「だから他に説明しようがないっつってんでしょうよ! 老いぼれだから耳の通りも悪いんすかこのスポンジ脳のつるっぱげ!!」
「千理!」
鋭い怒りの声と、馬の嘶く声が響く。少年が呻き、それでも食ってかかる声が聞こえてきた。
体が、痛い。
床は冷たいし、寒い。枕だけは温かいけれど……弾力あるような……
うっすら目を開け、見上げると同時に結李羽の顔が見えた。真下から見上げて、ぎょっとして体を起こそうとしてバランスを崩し、背中も後頭部も強打する。
「だっ!」
「あ、あれ!? 無茶しちゃだめだよ!」
「隻さん! 邪魔すんな雷駆!!」
一瞬にして凄まじく低くなった声の主まで走ってきた。目の前で急ブレーキをかけ、肩で息をしているジャージ姿の少年を見上げ、目を丸くする。
「どうし……っつぅ……」
「どうしたもこうしたもないでしょうよ、なんでヘルプ出さないんすか!!」
「――は?」
意味がわからない。言葉に詰まっていれば、雷駆と想耀が近づいてきた。
『我と想耀で千理らに知らせ、お前を運び出した。術者たちはレーデン家に伝達し、神隠しが崩れてもなお生き残っていた術者らを救助させた』
「……助かったのか……?」
助かった……?
助かったって、何から? 生き残っていたって、まるで死んだ人もいるみたいに――
後は……頼みます……志乃を……おねが……
「――!
「真美さん? 真美さんって……どうして知ってるの?」
「どうしてって、そりゃ――」
口を開きかけ、視界の片隅に映った白い手を見て固まった。
血の気が完全に引いた、幽霊のような女性の手。その奥に見える巫女装束の少女は、すがるように女性の胸元にしがみついて震えていた。
言葉が、出なかった。
視界をさえぎるように、男の足がやってきて、しゃがんでくる。
「体は動かせそうか?」
頷くので、精いっぱいだった。無理やり体を起こすと、結李羽がそっと支えてくれた。
「……どうなったん、ですか」
千理が雷駆を還し、想耀と共にしゃがんでくる。
「真美さんが、あの神隠しの世界の核にされてたんすよ。あと――記憶操作による催眠の核にもね……」
一瞬ためらうような様子を見せた千理が、ちらりと志乃を振り返り、隻を見据えてきた。
「雷駆が踏み抜いたっていう円陣は――真美さんたち術者を生かすための陣でもあったみたいです。……彼女が死ななきゃ、全員生きて帰れないっていう仕組みだったんすよ」
体の力が一気に抜ける。
「……自分で……トドメ、刺したってのか……?」
自分の命を。わかっていて。
そんなの……そんなのって……。
「……他にも陣の役割はありました。ほかの場所に、術者たちの生命力を流しにかかってたのは、想耀が教えてくれました」
どう転んでも、助けられなかったということか?
あの時点で既に、間に合わなかったのか?
「陣を壊して、神隠しも壊れて、隠しながら力を送ってた先の存在が一度、あの世界に出てきたらしいっすね……一応人の姿はとってた……って、報告、もらってます……」
言い淀む千理の肩の上で、想耀が彼の頬を擦っている。多生が隻の頭をそっと撫でてきた。
「気を落とすなとは言わない。だが、そうしなければ次のものが出てきていた可能性も否定できん。後はゆっくり、部屋で休むといい」
「……すみません……だっ」
「し、志乃ちゃん!?」
「なんで謝んねん……」
拳を震わせている少女が、そこにいた。耐え切れず石畳に体を打ちつけた隻は、結李羽に助け起こされた。
戸惑いを顔に出すまでに、長い時間がかかったようにも感じる。
「あんたらがおらんかったら……あたしら……今頃、屍にされてたんや」
がっくりと膝を突いた少女に、胸倉を掴まれた。震える手で、揺さぶられる。
「なんで胸張らへんねん……」
弱く。弱く――強く、痛く。激しく。
「真美姉ちゃんはそないな顔っ、お兄さんにさせるために命捨てたんと違う! 足手纏いみたいな顔せんでぇ……っ!」
悲痛な声。力強く叩きつけられていた拳の力が、どんどんと弱まって、濡れて、髪に隠れて見えなくなった。
震える少女の手が、ただただ冷たかった。
冷え切った体を震わせながら、ただただ泣き続けていた。
「……真美さん、スヴェーン家の跡取り候補だったんだって」
「やっぱりそうなんすか。養子から跡取り候補まで上り詰めるって相当っすよ……隻さんほい、もみじ饅頭」
「……ああ……」
真美は、志乃の実の姉だったそうだ。
仲のいい姉妹を切り離してしまったのも、やはり幻術の能力だった。
偶然能力が発現した真美に対し、志乃はどれだけ頑張っても霊視能力の開花が限界。それでも姉の力になろうと、煉と連身のパートナーを組んだのだという。
力になろうとしたのに、最初に狙われたのは、術者の煉だった。
パートナーを封じられた以上、志乃も戦えない。捕らえられた挙句、柱人として中央で結界を維持し続けていた姉の目の前に突き出された。
後は千理たちから聞かずとも、想像できた。
隻たちと戦ったことはおぼろげながら覚えていたという。記憶操作による感情の麻痺で、反射的に戦っていたようなものらしい。
姉を守ろうとする気持ちを、敵に利用されて。
もみじ饅頭と言いつつ、渡されたのはたこ焼きだった。反応するのもどうでもよくなるほど、隻も千理も、結李羽も黙り込んでいた。
がらりと襖を開けて入ってきた三毛猫が、本気で入るのを躊躇うほどに。
『な、なんだ。通夜明けだというのにまだ通夜な空気とは……しっかりしないか、いづらいだろう私が!』
千理の激しく苛立った舌打ちが入る。三毛猫はフンと鼻を鳴らしていた。
「黙ってくんないっすかねーエセ化け猫」
『ほう、そう言うか。だが現実、暗いままで事の核心者と渡り合えると思うなよ。今からでも鍛錬に行くべきというものだ』
「……そうだな。そうするか」
「え、ちょ隻さんはダメっしょ! あんさんは療養!」
ふらつく体を立たせ、出口へ向かおうとすれば千理に止められる。途端にバランスを崩し、無理やり座らせられた。
「いくらなんでもそんだけ消耗してるんすよ、以前の問題でしょ! 気失うまで無茶してたんじゃないすかあんさんは!」
「だから、そんなに無茶した覚えないって言ってるだろ。お前じゃないんだから」
「ひっでー! こっちは心配してるんにもー!」
ブーイングを受けたが反応もしたくない。結李羽がしゃがんできて、手を握られた。
「千理くんの言うとおりだよ。ちゃんと休んでよう? ね?」
「だから大丈夫だって……下手いままは好きじゃねえんだよ」
皆動きが止まった。結李羽の手がきつく、隻の手を握ってきた。
「隻くん……それ、下手なんじゃない。隻くんは弱くも下手でもないんだよ? 情け童の子を守った時の隻くん、千理くんが出した幻生全部倒しちゃったんだよ?」
声が、震えている。声だけでなく手も。
「隻くん強くなってるんだよ? だから志乃ちゃんも煉ちゃんも助けられたんだよ!? 隻くんが隻くんを責める必要ないんだよ……!?」
「けど――」
「あーもー煮え切らん!!」
頭を勢いよく掴まれた。鈍い痛みに顔をしかめる。結李羽が慌てて止めようと手を動かしているけれどびくともしない。
「あんさんいい加減にしてくださいよ。迷惑なんすよ空元気を元気っつって。しっかり休んで次あの子ら守りゃあいいでしょうよ、あんさん頼まれんたんでしょ。やるべきこと見失われるんじゃ手伝ってるこっちの身が持たないんすよ」
……苛々する……
前にもこうやって、あいつらから……
――
痛みから怒りへと膨れ上がりつつある何かが反射的に拳を作ろうとする。結李羽が千理を見上げた。
「せ、千理く――」
「おおーやってるやって──あっ」
『ぎゃっ!?』
蹴っ飛ばされた猫が、結李羽の近くで惨めに蹲った。慌てて謝る青年に、結李羽が目を丸くした。
「響基くん、お帰り……あれ、翅くんは?」
「まだ東京。今回の件聞いたよ。で、隻さん療養命令だっけ。……よし」
「よしって何が。ちょいとあんさん、人の部屋ノックもなしに入るなんて失礼じゃないっすか」
「え、この部屋まずノック音するかな。それよりも……千理、結李羽さん。支度よろしく」
「――え?」
「だって隻さん動けないだろ」
あっさり言う青年に、さすがに千理も困惑したらしい。
「え、オレまで呼び出すなんて珍し……どこのデートのお誘いっすか。合コン?」
「合コンだったら俺誘ってないし行かない。知ってて言ってるだろ千理。ただでさえこっちは壊音波な千理と一緒にいたら──っ! 音悪すぎ!!」
「ひ、ひっでー!? じゃあ呼ぶ要件なんなんすかちゃっちゃと言って愛しの翅んとこでも行きゃあいいでしょうよ! あいつ彼女いるけどねはっはーざまあー!」
「ああいいよじゃあ独り身代表で言ってやるよもう! 千理みたいにぼっち発言何度も言ってない!! 俺は皆が幸せになればそれでいいよ!!」
「ま、まあまあ……まだ東京ってどういうこと? そんなに長期の仕事だったの?」
なんとか宥める結李羽の声。隻も頭半分に話を聞いて、ぼんやりと見上げる。響基が一瞬驚いた顔をしたような気がするが、視線は結李羽へと向けられた。
「宵を狙って――あ、この宵は時間のほうな。要するに夕方を狙って、失踪事件が多発してるんだ。幻生生物の目星はついてるけど、もしかしたらこれ、隻さんたちが追ってる奴に近いかもしれないと翅が思って」