隻が足から崩れ落ちた。精々しなかったのは翅ぐらいだ。
「そっかーそりゃ見えるよな。昼……昼担当側か……もしかして、それで事故に
「あれはなんとなくなんだけど……あたし、第六感はいいねって昔から言われてるの」
よすぎだ。
千理までぐったりとした。隻は床から離れない手と膝をそのままに、深い溜息が出る。
「お前なぁ……会えて嬉しいけど……」
「うん、事故の後から色んな幻生が見えるようになって、それであたしも京都に呼ばれたの。あたしの場合は血縁に関わりがあったから、なおさらなんだって」
「なーる。元々幻術使いの血筋が一般人になること選んで能力眠ってたっつーわけね」
結李羽がそうらしいと笑顔で頷いている。隔世遺伝という形で能力が目覚めれば、翅のように養子として大きな家に迎え入れられるから、恐らくその結果なのだろう。
昼の時間中討伐を担当する、大きな幻術使いの家。そこまで聞いた千理と翅が考え込んでいるが、隻の目はとうに死んでいる。
「……色彩検定もデザイン検定も、そのためか」
「うん! 頑張ったよー、でも検定いらなかったかなあ。学問として見るのは面白そうなんだけど、お店ではあまり役に立ててなくて」
「京都で有名な昼の家柄ねぇ……店って、呉服屋? もしかして
頷いた結李羽から視線を外し、千理へと疑問の目を向ければ、彼ではなく翅が苦い顔。
「あそこか……レーデンに行くって言ったら、怒られただろうに」
「怒られたけど、事情を説明したら当主になったばかりの嫡男の方に、『リア充爆発しろ』って言われたよ」
「あっちもか年齢=彼女いない暦」
「もうそのネタ止めたげて!! 爆死!!」
突っ伏す分家三男。襖の向こうから人が来たのか、横に移動する結李羽。千理のおじが疲れた顔をしている。
「結李羽殿、ここは男性の部屋なのだが――千理、今日から彼女もこちらで預かることになった」
は?
「既に修練はある程度積んでいるそうだ。実戦に移る前に連携を確かめておくように。隻、君もだぞ」
ちょっと待ったどういうこと。
既に修練積んでる? ――もしかしなくても、結李羽はとうに一人前なのか?
自分はまだ半人前どころか、十分の一人前レベルの中。
守りたくて二年半修行してきたのに。まさか、実力を追い抜かされて再会するなんて。頑張るとは聞いたがこんな頑張りは望んでない。相変わらず後ろで大人しく守られてもくれない。
勘弁してくれ。
「え、うそっしょ……パーティ組めって言うんすか? オレと、隻さんと……彼女さんで?」
黙って頷くおじ。千理が干からびそうな悲鳴を上げている。隻は放心したまま生返事がやっとだ。先ほどの楽天ぶりが嘘のように、礼儀正しく頭を下げる結李羽がいる。
「よろしくお願いします。精一杯尽力させていただきます」
「こちらこそよろしく頼みます。改めてようこそ、レーデン家へ。これから彼らに用がある際は一度遣いの幻生を飛ばすようお願いいたします――誰も守ってはいませんが」
「あっ、はい。すみません、以後気をつけます」
足音もほとんど静かに去っていく、レーデン家次期当主のおじ。千理が
「リア充……リア充の間に……入れって……おじさん鬼畜……爆死爆死爆死……!」
「……普通のリア充よりいちゃついてないらしいから。そこ今問題じゃないだろ」
「そうそう。おかげで本当に愛されてるかたまーに不安なのー」
「お前な……っ!」
ただでさえ賑やかすぎた三年間。
これからさらに賑やからしいと、隻の心は不安で埋め尽くされていた。
「かーいほーさーれた。わーいっ」
「くっそ翅代われ! 代わりたいって言ってくださいよちくしょう! まだ独房入り五年のほうがマシじゃああああああああああああっ!!」
「おー行ってこい行ってこい」
「……まだ……こいつらのほうが……っ!」
マシだと言えないのは、例えるなら千理たちが前菜と変わらない騒々しさだったからだろう。
京都の清水寺。ここの結界更新≠見てこいという、なんとも不思議な用件に、隻は結李羽、千理と共に、指定された場所まで歩いていた。
さすがに観光名所で千理のジャージ姿は小言で済まず、観光客に紛れられるよう隻の服を貸した。相変わらずジャージしか着ない十九歳には頭が痛い。
なるべく色合いを抑え気味にして、古い町並みに紛れられるよう工夫はしてみたものの。最近の観光客の中の服装が原因か、はたまた整備された石畳と和モダンな家屋の関係か。古い町並みがなんだかぼやけて見える。
古い民家の商店が並ぶ坂の上、大きな鳥居に思わず感嘆した。
「清水寺か。久々……」
「修学旅行で行くもんね。結界更新かぁ……レーデン家が管理してたの?」
いつもと違う服で動きづらいのか、ずっとそわそわしていた千理がやや不機嫌そうな顔をしたまま「いんや」と返してくる。元々身長が十センチは違うからだろうか、ややだぼついた服の袖を時折引っ張って直している。後ろからついてきているのは遠慮ではなく、ジャージに着替えるタイミングを今か今かと計っていたようだ。
「昼の結界は過半数が
「結李羽も知ってるのか?」
「うん、名前だけ」
「あーもうカップル走らないで普通に聞いてくださいよもう!」
ピンと立てられた指。わざわざ前に移動して、千理は歩きながらむっとした顔のまま口を開いてくる。
「人が多く住んでる場所にある神社仏閣、教会なんかには、だいたい結界≠ェ張ってあるんです。よく聖域に入ると空気が変わるって言うっしょ。霊感的なものも多少はあるんすけど、オレたちが連中から一般人を極力遠ざける方法に使ってるひとつなんすよ」
ただ、昼の結界と夜の結界は役回りが微妙に違うし、管理する家もそれぞれ違います。
千理は不服を顔に書いたままでも、しっかり説明する。ついでにいつ購入したかもわからない土産袋を歩きながら開けるものだから、隻は目を剥きかけた。
「それも結界を維持する術者を交代するために、定期的に結界の効力を上げ直す必要があるんです。それを更新≠チて言ってるんすよ。ほい、八橋」
桃
「本当にお前、京言葉使わないんだな」
「そりゃ今は空き家ですけど、実家は京都じゃないんで。京言葉には染まりたくないんすよ。負けた気がするじゃないっすか」
「そうかな? 面白いよ、京言葉。おしとやかだし、舞子さんきれいだし」
そうは言いますけどねと、千理はやや不服そうだ。
「京都はオレも嫌いじゃないんすけど、仕事はしたくないんすよ。面倒なんです。日本の今の首都は東京でも、オレたちの業界じゃあ都は京都ですからね。家同士のどーでもいい抗争がもーひどくってひどくって」
京都そのものは確かに都。世界各地の都市と同じように幾度となく戦火に
神社仏閣の結界更新も、日本の中では一番頻繁に行われているそうだ。
「今回の結界がどの家かは知りませんけど、幻術の用途は色々あるってこと見せたいおじさんの気持ちはわからなくもないんすよ。隻さん、幻術の用途にそこそこ
図星なだけにぐうの音も出ない。
結李羽に目を向ければ、彼女は楽しそうに笑っているではないか。
「隻くんは武具って感じじゃないよね。憑依でもないし。レーデンは召喚・
千理がよくやっている、呼び出した幻想生物に憑依して戦う手法、憑依。また翅が得意とする武器の精製――武具や召喚武具の他、幻想生物に憑依せず使役するだけの方法が、召喚・操霊。
理解はできる。できるけれど……。
「武具もいるっすよ。大抵前のめりか後ろ一辺倒ばっかだかんね。今回の結界は防御専門に当たるんすけど、他にも色々系統はあるんすよ。まあ、百聞は一見に
隻は未だに慣れない会話なのに、結李羽は既に慣れた様子。順応性はあるほうだと考えていたが、自分はこれほど現実についていけていなかったのかと痛感してしまった。
観光シーズンというわけでもない、まだ寒さが残る京都では、日差しだけは暖かだ。清水の舞台と呼ばれたその高さを
「たけぇ……」
「結構気配するね」
結李羽は周囲を見渡している。千理に至っては平然と、奥の石段へと歩いていっている。
「あれ、変なの……坊さんも見当たらないっすね」
「仕事中じゃないのか? ここも寺なんだろ」
「いや、そっちの坊さんじゃないんすけど。やっぱ変っすね……随分とまあ閑散としちゃって」
核心――もとい主語の抜けた千理にむっとしつつ、少し考えて意味が繋がった。
結界更新。言葉通りなら恐らく、これほどの大きな寺であるだけに結界も大がかりなのだろう。早い話、更新や維持には少なからず人手がいるはず。それなのに住職らの姿がないというのは、確かに閑散という言葉が近いのかもしれない。バイトなのだろう巫女装束の少女が一人立っている程度だ。
「だから、中にいるとかは?」
「それなら式に反応してくれると思うんすけど……」
いつ飛ばしたその式神。結李羽も感嘆の声をあげている。
「千理くんって本当に実力あるんだね。昼間でも目立たないようにできちゃうなんて」
「いつでも応戦できる程度には鍛えとかないとでしょ。夜喧嘩売った奴が昼遊びに来るかも知れないんすから。……やっぱ、この辺にはいないか」
鳥が一羽、千理の頭上で旋回している。やがて溶けるように消えた黒いそれが幻術と気づき、隻はぽかんとした。
全くわからなかった。種を言い当てるまではできなくても、鳥としか言いようがない動きとシルエットだったのだ。
衣を出さずに幻術を保つなんて、よほど慣れている術者でなければ難しいというのは聞いていたけれど――
「ちょい、お三方。こないな場所で動かへんのやったら周りの迷惑やで」
少女の声に慌てて振り返った隻は、謝ろうとして固まる。
先ほどの巫女服の少女だ。恐らくここのバイトなのだろう。黒髪を肩口で切り揃え、くりくりとした黒とも藍色ともつかない色の瞳で、隻を見上げてきているではないか。
「あ、す、すいません」
「気ぃつけりぃ。水
柔らかくも通りのいい声だ。水汲みなんてしてるのかと思ってちらりと見渡すと、すぐそこの小さな滝に柄杓を持った行列が出来上がっていた。
結李羽が慌てて頭を下げている。
「ごめんなさい。うっかりしちゃって。千理くん、そろそろ移動しよ?」
「うぃーっす、何食いに行きますー?」
「千理……?
すっと眉をひそめる巫女少女。千理も驚いたのか、近くに来る。
「ちょい、オレいつからそんなに有名なんすか。五神といいあんさんといい」
「自分が他人様にばらして回りよるからやろ。うちにも連絡来たんやで」
少女の嫌そうな顔。歓迎されているとは程遠い反応に笑う千理から目を離し、隻は彼女へと視線を下ろした。
「あんたは昼なのか?」
「お兄さん露骨やなぁ。なんのためにうちが
巫女をやっている時点で、今の時代「ただの」とは言わないだろう。
そも、普通の人は、三年前の隻のようにその言葉の意味もそうそう理解できないはずだ。せいぜい勤務時間を聞かれている程度にしか思わないはず。
世界に隠れ住まう幻想生物を狩る夜の種族と昼の種族の存在のことを示すとわかるのは、おおよそ関係者ぐらいなのだ。
それなのに少女は「まあええけど」と自己完結だ。何事もなかったように歩き出し、ぽかんとする隻らへと振り返ってきた少女は、さらにむっとしていた。
「何してんの。そういう約束やろ。来はるん、帰りはるん?」
「じゃあ行きます」
有無を言わせないような声音へとあっさり応える千理には、もう言葉の表しようがないほどに呆けた。
ただ、少女についていくうちに、隻の前で千理が瞼を平たく開けていたことにも気づく。
「どうした?」
「あー、いんや……寺に巫女って……ここ神社じゃねーっしょって突っ込むかどうすっかなーって迷ってました」
あ、ほんとだ。
もしかして、彼女は神社と寺の区別をしっかりできていないのだろうか。あれが仕事着なら、周囲の人から目を向けられていて大変そうだ。