レリオス・オ・モノン。
そういう個人名である事に、違和感を抱いたのは昨日が初めてだ。
その昨日にひょっこりとやって来た人工生命体に、この街について案内を頼まれたのがきっかけだった。
そして
「ねえねえ、レリオス。この燻製ってどんな味がするの?」
「……人工生命体が食事だなんて、初めて聞いたな」
「あたしの場合は
まただ、吠える。
かと思えば嬉しそうに、楽しそうに笑う。
人工物であるが少女の形をしている、この自称魔的人工生命体――分類型は確か、
養育所で習った感情というものを、実に多彩に顔に出す。
エレメンツ・ハールツMW-ST52163。愛称『ウィシア・エメル』と名付けられたアンドロイドは、信じられないほどに顔の部品や人工皮膚、筋肉を多彩に動かして喜怒哀楽を出すのだ。
――ヒトであるレリオスが、それをできないのに。
「ウィシア。昼食なら配給所でもらえばいいだろ。土産物で腹を満たしても何にもならないぞ」
「お土産だからこそ美味しいんじゃない。あ、レリオスのお母さん。これくださーい」
……はぁ。
思わずため息がこぼれる。そしてこんな動作をする理由に、いまいち納得がいかない。今までの日常に、こんなもの必要だっただろうか?
「レリオス、あなたどうしたの?」
「……分からない。ウィシア、そろそろ行こう。配給所にお前の分の食事表は登録されてないんだ。外国人用の飲食街に行かないと」
「え? このジャンボスタ煎餅だけでも――わ、分かったから、そんな真顔で見ないでよぉ……」
真顔のどこがいけないんだろう。大きくて潤った、綺麗な桃色の瞳と、人工であるはずの金髪を見る度に思う事だが……
――やっぱり、ウィシアにはついていける自信がない。
それもこれも、昨日が全てのきっかけと思うと、言葉に言い表せない何かがふつふつとしているような気もする。
「ねえ。キミ、この街の人だよね……?」
振り返れば、明らかに様子がおかしい、最低限の旅装を整えたアンドロイドが一体、そこに立っていた。立ち尽くしていた、の方が正解かもしれない。
『
その桃色の瞳は、はっきりとレリオスを捉えているのだ。
「そうだが……アンドロイドか。ならあの交易所で欲しいものは見つかる」
「違うの。あたしがここに来たのは、買い物じゃないんだけど……どうしちゃったの? この街。誰もハスィ≠ェ働いてない!」
「……何だ、それは」
聞いた事がない。養育所で習った覚えがない以上、レリオスにはそれは干渉外の事物だと判断された。礼儀として習った事をやっておいて、やっぱり知らないといつものように儀礼的に返し、終わるつもりでもいたのだが。
「心の精霊だよ……この国、精霊と凄く仲がよかったんじゃないの?」
「……現実逃避型の誤作動を起こしてるなら、そこに」
「誤作動? 心の精霊が……感情が働いてる事が、誤作動なの?」
声のトーンが一段階低く感じた。レリオスは無感動に近い顔のまま、少女を見つめる。
「……怒っているのか?」
「見て分からないの!? どうして疑問に思った事を誤作動って言われなきゃいけないの!? 納得いかないよ、あなたは疑問に思った事は一度もないの!?」
「日常に対して疑問を持つ必要が、どこにある」
さらに相手の沸点を刺激したらしい事は、レリオスでも分かった。相手の肩が持ち上がっている。
そんな中でも、街の者は平然と歩き去っていっている。
切り取られた一角の会話のようで、けれどそれをレリオスは気に留めてもいない。とめる必要がどこにあるのかすら、どうでもよかった。
「……じゃあ、あなたの中の精霊を起こしてもまだ、そんな事が言える?」
「〈魔石〉の恩恵が切れたのか」
「ちょっとこっちに来て」
有無を言わさず引っ張っていかれ、着いた先は街の外壁だった。ここには常時
そのテラスへ、少女はレリオスを引っ張っていく。
もう夕刻だっただけに、そこから見える景色は〈
「これがどうかしたのか――?」
景色から目を離し、少女へと向けた次の瞬間。彼はわずかに目を見開く。
少女がこちらを見て泣いていたのだ。
「……アンドロイドでも泣くのか」
思わず、思ってもいない事を口にしてしまう。
それがいけないような気がして、レリオスは一瞬だけ、目に戸惑いを映した。
「泣くよ、あたしたちだって……〈
今までのような力強さは、目の前にいる少女から綺麗に剥がれ落ちていた。
「でも、どうして……あたしたちの感情のモデルなんでしょう? あなたたちヒトが。なのに、何で? どうして心が動かないの? あたしたちの親は、感情がないの?」
感情を持つだけ無駄だと養育されたレリオスには、とても理解しがたい疑問。
排他的な世の中で情に流されれば、心を病ませてしまう事に繋がると。
この少女は病ませてしまう方向へと自ら進んでいるように見える。
なのに、どうして――
この街の住人であればそんな考え方、禁忌に等しいのに。この旅人に心を揺すられたような気がして、けれどそれがどういう事なのか分からなくて、レリオスは首を振った。
「さっきも言っただろう。日常に疑問を持つだけ、無駄だ。俺たちはこの街の一部。『
「おかしいよ。この街の主人公は、誰も居ないって事だよ?」
彼は少女のこの言葉に対して、返答できずにいた。
分からなかったのだ。
ただの一ピースである自分が、どういった役割なのか、考えた事もなかった。
「心を制御するのは難しいよ。それって凄くいい事だと思う。でもね、心を完全に殺しちゃうのは、感情を導入されてない状態のあたしたち人工物と同じだよ? ヒトが真似する事じゃないでしょう? 感情がなかったら、あたしたちと同じだよ」
この世界でアンドロイドの身分は下位層に集中している。
放浪して主から逃げている者、主が死去し、貰い手がほかにない者は、即刻処分されてしまう。
そんな
「――殺しちゃだめだよ。心は動かさないと。アンドロイドと同じだよ。えっと……」
名前が分からないからどう呼んでいいのか分からないのだろう。レリオスは無表情のまま、口を開いた。
「レリオス。レリオス・オ・モノン」
「――一文字変えたら、
心から嬉しそうに笑うその少女は、夕焼けのせいか頬に赤みを示していた。
その夕日はもう大部分を稜線の向こうへと滑り込ませ、レリオスたちに仮の別れを告げていた。
「あたしの型式番号はエレメンツ・ハールツMW―ST五二一六三。愛称は『ウィシア・エメル』だよ。よろしくね、レリオス」
手を差し伸べられ、握手を求められている事に気付いた。どうしてかぎこちなくなるも、それに応じて――少女は嬉しそうに微笑む。
「えっと、いきなりで悪いんだけど……」
「何だ」
ウィシアは手を離すと、すぐに自分の両手を合わせて拝むようにする。
「ごめんっ、宿捜してるの。どこあるか知ってる?」
「……どの
「一番安い所……」
そうして、結局行く当てがない事を知ったレリオスは、彼女を泊める事にしたのだった。