つまりはこういうことだった。
別に幻生の血が入った一般人など、今の時代特に珍しくはない。しかもエキドナの子孫は全世界、探そうと思えば日本ですら各県に数十人はいてもおかしくないらしい。
そもそも元を辿ればほとんどの幻生はエキドナの子供だ。その子供が人間と交わってもエキドナの子孫には当たるそうだ。
しかし隻の場合は、純粋にエキドナ本人と、人間の間の子供。の、子孫だという。
もし今回の黒幕がエキドナの子供であるなら、エキドナの血縁となる隻を狙うことはまず考えられない。これはいつきの納得した上での見解だった。
千理に至っては遠い顔で言い放ってくれた。「だから隻さん、幻生にやたら好かれてたんすね」と。
確かに去年の夏、幻術使いの上層部の男性から、祖父から既に幻生の血が入っているとは言われはした。したけれど……。
「なんで、よりによってあの人……!?」
「道理であの時も協力してくれたはずだよ……」
やはり去年の夏に出会った黒と白だけで染め上げられた絶世の美女は、敵とは思えないほど隻たちに協力してくれた。あれは翅たちに敬意を表してと思っていたのに、それだけではなかったのか。
今ならわかる。嫌というほどわかる。
面白そうだったから見てみたかったのよ。あなたを
あれってそういう意味かーいくそう。
「じゃあ隻さん、幻生の血目覚めさせたらエキドナみたいに子供産みたい放題なんすかね」
「俺に聞くなよ!! 産みたくもねーよ!!」
「え、子供産まないの……?」
「ユリはニュアンス考えろ!!」
「
「だから俺に言うなよ!!」
うるうるとした目で訴えられても知らないものは知らない。しかも悟子までそんな目で見てくるなんて最悪だ。震える隻の目の前、海理が頭痛持ちの顔のまま「つーことは、だ」と話の腰を綺麗に折って戻した。
「天理にもその陣が現れてるんだったな」
「ああ。永咲さんは俺に陣が現れるのは予定外だったって。千理のつもりで――あ」
「……それ、師匠は協力してたってことっすよね。黒幕に」
翅が面倒くさそうに「千理」と忠告し、彼も頷いてわかっていると言ってきた。
「会いに行くのはしませんよ。けどなんかな……気になるんすよ。一番師匠にメリットないっしょ。協力っつーより、利用されてたのほうが近い気がして……さーせん、とりあえず力の出所は糸でわかるんすよね。それ辿ってくほうが手っ取り早い。違う?」
「――だな」
海理といつきが頷いた。悟子も頷き、万理を起こそうとして――固まっている。
「なっ……!」
「どうした?」
青ざめた悟子の様子に一同の顔色が変わり、海理が鋭く雅殺之朱鬼を睨んだではないか。
「てめー何しやがっ」
「標様こんなところに入ってこないでください!!」
海理の頭が、障子の向こうにめり込んだのであった。
閑話休題。
「万理は寝かせておけ。外の幻実に出さえすればおのずと目は覚める」
雅殺之朱鬼の言葉に、海理の拳が固まって。いつきが面倒くさそうに
「とりあえず、隻さんには陣を使った害は及ばないって見ていいんすよね?」
「それはそなたら次第じゃ」
陣の主と敵対する行動をとればどうなるかわからない。そういう意味だろう。隻は肩を竦める。ふと思い出したことに、咄嗟に鬼を見やった。
「あんた、――竹中相次郎って知ってるか?」
「いや。そのような名の者、記憶にはない」
「相次郎は、境目のことに詳しかった」
誰もが耳を疑った。
ぽつりと溢された言葉は、結李羽の口から飛び出ていたのだ。
「ユリ?」
「というより、私から聞きたがっていたな。戦争の火もまだ来ていない中、あの
標がほう、と眠たげに目を擦りながら感心している。
「お主、鬼のほうの娘じゃな」
目を見開いた隻の前、結李羽が優しく微笑んだ。
「さあ。もうどっちが私≠ゥ、わからなくなったよ。でもここは私たち鬼の名残が心地よく残ってる。とても懐かしいんだ」
絶句する翅たちへと、結李羽は苦笑している。その後隻へと、穏やかな表情で見上げてきたではないか。
「父親が、私たちに殺されたと、気づいていたから。まだ幼かったのに、私たちがどういうものかよく知っていた。どうして殺されなければならなかったのか、理由を聞かれたから答えたよ。相次郎が賭け≠ニして生きながらえたことも……迷ったけれど、伝えた」
「賭け? なんの?」
結李羽は黙る。海理が眉尻を持ち上げた。
「それがレイスになっても留まった理由ってか」
「――なあ、レイスって、なんなんだ?」
「意図的に体から離脱した魂っすよ」
隻が目を見開く中、千理はむっとしている。
「つまり、隻さんのおじいさんは、死ぬ前に自分から魂だけ抜け出して、幻境留まって。体植物状態になって、そのまま衰弱死したってことです。……寿命悟ったのはいいけどやり遂げたいことあったから、残りの生きる時間を投げてでもレイスになったんでしょーけど……」
「……そんな……なんでそんなに」
「広められた怪談は、ある一定の人間に知られると勝手に暴走して増えて、歪みが生じる。相次郎の父親は作家として怪談を一気に広めてしまったせいで、生まれたくなかったはずの霊獣まで生み出してしまった」
雅殺之朱鬼の手に、ほんの少しだけ力が込められた。結李羽はただ皆を見据えるだけ。
「それにね、元々存在していた私たちの存在も危うくなったんだ。歪められたから。だから、
しばし黙って聞いていた翅が唸った。
「……幻を幻で、って言うけど、さ。それってつまり、どういうこと?」
「えっと、日本の怪談物の物語が、おおよそ最後はどういう結末を迎えやすいか知っている?」
「そりゃあ、最後は踏み入った人物が殺されるか、何事もなかったように入り口と物語が閉じられたりとか、それそのものが夢だったとか――」
千理の表情が凍りついた。いつきが苦い顔になっている。
「人間たちに干渉しないようにしたかったとでも言いたいのか?」
結李羽が、複雑そうに笑って頷いた。
「だとして、それで幻生たちに得なんて」
「私たちの存在を、曲げられなくなるよ」
更紗だ。真顔ではっきりと告げられた言葉がピンと来ず、翅は戸惑う。
「は? それどういう意味?」
「――そうだなあ。今、あなたは翅・N・レーデンっていう人間だよね」
「当たり前だろ」
「うん。でも例えば、『あなたは今から田中太郎さんです。彼の経歴はこうで仕草はこう。きちんとその通りになりなさい』って、周りが勝手に、あなたに設定を押し付けるとしたら?」
「それは――そういうことか」
苦い顔になるのは彼だけではない。いつきも、悟子もだ。
「幻生の中には生まれた当初より、時代の移り変わりや設定の誤解で、経歴などが捻じ曲げられて伝わって、存在そのものもその形に無理やり変わってしまった幻生もいるってことですね。それが嫌で、中途半端に現世に関わるぐらいなら切り離したかった。そういうことですか?」
「うん。幻生には、人の
自分が自分である≠ニいう誇りを、守るために。
その誇りを、著書に大量に記し、日本に広めようとした相次郎の父は、彼らにとってどれだけ危険に映っただろう。
「少なくとも人間に関わらなければ、幻境は形を変えない部分もあるんだ。ずっと昔に伝えられて、今は忘れ去られた秘境は、そこに住む幻生たちと一緒にずっとひっそり残っている。形を歪められすぎて消失した秘境も、沢山ある。相次郎にそのことを話したら、やれるだけやってみると、乗り出してくれたよ」
結李羽は淋しそうに笑うばかりで。
「彼は父親が探していた境目をずっと探していた。そこに行けば、父親が何をしたかったのか知れると思ったんだろう。彼が追っていた境目は、神隠しの世界だったのにね。そこから
外へと目を眇める鬼の女性。訳がわからず戸惑う隻を見据えながら、「そうじゃろうの」と標が頷いている。
「なんで」
「わからんのか? 一つはお主よ、坊」
耳を疑う隻。頷いたのは翅だ。
「幻境と切り離すってことことは、幻生の血を持ってる人間もどうなるかわかんないもんな。それに気づいたのが結婚前だったら、隻さんたちの親父さんは生まれてないだろうし」
「二つ目はノーブルアイか」
浄香の二つ名に、やっと隻の拳が固まった。
結李羽は静かに俯く。
「相次郎が私≠フもとに来なくなって、久しかった。結李羽≠ニ出会って外に出れば、日本は随分と様変わりしていたから驚いたよ。その時にはもう、相次郎は幻境で過ごす準備をしていたのかな」
「……じじいは、幻境と現世を切り離す方法には気づいたのか?」
わからないと首を振る結李羽。渋面なままの海理は「気づく前に
「もしてめーらと心中するまでの心構えがあったんなら、あの神社には留まってねーだろ。実行のための手順も何も、あの神社にあったようには見えねえ」
「――それか、方法に気づいた時にはもう、隻さんたちが生まれてたか、ですよね」
千理の指摘に、海理が怪訝な顔だ。
「その前にこいつの父親だろ」
「あー……隻さんのおじいさん、隻さんのお父さんの時には幻生が見えなくなる鍵を施してたみたいなんすよ。でも隻さんのお兄さんのほうは鍵受け取り損なってて」
「兄だけか?」
「こいつとその兄は一卵性双生児だ」
海理の顔色がにわかに変わった。
「幻生見えなくなって完全に関係
黙り込む海理は、複雑そうに万理へと目を向けていた。
結李羽は隻へと目を向ける。
「私は、隻くんといたいから。人間と幻生の結李羽で構わないし、このままでいたい。でも、同志だった子たちは、まだ切り離したいと思ってると、思う――きっと、隻くんに痣をつけた子とは、対立していると思う」
「そうだろうな。人間との関りを断ちたいのに、事を大きくしているのは今回の黒幕だ。推定エキドナの子供なら――」
絶句するいつき。怪訝な顔で周囲を見渡した隻も、言葉を失った。
海理が、愕然と庭を見ている。
「お、い……なんで……」
男の子が、
くせが少ない黒髪で、千理と万理を足して割ったような、
――あーあ。失敗か
残念
やっぱりまだ、弱いんだね
『やっぱりいた』
「――! お前……!」
「天理……?」
「違う天理じゃない!!」
素早く口を突いた大声に、結李羽が隻の前へと立っている。戸惑う海理と千理をよそに雅殺之朱鬼が立ち上がり、男の子へと鋭い目を向けているではないか。
『我が前に宮を据えるか』
『やっほー、朱鬼。僕が宮なの、変じゃない? 今宮なのは君だよね?』
鬼が沈黙する。笑顔で隻へと目を向ける男の子は、あまりにも無邪気に嗤っているではないか。
『やっぱりまだ弱いんだ』
かっとなって拳を作りかける千理へと、隻がすぐに手を上げて制した。
どくん
どくん
嫌に心臓の音が、耳の近くで鳴る。
「お前、エキドナの子供か……」
感心した顔で、男の子が見上げてきた。
『あれ、もう気づいてた? しょうがないかー、いいよ、隠す気ないもん』
否定しない。それどころか、痛手にすら感じていない表情。にいっと持ち上がった顔が、ぞっとするほど天理の笑顔とはかけ離れていて。
『じゃあ丁度いいや。君に協力してほしかったんだけど、ダメっぽそーだし』
からからと、笑い声が九尾狐から広がったではないか。
「あっはははははははっ!! 坊に協力じゃと? 九九九年早いわ!!」
「なんだそれスロットのぞろ目かよ!!」
「つーか隻そこまで長生きできないって。あ、レイスなれば行ける?」
「翅
海理が拳を持ち上げる前に悟子が怒鳴った。
海理、拳のやり場がなく千理にぶつけた。千理、痛みで突っ伏した。
「……何やらせる気だったんだよ」
『
「てめ――!」
『ほーらね。君じゃなくても周りが邪魔してきそうだったし。それに君弱いから使えないし』
肩を竦める男の子。翅の怒りもどこ吹く風だ。にんまりと笑顔のまま、結李羽へと目をやっている。
『ずーっと探してたんだよ? 君の仲間もほとんどやっつけたから』
「え――!?」
『でももう邪魔はしなさそうだねっ。君も大好きな人いるもんね!』
蒼白になる結李羽の口が、手で覆われる。隻が咄嗟に前に立つも、海理が後ろに下がれと押してきた。
「おい海理」
「どう転んでもてめーを狙ってやがんだ、気づけタコ」
弱いと言ってきているのに?
海理へと目を向け、しばらく怪訝そうに首を捻っていた男の子はやっと、手の平に拳を乗せたではないか。
『あーっ、ドッペルに乗っ取らせた人間の霊? まだ生きてたんだ?』
海理の奥歯が
「お蔭様だぜ。てめーが絡んでやがったのか」
『うん』
「うんってお前――!」
『でも失敗したんだね。あーあ、あのドッペルも使えなかったか』
沈黙が、煮え立つ。
千理の目が完全に据わり、酷い音が彼の拳から連続して響いた。平静に男の子を眺める雅殺之朱鬼は、『ほう』とだけ。
『わかりきっていたのであろう、この
隻が男の子の味方になりえないとわかっているのに。
なのに何故――
海理が顔を青くした。
「てめーら戻れ」
「――は?」
聞き返した直後。
男の子は顔を輝かせ、満面の笑顔で軽やかに笑った。
『隻の体をもらおうと思って!』