「夜の住人、
ずず、ずずずず
「――闇を闇と
闇の衣。ここまではできる。あとは……
「うわああああああああもうまた失敗かよ!!」
生物の評定もやはり二だったことが痛いほど響いた。確かに呼び出そうとしたのだ。犬を。子犬ぐらいの小さくて扱いやすそうな犬を。なのに目の前のこれはなんだ。気持ち悪いほどに人面犬ではないか。
愛らしく「ワフッ」と鳴かれても、呼び出した隻は全力で壁まで後ずさっている。
「俺の想像力って……」
「人面犬レベル」
「るっせえ!! 来たなら言えよ!!」
縁側に座り、ぼそりと呟いてきた翅に八つ当たり気味に吠え、隻は脱力する。
頑張ったのだ。犬の特徴を思い出そうとして、毛並みだって耳だって、尻尾や仕草だってきちんと覚えた。なのになんで……
「隻さん、動物飼ったことあるんだろ?」
「あっても美術に反映されてない……じゃなきゃ苦労してないだろ……!」
「大丈夫、俺も『今日の飯何かなー』って想像しながら武器創り出したら、鉄製なのに飯の味がするゲテモノ料理ができたことある」
「ゲテモノ過ぎるな本当!!」
吠えた途端に
三毛猫が前足で襖を開け放った体勢のまま、明らかに青ざめた顔で硬直しているではないか。
『な、なんだそれは……!? 誰の作だそいつは! 隻か、貴様しかいないのか!!』
「まあこれも才能の証ということで」
「いるかそんな
精巧に人間の顔をした精巧な犬。これほど恐ろしくなるとは自分でも思わなかったのは認めるが……。
なぜだろう。顔が千理に似ているのは。
「隻さんさ、
「気色悪すぎて吐き気する……ごめんな。
闇となった犬が、霧のように霧散した。隻は脱力し、敷きっ放しの布団の上に倒れ込む。
「次はちゃんとした犬にしてやらなきゃな……うぷっ」
『さては連続して幻術を使用したな。数をこなすだけでどうにかなる世界ではないぞ』
「知ってるよ……」
思った以上に体力も精神も消耗する。幻術を作り出すだけでも力を使うというのは聞いたけれど、あれを見ては以前の問題だ。
「
「ついに呼んでも出てきてくれなかったよ……」
以前呼び出そうとして顔しか覚えておらず、危うく殺しかけたせいで。
性格を形成された幻術の生き物――幻生は、その幻生を知る人なら誰でも呼び出せるそうだ。だから隻も想耀――シマリスの幻生を呼び出そうとした。けれど顔だけしか覚えていなかったおかげで、シルエットもへったくれもない呼び出し方をしてしまって以下省略。
今日はどうやら、千理が入れられている懲罰房に行かなかったらしい。ずっといびり倒しにかかっていたというのに。
「……美術真面目にやってたらな……」
『そう言うが貴様のその才能は、最早真面目にやる
「隻さんが一人で外に出るの、もうちょっと先だよなぁ」
「……出る以前だろ……
幻術を使用する際に、一般人から見えなくなるための術を出すのがやっと。改めて千理たちの凄さを思い知らされた。同じ集中でもバスケと幻術ではこれほどまでに使う神経が違うのは、今も戸惑ってばかりだ。
漫画を穴が開いても不思議ではないほどに睨みつける日々も、もう二年と半年が過ぎた。
千理の弟、万理は高校に上がり、既に大学受験を見据えてほとんど学校に釘付けらしい。幻術について教わる機会もめっきり減った。さらにいるという彼らのきょうだいにも、未だ会わないままだ。
そろそろ携帯だけでなく普通に恋人に会いたいのにと、思いを
猫の顔が逆さまに視界に入ってくる。
『精神の鍛錬は十分上手く行っておろう。後は想像力らしいが――翅と同じように自分の趣向に合うものを作り出してはどうだ?』
「趣向……バスケ」
『論外』
「るっせえ!」
瞬時に衣が降りて影からボールが飛び出、猫へと一直線に飛んでいった。もう慣れたもので、軽々と避ける猫は招き猫よりもかわいげのない笑みを向けてくる。過ぎ去ったボールはあっさりと闇の霧となって消え、隻はむっとした。
『その瞬発力、瞬時に行える集中力。雑念があってもボールだけは精確に描き上げられる想像力は十分なもの。というか貴様、怒っている時のほうがよほど集中しているだろう』
「集中力も瞬発力もバスケで
『簡単にキレられてもうつけとしか思わんわ。話はそこではない』
猫の手を突きつけられた。……肉球の色が汚い。
『やる気がないのだ貴様は。想像力を身につけるのが面倒になっておろう』
「……バスケでも基礎練あるからそこまでは思ってねえけど……うっ」
吐き気が襲ってきた。けれど出るものは何もなくて、隻はしばらくして息をのろのろと吐き出した。
猫がフンと鼻を鳴らしている。意外に猫の鼻息でも髪が揺れた。
「まあ、面倒だよな。普段やらないことやれって強制されると」
「お前は仕事サボりすぎだろ三年間見てたけど」
「だって俺仕事嫌いだもん」
『まったくレーデンの家系は……こうして休暇申請した後も面倒を見てやっている、わたしのこの健気さぐらい見習えというものだ!』
「頼んだ覚えはないんだけどなあ」
『なんだとーっ!!』
毛並みを逆立ててまで怒る猫。隻は思わず頭を掴んだ。一瞬猫がびくりとしたのが手越しに伝わる。
『な、なんだ』
「バスケボール」
『静かにします!!』
いい加減にしてほしいという意味がきちんと伝わってはくれたらしい。頭から手を離し、ぐったりとする隻に、翅は哀れみの目。
「今日は休め。……まあ、今日が最後の休みとは思うけど」
「最後ってどういう……」
言いかけて、ぎょっとした。ご機嫌なスキップを刻む足音が、床を
嫌だ、得体を知りたくない奴が来ている気しかしない――!
「たっだいまっすよーっ!! ひゃっほーマイシャバ最高――ぎゃあああああっ!?」
「帰れ!!」
バスケットボールが、闇の衣を
当然向かう先は、あの人面犬の顔モデルだった。
「ねえひどくない? 一応懲罰房で随分と反省して技量高めて、影絵から実体創れるようにまでなったんすよ、戦力増強したんすよもう泣きたい」
「いらない能力鍛えるなよ! ぅっ……」
吐き気。突っ伏したと同時に千理が意外そうな声を上げている。
「あっれ、今朝あれだけピンピンしてたっしょ。創りすぎました?」
「ああ、バスケットボール二個、想耀には呼び出し拒否られて、今日の最高
『人面犬。いだだだだだ髭を引っ張るな髭を!!』
反省の色が見えた辺りで放す隻。千理は朗らかに笑っているが。
「えー見たかったなーオレも。なんすか、愛しの
教えてなるものか。全員が顔を逸らしていることで悟らない奴なんかに。翅は笑いまで堪えているのに。
携帯からメール着信音が聞こえ、千理に投げてもらって内容を確認した隻は、真っ昼間から突っ伏していた顔を勢いよく上げた。
「マジかよ……」
「あり? どうしました?」
「……色彩検定。準二級合格……」
「ええっ!? マジっすか!? おめっとさんです!」
飛び跳ねるように喜ぶ千理。隻が戸惑いを隠せないのを見て、猫が見上げてくる。
『どうした。素直に喜ばないのか』
「いや……あいつ美術得意だけど、行ってた学科は違うのに……」
「あ、言われてみれば。芸術学科じゃなかったな」
翅も思い出したような顔。頷いた隻も、メールを打ち返しつつ困惑する。
「一応法務系の授業取ってるらしいから、そっちなら納得行く。同じ学科なら行ってる大学にあるらしいし。けど」
「確かに分野違いますよねぇ、文学じゃあ。でもこの間デザイン検定受けるって言ってませんでしたっけ?」
「ああ、それだろ。それも準一級受かったって……ん?」
メールの改行がやたらと多い。そういえば大学の名前を聞いた時、随分とはぐらかされた覚えがある。引越しが必要とか書いてあったし、いったい何がどうなって――
「――嘘だろおい……!」
「どうしたんすか? え、見ていいの?」
突っ伏しつつ、携帯のメール内容をスクロールさせて表示した内容を千理に向けた。頷いて促すように突きつければ、読んだのだろう千理は画面を被害に|遭わせる勢いで吹き出したではないか。
「マジ!? うっそマジっすかちょっ、
「……まあ、予想はできないわけじゃなかったけど……な……そっか。追いかけてきたか」
そう言いつつ驚愕が抜けていない翅。猫が携帯を取り上げ、フムとまた唸っている。
『差し詰め、一年目に送ったプレゼントの送り元を見て特定したのだろうな』
「どんだけ行動派なんすか!!」
隻も言葉をなくしているのに答えられるか。もう一度自分の携帯画面を見て泣きたくなった。唾が飛んで妙な光を放つ中にくっきりと見えるハートが、なぜだろう。恋人からだというのに憎たらしいような切ないような。
「あいつ……変わってねぇ……! マネージャーもそのノリで決めたくせに……!」
「マジ……愛って、深いんすね」
「千理には一生来ないような愛だよな……」
「ちょい、どういう意味っすかそれ。あんさんだって年齢イコール独り身暦っしょ」
「でも
「未來ちゃあああああああああああん!!」
とんだ大絶叫だ。慌てて走ってくる足音に翅が重そうな腰を上げて、襖の向こうに首を出して「いや、あいつが騒いだだけ。あー響基には後で謝るごめんねー」と
『……まさかこやつ、
「ないない。自分だけが年齢=独り身だってやっと気づいたんだろ。あ、万理も彼女いるらしいから」
「弟おおおおおおおおおおおおおおっ!!」
『はっ、無様め。しかし本家には入れぬだろう。どうする気だというのだ?』
「……いや、あいつなら入る……あいつの行動力はひどいんだよ……」
廊下から首を戻した翅が、「なあ」と声をかけてくる。見上げた隻は、襖の向こうに手をやって廊下の左手を指している彼に確信を抱いた。
「その恋人って、サイドテールしてる? 森ガール風?」
「よくわかったな。来てるんだろ」
「うん来ちゃった!」
茶髪の女性が嬉しそうに廊下から顔を出す。即座に布団を蹴って襖へと猛進した隻の凄まじい形相の前、女性は花咲くような笑顔だ。
「わーい隻くん久し振りーっ! 元気だった? メール見てくれた? 合格したよ!」
「どうしたんだよここまで! 相変わらず行動読めねえよ!」
「だから来たの。ここまで」
「答えになってねえだろ! よくそれでこっちの大学合格したな!!」
「うんギリギリだった!」
「笑顔で言うか!?」
「……行動派ってすっげー」
「すげえな、うん。未來、案内どうも」
「あっ、ありがとうございました!」
花が咲いたように軽やかな返事が聞こえてきたかどうか。隻は青い顔のまま愕然とする。その合間、恋人結李羽はスポーツ少女さながらの様子で頭を下げていた。
「はじめまして、
「はじめま――え、お邪魔って? でも結李羽さん視えないんじゃ――」
『そうだぞ、私の姿も
猫が憤然としている。ぽかんとした結李羽は、すぐに顔を輝かせて猫に飛びついたではないか。
「すっごーい! 本当に
「……え?」
一同、唖然。結李羽は思い出したように口を覆い、恥ずかしそうに笑っている。
「うちの家、分家なの」
「……どこの?」
「神社の!」
「そりゃあ視えるわな!!」
「うん! でねでね、本家もさらに分家で、私昼の側の人間なんだって! お母さんに『レーデンさんって有名なお家なんだね』って言ったら、『なんであなたがその名前知ってるの……!』って絶句されちゃって」
「嘘だろ……っ!?」