔を歪めていく。
「しかもじいちゃんまで巻き込んだ。お前は会いたいっていう我儘を捻じ曲げて、変に建前作ったんだ。じいちゃんはそれをわかってても、お前に誠意を見せてくれたのにね。大概にしろよ。人の思い踏みにじってるのはお前だよ。十年間変わらずにいようとした結果でそれか?」
「おい天理」
「考えを変えない限り、お前が幻境に行ったところで強制的に連れ帰す。そんな我儘のダシにされるぐらいなら自分たちだけで解決するよ。お前は入ってくるな」
止めたところで無駄だったと思いたくなるほど、ざっくり切り捨てる天理。さっさと歩いて去っていく姿に、隻は頬を掻いた。
きつい。人のことは言えないが、改めて他人が言っているのを聞くと随分ときつい言葉にしか聞こえない。
俯き、どうしていいのかわからなくなっているのだろう千理に、隻は肩を竦めた。
「さっさと戻って寝ろ。急ぎすぎなんだよ、お前」
「……はい……」
珍しいぐらい、あまりにも素直すぎる返事だった。
かける言葉を間違えたかと隻が不安になるほどに、千理は沈んだ表情のまま自室へと向かって歩いていっていた。
気のせいか、彼の左腕がやや