左理の姿と、陣が消えた。
目の前で弾けた人影に言葉を失う更紗の顔が青ざめる。海理の奥歯がきつく音を立てる。
「左理!! 返事しやがれ!!」
沈黙が辺りを覆う。悟子が瞳を揺らした次の瞬間、男の子がつまらなさそうに地上に戻ってきた。
雅殺之朱鬼が目をすっと細める。
『わらわを宮と称すならば、我が宮にての狼藉は控えよ』
『えー、君は宮を壊すために創られたんでしょ? 自分の宮は守るの? この人たちは宮なのかな=H』
作楽呑が悟子たちの前で沈黙したまま。武討がその前で海理の刀を構えている中、暢気な会話に更紗の拳が固まる。
雅殺之朱鬼はただ静かに男の子を見下ろすだけ。男の子のへらっとした笑顔に、いつきが目を鋭くさせた。
札が一枚、男の子の背中に浮かび上がる。
男の子が驚いて振り返った刹那、貼り付いた札が輝きを増したではないか。
「もう呪言は使わせん」
『あれ? つまんなーい。でも君を殺せば早いかな?』
「はっ。高がガキが無駄口叩くな」
『あっはは! 赤ちゃんなのに乱暴なお口だねっ。でも札使っても楽しくないと思うよ?』
隻の頭に、いつきの手が乗せられる。
ぎょっとした隻を見ずに、いつきは鼻で笑う。
「誰がお前相手に本気を出すか」
「いつき――」
『ダメ≠セよ』
「させるかい」
視界が、一転した。
話し声が、幾重にも聞こえた。
薄っすら目を開けると、見慣れすぎた日本家屋の天井に怪訝な顔になる。雅殺之朱鬼がいた屋敷ではない。
視界の端で誰かの背中が動き、黒髪が不思議そうに振り返って――ほっとした顔になったではないか。
「隻さん! 無事に還ってこれたんすね、いつき兄たちは?」
「還って――? は?」
響基が覗き込んできてほっとしている。呼吸でわかったはずだろうにと戸惑いつつも、体を起こすのを手伝ってくれた彼が心配そうに見てきたのに驚いた。
「体は? 変なところとかないか?」
「は? ――いや、全然。なんか肩は痛いけど」
「あー……ドッペルがぶつけてたから」
はい? ――ああ、そういえば。
うっかり忘れていた。海理のドッペルゲンガーが隻の体を乗っ取る可能性があるから、皆が帰れとあれだけ煩く言っていたというのに。萌が苛立った溜息を溢して、隻を睨むように見下ろしてきた。
「
「ばっ!?」
「だから染道呼ぶな!」
「そちらで戦闘が起きていたとか」
随分と不機嫌な翅まで放置して告げられ、隻はぎこちなく頷く。
「結李羽たちは――?」
「まだ起きてない」
憮然としたままの翅は、ふと足元を見やって困ったように表情を歪めた。千理も同じ場所を見て「大丈夫っすよ」と、何かを宥める仕草を――
……え?
愕然とする隻へと、士が視線をずらした。
「どーかしたの、先輩」
「え……あ、いや……」
視線が、さ迷う。
万理が欠伸をして廊下から戻ってきて、隻を見た途端困惑しているではないか。
「あ、お帰りなさい。あの……廃墟を出た後、どうなったんですか?」
「あ……そっか、お前寝かされてたもんな……」
結李羽が呻く。いつきも目を開けた。
悟子も、やや遅れたけれど悔しそうに目を開けて――すぐに翅を見つけて緊迫した顔だ。
「翅――更紗さんと左理さん、それから海理さんは、向こうでバラバラに逃走しました」
「左理生きてたのか!?」
頷く悟子。耳を疑うのは、万理で。
「え、な、何があったの?」
「――エキドナの子供が接触してきてた。雅殺之朱鬼の屋敷に」
愕然とする万理に告げるいつきは、言いづらそうだった。それでもすぐ隻へと目を向けている。
「お前の祖父が何か術を使ったらしく、一時的に干渉されない時間ができた。その隙に逃げてきたが……隻、痣を確認するぞ」
「は? な、なんで今だよ」
言いかけた結李羽の口が、辛そうに閉じられた。平静を保ついつきが真っ直ぐ、翅の胸元へと向けられている。
「秋穗、来い」
やはりそこにいるのは秋穗――。
標が、とことこと歩いてきた。「Keep Out」と書かれたテープを巻きつけている。
「翅、エキドナへと連絡じゃ」
「……なんて」
「母を求めて何千里じゃ」
「あ!?」
「千の坊ではない。あの坊がとった行動は、母を思うが故の行動。それならば原因となっている母親に腰を上げてもらうほかあるまい」
いつきだけは、じっと隻を見据えている。標へと逃がしていた視線すらも、何故か捉えられているはずなのに、違和感がある。
なんで――
腕を掴まれ、立たされた。
「……隻、こい」
言われるがまま、仕方なしに立ち上がる。千理がついてこようとして、結李羽に止められた。
隣の部屋へと移動して――いつきが入った後少しして障子を閉め、こちらを見てくる。
「痣はまだあるだろ」
「いいから見せろ」
納得行かないまま痣を見せる隻。いつきが渋面なまま携帯で写して見せてきて、愕然とした。
痣がない。
「なんで消えて――!?」
「やっぱりな」
どういうことだ?
いつきは画面中央よりやや右上を指した。
「お前の痣はここにある」
沈黙が、辺りを覆う。その間にいつきの手が、足元の何かを――恐らくは秋穗の頭を撫でて。
耳を疑う隻は、いつきの目を見るしかできない。
「なんで……また見えなくなってるってのか? あの薬は飲んでないだろ?」
「ああ。お前の祖父から
平静に。
ただ当主としての顔で伝えてくる言葉に、隻は息が途切れそうになった。
「『もう一度鍵をかけ直した。次に幻境に来たら、確実に体を狙われる。もう来るな』」
え――
「『隼にはお前の血を飲ませれば鍵が渡る。これ以上関わらないでくれ』」
何言って……
――標さんよ。これは隻が関わらなきゃぁいけねぇ事態なんだな?
納得してたんじゃないのかよ……
なんで、鍵って……じゃあまさか
「……一般人に戻ったのか……?」
「――だろうな。一般人に手出しできるのは、
でも
けど
待てよそんな――
「……お前はどうしたい?」
真面目な面持ちで、尋ねられて。
隻の体をもらおうと思って!
ねえ、壊れて=H
口を開こうとした隻は、声が掠れて出すこともままならない。青ざめる顔で見抜かれたのだろう。いつきの見る目は鋭いままだ。
「選択によって、お前の今後が大きく変わる。迷っている暇はないぞ」
今自分の目が戻ったら
その時誰が、苦しむことになる?
誰を傷つけることになる?
あんさんが死んでぇー
一番悲しむのが誰か。何人いるか。よぉーく数えろ
だから言ったんだ。知らなければこうならずに済んだだろう
そもそもね、隻くん。理由など九割は言い訳だ。自分に都合のいい言葉を並べ、擁護するためのもの。本音など一割覗けばいいほうなんだよ
てめえ呼び出してんじゃねえよっの馬鹿がああああああああああああああっ!!
――死んでからじゃ後悔したってどうにもならないんだろ
わかった。じゃあ俺だけに教えればいい
自分が選んだ道で、誰が傷つく事になる?
誰が重荷を背負う事になる?
だってあれ、ほとんどお前のだろ
なんだよ、お前いくつ俺の代わりに出場して勝ったか忘れてんの? 磨き甲斐ねぇの
――心のノイズ、解消?
……そうか。なら、ダチだと言ってもらえた分まで生きるかな
言っとくが、俺は最初からタダで死ぬ気はない。精々この阿苑いつき様のダチだって事誇りに思ってろ
ヴァンパイアは人間ですか? 幻生ですか? 人魚は人? それとも魚? ――どっちかなんて、人それぞれでしょう。それなら、自分がなりたいほうに望めばいいと思います。自分の存在を決めるのは、自分しかいませんよ
理由はどうであれ、土壇場で何もできなきゃ意味ないよね
自分が戦って、皆は
自分が逃げて、天理は
いや、それよりも――
はっは! そいつぁ痛そうだ! 勘弁してくれ、お前さん幻術使いになってもバスケか!
さすがだな。一生懸命、頑張ってきたもんなあ
家族の事に関わりたくないとか、関わらせないとか。もうそう言うのは止めにしたいし、させてください
手前のその名前は、独りで苦しんでいる奴を助けてやるためのもんだ。手前が独りになるための名前じゃねえ
覚えとけ
あたしたち、隻くんを裏切ったりなんかしないよ。辛い時に一人になんて、絶対にしないから
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