「あんた、なんなんだよ」
「あ、そうだそれ。忘れて。じゃないと忘れさせないといけないんで」
「はあ?」
突然の横暴な要望に、隻は思いっきり顔をしかめた。少年は困ったような顔だ。
「いやだから、忘れてくれませんかねって。マンガ風に言うと危険なんで」
「俺が?」
「ううん、オレの首が」
「知るかよ!」
小さな声で切り返し、
「おおー
「そんなのもう知ってるよ……心臓発作起こした運転手の車が、俺らのほうに真っ直ぐ突っ込んで――」
ちょっと待った。
奇妙な感覚を今さら思い出し、隻は閉口した。
相手の車がスピードを上げながら突っ込んできたのは、結李羽が集中治療室にいる間に来た警察から聞いた。電柱と、その近くにいた結李羽には、サイドミラーと車の左側を
その彼女に電柱より奥に押しやられた隻は、ギリギリ当たらずに済んだのだけれど――
「……なあ、あんたが乗ってたあれ、マジもんか?」
「いやだから忘れてって。首突っ込まれたらこっちの首が飛ぶんすよ。クビっすよ、クビ。職なくしちゃうの」
何度も自分の首が切れる動作を手で示さなくても意味はわかる。隻は青い顔のまま無視した。
「兎も?」
「げっ、
「最近の交通事故、あんなののせいだったりするのか?」
はたと、少年はげんなり顔で愚痴を吐くのをやめた。隻は目を見開く。
黒髪の少年は、あまりにも真剣にこちらを見てきているのだ。
「――なぁるほど。あんさんはあれを視て、信じられるんすね」
「ってか……あんた、今この窓から入ってきただろ。
「そうっすよねー信じれるわなそりゃ!
「――いいっすよ。見た感じ、お二人さんは巻き込まれたんでしょ。今回だけ協力しましょう。あんさん、スポーツとか武道とかの経験は?」
「バスケのレギュラーやるぐらいにはやってたけど……な、なんだよこの身長でもできるんだよっ」
「誰もそこまで言ってないっしょ。バスケねぇ……あそこ?
頷けば、相手は嬉しそうだ。「いいねえ青春」なんて言われ、顔をしかめる隻。
こんな時に言われても、複雑だ。
「ま、オレができるのは、あの事故が本当にあれのせいなのか、ただの心臓発作なのかを調べるだけです。あれのせいなら昼の連中に嫌味言えるし、ただの心臓発作なら、悪いけどお気の毒って話でしか終わらせらんないんで。あんさんみたいに巻き込まれる人は世の中
黒い、鋭い目。
散々バカみたいに騒いでいた少年は、顔の半分を闇に沈めて、射抜くような瞳でこちらを見据えてきた。
一瞬だけ怯んだ自分が、悔しい。
「一応自己紹介だけはしときます。記憶飛ばすかどうかは後ですし。
「……隻だよ。沙谷見隻」
悔しいけれど、巻き込まれただけで終わりたくない。
手を出され、一応握手はして。隻は一度だけ、
巻き込まれたなら
巻き込んだ奴に、償わせる
「また夜に来ます」
「ありがとう。目を覚ましたら連絡するから、隻くんもゆっくり休んで」
なんとか笑みを作り、頭を下げた。病院の敷地を出た隻が塀の向こうに消えるまで、結李羽の両親が見送ってくれたことが、ただただつらい。
「お前のせいで」と攻め立てられるほうが、まだ楽なのに。
これじゃまるで、俺の
黒い感情を振り払う。知りたいと決めたのも、願ったのも自分だ。――結李羽が目を覚ますまでに犯人を見つけたい。
待ち合わせの交差点まで来た。欠伸をしつつ目の前のコンビニで立ち読みをしている、黒髪黒目の少年を見つけ、隻は呆れ顔になった。
どう見ても、昨日の鋭さは欠片もない。部屋着と言われるほうが納得できるジャージ姿は、夜手前の色のように暗い青。コンビニの中に入り、昨日の羽織のようなものが見当たらない少年の隣に立つのには、少々勇気がいる思いだ。
青年コーナーのギリギリに立っていてくれたおかげで。
「あんた何歳だよ、本当」
「おはよさんでーす。待ちくたびれましたよ本当。あーねみ」
「聞けよ人の話っ。聞かないなら移動しろ!」
「いいじゃないすか、青少年の憧れ一歩手前っていう親切な位置にいたんすから。あ、そうそう、今週の
「……どこが親切……俺さっき、彼女の親御さんと会ってきたばかりなんだけど」
「うん知ってますよ――あだっ!? 殴らないで出来心! あ、そうだ」
差し出されたのはビニール袋だ。思わず流れで受け取り、ぽかんとする。
「あ、ありが――」
「ゴミ捨てよろっす。いだっ!? やめっ、やめて
腹が立ちつつも中を確かめる。
……チーズバーガーの空袋、明太子おにぎりの
大学生の腹が足りるはずもなく、隻はサンドイッチを追加で買っていた。
「隻さんって
「どういう意味だよ……そっちはハーフ? 日本人に見えたけど」
「ひいひいひいじいさんが外人なんすよ」と千理は答える。あちらも腹持ちしなかったのか、値段の割に見た目が大きいパンを購入して頬張っている。
隻は一瞬足が止まりかけた。
……ひいひいひいじいさんって、何世代前だ。五世代……?
「父親方が外人入ってたもんすから、ずっと苗字とミドルネームはこんな感じっすよ」
「ふうん……ん? ミドルネームって親の名前とかが入ることが多いんじゃないのか?」
「時と場合っすね。オレんところは、ミドルネームは血筋で固定されてるんですよ。見分けが楽なんで――っと、だからこれ以上喋れないんですってもー忘れて!」
カステラ風味の生地のパンを突き出されて受け取った。……朝から結構に甘いものを平らげる少年千理に呆れがちになる。
「ぺらぺら喋ってるのそっち……おい、真島の交差点はこっちだろ」
真っ直ぐ行けば着くはずなのに、千理はわざわざ違う道を選んでいる。肩を竦める姿は、確かに外人らしい仕草に見えなくはない。けれど右手に乗った、ボリュームのあるパンとジャージ姿は正直いただけなかった。
「交差点見たって話にはなりませんって。原因を調べるなら、見るべきは原点っすよ」
いただけないのに、的を射た言葉。渋々従おうとして、隻は立ち止まった。
「……なあ、やっぱり……事故のあった場所……行っていいか?」
「忘れもんすか? その顔で行って倒れられたら洒落になりませんよ」
言われて戸惑う隻。カーブミラーを指差され、見上げた彼は顔が固まった。
真っ青だ。寝不足なんて言葉で表せない。血の気が引いて、それこそ死人のような顔にさえ見える。
「けど」
「言っときますけど、一秒でも惜しいのはオレじゃなくて隻さんだってこと、忘れないでくださいよ。オレにとってあいつらは確保しなきゃいけない奴らですけど、逃げられたって困らないんすから」
……情が薄い奴。
心の中で毒づいて、隻は千理を睨みつけた。
悔しいけれど相手が正しい。小説でも漫画でもそうだ。犯人は証拠を残しているなら、消しに来ることが多い。痕跡だって残されているかどうか。
「隻さんは見てないんすよね。変な生き物とか、影とか」
「そりゃあ……それどころじゃなかったし。……あいつからもらったもの、落としたことだって気づいてなかったのに……見れるわけないだろ」
「……落とした? ――彼女さんからのプレゼント? 何やってんですか」
冷めた声に隻はかっとなりかけて、なんとか抑えた。
「寄り道はなるべくしたくないんすけどね。三分で妥協します」
「……お前、情薄いのか濃いのかわかんないな」
「ははっ。自分に正直なだけっすよ」
笑う千理。腹の虫は治まりそうになく、隻は真っ直ぐ交差点へと突き進んだ。
信号機の見えない交差点が見えてくる。無意識に歯を食いしばってしまう。
あの角を曲がらなかったら、あの時プレゼントを開いていたら。
あの車が来ると知っていれば――
古びた、シャッターが閉まったままの駄菓子屋跡。都心部よりやや郊外じみた雰囲気を見せる古い商店の軒並み。寂れた雰囲気のさらに向こう、昔馴染みのように風景と一体化した民家のコンクリート塀を見つけ、隻は思わず立ち止まった。
交差点の左奥の塀が著しく崩れ落ちている。後片付けはされたようで、破片はほとんど見当たらなかった。代わりに青いレジャーシートと、頼りない木の柱で塀の欠けた場所を補っている。右奥の塀は損害が少ないのだろうか。角を持っていかれただけらしく、レジャーシートが覆う範囲は少ない。電柱は途中から傾き、道路に微かに残る、広い範囲に零れた赤黒い跡を見て背筋が粟立った。
「だから言ったっしょ。翌日に来るなんて、普通は体より精神が持ちませんよ。その様子じゃあ、三分どころか今からでも退かないと、っていうふうに見えますけどね――あ、ねえちょっと聞いてるんすか!?」