Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第07話 02
*前しおり次#

 
 天狗の伝承? 色々あるな。地域によって神に扱われたり妖怪に見られたり。最近の漫画のおかげで、随分と妖怪に見られやすくなってるけど、善良な天狗は本当に神として扱われるんだ。プライドが高いから召喚や憑依なんてさせてもらえないけどな
 あと――
 
 数年前、翅から聞いた言葉が思い起こされる。その続きを思い出そうとして、走るうちに慌てて幹の陰に身を潜めた。前方に広場が見えてきた。やはり天狗がいる。
 中々その場から離れない姿に苛立ちが募る中、後ろから響く音に驚いて振り返る。
 頭を咄嗟に低くすると、天狗がすぐ近くを通り過ぎていったではないか。冷や汗が流れる中、一瞬だけ天狗がこちらを見てきた気がして顔が引きつる。
『首尾は?』
『ええ、上々ですとも。陰陽師と昼の幻術師らを多数捕らえましたぞ』
 思わず息を呑む。結李羽に慌てて押さえられ、大丈夫だと合図した。
 呼吸が震える。
『先ほどの戦闘で出ていた童たちはどうした』
『はっ、一名はこの奥へとやってきましたが、どうやらかれたようで。現在鳶の者燕の者が向かっております。残りの二名は我ら本陣の攻撃を受け、逃げ去りました。一人墜落しておりますから、いずれ死体でも見つかるかと』
 その逃げた奴も死んだと思った奴も、ここで話を聞いているなど思っていないのだろうか。余裕の様子を見せる天狗らの会話に、奥歯が軋む。結李羽に手を握られ、抑えようと意識した。
 草葉の影からでも見える、翼の生えた修験者しゅげんじゃのいでたち。小さななりの天狗の前、一際大きな姿をしているのは、リーダー格なのだろう。背の高い天狗に従順な天狗は、命令を受けて隻たちがきた道へと飛んでいった。
 一人だけそこにじっと佇む天狗は、隻たちの隣を過ぎ去って行ったその天狗だ。固唾かたずを飲み、迂回うかいしようと木々の間を縫おうとした、その時だった。
『して、何用かね? 力弱き術者らよ』
 背筋が凍る。慌ててバスケットボールを出そうとした隻は、はっとして後ろを振り返った。つられて振り返った結李羽があっと声を引きつらせている。
 一体いつ、真後ろに――!?
神足通じんそくつう。六神通が一つ。知らぬか。にわか知識で我らが天狗に立ち向かおうなど、浅はかな者たちよ』
「――なんであんた、俺らを殺さないんだよ……」
 そこらの小妖怪などと一緒にするな。天狗から鋭い睨みを受け、隻は結李羽よりも前に出る。ほうと天狗が感心したような声音を発し、負けじと隻も睨み返した。
『無謀ではあるが、覚悟はあると。面白い』
「あんた、鞍馬山の大天狗か」
僧正坊そうじょうぼう大天狗様ほどの力があるならば、お前たちなどとるに足らぬよ。私はまだまだ三流だ。そしてここまで親切にしたのだ。弱き者が何故なにゆえここまで来るか、私に言うべきではないのかね』
 頭の高い言葉だけれど、相手は確かに上の実力。奥歯を噛み締める。
「――俺らの仲間を消しにかかる気だろ、あんたら。冗談じゃねえよ」
『何を言う? 消すも消さぬも、そちらから始めたこと。忘れはせぬ古き伝承に、互いの相違はないはず』
 確かに術者から始めた。危険だと慌てて消しにかかったのも、無責任に殺そうとしているのも、結局は人間。わかっていても、自分たちは――。
 天狗に見据えられ、尻込みしかけた自分を心の中で叱咤した。
「過去よりも今だろ。俺の知ってる奴を消しにかかるならあんたらは敵だ」
『強がりが。まあしかし、面白い。何をもってそこまで、自ら井の中でもがくか。これからを楽しみにさせてもらおう。沙谷見さやみせき
 目を見開いた。結李羽も言葉が出せないようだ。穏やかに笑う天狗に、隻は底知れない恐怖に拳を固めた。
『六神通が一つ、天耳通てんにつう。ずっと会話も足音も聞こえておったぞ。まあ確かに、私の部下らは随分と平成に染まったがな。それは私も頭が痛いところだ』
 ……え、痛かったのか……。
 また会おうぞと、元来た道を引き返す天狗。悠々と去る背中を見送り、隻も結李羽もぽかんとする。
「……なんで……俺らのこと怨んでるんじゃなかったのか?」
「あの天狗さん、優しかったね……人払いしたのだって、話したいから?」
 
 あと、天狗って興味持つと凄くフレンドリーだな。牛若丸の話知ってるか? 天狗に修行付けてもらう話。頭もいいし神通力は色々と使えるし、かなり厄介な相手なんだ。
 
「興味津々、フレンドリー……天狗でも平成に染まるって、気が緩んでるのか?」
「……そうなのかな? 怒られそうだけど」
 風が飛んでこないから、大丈夫……だろう。
 奥に気配がないことを確かめ、隻と結李羽は一気に走った。
 木々の間を進みつつ、上空や後ろにも気を配る。けれどどうにも天狗の気配が減ったとしか思えないほど、出くわさないし見かけない。
 蛇行する道の影から飛び出すものもなく、薄っすら立ち込め始めた霧に表情を鋭くする。
「まずいな。帰り道、霧で見えなくなったら」
「違うよ、これ神隠し用の霧――幻術だから払い方は知ってるよ」
 何事か呟く女性。霧が薄くなり、視界がはっきりとしてきた。蛇行する道の先、朽ちた小さな宮跡が見える。
 廃墟のようなその場所で倒れている姿を見つけ、顔が青くなった。
 あのジャージ姿、他に誰が……ん?
「っていうかあいつ着替えてたのか!!」
 いつ、どこで!? 突っ込みたい要素は色々あるが倒れていることに変わりはない。慌てて傍に寄った結李羽が脈を確認し、ほっとしている。
「よかった、気を失ってるだけみたい……ひゃっ!?」
 のそり。
 千理の手が動き、脈を測るためにと座った結李羽の膝に顔を摺り寄せたではないか。
 隻の顔に青筋が立つまでに、一秒もかからなかった。
「っの……エロガキ――!!」
「ふごぉぅっ!?」
 闇で作られたバスケットボールは、見事威力を逃がさず千理の腹にヒットしていた。
 
 
「ち、違うんすよ本気でっ、オレ寝相すっごい悪いだけなんすってマジ聞いて!? ボールストップもう十数発来ましたから、ガチすいません! さーせん、本っ当さーせん!!」
 平謝り、土下座、エジプト壁画のような平伏しなどなど。そんなのやられたって腹の虫が治まるわけがない。しかも結李羽は結李羽で「気にしてないよ」なんて、あまりにも甘いセリフを言っているのにも腹が立つ。
「天狗は」
「あ、あらかたこの辺のは倒したはずなんすけど……してやられたんすよ。後ろに凄い気配の奴いて、気がついたら幻術使うだけのエネルギーを全部吸い取られちゃいまして」
「じゃあその手はどうした」
 はたと、千理は捲くし立てるのを止めて示された左手を見やった。ジャージの裾、肘をすぎて少しした辺りから、ジャージがくったりと折れている。裾から手が出ているはずもない。
 結李羽があっと顔を青くした傍、ジャージをたくし上げた千理の腕は、瞬きした時には普通の手がそこに戻っている。確認した彼は苦い顔で頭を掻いているではないか。
「あー……まあ、昔やんちゃした名残? ……元からないんすよ……」
「じゃあそれも幻術か」
「そーなります、ね……」
 睨む隻に、気まずそうな千理。結李羽は口を押さえたまま顔が青い。
「……千理くん、それ……幻術で傷を塞いでただけじゃ……」
「……なんであんさんもそこまで詳しいかなぁーもう……」
 頭を抱え込む千理は本気で参っているようだ。苛立っていた隻も、心の棘を多少丸めた。
「全部話せよ。じゃないと空から落ちた分の納得つかねえからな」
「落ちたんすか、ガチで……さ、さーせん! ボールたんまマジたんまあぁあっ!? 何するんすか、歩けるっつの!!」
「嘘つけ、体力持ってねえくせに偉そうに言うな低身長!」
「えっ、ひど! 一番気にしてんのにそれ!! ……あーもうわかりましたよ……ってか、煉ちゃんと……志乃ちゃん? あの二人は?」
 抵抗を諦めた百六三センチは、結李羽へと質問を投げている。首を振る彼女の意図を察してか、隻の背中から「そうすか……」と不安げな声。意外にも感じられたが、さすがに三年間一緒にいれば、相応には彼の感情が見えるようにはなってきた。
 果たしたい目的はあるが、それと人の命どちらが大事かと言えば、こいつは間違いなく他人のほうに動く。自分の身など省みない勢いで。
 その理由の一つが、なくなった左手なのだろうか。
「三下の天狗たちが言ってたぞ。結界で作った神隠しの中で、逆に神隠しに遭うなんて、俺たちが考えてもないだろうなって」
 押し黙る千理。重い溜息を吐いた成人近い少年は、静かに手に、腕に力を籠めていた。
「――なろ……バカにすんじゃねぇよ……くそ……」
 その言葉きり、黙る千理。
 隻は結李羽と共に、早々に清水寺へと戻ることにした。
 
 
「お帰り――っ!」
「ただ――!?」
 翅の顔が見えたかいなか。声をかけようとした隻は、耳元で聞こえた殴る音にぎょっとした。
 翅が、いつの間にか隻の真隣にいて、しかも千理を殴り飛ばしている。隻が衝撃で傾いだ体のバランスをなんとか保つ間、隻は結李羽が慌てて止めに入ってくれた。上がりかまちへと千理を下ろすと、彼は殴られた頬を痛そうに押さえている。
「つぅー……今日は一段と来たー」
「お前も少しは反省しろ!」
「つ、翅くん大丈夫、千理くん反省してるからっ!」
「反省? うそうそ。俺の前でしてなきゃ反省してなーいはーい確定」
「自己完結だろそれ! とりあえずお前もちゃんと謝れよ」
 千理が少しだけ顔を上げ、翅を見やった。すぐにそっぽを向く彼に冷や汗が流れる隻。翅も目の色を普段よりもかなり警戒色に近いレベルで怒りに染め上げており、話になりそうにもないが――
「……さーせんでーした」
 地雷、着火。
「はーいもう一発ーとつにゅー」
「待った待った待った待った!! 落ち着けって俺だって殴りたい!!」
「隻くん言葉違うぅー……あ」
 走ってくる音がやけに小さい。耳の後ろに低木の葉らしい小さなそれをつけた三毛猫が、呆れたようにこちらを見やってきた。浄香じょうかではないか。
『なんだ騒々しい。め事を玄関で繰り広げるなど呆れた奴らめ。次期当主が報告を待っておるぞ。まったく将棋の最中さいちゅうにいらん水を差しおって……』
 将棋、やれるのか。唖然とする隻の隣、千理が呻きつつのよろけつつで立ち上がった。
「じゃあ、報告しますか……翅、あんさんもよかったら付き合って。その後で好きなだけ殴りゃあいいっしょ」
「いや、いい。一発殴ったらスッキリした。終わった後鉄味のオムライスぶちこむ」
「……突っ込んだら負けだよな」
「うん負けるよね。……食べたくないなぁそのオムライス……」
 同感だ。隻は苦い顔で靴を脱ぎ、並べた。
 この前は鉄製なのに味は確かな料理だったのに。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/07


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