シェル=シール

 -無彩スタのレリオス-

第01話「欠如」01
*前しおり次#

 レリオス・オ・モノン。
 そういう個人名である事に、違和感を抱いたのは昨日が初めてだ。
 その昨日にひょっこりとやって来た人工生命体に、この街について案内を頼まれたのがきっかけだった。
 そしてくだんのアンドロイドはといえば、彼の家である商店でちゃっかり買い物を楽しんでいる。
「ねえねえ、レリオス。この燻製ってどんな味がするの?」
「……人工生命体が食事だなんて、初めて聞いたな」
「あたしの場合は魔的人工生命体マギスティックノーマンなのっ。いいじゃない、あたしたちだって美味しいもの食べたいんだもん! あ、そういう風に生み出してくれたあなたたちヒトには感謝してるんだよ? これでも」
 まただ、吠える。
 かと思えば嬉しそうに、楽しそうに笑う。
 人工物であるが少女の形をしている、この自称魔的人工生命体――分類型は確か、擬似生命型ホムンクルスである彼女は、レリオスからすれば実に理解しがたい。
 養育所で習った感情というものを、実に多彩に顔に出す。奴隷型スレーヴとは大違いだ。
 エレメンツ・ハールツMW-ST52163。愛称『ウィシア・エメル』と名付けられたアンドロイドは、信じられないほどに顔の部品や人工皮膚、筋肉を多彩に動かして喜怒哀楽を出すのだ。
 ――ヒトであるレリオスが、それをできないのに。
「ウィシア。昼食なら配給所でもらえばいいだろ。土産物で腹を満たしても何にもならないぞ」
「お土産だからこそ美味しいんじゃない。あ、レリオスのお母さん。これくださーい」
 ……はぁ。
 思わずため息がこぼれる。そしてこんな動作をする理由に、いまいち納得がいかない。今までの日常に、こんなもの必要だっただろうか?
「レリオス、あなたどうしたの?」
「……分からない。ウィシア、そろそろ行こう。配給所にお前の分の食事表は登録されてないんだ。外国人用の飲食街に行かないと」
「え? このジャンボスタ煎餅だけでも――わ、分かったから、そんな真顔で見ないでよぉ……」
 真顔のどこがいけないんだろう。大きくて潤った、綺麗な桃色の瞳と、人工であるはずの金髪を見る度に思う事だが……
 ――やっぱり、ウィシアにはついていける自信がない。
 それもこれも、昨日が全てのきっかけと思うと、言葉に言い表せない何かがふつふつとしているような気もする。
  
  
「ねえ。キミ、この街の人だよね……?」
 振り返れば、明らかに様子がおかしい、最低限の旅装を整えたアンドロイドが一体、そこに立っていた。立ち尽くしていた、の方が正解かもしれない。
 『無彩の街グレイダ』と呼ばれるこの街にも、ちゃんと色彩はある。けれど、それは全て識別のための色だ。管理された色の中で、今日与えられた服の色を身につけていたレリオスと、同じ色合いの金髪を二つに結わいた少女は、顔を、青を通り越して白くしている。
 その桃色の瞳は、はっきりとレリオスを捉えているのだ。
「そうだが……アンドロイドか。ならあの交易所で欲しいものは見つかる」
「違うの。あたしがここに来たのは、買い物じゃないんだけど……どうしちゃったの? この街。誰もハスィ≠ェ働いてない!」
「……何だ、それは」
 聞いた事がない。養育所で習った覚えがない以上、レリオスにはそれは干渉外の事物だと判断された。礼儀として習った事をやっておいて、やっぱり知らないといつものように儀礼的に返し、終わるつもりでもいたのだが。
「心の精霊だよ……この国、精霊と凄く仲がよかったんじゃないの?」
「……現実逃避型の誤作動を起こしてるなら、そこに」
「誤作動? 心の精霊が……感情が働いてる事が、誤作動なの?」
 声のトーンが一段階低く感じた。レリオスは無感動に近い顔のまま、少女を見つめる。
「……怒っているのか?」
「見て分からないの!? どうして疑問に思った事を誤作動って言われなきゃいけないの!? 納得いかないよ、あなたは疑問に思った事は一度もないの!?」
「日常に対して疑問を持つ必要が、どこにある」
 さらに相手の沸点を刺激したらしい事は、レリオスでも分かった。相手の肩が持ち上がっている。
 そんな中でも、街の者は平然と歩き去っていっている。
 切り取られた一角の会話のようで、けれどそれをレリオスは気に留めてもいない。とめる必要がどこにあるのかすら、どうでもよかった。
「……じゃあ、あなたの中の精霊を起こしてもまだ、そんな事が言える?」
「〈魔石〉の恩恵が切れたのか」
「ちょっとこっちに来て」
 有無を言わさず引っ張っていかれ、着いた先は街の外壁だった。ここには常時戦闘型ウォリアーのアンドロイドが詰めていて、入領者を厳しく取り締まっている。観光用にと設けられたテラスもあり、だが今は寂れていて、手入れだけが行き届く殺風景なものになっていた。
 そのテラスへ、少女はレリオスを引っ張っていく。
 もう夕刻だっただけに、そこから見える景色は〈隕石ユパク〉によってできた湖も、反対側のスタの街並みも、さらにその向こうの山々の稜線も見事な赤へと染めていた。
「これがどうかしたのか――?」
 景色から目を離し、少女へと向けた次の瞬間。彼はわずかに目を見開く。
 少女がこちらを見て泣いていたのだ。
「……アンドロイドでも泣くのか」
 思わず、思ってもいない事を口にしてしまう。
 それがいけないような気がして、レリオスは一瞬だけ、目に戸惑いを映した。
「泣くよ、あたしたちだって……〈天恵の魔石ヘブレス〉が擬似的な心の役割をしてる以上、あたしたちだって、泣くよ」
 今までのような力強さは、目の前にいる少女から綺麗に剥がれ落ちていた。
「でも、どうして……あたしたちの感情のモデルなんでしょう? あなたたちヒトが。なのに、何で? どうして心が動かないの? あたしたちの親は、感情がないの?」
 感情を持つだけ無駄だと養育されたレリオスには、とても理解しがたい疑問。
 排他的な世の中で情に流されれば、心を病ませてしまう事に繋がると。
 この少女は病ませてしまう方向へと自ら進んでいるように見える。
 なのに、どうして――
 この街の住人であればそんな考え方、禁忌に等しいのに。この旅人に心を揺すられたような気がして、けれどそれがどういう事なのか分からなくて、レリオスは首を振った。
「さっきも言っただろう。日常に疑問を持つだけ、無駄だ。俺たちはこの街の一部。『無彩の街グレイダ』の一部分だ。鉱石を採掘して、それを加工し、魔工製品を製造していれば安全に暮らせる。そのために養育されただけで」
「おかしいよ。この街の主人公は、誰も居ないって事だよ?」
 彼は少女のこの言葉に対して、返答できずにいた。
 分からなかったのだ。
 ただの一ピースである自分が、どういった役割なのか、考えた事もなかった。
「心を制御するのは難しいよ。それって凄くいい事だと思う。でもね、心を完全に殺しちゃうのは、感情を導入されてない状態のあたしたち人工物と同じだよ? ヒトが真似する事じゃないでしょう? 感情がなかったら、あたしたちと同じだよ」
 この世界でアンドロイドの身分は下位層に集中している。
 放浪して主から逃げている者、主が死去し、貰い手がほかにない者は、即刻処分されてしまう。
 そんなこの世界シェル=シールで、彼女の言葉はどこか重みがあるように感じた。
「――殺しちゃだめだよ。心は動かさないと。アンドロイドと同じだよ。えっと……」
 名前が分からないからどう呼んでいいのか分からないのだろう。レリオスは無表情のまま、口を開いた。
「レリオス。レリオス・オ・モノン」
「――一文字変えたら、解放の兆しレリアスだね。『無彩からの解放レリオス・オ・モノン』か……素敵な名前だね」
 心から嬉しそうに笑うその少女は、夕焼けのせいか頬に赤みを示していた。
 その夕日はもう大部分を稜線の向こうへと滑り込ませ、レリオスたちに仮の別れを告げていた。
「あたしの型式番号はエレメンツ・ハールツMW―ST五二一六三。愛称は『ウィシア・エメル』だよ。よろしくね、レリオス」
 手を差し伸べられ、握手を求められている事に気付いた。どうしてかぎこちなくなるも、それに応じて――少女は嬉しそうに微笑む。
「えっと、いきなりで悪いんだけど……」
「何だ」
 ウィシアは手を離すと、すぐに自分の両手を合わせて拝むようにする。
「ごめんっ、宿捜してるの。どこあるか知ってる?」
「……どの階級ランクがいいんだ?」
「一番安い所……」
 そうして、結局行く当てがない事を知ったレリオスは、彼女を泊める事にしたのだった。
  
  


ルビ対応 2020/10/09



*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2022 *Nanoka Haduki* all right reserved.