血相を変えた相次郎は、どうやら完全に知らなかったようだ。相手が口を開く前に素早く言葉を
「俺たちが今回の件で関わって無事な保障は一切ないんだと」
「――だろうな」
「ああ。関わらないほうが平和的に終わるって言われたよ。俺と天理が命差し出して保たれる平和だけどな」
黙りきる祖父。標が頷いている。
「陣の周りでの奇怪な現象を
「……好きにしろ」
相次郎は
「……確かに、死人の言葉じゃあ、な。――隻」
「あ、うん――ぁ」
思わず昔の感覚で返してしまい、固る隻の頭に、懐かしそうに笑った相次郎の手が乗せられる。
思わず体が強張るも、優しく
「この神社はな。幻境の中で唯一、お前さんの安全な場所だ。ここから外は俺も何があるのかは知らねぇ。ここの中なら助けられるが、ここから外は、俺たちじゃあ手が出せねぇんだ。――気をつけて行ってこい」
優しく、優しく。
撫でられる度に気恥ずかしくなってしまうと同時に、申し訳なささえ、芽生えてきて。
祖父は最初からわかっていて、自分のことも隼のことも、大切に見てくれていたのか。
最後の一撫では力強くて、思わず頭が
「行くなら絶対
目を見開いて、思わず顔を上げる。
先生がご両親と同じように名付けるんだったら、そう託すよ
顔が、歪む。
歪むのに勝手に笑みを浮かべていった。
「――うん」
祖父の手は、自分が知っているそれよりも断然、若い。それでも撫で方は、しわくちゃの手と一切変わらない。
遠くへと行ってしまいそうなのに確かにここにいる、そんな優しい暖かさがあった。
「せーきーさーん! ……あーもう強制的に戻すお香とかありませんでしたっけ!?」
「千理……うざいよ。少しは静かにする頭ぐらい持ってくれないかな」
「うーわー超
「どこが!? どこどう見て何が!? マジ翅も天兄も鬼畜でしょうよしょうがないじゃんってかどうやって幻境に勝手に行けたんすかこの人! マジ隻さんどんだけナチュラル行動派なんすか!!」
お前はナチュラル超えて爆走してるだろ見た目と口調モブ全開のジャージニート。
苛立って目を開けると同時、輝く瞳で少女の顔が覗き込んでくる。隻はぎょっとして仰け反り、バランスを崩して後ろの棚に後頭部を激突させてしまった。
本気で声が詰まった。
「起きたか、坊の孫!」
「あんた名前ぐらい聞けよいい加減!! ってぇ……!」
「あ、帰ってきたんすねお帰りー」
「変わり身早すぎなお前。隻お帰りー」
お前ら少しは動揺しろ。
翅を睨み上げている中、近くの畳に膝を突いて頭を擦ってくれる女性に目を丸くして顔を上げる。結李羽が苦笑いしているではないか。
……。
「…………来てた?」
「うん、ついさっき」
「……………………み、見てた?」
「うん、素敵なお方だねっ。おいくつなのか存じ上げないけど、お狐様の女の子ってこんなに可愛いらしいんだねっ」
「可愛いなど……照れるのう! ちなみに今年で九十九じゃ!」
「わあっ、じゃあ凄く力がお強くなられてるんじゃないんですか? 九尾のお狐様でしたら、九の数字のお歳が一番力を強く発揮されるんですよねっ。いいなぁー、隻くんこんな可愛いお狐様と一緒に寝ちゃってたの?」
ただ沈黙するしかできない隻の膝の上からどいて、「可愛いのはそちもじゃ娘っ!」と全力の笑顔で抱きつきにかかっている。結李羽が嬉しそうに「わあっ、ありがとうございますっ」と花咲く笑顔で抱き締め返している姿は本当に可愛らしいとは思う。思うけれど――
隻の肩を叩いてきたのは、響基だけではなく、なぜか海理もで。
『てめーは悪くねー。狐のせいだろ。あと……結李羽の誤解を招く地雷発言だな』
響基はただ、言葉を選べずに苦い顔で肩を叩くだけ。隻は何もいえずに黙り込んだまま、深い溜息しか出なかった。
――幻境に行ってきたと、その話題に戻せたならどれだけよかったかわからない。
「おお、そうじゃ! 隻、やはりお前の体とそこのジャージの兄の体から出ているにおいはな」
俺たち
悟子が心中痛み入ると言いたげな顔で見てきて、よほど心に大きな一撃を
「やはり幻境の、あの神社の外からだったぞ! お前が着いてきてくれたおかげでわかりやすかったぞ!」
「……あ、そう」
「幻境に神社? あんさんが隻さんつれてったわけじゃないんすか――いだっ、いって何しやがるんすか……い、いやちょっとま」
ガアンッ!!
ドラを勢いよく叩きつけたに近い音の正体は、
天理がそうだろうねと頷いている。
「よほど殴り慣れていらっしゃるんですね、八占のご子息殿は」
「……大変お見苦しいものを失礼致しました」
途端に顔を青くして小さくなる兄である。天理は渋面で溜息。
「――じゃあおれが幻境に乗り込む。原因を探るにも、経験者を長く見てるほうが行くのがいいよ」
「ふざけんな」
翅の苛立った声に、天理がついに舌打ちをしそうな口の動きを見せた。
「じゃあおれが危ないから、代わりに誰か、最悪隻に代わりに行ってくださいって? それこそふざけてるのはどっちだよ」
「だから、またヨシ子さんに同じ想いさせるってのかよ。収集がつかない話なのはわかるけど、その手段だけは俺としては嫌だね」
「誰が行っても同じだ」
苛立たしげに吐き捨てられた言葉に、隻は耳を疑った。
拳を固めてまで、顔を兄以上に歪めてまで言い切る姿に、海理が苦い顔をしている。
「――結局誰が行っても死ぬ可能性はあるんだ。それでおれが行かなくても、誰かが行かなきゃいけない以上変わらない。ヨシ子を持ち出すな」
「持ち出すな? 何年ヨシ子さんが待ってたと思ってるんだよ」
「あいつを持ち出すんだったら、おれは翅に未來ちゃんとお前たちの子供を突きつけるよ」
ぐっと翅が黙った。
「隻が行くなら結李羽さんを。千理が行くならみんなを同じように突きつけて、誰が行くかでずっと問答しなきゃいけないんだ。そうしてる暇がある? ないだろ」
万理が口も開けないほどに怯んだのが見えた。
「ずっと情報だけで推測して、昨日バカが一人また動いたんだ。まだ問答続けてそいつが本気で一人ででも突っ走ったら、今までなんのために何をやってきたかわかんないだろ!」
押し黙るしかできず、口を閉ざした翅。それぞれの面持ちで皆沈黙する中、隻は気絶しきった千理を見下ろし、結李羽を見やって頷いた。
結李羽が目を見開いている。
「俺は行くからな」
天理が、萌が耳を疑って振り向いてくる。士が「は?」と眉をしかめた。
「先輩まだ
「じじいは幻境で説得して来た。――俺だって今回の件キレてんだよ。ユリやお前らを考えずに言うほどバカなことは考えてない。けど天理が他人任せを嫌だって言うんだったら、そりゃ俺も同じだ。自分の拳でぶっ飛ばさなきゃ気が済まない」
「ふむ。ならば行きたい者が行く。これでどうじゃ。円満解決が無理ならこうするほかないじゃろう」
「標様!」
天理が鋭い声で怒鳴ったが、標は「若いのー」と目を細めて笑うばかり。
「ぬしが本当に行かせたくないのは、皆なのじゃろう?」
「そんなつもりは」
「そうかの。ひとりでも欠けて弟を悲しませる≠ゥ、弟が欠けて皆が悲しむ≠ゥ。大切な人と引き裂かれる思いを味わわせる≠ゥ、全てそれで動いておるように見えるがの。これ以上話が複雑になれば、その優しさは
天理は一瞬目を見開いて、悔しげに目元だけを歪ませてた。その目が、千理へと一瞬だけ泳いで、背けられる。
――どうしようもないぐらい優しい兄弟だよ、お前ら。
どれだけきつい言葉を、暴力を浴びせても、根底には常に相手のことがある。それを互いにわかっているからこそ、普段は嫌悪感を丸出しにしたり恐怖で逃げても、結局は相手のために無償で無謀なまでに尽くしている。
四年前に彼らを見ていたなら。きっと隻は「どうかしている」としか言わなかった。そうとしか思えなかっただろう。
今でも、まだ理解できないところは沢山ある。あるけれど。
「天理は残れよ」
「ふざけ――」
「そこのバカ止めるのに、幽霊だけじゃ歯止め役には向いてねえよ。兄貴ならわかってるんじゃないのか」