狭間。その言葉を信じて、鳥居と鳥居の間を入念に探すも、まるで収穫がない。
時間が経つにつれて、千理はあの永咲という女性への苛立ちを増していた。いつもの口調に戻った千理に一度はほっとした隻だが、こうもずっと苛立たれると疲れてしまう。
げっそりとして空を振り仰いでも、見えるのは朱色の柱ばかり。空は線路のように切り取られているだけ。鳥居の上部中央に掲げられた
疲れを隠せず、行きがけに買った炭酸ジュースを飲みつつ。ぎょっとして口を離して鳥居の上部を見上げた。
霧がかった空が、なんであそこに映る?
凝視してみれば、額束の一つだけが、鏡のように光を反射している。その両脇、額束を上下から挟んでいる柱の間の空洞に、何かが掠めて見えた気がした。
「――結李羽、おい、ユリ!」
「え? どうしたの――! せ、千理くん!」
指し示した場所を見上げた結李羽が目を見開いている。千理もやってきて、鳴らしもできない口笛を不器用に響かせた。
「狭間ってあれかい! お手柄っすね、隻さん」
「そりゃどうも。あれ、どうやって入るんだ?」
『きゃははっ、見つかっちゃった!』
額束から布がひらりと舞い出てくる。
白の着物の少女が、石畳の上へと軽やかに下駄を鳴らして下り立った。真っ白な髪と目で、
「まさ……雪女!?」
『あら、正体ばらす前に言われるなんてつまんなぁーい。でも――ん、お兄さん結構タイプかも。
「断る!!」
『まっ、全部言う前にざっくり!? お友達は悲鳴上げて凍りついてくれたのに! んもうっ、顔がいいからって調子に乗らないで! ――あなたたちも氷漬けにしてあげる。お友達と一緒に眠りながら呪力だけ吐き出しなさいな!』
バタバタと白い裾がはためくのも構わず、拳を振り回す少女。幻生と思いづらい人型に苦い顔になっていた隻ははっとした。隣で千理が歯を食いしばる。
「スヴェーンの術師のことかい……! 隻さん、今回ばかりは情に流されないで下さいよ」
「わかってる! ……は? ユリ?」
結李羽がむっとした表情で隻の腕にしがみついてきたではないか。目を白黒させる隻だが、頬まで腕に寄せてくる恋人に思考が吹っ飛ぶ。
「人の恋人を誘惑するなんて、最っ低」
『あなたみたいなお子ちゃまを選ぶ男なら、もっと興味ないわよっ』
つんとそっぽを向く少女に、結李羽の何かがぴくりと動いたようだ。隻は必死で視線を二人から外した。
既に全身が凍りついている気分だった。
「お子ちゃまはそっちでしょ……」
「あ、あの結李羽さん……さーせん続けてください! ヘルプいる!?」
「いらない!!」
「うぃ、うぃっす了解!!」
『フンッ、人間
「万象真理の具現、ここに!」
光の陣が、結李羽の真下から大きく広がった。ぎょっとする一同も気にせず、結李羽の周囲に火の玉がいくつも浮かび上がった。
どこからともなく黒の石と青の勾玉を連ねた数珠が、彼女の手に納まる。太陽の光が、木々の向こうから集い始める。
「火の精よりお借りする 光の精にお頼み申す 悪しきを罰せよ 舞い踊れ
『させな――あつっ!』
燃え上がる着物に悲鳴を上げ、必死で火を消しにかかる雪女へと、円陣を描いた火の玉たちが
悲鳴と共に溶け去った雪女の跡だろう。鳥居から雫がぴちゃぴちゃと落ちる。おかげで鳥居は焦げることもなかったようだが、隻は隣を見るなんて恐れ多くて叶わない。
「よし、行こ?」
「は、はい……つ、つえぇ……」
「……いきなり全力で見舞うなよ、ばか……」
肩で息をする結李羽に、隻はただ頭を抱えた。
千理に
『しかし妙な。鳥居の中に神隠しの世界を創るなど――』
「……だな。おい千理、結李羽落とすなよ」
「なんでそんな信用ないんすか。まあ大丈夫っしょ。結李羽さん、しっかり捕まっててくださいよー」
信用なくて当然だ。むしろお前が落ちろとまで言いたい。
結李羽が苦笑して馬の体を撫でてきて、隻はむっとする。雷駆が溜息をついた。
『我を挟んで恋に焦れるな。そもそも千理はその辺は疎い。心配はいらぬ』
「ひっでー! っと、なんか来そうっすね――おっ!?」
黒馬が
虚ろな瞳。頬がこけ、やつれた巫女装束の少女。
焦点の合っていない目を見て、千理にしがみついていた結李羽が息を呑んだ。
「
「……まな……姉ちゃん……まも……」
「ちょいちょいちょい……嘘っしょ……! 雷駆、頼みます!」
『言われずとも』
「うおっ!?」
千理がしっかりと首に抱きついてきた。結李羽も身を屈めるように千理に捕まっている。
雷駆が空を駆け上がり、素早く鳥居の柱と柱の間の空間へと飛び込んだ。
入る隙間もないはずなのに、何が起こったのだろう。鳥居と鳥居の間の空間が大きく広がったような――
飛び込んだ先、鳥居がいくつも囲む大きな
鳥居と、奥に寺。響き渡る鐘を突く音。周辺に満ちるこれは――
これは、なんだ?
『来るぞ。千理、下は任せる』
「了解! ――げっ!?」
またも衝撃波。
パンッ
「千理! ――結李羽!?」
「大丈夫っす、隻さんは自分に集中してください!」
「招かざるは悪しき心
辺りの空気が大きくかき混ぜられ、一瞬静電気が
霧が晴れた。眼下では刀を打ち合わせる音が響く。
「っち。
『我々も動くぞ。伏兵を抜け本陣を叩く』
「――ああ」
できるだろうか――いや、やり
寺を見据え、馬が高く立ち上がり、嘶いた。雷がいくつも下に落ち、隻には見えていなかった妖怪たちを貫いていく。
「頼む!」
『いい覚悟を秘めた。参る』
駆ける。稲光が足跡のように眼下へと放たれる。
寺院の入り口を固める姿に、隻はぎょっとした。
「なっ――」
「
雷駆と隻を囲むように、光の網が形成された。驚愕が抜けないも、はっとして意識を足元の雲に集中させる。
「じょ――ぅっ」
「あっ、あ、当たった!?」
『自ら外しておいてそれを言うか!』
ギリギリで、相手の服を焦がした程度で済んだようだ。ほっと一息つきかけると同時、背中に凄まじい衝撃が走る。
息が詰まり、地上に叩きつけられた。息を吐き出し、少女の姿を捉えて避けに走る。
石畳が、壊れた。
「……おい、どうしたんだよ、
『記憶操作されているな。恐らくだが――隻よ、術者はこの世界におらぬ』
「いやそんな
志乃を迎え撃とうと、姿勢低く突撃する雷駆を無理やり寺院に向けた。今度は煉目がけて突きに向かおうとする黒馬をがむしゃらに寺院の中に突っ込ませる。雷駆の苛立った思考に身が縮こまるも、隻は謝罪を口にできなかった。
扉が勢いよく開いた。暗い視野の中、目を慣らして奥を見た隻はぞっとした。
死んでる。
沢山の術師の
皮膚が引きつり、深くしわが刻まれ、干からびてミイラのようだ。延々と、途切れることのない声を吐き出し、虚ろな白目が中空に剥き出されている。
最奥に設置された仏像。円陣を見守るように立ち並ぶ術師たち。足元に広がる白いチョークで描かれた円陣は、意味がわからずともただただ不気味だ。
異様な光景に目を奪われるばかりの隻を無視して雷駆が嘶き、床を力強く踏み抜いた。
足元にあった部屋一杯に広がる陣がかき消える。屍たちがばたばたと崩れ落ちていく。
「……ど、どうなって……」
『何かを召喚しようとしていたのだろうな。結界術師の多くは精神力に恵まれる。これだけの人数なら下級の魔神の召喚も
冗談じゃない。まるで餌を投げ与えるみたいに、人の命を――
まな……姉ちゃん……まも……
はっと、隻は目を見開いた。
「雷駆、真美って人探すぞ!」
『承知』
『人探しならおいらも手伝うよー』
シマリスが足元から駆け上ってきた。目を見張る隻は、頭の上に乗る小さな姿に心が躍る。
「
『
『真美・D・スヴェーン。照合者はいるか』
ちょっと待ってねと、リスが顔洗いをしている。周囲を忙しなく見回し、小さく鳴き声を漏らした。
『きっといるよー。センちゃん会ったことないみたいだけど、皆生きてるねー』
「皆って――この人たちも?」
『うん、まだ生きてるよー。早く神隠しの世界から出られれば、皆大丈夫だよー。きっとねー、そこの人だねぇ。志乃って子に似てると思う人ー』
部屋の中央を示される。先ほど壊した陣の真ん中で倒れている女性を見、隻は雷駆に頼んで憑依を解いた。
想耀が言い当てた通り、志乃に似た女性を素早く抱き上げ、雷駆の背中に乗せた。呻き声が聞こえてはっとする。
「大丈夫か!?」
「――志乃……は……」
「まだ操られてる。今助けるから休んでろ――なっ」
掠れた呪術を紡ぐ女性の声。彼女の手や顔の血管が、おぞましいほどに浮き上がった。
あまりにも重たい音が、どこかに落ちる。世界が疲れたような吐息を漏らし、白く染まり上がった。言葉を失った隻の目の前、女性がふっと微笑んでいる。
「神、隠しの……核は、壊した……」
「核……?」
「……私たち……ですよ」
私たち? どういう意味だ?
かけようとした言葉が、一瞬で膝の力と共に崩れていく。眩暈にも似た錯覚の中、隻は手が震える。女性の肩を掴んで揺する。
「な――何したんだよ……! それ、体大丈夫じゃねえんだろ!?」
優しく細まった目は、もう隻を見上げてはくれない。
焦点の定まらない目が、遠くを見ているようで、隻はかける言葉が出なくなった。
「後は……頼みます……志乃を……おねが……」
「――っ、お、おい!」
だらりと下がった手も、顔も。血の気が完全に引いている。雷駆が嘶き、リスが隻の肩に乗ってくる。
『まずいものが来るよぉ。天狗じゃないね』
訳がわからない。もう何がどうなってるのか、何も。
なのに、これ以上何をどう引っ掻き回しに――
仏像が割れた。
観音扉のように、ゆっくり左右に倒れる。仏像の向こうから、小さな少年が笑んで立っている。
――あーあ。失敗か
声――が、ない。
けれど確かに言葉がわかる。聞こえる。
目を逸らせず、隻は想耀が肩の上で爪を立て、毛を逆立てているのがわかった。
少年は楽しそうに笑うと、手を振ってきた。
またね
次に会うのは、君が君じゃなくなった時かな