鳥の鳴き声が響き渡る。
当然だ。
切ない音でノックが響き渡った。
「せ、隻さん……さーせん開けて?」
「用件言えよ先に」
「なんでそこまで拒絶されなきゃいけないんすか突撃インタビューもんっすよ!! ひっでーちょーひでー!」
散々に大声で喚かれるも総じて無視だ。襖をガンガンと叩いたり開けようとしたりする音が響く。挙げ句「アイラブ結李羽」だの「開け結李羽」だの、珍回答で襖を開けにかかる千理に、隻は呆れた。
隻は欠伸も交えて服を着替えると、ぽつりと言い放った。
「バカ千理」
「ぎゃあああああああっ!?」
スパァンッ。
勢いよく開いた襖のおかげで、ごろごろと廊下を転がっていく人間タイヤの影が見えた気がした。
半眼で廊下へと顔を出す隻は、廊下で顔を押さえて蹲っている千理へと白い目を向ける。
「で、用何」
「……ひでぇ……そりゃないっしょ……後頭部超強打……!」
「誰のせいで鍵かける羽目になったかわかってねえだろお前」
言わずもがなだというのに、言わなければわからない奴というのはどこにでもいるものである。のそのそと四つん這いで震えながら戻ってきた千理は、ルーズリーフの切れ端を見せてきた。覗き込んだ隻ははっとする。
「
伏見稲荷神社の千本鳥居に
そこも元々はスヴェーン家の
ただ、その周辺で一般の観光客が何人もいなくなってるって報告が上がってる。調べるなら、気をつけて行けよ
今翅たちは別件で東京へと出向いているそうだ。昨日
伏見稲荷神社に向かう電車の中。同行してくれた結李羽と千理は、現地の伝承などをネット検索にかけているようだ。
「へぇー、結構面白いっすね、伝承。地元十六年やってっけど全然知らねーことばっか……あ、地図これっすね」
「ありがとう。回るルートが色々あるんだね。どこから行く?」
画面を見せてもらい、近い地名から考えてみる。けれどあっさりと、千理が画面を閉じにかかったではないか。
「神様
「……お前、信仰心あったのか……?」
「そりゃ、仕事する前は基本的に土地神祭ってる神社に足運んでますよ。
公共交通機関を降りる。改札口を抜ける。
千理曰わく、土地神や大神ですらも、幻術の血族が想像するより以前から、幻術とは違う形で存在しているそうだ。ただ、今では幻生生物と同じように、幻術と同じエネルギー体で体を構成されているという。幻術を使える者たちや世間での信憑性も相まって、そう変わっていったそうだ。
改めて伏見稲荷神社を見上げる。表参道から見上げる楼門の造りに圧倒され、奥に続く道へと足を踏み入れる。重軽石でよく、小学校の頃の友人と願いが叶うか試していたという罰当たり気味な話を千理から聞き、隻は苦い顔になった。
「祟られそうだな、お前のせいで」
「それはないっしょ。あ、そうだ。新池回っていきます? あとオレもお守り買って行くんでちょっと待っててください」
新池?
隻が尋ねる前に、お守りを販売しているのだろう建物へと走っていく千理。古びたお守りも奉納してもらい、あっさり帰ってきた彼はさすがのジャージ姿で周囲の目を引いている。三年前に彼が訴えていた「学生に紛れる効果」は、微塵も発揮されていないようだ。
「よっし、新池行きましょっか」
「だからそれ今回と関係」
「あるんですってだから。それに直行するより
意味がわからない。本人の言う気がないなら開くだけ体力を浪費するだけだろう。結李羽が携帯で新池とやらを検索していたようだが、隻はその画面を閉じさせた。今度こそ迷子にならないよう固まって行動したい。
「結構上がるまで大変ですけど、池綺麗なんで観光しましょっか」
「……観光する場合でもないだろ……」
参道の分かれ道では朱い鳥居をいくつも見かけた。ほとんど
広い湖面だ。下の八島ヶ池ほどの面積はなくとも、小さな学校の校庭ほどは悠にあるだろう。紅葉の時期であれば湖面が美しく彩られていただろう風景に、若葉でも十分堪能している結李羽は笑顔を見せている。
千理が周辺に人がいないのを確認し、勢いよく手を二回ほど打ち鳴らした。
「何してるんだよ、近所迷惑だろ。音反響するし――」
「しっ。――あー、隻さんタイミングよく声被せすぎっすよ。もう一回反応してもらえるかな……おっ」
パンッ……パン……
弱く響いてきた音。ここから麓方面――西側からだ。千理が嬉しそうな顔をしているけれど、隻は怪訝な顔のまま。
変だ。反響するにしても、普通山から返ってこないか……?
「響基に貸し一つ、と。それじゃ行きましょっか」
「は? あいつから聞いた聞いたのか?」
「そーいうことっすね。こっちこっち」
あっさり歩いていく少年は、足取りが弾んでいない。もう一度立ち止まり、また二回、手を打ち鳴らしてみせた。
今度は違う場所から――それも、ずっと遠くから、か細く響いてきた。
「――そっか……っし、じゃあ探しますか。翅たちが言ってた通り、要人は千本鳥居にいそうっすね」
「まさかまた神隠し系か……?」
「他に隠せないでしょさすがに」
……そういうものだろうか。なんだか清水寺の一件来、どうにも神隠しにしか縁がない気がする。
「神隠しをわざと避けてたら探しづらいですし、一旦あっちの手に乗りましょう。互いに離れないよう気をつけてくださいよ。ってわけでお守り貸して。結李羽さん、
「うん、大丈夫。少しの間持っててね」
うぃーっす。
千理の気の抜けた相槌と、結李羽の呪術を紡ぐ声。周辺をぼんやりと見回して、なんとなく溜息が出た。
小学生頃の男の子がなんで、まだ学校の時間だというのに外を出歩いている。鳥居を潜る人々の中には、どう見ても場違いな恰好をしてきている若者も目立つ。
「最近なぁ、集団自殺か何かで、人がごっそり消えてるんやて」
「はぁ、そないなことここでやってほしないわぁ。あれと違う? 今妖怪ブームなんやろ? 脅かしにかかっとるんと違うの?」
随分と浮いた、チャラけたカップルたちの会話が聞こえてくる。軽く視線をそちらに移すと、隻に気づいた男が怯えて、恋人を連れそそくさと立ち去っていった。
――無理もないか。隻は中学時代荒んでいた側だ。群れることを選ばなかった分、まだ視線がきつくても当たり前だろう。
結李羽からお守りを手渡され、礼を言いつつ受け取る。不思議そうに見上げられ、ぺしりとお守りで軽く叩いた。
「なんだよ」
「ううん。最近元気ないなぁって思って」
言葉に詰まり、そっぽを向いた。今度は結李羽の頭を手で優しく叩いて、千理を示す。
「あいつ置いてく気満々だぞ」
「あっ、ホントだ。千理くん、ちょっと待って! あ、隻くん。このお守りね、誰かとはぐれたときに、その人の顔を思い描きながら歩くと、自然とその人のいる場所に向かえるよ。今はあたしと千理くんしか
「へぇ……そんな呪術もあるんだな。ありがとな」
「うん。もう呼び出しは恥ずかしいもんね」
「だな。今度は千理だろ。次やられても絶対出ねえ」
おかしそうに笑う結李羽は、げんなり顔で待っている千理へと歩いていく。一息ついて隻も後を追い、結李羽の勘の鋭さにほんの少しだけ笑った。
やっぱり見抜かれるよな……。
気づかないうちに本心が顔に出ていたのだろう。千理も最近からかいが減ったようにも見える。休暇中だからと、遠慮しているならいらない気を遣わせていると気づかせてやりたいと、少しだけ思えた。
改めて千本鳥居に到着し、言葉を失った。
「すげ……下り側から来たほうがよかっただろ、これ」
鳥居の影に重なるようにまた鳥居が。延々と続く鳥居の真下で、時折日の光を浴びる道はまさに和の幻想だ。
観光客らも多くは下り方面から上ってくるのだろう。上りから降りる人は少なく、千理が
「二手に分かれてるけど、片方でいいのか?」
「いいと思いますよ。ってより、どう分けるんすか? 隻さんオレがいなかったら
ぐうの音も出ない隻に、結李羽がくすくすと笑っていた。
何本もの鳥居を潜りつつ、人とすれ違う回数も比較的減ってきた。神隠しが発生しているなら人とはめっきり遭わなくなるはずだと注意していたが、虚しいことにあっさり下り側入り口に戻ってきてしまう。隻だけでなく、結李羽も苦い顔。
「気づかれて閉じられちゃったかなぁ……」
「普通に行っても避けられてるんじゃあねぇ……っし、じゃああれやってみましょっか。隻さん、肩車よろっす」
「は? いいけど……おいちょっと待てよ、お前何やる気だ?」
なんとなくだけれど、今こいつの提案に乗るのはまずい気がした。千理はにっと笑う。
「鳥居の上から見てきま――あだっ!? ちょっ、なんで殴るんすか!」
「当たり前だろ、ガキでもわかるよ罰当たりだって! お前の信仰心訳わかんねえな!」
「ひっでー! そんな言い方ないっしょ、そりゃ神に仏陀にソロモン阿修羅は信じてますけど、音の方角的にこっちで間違いないんすよ!」
「なんだよ音って」
「新池の伝承を借りたんすよ。探し人を見つけるために手を鳴らせば、音が返ってくる方角にいるって。千本鳥居のどこかなのはわかったんすけど、ご丁寧に鳥居を潜れば入り口開けてくれるってのも考えづらいでしょ、一応試しましたけど」
「先にそれ言え!!」
「ふふっ、随分と
軽やかな声。結李羽があっと振り返り、目を丸くしているではないか。
紅色の番傘を日傘代わりに、落ち着いたすみれ色の着物。緋色の羽織が一際目を引き、ゆるく束ねられ下ろされている白髪は、白というだけではない輝きすら見える。
妖艶な光を放つ蒼色の目は艶のある蛇のようで、すっと結李羽を見下ろして微笑んでいる。
「久し振りだね、
「
「知り合いか……?」
ハスキーな声の女性は、隻を見るなり納得したように口に孤を描いている。
「レーデン家に養子に行ったのは君らしいね。なるほど。結李羽が
ってこっちも知り合いか!
慌てて振り返り、隻は目を丸くした。千理がすっと頭を下げているではないか。
「お久しぶりです師匠。どうしてこちらに?」
「え……し……へ?」
「ははっ。いやあ。もう君の師事は降りただろう。隻くんには自己紹介がいるね。永咲
ぎょっとして見上げる。やんわりとした落ち着いた物腰の女性は隻より背が高く、正直肉弾戦を主にする千理の元師匠とは思いづらい。
しかも千理も千理で様子がおかしいし、結李羽も照れたように女性を見上げている。
「驚いちゃいました。永咲さん、本州各地を巡ってるかと思ってました」
「さすがにそれは、老体には応えるなぁ。ここ最近は面白い事件も少なくてね。私が動く必要はないと手を止められているんだ。今日はただの観光のつもりだったけれど、面白いものが見れそうだったのでね」
その面白いものとはつまり、自分たちが追っているものだろうか。苦い顔で千理を見やった隻は、助けの手を差し伸べる気がないのだろう彼から、その師匠へと目を向ける。
「あの……清水の件はご存知なんですか」
「スヴェーン一族を狙った件だね。もちろん耳に挟んだよ。どうやら、今回動いている者は面白いことをやっているようだね。君もよく上手く利用されたものだ」
「
普段の
「あの……永咲様。今回は介入されるんですか?」
「いや、やめておこう。この体ではね。老体が鞭打っても動ける範囲は限られる」
千理の表情が微かに崩れた。
口がひん曲がりそうになるのを、無理やり真一文字にしたような顔だった。
「
面白い、だって?
隻は顔色を変えかけた。ところが、永咲の笑みがこちらに向いて、一瞬にして
「さて、三人に一つアドバイスをしよう」
細長く白い指が、すっと隻へと向けられた。驚きのあまり射竦められ、戸惑ってその指を見る。千理まで目を見開いているのか、息を呑むような声が聞こえた。
「今のレーデンの一番の弱点は君だ。心得ておきなさい」
――なんて?
今、なんて言った?
「相手は巧妙に
「師匠――!」
「とまあ、説教臭いことはともかくとしてだ。行ってきなさい。ああ、そう。鳥居の上を探しても、鳥が空を切るだけだろう。探すなら
「――心得ました」
苛立ちを見せた千理を、容易く丸めるように言葉を被せ、女性は去っていく。
隻の背中に、不安が猫のぶら下がりのように爪を食い込ませてくる。指先がかじかむように震えて、女性が去っていったその道を見つめることしかできない。
「どういう意味だ、あれ……」
「あの人、気まぐれが多いんすよ。余計な水しか差しに来ませんし」
苛立ち気味の声。けれど隻はなぜか、ほっと一息つけた。
やはり千理は、どれだけむかついてもこの口調のほうがしっくり来た。