結李羽が強く、隻の手を握ってきた。立ち上がろうとしたのがばれたのだろう。千理が拳を固めている。
「わかりました。じゃあ結李羽さんはここに残っててください。その様子じゃあ隻さん止める人いないと多分抜け出されますし……」
「え!? で、でも」
「俺が行く――だっ」
ぶん殴られた。
弱いんだよ
一番の弱点は君だ
かっとなって千理を見上げた途端、目を丸くされた。
「え、隻さ」
ガンッ
中腰なままの千理の顎目がけて頭突きを食らわせた。転倒する千理を睨みつける。
「人が呆けてたら調子乗りやがって……てめえ誰に向かって殴ったと思ってんだ、ああ?」
「……ちょっ……な、なんすかその覚醒モード!?」
「覚醒? 覚醒ねぇ……てめえの低音ぶち切れよかよっぽどマシだ!!」
外野が止める間もなく蹴りを見舞う。響基が茫然と見守る。
結李羽が苦い顔になった。
「あちゃあ……隻くん頭殴られるの、ものすっごい嫌いなのに……」
「すんごい
「行く」
「行くってだからあんさんきゅうよ」
「休みなら新幹線乗りながらでもできるだろ! なんのためにこっち入ったか忘れんなっつったのどこの誰だ言ってみろ!!」
「いやオレっすけど――待ってそこまで行くともう逆ギレ!! ガチ逆ギレ!!」
生温かい顔で、天井を見上げる響基。結李羽も隻に抱きついて止めているが、軽々と蹴りに殴りにかかろうとする彼を止められるはずもない。
「……そこまでキレてたら、連れて行くしか……」
「えっ!? じーちゃんらに説教されるのオレらっすよ!? 勘弁して!?」
「でも翅だったらこう言うだろ。『好きにしろ』って」
「い、いやでもね……わ、わかりましたよあだっ、蹴らないでちょ、まっああああああっ!!」
あまりの大絶叫に、ついに響基が顔を歪めた。踵落としを放とうとした隻だが、結李羽に妨害され、当たった先は男の急所だ。悶絶する千理に、やっと気が済んだ隻は結李羽を宥めるように頭を撫でてやった。
「大丈夫、もう気は済んだ」
「……せ、隻くん……やりすぎだよ……」
弱々しい声に、少しだけ顔をしかめた。申し訳ない思いが微塵も頭をよぎらない。ひとまず結李羽の頭を撫でて大丈夫だと伝えて、隻はじっと考え、一気に両頬を叩く。
痛みのおかげで、気持ちを持ち直せた気がした。
「っし。やること片付けてこっちのも終わらせる」
「タ、タイムタイム。その前に一言!」
「なんだよ」
水を差されてむっとする隻に、一瞬だけ身を竦ませたように見えた響基は、それでも真顔で見据える努力をしているように感じられる。
そんなに怖かったか。
「前を見るのは結構だし大歓迎。だけどな、今の隻さんすぐ心の音がノイズになりかけてるんだから。もう少し余裕の在り方考えた方がいい」
「――心のノイズ……? ごめん、俺国語の成績悪いから」
「それで逃げるか!? 日本人だろ!?」
突っ込まれた。挙句愕然とされた。やっと回復したらしい千理がよろよろと体を起こしている。
「だ、から……現実的に言えばね? 記憶操作も
「それは翅からも許可もらってる。……あっちにもあっちなりの考えがあるんだってさ」
「考え? ――とりあえず時間もらえるんだよな。千理付き合え」
「はっ!? いやちょい待った修行で一日もらうんじゃないんすよ!?」
「いいから付き合え!! もう休んで体力有り余ってるだろ!!」
「いや幻術は作れても体ボロボロっすよ!? あんさん何回蹴ったよ!?」
「三回ぐらいしか蹴ってねえだろ!!」
「すんげえ横暴!? なんでそんな大人に育っちゃったんすかあんさん!! あーもーわかりましたよわかりました付き合います!! ……オレ、兄弟子なのに……」
自分で実力主義の世界だと、六年前息巻いていたというのはどこの誰だ。
バスケットボールを見やる。
――誰もいない体育館でボールを弾ませたような音が、なぜか耳に響いた。
「ほらほら雑念入りまくりっすよ!
大山猫と、角を額に抱く黒馬が狙ってくる。転がって避けに転じつつ、翅からもらったお下がりの木刀で、雷駆の腹を狙って突き出す。
避けられた。すぐに立体を頭に思い描き、衣から針を飛ばす。猫も馬も軽々と跳んで避け、埒が明かない。
こういう時はどうしたっけか……手っ取り早いのは術者狙って――
千理へと目を向け、隻は目を疑う。
いない。先ほどまで確かに、壁際にいたはずなのに。
「ほいしゅーりょー」
首筋に当たる、金属とは違うぞっとする感触。
肩をとんと叩かれる。千理の得物である闇の刀
雷駆と和為もやってきた。和為に至っては千理の頭に顎を乗せてごろごろと喉を鳴らしている。刀と山猫を還した千理はあからさまに渋っている顔だ。
「ちょい、この状態で隻さんを向こうにってのは……響基から概要聞いた限り危険っすよ。鴉天狗一体だけならともかく。雪女VS結李羽さんの比じゃないんすから」
「修羅場の方向性が違う奴を引き合いに出すなよ。人手が足りないんだろ」
「いやまあ、そうなんすけど……」
「おや、
言葉を
「無事に解決できたようでよかったね。相手もさぞかし面食らったことだろう」
「……
すっと頭を下げる千理に、
「ヒントらしからぬヒントだったかな。千理は昔からおつむに不安があるからね」
「そ、れは……隻さんが見つけました。私の手柄ではありません」
一人称まで変えるなよお前!
しょうがないでしょうよこうしろって刻み込まれてるんすから!!
視線だけでやり取りを交わせるようになったのも、憑依連身を昨日やったからだろう。互いの呼吸がある程度わかるようにはなってきた気がする。
永咲はおかしそうに笑っているではないか。
「へえ、君が。あれだけで見定められる目を持っているとは。天理を思い出すね」
この人何言い出すんだ?
行方不明になっている千理の兄の名前を持ち出すなんて。それも千理の前で。他家の通夜の後だと知らないのか? それにしたって元弟子相手に不謹慎が過ぎる。
隻が言葉を詰まらせている間に、女性は少し笑みを強めたように見えた。
「おや、不服だったかな」
「あ……いや……ありがとうございます……」
「今、養子の子が東京に向かっているそうだね。今特訓ということは、そちらに向かうということかな?」
「はい。応援が必要とのことですので」
「そうか。
口を
元弟子だとしても、家族の死を目の前で見た相手に言うセリフか。
千理が言った、「余計な水しか差しにこない」と言う意味がいやというほどわかった。
ふむと、柔らかな声で顎に手を当てている女性は、隻を見据えてきた。どきりとしてしまい、無意識に後ろに下がりたくなる。
「そう緊張せずともいいよ。千理、まだ幻術は使えるね?」
「――はい」
「なら、少し指南をしよう。約束しよう。数時間で三段階鍛えるよ」
「なっ、ですが」
「今ほかに、できることがあるとでも?」
ぐっと言葉を詰まらせる千理に、隻は頷いた。困惑した表情を見せる少年から視線を外し、柔和に笑う女性を真っ直ぐ見据える。
「お願いします」
「隻さん……」
「いい返事だね。それじゃあ、行こうか。連身で隻くんが千理に精神を重ねるんだ。やり方は習ったろう?」
「
「応・連」
視界が一歩進む。近くでどさりと倒れる音が響いた。
とどのつまり、今は千理の目を借りて世界を見ているということで――
〈あんさんねぇ……あの人ただでさえ手加減の文字知らないんすよ! どーしてくれるんすか、怪我したらそれこそ行けないでしょうよ!!〉
響く意思に、隻はぽかんとする。今は千理の顔だけれど、もしかしたら隻の意思のせいで青くなっているかもしれない。
〈……マジで?〉
〈どんだけその場に任せて行動してんすか! しかも命令でも憑依型なんなっつーの!! 操作型じゃダメなんすか、遠隔操作なら何とかなってたっしょ!〉
〈お前が本気出したらどこ行ったか見えねえんだよ速くて!〉
〈……え、うそんわーっ!?〉
視界がぐんと下を向き、隻の体を抱え上げて咄嗟に横に飛び退く。突き出されたかと思えば振り下ろされた番傘に、隻はぞっとする。
〈な……んだよ、あの速さ……!〉
〈だから言ったんすよ! ったくもーっ!!〉
地面が抉れる。砂利が吹っ飛ぶ。志乃と煉がやった連身なら、力を増強させることはできるという。が、一人であのレベルを実現するなど考えられるわけがない。
ぐったりと動かない隻の体を片手で抱え上げる千理にも相変わらず滅茶苦茶だとは思うが、それの上を行くか。師匠とはいえ尋常ではない。
「今のは千理の判断だね。今のままでは、私には攻撃は与えられないよ」
「……そうですね」
手に取るようにわかる。千理が怒りを剥き出しにしていることも。
そもそも千理が連身で意識を重ねることを嫌がった一番の原因は――永咲がこの形を取るよう誘発した理由は――。
〈……隻さん。できるなら脚力に意識集中させててください。今以上に速さ出す感じで。隻さん自身がオレだけじゃ避けられないって感じたら、瞬発力物言わせてやってください〉
〈い、いや……目から慣れないと――!〉