Under Darker

 第3章夢幻の交響曲

第12話「メンタルショック」01
*前しおり次#

 まず煉獄では話にならないので出口を考えた。あれこれ設定が付け加えられた挙句、お菓子でできたアーチに風船が括りつけられ、早く通り過ぎないとチョコレートまみれになるというでたらめな出口が出来上がったせいで全員急いで走り抜けた。
 しかし千理が目を輝かせて立ち止まり、落ちてくるチョコレートを舐めて「うめえ!」。
 万理がついに蹴飛ばした。翅がぼそりと呟いた。
「幻境のもの食ったら幻境の住人にならないかなぁ」
「混血はありうるのう。地獄の食物を口にすると冥界の住人になる話もあるからの」
 千理の顔が青ざめた瞬間である。
 不思議そうに辺りを見回しつつ、次に出られたのはログハウスが連なる山村だ。西洋風の景色にほっとした次の瞬間、馬のいななきが聞こえて空を見上げ、ぎょっとした。
 翼が生えた馬のシルエットと、同じく翼が生えたライオンの姿が、戦っている。空中で。
 はらはらと落ちてくる羽根には、無数のアリが自らを梯子にして見事なバランス感覚でキャッチ。羽の毛をせっせと紡いでは、アリの幼虫のまゆにしている。結李羽の表情が引きったのは言うまでもない。
 山間部では先程から森の木々が散々位置を入れ替え合っているし、隻も千理もそっと空を見上げた。
 ドラゴンの咆哮ほうこうが響いた。雷がとどろいた。
 しかし空は青い。
「なあ、誰だよあそこに雲忘れたの。晴れてるのに稲光見えたぞ」
「現実求めたら負けだって。さっきも教わっただろ、いやだなー隻って」
「隼みたいな言い方するんじゃねえよ気色悪い」
 声が本気で据わった。翅は肩を竦めて「似てたんだ……」と今さらなぼやきときた。二足歩行をする人型に近い羊がログハウスから出てきて、アリに近づいていった。アリの巣から、紡がれたばかりの糸を繭ごと引っ張り出し、煮えたぎる湯をたたえるかまどに放り込んだではないか。
 隻たちの顔が引きつる。
 えぐ――――――――――いっ
「あ、あれ……かいこ、と……同じです、か?」
「よ、用途的には……そうっぽい……」
「おや?」
 羊が細い目で振り返ってきた。体を強張らせる隻たちに、羊は前足――いや、腕の蹄を顔に押し付けて驚愕の表情だ。
「いやだわっ、お化粧してないのに!!」
「リアルだな!?」
「あら、ここが現実リアルじゃないの、何言ってるの! もういやだわっ、お化粧道具どこかしらっ」
「しょうがない、隼さんじゃないけど――そのままでお美しいんでちょっとお尋ねしてもいいですかご婦人」
 羊の体毛が薄い顔が、一気に赤く染まった。してやったと隻の影でガッツポーズをしている姿に、隼の弟である隻は顔が引きつっている。
「失礼ね、私はまだ五歳よ!!」
「わっけえ!? し、失礼しました!!」
「どうせ結婚できてないわよ五歳なのに!!」
「あれどっち!? マジでどっち!? 羊族って結婚適齢期何歳!?」
「羊族って名前なんですか、彼女たちは……」
「カプリコーンよ!!」
 マジですかっ
 空は青い。
 しかし隻たちの精神的には余りにも大きな雷が落ちてきていた。


「ああ、向こう側の人たちだったの。道理で人間みたいな形をしているのね」
 というか人間です。
 結局化粧道具を諦めたのだろう。カプリコーンと名乗る女性は一見のどかな雷鳴らいめいとどろく空を見上げている。隻たちはなんとも言えず互いに目配めくばせしあうも、アイコンタクトの意味は互いに特に存在していなかった。
「こっちはね、あなた方で言う幻生が住人として扱われて、あなたたち本当の人間夢渡客むときゃくと呼ばれているのよ。夢の中を歩くようにこちらに遊びに来るからね」
「詳しいんですね」
「こっちでは常識よ。申し遅れたけれど、私はカプリコーンと大羊のハーフ、ニェニアよ。向こう側では両親が、西洋の幻術使いたちに仕えていたわ。中世と呼ばれていた時代の話だけれど」
 ニェニアが茶を勧めてくれ、最初はぎこちなかった隻たちは、そろそろと口に含む。
 甘くて美味しい。摘みたての新茶で入れられたような透き通る味わいに、素直に「美味しい」と感想が漏れる。ニェニアが嬉しそうに笑っている。
「ここは四角印キャドラングル・マルク。四方に出口があるから四角印と呼ばれているけれど、あなたたちが開けた出口で五個目になるわね」
「じゃあ、五角形印になるんですか?」
「いいえ。四角印は四角印。いちいち改名するなんて面倒くさいわ。三つに減っても七つに増えても、四角は四角よ」
「ふーん」
 千理の興味なさげな相槌あいづちに隻が睨みつけた。千理はじっとニェニアを見上げている。
「四角印かあ……すんげーカタカナ立派っすね。ドイツ語?」
「あら、詳しいのね」
「うん。うちにドイツ語の書物あるんで」
 それは未來の持ち物では……。裏付けるように遠い顔をする翅から注意を逸らさせようと、隻は結李羽へと視線を向けて、目を丸くした。
 にこにこと笑顔なのに、茶には一切手をつけていない。既に飲んでいる隻や翅、万理はともかく、悟子は怪訝そうだ。
「お茶、美味しいですよ?」
「うむっ、上手いぞ!」
「うん、頂いてるよ? すっごく丁寧にれられたお茶で美味しいよね」
 ――飲んでいたのだろうか。悟子もだなんて珍しいが、自分も見間違えたようだ。
 ニェニアはめられてさらに上機嫌だ。笑顔で会話を進めてくる。
「出口はいつもランダムに変わるから私たちもそうそうこの外には出ないわ。出るなら覚悟をして出ないと、道もしっかりしていないことはざらなのよ。昔はハーブを摘みに出かけたのに、出口から楽に帰ろうとしたら、七十一の幻実げんじつ≠通らなきゃいけなかったもの。苦労したわ」
 幻実……?
 首を傾げると、結李羽が「この世界でのそれぞれの空間のことじゃなかったかな……」と考え込んでいる。
「あたしたちの側の現実リアルと似せて言ってるんだと思う。こっちって、それぞれの場所って独立してるから。区画ブロックが沢山あると思えばいいんじゃないかな……出口は区画と区画の間を行き来する移動手段」
「あなた詳しいわねぇ」
 ニェニアが感心している。飲み干した隻は言葉も出ず、口の中に残る小さなグミのような食管を噛み潰しながら、カップの底に残る透き通った光に首を傾げた。
 なんだろう、これ。さっき見たような形をしているような……あ、これ足か? ってことはこっちがどうた……
 …………。
 ……………………。
「隻? どうした?」
 顎が止まっていた。ニェニアが持ってきたクッキーをちらりと見やり、結李羽に目を向ける。
 笑顔を貫いている彼女の口元が、やや青ざめているのにやっと気づいた。
「面白いですね、グミ入りのお茶なんて」
「あら、そっちにはないの?」
「はい。お茶は淹れたそのままでお出ししたり、柚子なんかの柑橘かんきつ系と合わせたりもするんですけど」
「柑橘系!? 私たちはあまり好まないけど、人間って面白いわね」
 ちらりと、空をあおいだ。
 無駄に青い。稲光だけが強調されて、近くの地面では「ぎゃーっ!」という悲鳴すら聞こえてきた。
「このクッキーは最近採取したばかりのみつを加えてあるの」
 それって、あいつらのですよね。
「――って、あらやだ! かまどそのままだわ!」
「あ、それじゃ俺たち、そろそろ目的地に行けるように移動します。お茶ご馳走様でした」
 標がご機嫌に飲み干した茶には、半透明のグミの姿は欠片もなく。
 いそいそと立ち上がった一同の最後尾、彼女が「美味かったのう! あ」と言いかけた瞬間、勢いよく口を塞いだ隻であった。千理が隣で飄々ひょうひょうと歩いている。
「すんげえ色んなとこでカルチャーショックでしたね」
「もう何も言うな……」
 翅の硬い返答である。


 ニェニアが教えてくれた出口≠潜ったその先は。
「……神殿、だよな……? なんだこれ、鳥?」
 不可思議な紋様が出口≠ニ直結しているのだろう入り口の石柱に刻まれている。パルテノン神殿を復元し、その内部を見ているような様相を思い起こさせる建築物の模様に、悟子が駆け寄って頷いた。
「不死鳥ですね。ってことは、ここでは生死の輪廻りんねまつっている……?」
「生死の輪廻で思いつくのはエジプトですけど、ギリシャ系の神殿建築方式に見えます……」
「パルテノン神殿っぽいよな」
「それ名前覚えてるのそれだけだったとかじゃなくて?」
 うるさい。
 翅の隣で、ずっとついてきていたアヤカリがか細い声で『神殿いやぁぁぁ』と悲鳴を上げている。ニェニアの前では大人しく翅の陰に隠れていたからよかったものの、周辺にこの世界の住人がいなければこれだ。
 千理が唸っている。
「パルテノン神殿ねぇ……それ、確かアテネでしたっけ。だったら……オリンピックの聖火とか――うっわお不死鳥ネタピンポイント」
「不死鳥は自らを火に包んで死に、新たにその灰から雛鳥ひなどりとして転生する。不死鳥の火を聖火ととるなら、ピンポイントですね。早計ですけど」
「万理は慎重に行き過ぎなんすよ、照合ポイントがある程度あるならそこで一旦的絞ってもいいでしょうよ」
「おーい兄弟喧嘩は後にしろー」
「ここはわしも長居したくないぞ」
 標が結李羽の手を握って嫌そうな顔だ。結李羽も落ち着きがなさそうに周囲を見渡している。
「そうですね、ちょっと空気が綺麗すぎて……鬼の体だからかなぁ」
 悟子が渋面になっている。それこそ「言わないでください」と言いたげに。
「――本当に不死鳥をまつっているなら、鳳勇ホウユウ呼べないかな……試してみます」
「んー……オレもちょっと試すべきかな」
 千理が微妙そうな顔だ。隻は怪訝な顔で見下ろす。
清羽セイハ……だっけか? 何か都合悪いのか?」
「いや……現実リアルのほうじゃ、協力してもらえるようにって頼んでもらってるんすけど……オレ、試練乗り越えてないんで……昔親父が頼んでくれて、補助的に呼び出せるようになってるだけなんすよ」
 指笛が軽やかに悟子の口から響いた。途端に羽音が聞こえ、悟子の顔が一気に輝く。
「鳳勇! よかった、来てくれたんだ!」
 高らかに響く音色が二つ。千理が首を傾げ、万理がはっとした。
「れ?」
「今のって清羽の? でも僕らじゃ、力を貸してもらうための試練がまだなのに……」
 悟子に真っ直ぐ飛んできた不死鳥が鳳勇だと気づくのは容易たやすい。神殿の最奥、祭壇のふたの上に降り立った不死鳥の羽の色は、白い。淡い光に取り巻かれた神聖な色に、思わず目を見張る隻。
 艶やかな紅と橙色のグラデーションが美しい鳳勇もまた見事だが、初めて見たあの時よりさらに厳格なたたずまいを見せる不死鳥に、悟子まで見惚みとれている。
「白い不死鳥……」
 すっと首を持ち上げ、高らかに響く音色と同時、広げられた翼から青白い炎が立ち上った。万理が目を見開き、千理が頬を引き攣らせている。
「まさか……えっ、今が試練!?」
「うっそい!? うっげぇ最悪すぎでしょーよタイミング考えろっつーの!」
「兄さん、情緒が」
「何言ってるんすか情緒なんて知るかいっ!! めっちゃ本気モードじゃないすか、あれきっと五千度レベルっすよ、触れたら骨まで溶ける!!」


ルビ対応・加筆修正 2022/04/18


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