「――いいんだな」
いつきに問われた千理は、何も言わずに頷いた。
隻に目をやる呉服屋の店主は、すぐに溜息と共に目を伏せている。
「お前は聞くだけ無駄だな」
「よくおわかりで」
「はっ、ダチ≠ェこういう時どう動くかもわからないでどうする」
ご
「じゃあなんでオレには確認入ったんすかちょっと」
「お前だからだっ」
隻といつきで背中を叩き飛ばした。勢い余って前のめりに倒れた千理は、見事畳と顔を対面させている。
そんな弟分が痛みで泣いているにもかかわらず、いつきは隻へと視線を戻している。
「それで、その神社に行くにしても、全員が風景を共有しているわけじゃないだろ。幻境は集合場所を決めて、全員がその風景を共有できないと同じ場所に着けないぞ」
「その辺はさっき、標……さんが、大体の風景を
「途中まで……? ――ああ、それで着物の替えを頼んできたのか」
着物の、替え?
よくはわからないが、それはともかくとしてと話を戻す。
「千理にはさっき連身の
「……お前ら、やれたのか?」
「ひでぇんすけど兄ぃぃ……」
いつき、千理を無言で指差して、もの言いたげにしていたが……隻に確認の目を向けてきて、隻自身も黙って頷いた。
解釈。こいつが合わせられたのか?
返答。
俺が合わせた。
「千理だけは確実に同じ場所に来ないとまずいだろ。憑依連身しないと、俺向こうじゃ最弱だから。とりあえずそれで、連身で俺の記憶押し付けた」
「……そうか」
「他にも色々来ちゃったんすけどよかったんすか、あれで……さーせん絶対言わないっ、言いませんさーせんごめんなさい!!」
一、二、三……三十個。
目を据わらせて大量のバスケットボールを宙に浮かべた瞬間、千理の青ざめた声で謝罪が入ったではないか。そしていつきから頭を叩かれ、はっと気づいた瞬間にはボールが全て消えている。
「あっ、初めて三十出せたのに!」
「そんな体力あるなら幻境で出せ!!」
ご尤もでした。
呼吸を整えて、あの神社の光景をきちんと思い浮かべながら意識を呼吸にのみ向ける。
たったそれだけで幻境に精神体を持っていけるのかは
幻境のことで頭を満たしたまま呼吸を整えていく。すると、不思議なほど自然と頭の中に映像以外の余計な感情や考えが取り払われていった。
目を閉じ、周辺の音も忘れ去った頃。思い出したように聞こえだす、葉が擦れ合う音にようやく目を開けた。
心配した顔で覗き込んでくる若い祖父の姿にぎょっと身を引いて、木の幹に
「……おい、何度目だい、会うのは」
「ってぇ……! 三回目っ」
「頭は変になってねぇな。来るのはお前さんだけじゃなかったのか? 随分と来客が入ろうとしてきてやがるが」
はっとして周囲を見渡す。自分と相次郎以外の人の姿が見当たらない。
相次郎の怪訝な顔に、隻は頷いた。
「ああ。さっきの標って人と、俺のダチ」
「――へえ。ここ、教えたのか。それならと言いてぇところだが、地獄の鬼も混じってやしないか?」
「味方だから平気。ってか、なんであいつらまだ来てないんだ?」
祖父が肩を竦めた。隻が瞬きをした瞬間に、そこかしこで千理たちが横たわって寝ていてぎょっとする。
「今じゃ、ここは俺にとっては第二の家みてぇなもんだからな。人の出入りも不意さえ突かれなきゃ、ある程度は制限できる」
「へ、へぇ……」
ふと思った。
今頃、海理が自分の体に乗り移ったりしているのだろうか……いや、考えるんじゃなかった。やめよう。
相次郎が頭を撫でてきて、思わず表情がぎこちなくなった。
「随分と大勢連れてきたなぁ。こんなに信頼できる奴ができたか」
嬉しそうな声に、目を丸くして。すぐにくすぐったくなって小さく笑った。
「もっといるよ。現実側の対応頼んだ奴とか、大勢」
「――そうかい。そいつぁよかった」
頭をぐしゃぐしゃに撫でられる。さすがに気恥ずかしくなって手を払おうとしても、思ったより力強い祖父に力負けして心が折れた。
幽霊に負けた。
結李羽の呻き声が聞こえる。はっとして目をやると同時、隻は固まってしまった。
黒い肌に、銀色の髪。薄っすらと開いた瞳は澄んだ蒼を
額からは小さく一対の角が覗いた姿に、相次郎が愕然とした。
「お、おいおい……なんの因果だい、こりゃ……!」
「……えっと……」
どう説明しよう。面倒くさいから、ひとまず鬼に近づいて――
「……ユリ?」
「あっ。隻くん――あれ?」
嬉しそうに顔を上げた鬼が反応した。自分の髪の色が違うと気づいたのか、髪を見下ろして、服も見下ろして――
「すっごーい、幻境だったらあたし、鬼の姿になるんだね! わあっ、久しぶりだぁっ!」
「ひさしぶっ……!? そ、そういえば記憶も混同してるんだっけか」
「うんっ。肌くろーい、顔とかどんな感じなんだろ? ダークエルフみたいな感じかな? わーすっごーいっ!」
自分の見た目が変わってここまではしゃげる結李羽は図太すぎる。隻は途方に暮れながら頭を軽く撫でてやって、内心溜息が漏れた。
この姿が自分の精神体、つまり心そのもののはずだ。なのに心のさらに内側で溜息が出るなんてどういう体験だ。
「ぅっつ……なんなんすかこれ、固……っ、隻さん危な――」
「あっ、千理くんおはよーっ」
「おは――って結李羽さんかい!!」
珍しいぐらいに千理が真面目に突っ込んだ。臨戦態勢で声も低くなっていたのに、居合いのために持ち上げた手は拳を地面に叩きつけて終わっていた。
呼ばれなかった
既に起きていたのか、翅も棒読みで「わー驚いた」。悟子に至っては頬が引き攣り、自分の体を確かめて安堵しているようだ。
そして万理は――
「万理ー。……おーい。ばーんーりー。万理ー……万里の長城――ふぅっ!!」
実の兄が蹴り飛ばされた瞬間だった。
白い目を向ける隻の隣、結李羽が相次郎を見つけて目を丸くしている。すぐに優しい顔で微笑んで、祖父に頭を下げている彼女へと、相次郎が戸惑った顔をしていて。
「お久し振りです。あ、あたし自身は初めましてなんですけど」
「やっぱりあん時の鬼かい……こりゃ驚いたな、
「ええっと、人間のあたしは結李羽って言うんですけど、あたしが鬼の場所に迷い込んじゃった時に食べられちゃって。で、その後なんでか融合しちゃって、こうなっちゃいました」
相次郎が生温かい顔で「そうか」と頷いて。心の奥底から長い溜息を吐き出され、隻も同じ気持ちで頷いてしまう。
「で、今じゃこいつの彼女と来たか。数奇なもんだなぁ……」
「はあっ!? なんでわか――じゃない!! 他の可能性出てこないのかよ!!」
「てめぇ真っ直ぐ結李羽のところに行ったじゃねぇか。ダチ≠燒ウ視して、お狐も放置してよ」
はっとして周辺を見渡した。
狐の尻尾を覗かせた少女が、いつきに抱き抱えられて目を輝かせている。
「結李羽綺麗じゃなっ! やっとわしらも到着じゃ!」
待て。わしらって、なんでいつきがそこにいる。
顎が外れかける思いなのは隻だけではなかったようだ。千理まで時が止まっている。いつきが嫌そうな顔でさり気なく標をどけ、千理を見て鼻で笑った。
ついでにしたり顔でサムズアップした翅には親指を下に向けていた。
「いつきもとうとうロリコンに入学かそっか」
「絶交するぞ!!」
「ガキの喧嘩じゃないんだからな……ってか、なんで来てるんだよ!! お前がこっち来たら天理の逆鱗砕くようなもんじゃねえか!!」
「……来るって言ってなかったか?」
「一っ言も言ってねえから切れてるんだろ気づけ!!」
「まあまあ隻。切れても今さらだって。起こったことはしょうがない。な、ロリコン」
「潰れろ」
千理がふぅぅと疲れきった溜息を吐いた。瞬間万理に冷めた目で「兄さんに溜息を疲れたくないんですが」と斬り捨てられた。
相次郎が白けた顔で「あー」と声を上げて、面倒くさそうに溜息をつく。
「――てめぇら、当てはあるのかい?」
「あるっちゃあるし、ないっちゃないよな。ひとまず原住民捕まえに行ったほうが早いかなーと思いますけど」
「そうかい。……最近の若い連中ってのは計画性がねぇもんなのかねぇ」
「おいこら誰見て言ってやがる」
頬を引き
「こっから先、一度外を覗いてみたがどうにも
「やっぱり幻境は幻境か……つまり行きたい場所決めとけってか」
「外っ
万理が考え込み、悟子が頷いた。
「わかりました。じゃあ全員で道を創ればいいんですね」
「さっきそう――ちょっと待とうか。それどのニュアンス?」
悟子まで不思議そうに首を傾げた。手を上げていた翅の顔は微妙そうだ。
「そのままの意味のつもりですけど」
「ごめんお兄ちゃん頭悪くなったかも」
「元からですよね」
「要するに、目には目を。幻には幻を、ってことじゃないですか」