溶けるように、柔らかい光と
腐葉土に足を埋めるように、足音が二つ近づいてきた。振り返った隻は、結李羽が困惑して、冷静沈着な表情の少女につれられ、やってきていたことにやっと気づく。
「煉・D・スヴェーン。
ぽつぽつとした声は、先ほどの戦いでは想像もつかないほどに消えそうだ。先ほどの巫女少女がやってきて、すぐさまその後ろに隠れる少女煉には、困惑が先に立つ。
「煉は人見知りあるんや。自己紹介遅れたな。うちは
頭を下げてくる少女らに、隻も思い出したように頭を下げる。結李羽が感嘆の声を上げ、拍手した。
「凄いね、天狗相手に肉弾戦なんて。連身は聞いたことはあったけど、見るの初めて」
「そりゃあ、連身は呼吸が合うパートナーじゃなきゃ怪我しかしませんからね。あれだけ術者と被術者が連携できるのも凄いもんすよ。術でサポートする側が、されてる側の行動に合わせて身体能力を変化させるんすから」
飄々と伝える千理に、隻はただへえとしか言えなかった。自分なら、と考えたそば、情けない想像しかできなかったのだ。
志乃が隻を見上げてきた。肩を竦める彼女は、本当に笑わない子だ。
「お兄さんも随分連身向きな性格やねんのに、知らんのやな。ほんで、うちらは次を片付けにいくんやけど、どないしはるん?」
「じゃあ、ここ任されましょっか。他の道行って迷っちゃ、護衛の意味がないっしょ」
「確かにそれじゃ世話あらへんな。じゃあ任せるで。煉、サポート頼むな」
煉がこくりと頷き、再び茂みに潜っていく。志乃は軽やかに枝に飛び乗り、忍者のように蹴り進んで消えていった。隻は顎が外れそうだ。
「……幻術って、なんでもありかよ……」
「なんでもじゃあないっすよ。学問に色んな系統があるように、幻術だって分野が違うだけです。それに、死んだ人蘇らせるような都合のいいもんや、失った体を蘇生させるような便利なもんはないんすよ」
切るように、飄々とした声だ。上空を睨んだ千理は、あっさりと呪術を紡ぐ。
「無月、一旦交代。還れ」
『
ぎょっとした。千理が手にしていた黒刀から、無機質な声が響いてきたのだ。
まさかあの幻術にまで意思が宿っていたとは――
「夜の住人 名は
黒馬が千理の衣より浮かび上がってきた。高く鳴き、千理の前までやってきた黒馬は、足先を黒雲の中に沈めて術者を見据えている。
千理が本気で顔を強張らせたのがわかった。
「ひ、久し振りっすね、雷駆……事態が事態なんで三年前のは勘弁して!」
『
一瞬、意味がわからなかった隻は、とっさに結李羽をこちらに引き寄せることぐらいまではしてみせた。呼び出した黒馬に足蹴にされ、空に放り上げられた千理に万が一にでも当たらないようにしたのは、一応正解だったようだ。
しかも現在召喚主である千理が地上に落ちてくるまで、雷駆と呼ばれた黒馬は
『幼き新たなる術者。この度は我が主の子孫が失礼した』
「あ……いや……あんたも喋れるんだな」
『無論。我を創り上げた主も人の身。意思をもたらされたその時より、人の言葉は我が頭に、耳に、骨に染みついている』
降ってきた千理をあっさりと避けた黒馬。地面に激突する凄まじい音に顔をしかめた隻と結李羽に、事もなげに意思を伝えてくる雷駆には薄情だと思った。
『千理、己が用件を述べよ』
「あんさんねぇ……! 子孫かどうかはともかく、対等って言葉学んでくださいよもう!」
それお前に言えるだろ。
大体あれだけ高く蹴り上げられ、戻ってくるまでに結構時間があったはずだ。なのに地面に叩きつけられても素早く起き上がってこられる、こいつの体は色々とおかしいのではないだろうか。いくら鍛えているからと言っても、それで済むレベルか。
「で、雷駆。あんさん見えてました?」
『結界の構成は己が目に頼れ。我らはそれほど強き
「まあ、
『我が名を
「……かっけぇ……」
「ちょい、隻さん。感動しすぎっすよ。何時代劇っぽい流れが好きそうな輝きしてるんすかその目は」
まさか千理に突っ込まれるとは。いやそれでも格好いい。平然と言ってくれる所が
隣の結李羽に微笑ましそうに笑われ、やっとはっとした隻は黒馬を見上げる。
「なあ、俺が幻術で生物呼び出すのが下手なのって、改善できないか?」
『想耀から聞きはしたが、壊滅的だそうだな』
……
『我が仕えてきた当主らや子孫らはみな、何年何十年もの歳月を費やし幻術を完成形としてきた。それを二、三年の童が一朝一夕に行えるものと思うな。翅のあの想像力と精神力は、本来ならば並みの世界とは呼べぬ。故に汝には相当な修練が必要といえる』
「そっか……そうだよな」
やはり、バスケと同じように修練が欠かせない世界だ。考え込んで
『必要であるなら我が力、今からでも貸そうぞ』
「え!?」
「え、何雷駆、浮気するんすか?」
『連身を学んだのは千理の下らん思考より漏れ聞こえていた。連身のもう一つの形態を教えてやろうと言っているのだ』
千理、隻、結李羽。瞬き五回。
「え、あったの? あたし初耳だよ?」
「……雷駆、あんさん
『他家が生み出す呪術の系統が様々であるように、レーデン家にも独自の幻術があるというだけ。汝の「こけおどし幻術」と比べるでないわ!!』
「ひで!? オレのどこがこけおどし!? おっ?」
何に驚いたのだろう。上空へと目を向ける千理に、しかし隻はぎょっとして足元を見やった。
「なあ、気のせいか? さっきと地面が違うぞ」
「え? ……そうかな?」
『虫の気配が遠退いたか。千理よ、随分と考えなしに事を進めてくれたものよ』
「……いや、それオレのせいじゃないっしょ。やっぱ昼なら少ないかって考えてちゃ甘いってことかね」
虫の気配が遠退く? 考えなしにって、昼なら少ないかって、ちょっと待て。
まるで大群が押し寄せてきそうな声音に冷や汗が拭えない。結李羽が手に札らしいものを数枚持ち、さらにもう片方の手では印を組むような手の形を取った。千理が雷駆に
「ちょっ、今練習できるわけないじゃないすか! 一体でも多く減らすほうが無難っしょ」
『今だから必要だと言っている。隻は幻術が扱えぬのだろう。なれば我と連身し、身体能力を活かさねばこやつが狙われるのは確実。汝は無月を呼べばよかろう』
「いくらなんでも千理の負担がでかくないか? それに幻術って、二つ同時に保つのはそれなりの経験者じゃないと」
「あーあーわかりましたそうします!」
ぎょっとする隻。むかっ腹を立てているのだろう。千理はあからさまに苛立っている。
「ってか隻さん、オレを誰だと思ってるんすか。レーデンの分家とはいえ直系っすよ、これでも家の中でも、トップテンの実力ぐらいはありますからね!」
「けどお前疲れるって」
「そりゃまあ幻術を三体四体維持するのは骨折れますけど」
いや数増えてる。
「連身つったって雷駆出してるだけでいいんでしょ。雷駆との憑依が隻さんに任せられるんだったら体力ぐらい安いもんすよ! あとオレ、地上で楽できるし――待った蹴らないで!?」
雷駆と共に蹴り飛ばそうとした矢先、勘づいた千理に飛び退かれた。舌打ちをしつつ、結李羽に目を向ける。
「手薄になるけど、平気か?」
「うん。簡易結界作って、その中から攻撃するから大丈夫。二人とも、雷駆さん、気をつけてね」
軽やかに跳ねる髪が、柔らかくて。
不安に揺らいでいた心が瞬時に凪ぎ、隻の顔に思わず笑みがこぼれた。
「――ああ」
「いやここでもリア充ってちょっと。まあ行ってきますかね」
『優しい娘子よ、汝にも強き闇の加護あらんことを』
雷駆が隻へと目を向けてくる。千理が乗り方を教えてくれ、二、三度たたらを踏んでしまったが、なんとか跨れた。
『
背筋に下りる、温度を忘れた布の感触。目を開け、雷駆の背を叩いた。
『憑依と同じ
「――
「夜の住人 名は無月 闇を闇に還す象形とし 我が意に応えよ」
視界が、黒く染まる。
千理の声が聞こえると同時、世界が確かに先ほどより数段低い場所から眺めるようになる。足元で、手で感じられる、
『憑依も初めてか』
「あ、ああ……あ、そういえばどうやって戦うんだ!?」
どこにも見えない黒馬へと慌てて声を上げれば、千理のぶっと噴いたような声。首を回し、随分と横に広がった視界の隅に彼を捉えれば、呆れ果てたような顔をされた。
「あんさん……雷駆、やっぱ交代したほうが……」
『汝の動きは
「えー……ってか、意外っすね。隻さんオレに向けて意思飛ばしたわけでもないのに声聞こえるって」
「は? それって」
『幻生生物に憑依した者の声は、意思を向けた相手以外に聞こえることはない。今汝と千理の間には、我を通した精神的な繋がりができている。それ故に声が聞こえるのだ』
へえと感心して、頭を抱えたくなった。
それはそれで抵抗したい何かがあるような、ないような……。
『汝が我を呼び出せるようになるまでの辛抱だ』
「なんすかそれ、乗り換える気!?」
『行くぞ。汝の慣れぬうちは我が意を
見事にぶった切られ続ける千理はもう、そういうポジションだと思って頷いた。
見据える先は黒の大群。
――あんな数、相手にできるってのか? 千理。嘘だろ……!
相手にせず逃げれば。なんて甘い考え、できるはずもない。後ろには結李羽が。隣では千理が。別の場所へと向かっている二人組は、まだ自分たちよりもあどけなさが残る少女たち。
それにこの奥には、誰がいる? 何人何十人いる?
もうその意味がわからない歳じゃない。怯えて逃げ出す歳じゃない。
三年前のあの日、確かに恐怖の中、力もないのに助けになろうと必死だったあの時より、確かに力がある。それに
「雷駆、頼む」
『いい覚悟を秘めた。その意を評す。まずは空を駆ることから覚えるのだ』
「わかった……あのさ」
雷駆が相槌を打ってくる。人間臭いなと感じつつ、隻は言い辛いと思いながらもこぼす。
「人間と歩き方違うんだろ? ……普通に歩く感覚でいいのか?」
『馬の歩み程度、見たことはあるだろう』
「え、と……す、少しは……」
『今覚えろ!!』
怒られた。申し訳ないなど思う暇もなく、後ろ足だけで大きく立ち上がった雷駆はそのまま空へと駆け上がっていった。