『隻の体をもらおうと思って!』
目を見開く隻。海理が顔を青くして一同に目を走らせた。
「てめーら還れ!!」
「――!」
即座に千理が万理へと手をやった。すぐさま消える少年の姿を確認し、千理が前線へと飛び出す。
「千理戻れっのバカ!!」
「先みんな戻って、オレ覚えてるんで!!」
『あれ、隻以外ももらっていいの?』
ぞっとするほど弾む声。結李羽が必死に隻へと振り返ってくる。
「隻くん早く!」
「――! あ、ああ……!」
けどユリは
千理たちは――
千理が成月を呼んだ。月もないのに、彼の手に月光を彩る刀が握られる。
海理も海浪月を取り出し、さらに落ち武者の鎧――
「いつき、てめーも戻れ!」
「なっ――わ、わかった」
「翅も戻って、幻生には幻生じゃないと無理だよ」
「――っ、頼んだ」
翅たちとともに目を閉じた隻だが、しかし背後の湿った感覚に背筋が粟立つ。
『えー、遊ばないで還るの?』
背後から聞こえる、声。
反射的に目を開けて飛び退くと同時、男の子がもうひとり見えて全身からどっと汗が吹き出る。結李羽も目を開けて気づいたのだろう、悲鳴を上げている。
「なっ、なんで!?」
『あははははっ、面白ーい!』
嗤って、嗤って。
たぷんと揺れたゼリー質は、男の子の膝から上を構成して――
分裂した。
千理が愕然としている。
「いぶし!? まさかこれ、いぶしなんすか!?」
「――違う、エキドナの子供なら能力を写し取ったんじゃないのか!?」
いつきの指摘が入った直後、彼の目の前で嗤うのは、爪が長く鋭く伸びた人型の獣。
『あったりー!』
「手前!!」
海理の術で吹き飛ばされる獣。障子に叩きつけられた直後、距離を詰めた海理の拳と蹴りにさらに吹っ飛ばされたではないか。
「いつき、行け!!」
「――、還る準備ができん!!」
本当だ、一度心を落ち着けて還ることに集中しなければならないのに、それすらもままならない。隻もバスケットボールを呼び出した次の瞬間、目の前にもう一つバスケットボールが浮いているのが見えて愕然とする。
「なっ……!?」
『前くれたでしょ? でもいらなーい』
ドスッ
腹に食い込んだ茶色の球体に、隻の息が無理やり吐き出される。
床に叩きつけられた体を起こすこともままならない。結李羽が近くに立ち、
「
結李羽の声が合図なのか、いつきの手から札が放たれた。空中で制止したそれから見えない波紋が広がり、ゼリー質の男の子がつまらなさそうに奥へと引っ込む。
引っ込んだはずなのに、今度は頭を三つ持つ黒い犬へと変わっていつきの喉を噛み千切ろうとしてきたではないか。
「
蓮の花が数え切れないほど浮かぶ。花に触れた犬が触れた場所からどんどんと溶け、最後には消えてしまう。
瞬時に目をあちこちに向ける結李羽はしかし、天井を見上げて目を見開いた。
「え――!?」
翅が舌打ちして「還れん!!」と吠え、標が狐火を大量に出して男の子へと向けた。
途端に男の子の姿が掻き消え、龍が火を飲み込む。
標がむぅと唸った。
「面倒くさいのう。坊、平気かの?」
平気なら立っているのに……!
肺が呼吸から受け付けていない。霞む目で千理を見ようとした刹那、天井が見えてぎょっとした。
短髪で黒髪な、青年なはずの少年が顔を真っ青に、ガムテープで口を塞がれている上に縛り上げられて天井にぴったりと貼り付けられているのだ。
千理――!?
え、嘘だろなんで、ってかじゃあ今戦ってるのは!? 成月持ってるのは!?
海理の刀、海浪月が水龍の姿を取った。龍同士で絡み合い傷つけ合いと戦う間、庭にて龍の踏み付けから逃げていた千理が戻ってきて翅へと駆け寄る。
「翅、平気!?」
「もち! ってかこっち全然こなかったんだよちくしょう!!」
「じゃあ還って! いつき兄は!?」
「くそう海理に助けられた!!」
「……隻さ――隻さん!? ちょい、大丈夫っすか!?」
天井を見上げてわなわなと言葉を失う隻は、結李羽が驚愕からはっと目を覚まし、慌てて駆け寄ってくる千理へと目を向けてあたふたしている。
「えっ、ええ!? なんで!?」
悟子が怪訝な顔で上を見上げて――
目が点。
「千理さんが二人!?」
「はあ!?」
「っち、バレんのはえ――うわっつ!?」
凄まじく低い声の千理を、翅が飛び蹴り。慌てて避けた千理は冷や汗を掻いた顔で「何しやがる!!」。
敵かと剣を構えていた海理は、納得が行った一同とともに固まった。
「なっ……どうなってやがんだこれ!?」
翅の重い溜息。凄まじい苛立ちを込めて睨まれた、成月を握る千理は苦い顔だ。
その間に、天井に貼り付けられている千理が身を
「ビックリさせんなよ。まどろっこしい真似しやがって次やったらぶちのめすぞバカ二号」
「バッ……!? ふざけてんじゃねーぞ誰が二号だ!!」
「だったら何も言わずにバカ
「こっちが偽者か――!」
海理の言葉にぴたりと動かなくなった千理。天井で吊るされているほうの千理が、必死で首を振っている。
翅も頭を痛めた顔で「いやこっちも本物!」と海理の手を止めさせる。
水龍が地面に激突した。その上へと笑いながら落ちてくる男の子を見上げ、成月を持っているほうの千理が渋面を作って飛び上がり――
釣り上げられているほうの千理に触れると同時に、彼の姿を消したではないか。ぎょっとする隻の真隣に着地した、残ったもう一人の千理は苦い顔。翅が目を疑っている。
「何して」
「無理やり還した」
「はあ!?」
「無理やり還したっつってんだよ、あいつが上行ってる隙にてめーらも還す気だったのに何してくれちゃってんだよ!!」
千理が吠え、ついに翅の顔が完全に切れた。
「ふっざけんなよ先に言えよそれなら!! 連携ミスしたの俺のせい? 人に押し付ける前に作戦って言葉学んでこいよバカ二号!! だからお前は二号なんだよわかる!? アンダースタン!?」
「黙れバカ三号!!」
「ワッツ!?」
怒りもここまでくれば噴火寸前だ。千理が震えている中、隻はいたたまれず呻いた。
「おま……ひだ、り……だろ……!」
目を見開いて振り返る、千理が。
一瞬だけ何かを言いたそうに顔をくしゃくしゃにして、なのにすぐ顔を背けて「んなの知るか」と粋がっている。
「――けど、それでもいい」
「名前で呼んでやるかバーカ」
「うっせーよハネ」
「もう二度と俺に話しかけんな。出て行けここから」
「てめえが出てけってんだ――よっ!」
殴りかかろうとした翅の攻撃を容易く避け、額に手を添えたと同時に翅を強制的に還す少年。悟子が愕然とし、いつきに至っては目を瞬かせている。
「……は?」
「……いつき兄は知らねーのか……オレ、あいつの切り飛ばされた左腕から創られた」
ぶっきらぼうに、言いづらそうに答える千理のコピー少年、
『主、いかが致す!』
「――あ……ぶっ潰すぞ」
『御意!!』
「なんでオレに刀向けんだよ武討!!」
「あ、ち、違うそっちじゃねえ!!」
慌てて止める海理を見る羽目になるとは思わなかった。落ち武者鎧は左理に感動したのか震えている。
『汝が我が主の弟であると、相わかった! 助太刀いたす!!』
そんなに千理に名前を間違えられて悔しかったのか。
海浪月を振りかざして男の子へと水攻めを行う鎧の隣、左理は至極微妙そうな顔で成月を見下ろしている。
「……わりーな、勝手に呼び出して。ちょっと力貸して」
『今回
「……いいよ、それでも。行くぜ!」
隻の真後ろへと走る左理は、次の瞬間彼の背後に忍び寄っていたスライムへと月光の真空波を見舞った。飛び散るスライムから小さな小人へと変化する
いつきが愕然としている。
「幻術も使えるのか!?」
「いつき兄だからって舐めんな」
キンッ
小さな小人たちの動きが一斉に止まる。左理はにいっと笑った。
「あのバカ超えるために、全部を注いできてんだ」
陣の目の前に浮かび上がる沢山の白い球。中央に引き寄せられていく光が震え、小人たちの色が薄くなる。
成月を正眼に構えた左理は真っ直ぐと陣を捉える。
「やるなら来いよ。遊ぶ暇なんてやらねーぞ、
ザンッ
陣ごと貫かれた白い光の球が掻き消えた。小人たちが力なくボトボトと落とされ、蒸発していく。
落ち武者の攻撃を避け続ける男の子は、後ろ手で腕を組んだまま感心した顔だ。
『へえーえ、結構やるんだ? 双子かと思ってたのに』
「はあ? ふざけんな、あいつと双子なんて
隻を助け起こしながらの、左理の据わった声。戸惑いつつも少年を見上げるが、やはり千理本人と変わらない背丈だ。
以前戦った時は千理より高かったはずでは――それに、さっきの会話の噛み合い具合はいくらなんでも。
「お前、どうやって口裏合わせてたんだ?」
「記憶操作であいつの記憶引っ張り出した。背丈合わせるの面倒だったぜ、幻術で自分ばらすなんて滅多にやらねーよ。雅殺が協力してくんなかったらマジで危なかった」
「……あ、そう」
道理でそっくりに話せるわけだ。視線が逸れる隻だが、次の瞬間頭に手を置かれそうになって咄嗟に払った。驚く左理だが、水が鋭く迫ってきたのを見て成月で弾く。
「まだ悟子たちだって」
「それも一度離脱しなきゃ話になんねえよ。これ以上は隙与える気はないらしいぜ、あいつ」
左理が言うが早いか、いつきの前で警戒する海理も頷いている。悟子も自らの不死鳥、鳳勇を腕に停める。作楽呑が悟子の肩にて独りでに大きくなり、自ら布団の上に落ちた。
むくむくと、すくすくと。
簡単に悟子が隠れられる程度に成長した桜貝が、貝殻の縁を紅く染めたではないか。
『主ぃぃぃ、拙者も頑張りまするー!』
「頼むよ!」
声が高めだと、恐怖もそこまで来なかった。
男の子が次の瞬間手に狐火を灯し、標が唸る。
「奴め、わしの能力もコピーしおったな……! 狐火はわしと翅のじゃぞ!!」
「あいつも使えたのかよ……」
「修行させたんじゃ!!」
可哀想に。
海理が何か呟き続け、結李羽といつきが結界を作り上げる。外の左理は刀を手に、男の子へと目を向けている。
「――失せろ。隻と天兄の陣消せ」
『えー、やだ』
「現世に行ったって
『あははっ、何言ってるのさ、会えるよ!』
無邪気に笑う男の子。体をくの字に折ってまで笑い転げる姿に、左理は引き
「はっ……狂ってるとは思ってたが、予想以上だな」
『うん、僕も予想以上に君が強くなってて驚いたー』
左理の表情が凍りつく。男の子は無邪気な笑顔。
『やっと思い出したよ。最初のパパが言ってた通り、弱いまんまかと思ってたのに。偽者のまんまだけど強くなるんだね』
まさか
目を見張る隻たちの前、左理の手が成月をきつく握った。
「てめーか……オレを創り上げたの」
『もう構成忘れちゃった。もうちょっとで思い出せるかな? うーん待ってね?』
「いらねえ」
固められた拳を、一度緩めた左理が睨んだ次の瞬間。彼の隣で茶髪が柔らかく泳いだ。
刹那、大蛇が大量に飛び出す。いつきがぎょっとした途端、男の子はきょとんとして更紗へと目を向けている。
『そういえば君誰だっけ? 幻生だけど人間みたいだね。あっ、もしかして君も偽者で創られたのっ?』
「――どうだろう、半分正解で、半分違うかな」
薄ら笑んだ顔は、半ば自嘲しているようで、半ば男の子を嘲っていた。
「同じように生み出されて、存在理由は偽者でしかなかったけど。私という存在自体は、既に確立してるし――誰かに縋って現実を受け止めきれないような甘えん坊とは違うんだよね」
『あはは、変なの。赤ちゃんなのは君たちでしょ? 生まれたてっ』
「おい更紗、耳貸すな」
左理の据わった声に、更紗が驚いて彼を見ている。
「名前教えてないよね?」
「千理の記憶読んだ」
きっぱりと言い切る声に、海理は耳を疑っているようで。
左理は怒りで据えたままの目で、男の子を睨む。
「オリジナルがどいつだろうがオレの名前はオリジナルの名前じゃねえ。オレだけの名前だ」
ぽかんとする隻は、成月が淡く輝いたのを見て目を丸くする。
「てめえにオレの名付け親をどうこうさせる権利なんざやらねえ!!」
まだ明るい青空に、白い満月。
白い光が辺りを淡く包み、あちこちに左理が何人も現れ目を疑う一同。いつきと海理が隻のもとに寄り、悟子も合流する。
「左理さんの名付け親って……」
「……俺」
そろそろと手を上げつつ、視線を逸らす隻はむずがゆくて仕方がない。
大蛇が次々押し寄せ、男の子を多い尽くした次の瞬間には爆発が起こる。
爆風に目を
分身したらしい左理の攻撃があちこちから迫る。男の子はくるりと一回転しながら羽根を撒き散らし、左理の分身たちが次々に消した。地上で待機していた左理が舌打ちして地上から男の子を狙おうとして――鋭く貫こうと落下してくる矢印型の黒槍を刀でいなした。
「早く還れ!」
「――ああ」
『駄目だよ、還らない=x
目を閉じようとした隻たちの頭に重く揺さぶりがかかる。いつきが呻き、標が憤慨した。
「
「どうしよう……!」
頭を押さえる結李羽が鬼火を出そうとし、
「ギリシア神話のティテュオスかよ……!」
『うーん、君つまんない』
更紗を見下ろす目は、飽きた玩具に目を落とす子供のようで。笑って返す更紗の隣、左理が勢いよく飛び出して――彼女の口からふうと溜息が漏れた。
「単純」
「
また先ほどの陣が、左理の手により紡ぎ出される。
正眼に捉える先は、天理の姿を模したあの男の子。
「動くな≠諱I」
『えー、やだ≠ネあ』
笑顔で呪言を弾く男の子は、左理の陣を見つめている。左理は顔を青ざめさせた。
光が集まらない。
それどころか、陣のあちこちがひび割れて――
いつきがはっとした。
「バカ逃げろ!!」
『ねえ、壊れて=H』
パンッ
絶句する更紗と、海理たちの前で。
左理の姿と、陣が消えた。