「――翅、どうしてる?」
千理が成月に外傷がないか確かめてほっとしていた傍、ふとした小さな声に、彼は気の抜けた顔で笑っている。
「元気っちゃあ元気。ってとこ。宵に入って、響基たちと一緒に頑張ってるんすよ。最近『ニートになりたい』宣言減ったのがでかい進歩?」
「ニートって……そっか。そんな風に変わったんだ」
生温かく笑う更紗に千理は重々しく頷く。
初対面の隻相手にすら、「ニートになりたい」と散々言って彼を吠えさせていたのは、何度も見聞きしているから。
「ちゃんと自分らしく生きれてるなら、よかった……」
「あー……うん。随分マイペースになって、オレのもずくと唐揚げとレモンいっつも取っていってますよ」
ぷっと吹き出す少女。千理の「くっそう今日こそは唐揚げ十個強奪」という小さな宣言すら笑っている。
成月を手に、後ろ手を組んで頭を支える千理は思い出したように苦笑している。
「あ、それとね。天兄見つかりましたよ。その時も、翅たちが助けてくれたんすよ」
「――じゃあ、こっちでまた感動の再会ができるといいね」
「師匠のこと知ってたんすか?」
更紗の足が止まった。そしてすぐに歩き出す少女は苦笑している。
「知ってはいるけど、そっちじゃないかな」
「へ? ――じゃあ、
「そっちでもないけど……」
「えー……青慈兄ちゃんも海兄ももう会ってるしよく遊びに来てるし……他いましたっけ? どうせ親父、顔見せてくれる気ないでしょ――更紗さん?」
上の空で前方を見やっていた千理は、いつの間にか足音が一つ減っていたとようやっと気づいた。
振り返ると同時、更紗の驚愕の顔と目が合う。
「――どうしたんすか?」
「……まさか、まだいるの? 霊園にずっと?」
「そりゃいますよ、なんで成仏できないんだーって、ずっとぎゃんぎゃん吠えてますけど。主に海兄が。――って、そっか。青慈兄ちゃんのことあの時知ってましたもんね。海兄にも会ってたんすか?」
納得して笑うも、どんどんと顔に影を落とす更紗に笑顔が止まってしまう。
むしろ、千理の表情まで剥がれ落ちていくようで。
「それがどうしたんすか? ってか、大丈夫?」
「――あのね、本当は……」
言葉を詰まらせて
「何かあったんすか? ――七年前海兄に何かされた?」
「それは……なんでもない」
すぐに首を振る少女。千理は苦い顔になり、「すいません」としか謝れない。
「海兄、変に怒ったら男女見境なく暴言吐くから……酷い時手も出るし。もしそっちだったらすいません」
更紗のぽかんとした後の、気まずそうに視線を逸らす姿に、千理は確信を得たのであった。
その後土下座してまで謝ろうとした彼に、「そこまでしたら気持ち悪いんだけど」と、とどめを刺す更紗である。
「せぇーいっ。とうちゃ――くじゃねえしーっ!!」
盛大に吠えた。石造りの門になっていた出口≠ゥら外に出た千理の苛立った声に、更紗がくすくすと笑いながら「違ったね」とやはり五寸釘。むっとした顔の千理は日本風の
「嫌なとこ来ましたね、これまた」
「うん。廃墟跡を好む子たちって、性質が悪いもんね」
「いやそれだけじゃないんすけど……厄介な知り合いに会ったら泣けるなーとか」
「ああ、朱鬼さんか……」
千理がぶはっと吹き出し、慌てて口を押さえているではないか。ぎょっとした顔で振り返る千理に、更紗は生温かい顔。
「縁があってお友達だったんだけど。――千理くんも見たはずじゃなかったかなぁ」
「さーっぱり覚えがないんすけど!! あんさんと会ったのって二回でしょ――もしかしてあんさんが攻撃してきてた時オレ押さえつけて『宮』がどうの言ってた奴!?」
うんそう。
更紗の素直な供述に、千理はがっくり
殺されかけていた七年前に、既にレーデン家因縁の鬼と対面していただなんて。顔が全く見えなかったとはいえ、なんだか……間抜け。誰がと言えば、自分が。
「
「げっ、じゃあここあいつの住処なんすか!?」
「ううん。京都風な街並みの幻実に家があったはずだよ。――変だね、ここ、幻生たちからも捨てられてる幻実みたい」
怪訝な顔になり、辺りを見回した。
生活の跡は――ないわけではない。それでも朽ちた建物の奥に差し込む光の筋と、周辺や見える限りの屋内に茂る植物たちが、鬱蒼とした廃墟を作り上げているだけだ。
植物以外の生き物の姿は、見る限り見えなかった。同時に幽霊のようなアンデッド系も近くにいる様子がない。
風もない、ただ廃屋だけがある幻実。緑と朽ちた色しかないフィールドは、笑えるほどの沈黙だけが覆っている。
木の葉も揺れない。千理たちがほんの少し歩くだけで立つ、わずかな草木の揺れる音と、体に触れ流れる風以外、何もない。
「――幻生たちも、住む場所捨てたりするんすか?」
「うん。土地が
「植物は幻生には含まないんすか……」
「うん。この世界じゃ、普通の植物たちは飾りみたいなものなんだよ」
よくよく見れば、現実世界にもある植物でしか構成されていない自然界だ。動く植物や、奇妙な姿をしているものなど一切ない。
――だとしたら、余計変だ。
一瞬で感じる違和感に、千理は渋面を作った。
たとえものであっても、植物は一部の幻生にとっては大切な食物のはず。それをみすみす放置するなんておかしい。何か原因があってこの姿になっているならば、他の幻生がまだ手を付けにこない段階で、原因はまだここにあるはずなのだ。
それが一切、見られない。植物以外の生き物の姿もない、幽霊や悪魔と言ったものの姿もない。
ただ廃墟と植物だけしかない味気なさ過ぎる幻実に、どうして自分たちが辿り着く必要があったのだろう。
幻実はランダムに飛ばされてしまうが、強い意思さえ持って出口≠ノ向かえば、きちんとその幻実に迎えるはずなのに。
「そういえば、皆とは合流地点決めてるの?」
「いんや、全く。でも最初に集まった場所は一緒だったんで、皆のことですしそこに集まると思って。それにそこだったら、連絡も確実に取れる気がするんすよ」
「風景は覚えてる?」
「ははっ、オレのもの覚えのよさは人一倍っすよ。ぐるっと見渡したしきちんと覚えてますって」
笑いはするものの、目は笑えない。
生き物がいない場所だなんて、速く抜けるに越したことはない。廃墟を前にしていい思い出なんて、去年から見てもないに等し――
え?
来た道を戻ろうとしていた千理の足が、止まった。
更紗がきょとんとする中、千理は慌てて振り返る。
廃墟。自然しかない中で、朽ちた建物があって――
「……なんで……?」
おかしい。来た覚えがないはずなのに、なんでこんなに覚えがある?
瞳が揺れる中、脳裏を過ぎる凄まじい黒い感情に背筋が粟立ち、舌を強く噛んで平常心を戻した。
なんだ
なんだ、この――変なもの
どこかで見た気がする。そこに、何かがいた気がする。
見たはずなのに出てこない何かが、くすくすと笑ってくる。
なんで――
「千理くん?」
「――あ、いや……さーせん、思い過ごしだったっぽい」
「……考えすぎちゃダメだよ。もし何か引っかかるなら皆といる時に考えて。危ないから」
喉が持ち上がる。
持ち上がるけれど、それでも唾を飲み込んで抑えた千理は、更紗へと顔を戻して、俯いた。
「そう……っすね……」
くすくす
更紗のほうへと戻りながら、出口≠ノ向かいながら。
くすくす、くすくす
千理の耳元でただ笑い続ける、誰とも知れない声に、成月を握る手に自然力が
気をつけなさい
永咲の――師匠の声が。
違う人に向けたはずの警告を、何故か千理にも突きつけていていた。