「突撃隣のおっひるーごはーん! うわたんまたんまサトシさーせっ、鷹引っ込めて!?」
「遅いですよ! 華淋さんはさっさと外食に行くし、なんでぼくが二人きりの時間邪魔する状態になってるんですか!!」
目に涙を浮かべるほどに嫌だったのか。それとも顔を赤くするほどに見ていられなかったのか。それはこの際聞かないほうがいいだろう。
中学生にしてはやや小柄な腕に、大きな片翼を広げる鷹と共に千理を狙う様は本気だ。入口に立ってすぐに臨戦態勢をとるほどだ。彼に同情したくなる光景は目前らしい。
問題はその本気を理解できる頭が千理にないことだろうか。いたく感動した千理に、結李羽まで居た堪れず、隻の後ろで顔を背ける始末だ。
「やっとオレの気持ちわかってくれたんすかリア充囲まれるのつらいっしょ――たんま! ガチ鷹たんま!! いやもうそれ翼じゃなくて刃でしょ!?」
「知りませんよそんなの! 何がつらいかってあなたと同じ状況を味わったことが屈辱で辛いんですよ!!」
「ひっでー!? 超酷いよこの子!? 一緒に鍛錬した仲っしょあだっ!?」
背中を蹴飛ばす隻。そろそろ別の部屋に泊まっている客から苦情が来そうなので阻止して正解だったようだ。親指を立てて健闘を廊下の響基に報告した。サムズアップを返され、部屋を覗き込む。
――なるほど、サトシが嫌がるはずだ。まだ多感なお年頃に入ったぐらいの少年の前で、膝枕して
千理の目の前にいたサトシは共倒れになったらしい。鷹が容量よく逃げて、翅の肩に鋭利な爪を食いこませて悲鳴を上げさせた。
椅子に停まり直していた猛禽類の目は怒っていた。
「どけ!」
「ガチひでえ!?」
……低身長同士の小競り合いは、この際脇に置こう。
「で、何がどう人手が足りてないんだよ、寛ぎモードのバカップル」
「ああ、やっとご登場か。へいらっしゃい」
「冷やかして帰るぞ」
どこの寿司屋だ魚屋だ。ラーメン屋経営できそうな顔でもないし。
「まあまあ怒りなさんな。二人きりでイチャつきたくなるのが世の定め」
「ぼく忘れてないですか!?」
「ひっでーちょーひでぶっ!」
鷹が、千理の頭を翼で叩いた。おかげで羽根が数枚舞った。そんなことなど全く気に留めず、名残惜しそうに未來に膝から退いてもらった翅は、平然と外を指している。
「じゃあ家、教えて」
「――は?」
顔を引き
「ちょい、一応確認したいんすけどそれ、誰の家?」
「隻っちの」
「なんだよそのあだ名! 親しみこめたって教えるか!!」
「っち」
「舌打ちすんな!! あ、ありが――」
「すみません、話の途中ですけど。ずっと渡しそびれてた上に自己紹介もまだでしたので。改めてよろしくお願いします」
もらった名刺を凝視し、思わず顔と名詞の名前を見比べてしまう。
鏡悟子
きょう……さとこ? ……さ、さとしでいいんだよな? ずっと皆そう呼んでたよな。
も、もしかして本人が気にしてるから、皆サトシってあだ名で呼んでたとかそんな――
「言う必要もないかもしれませんけど、かがみさとしです。改めてよろしくお願いします」
「……ごっ、ご丁寧にどうも……」
笑顔でドスの利いた声音に、本気で殺されるかもしれないと身構えそうになった。千理相手より厄介な歳下だったのかもしれない。
――そっか。子供の「子」でもシって読めるん……あ、遺伝子もシって読むか。
「あ、因みに悟子の実力ハイレベルだから。その歳で鏡家トップテン入ってるから」
「マジで!?」
「いやそれより、話逸れてんじゃん。なんで隻さんの家なんすか」
千理の指摘には、隻もそうだったと苦い顔になる。翅は相変わらず考えの読みづらい真顔だ。ノリの軽さを思い返した隻は、胡乱気に睨み据えた。
「まさか飯と宿
「ああそれナイスアイデア――何その宝石ボール!? タイム!! 奥さん待って!!」
「誰が奥さんだよカマみたいに言うな!!」
「……隻くん、突っ込む場所違うよ……?」
翅が何か弁解したそうに口を開いたので待ってやった。ダイヤモンドでできているのに、ゴムのように弾むボールを構えたまま。
ところが、千理が意外そうにボールを持ち上げたではないか。感動した声を上げて弾ませる姿に文句も言えず、翅に投げつける用にもう一個創り直す。
翅の顔が一瞬にして青ざめた。
「ごめんごめん、今の冗談。実はそちらさんの家族を保護しに行くってことになってさ」
「なんで今さら。あいつらついに狂ったのか?」
「せ、隻くん、そこまで言わなくても――」
「理由は多々ある。隻さんの兄弟」
ぴくりと反応したが、堪えた。
「ただでさえ双子で同じ顔なんだろ。隻さんが追ってたのがどいつだろうが、隻さんを消そうと動くかもしれない。そんな中で双子が発見されれば、本人だろうがそうでなかろうが確実に襲われる」
「それで?」
淡白な声が低く響いた。翅が何か言いたげな顔をしたが、流したようだ。
「当然そうなると家族そのもの、全員を保護するようになるのは自然だろ」
沈黙が流れる。しばらく壁に目をやって黙っていた隻は、「ふうん」とだけ返した。
さすがに翅も思うところがあったのだろう。今まで抑えていたものを出すように睨んでくる。
「教える気はあるか?」
「ないな」
「……へえ。つまり家族を見殺しにするってか。随分とバカげた思考してんな」
「バカで結構。昔から言われ慣れてるよ。『兄は真面目でいい奴、なんでもできて完璧人間。弟は問題児で喧嘩ばかりで先生の手を焼かせてバカな劣等生』ってな」
「――そんなくだらない理由でかよ」
翅の手に余計な力がこもりだしている。隻は刺すように睨みつけた。
「お前、一人っ子だろ。言われたよ親に。双子じゃなくて一人っ子のほうが楽だったってな」
水が打たれた。
静まり返る部屋の中、翅は目を見開いて愕然としている。
「……それ、ずっと言われ続けてきたのか?」
「言ったことなかったな。俺の父親はサラリーマンだよ。高卒の。バブルはじけて安い賃金しかもらえなくて、母さんもパート探してあれこれやってたんだ。子供が生まれるって喜んで、双子でもいいって産んだけど、産んだ後がもの凄いつらかったってさ」
幸せだなと、思う。
言われ続けてきたのに、レーデンにいるうちに忘れていた自分自身が。
「一生懸命育てても、お兄ちゃん≠ヘ真面目でいい子なのに、弟≠ヘいつも喧嘩ばかりで人のものをとって泣かせてるから、しつけが大変だったんだと」
あんな日々を忘れて、三年間も離れて。
幸せな、ことだったんだ。
幻……だったんだ。
「あいつが人の目盗んで、双子だから大人もわかってないのを知ってて、全部俺がやったことにしてたんだよ。目の前で俺が先公に怒られようが追いかけられようが、仲間とそれ見て笑ってやがったんだ」
「……なる。つまりさ、それが原因で教えたくないわけだ?」
「そこに人割くぐらいならほかに手回したほうがいいって言ってるんだよ。こんな
「わかった。じゃあ俺だけに教えればいい」
睨んでも動じない。それが翅だとわかっていても、睨まずにはいられない。
三年前の隻なら間違いなく怯んでいた。それほど静かに怒る翅は龍のようで。
「俺だけでも教える気はないみたいだな」
「――どうせ結果は見えてるんだぞ。行ってお前がバカにされるのを見てろってか」
「は? バカにされる? んなのした奴からぶん殴るな。お前の家族だろうが勝手にレッテル貼っつけて笑って過ごせる人間、俺の家族の家族にも値しない」
「なら助ける義理ないだろ! なんでそこに
「せ、隻くん!」
腕を押さえられた。かっとなりかけ、結李羽に首を振られる。
「だめ、それはだめ!」
「庇う必要ないだろ!」
「ああ。今の話聞いたら予定変更せざるをえないな。建前は保護。理由は家族全員ぶん殴りコースで決定だっての」
「殴りに行くだけ無駄だろ、痛い目見たってあいつらわからねえんだよ!」
「違うよ、隼くんはもうそんなことしないって言ってたよ――!」
「
かっとなって振り解こうとしたその時、突然現れたリスが素早く顔に貼りついてきた。引き剥がそうとして引っかかれ呻く。
「何すん――!」
『頭
やっと放れた。結李羽に渡し、彼女が慌てて受け取った隙に素早く部屋を出る。
「隻さ――!」
声を閉め出した。階段のステップフロアに出ると素早く衣を纏い、外へと駆け出した。入り口が突然開いたことに驚く従業員の脇を過ぎ、ひっそり練習していた動物の姿を思い描いて呼び出す。
「
正確には豹もどきと言いたくなるような、一見乗るにも小さく見えるミニチュアだ。けれどこいつの特技で考えていたものが功を奏したのか、背中にいきなり大きな翼が生えている。
小さな背に飛び乗ろうとして、体がいきなり大きくなって乗れるようになった。後ろから翅の声が聞こえた気がしたが、獣の肩を叩いて走らせる。
あっさりと追跡の手を振り払えた。強い風に屈めていた体を起こして苦い顔になる。
……そんなことだろうとは、思わなくもなかったけれど。
千理は理解者側だから、まだ突くこともなく流してくれていた。
結李羽も決して話題にはしないでいてくれていた。彼女も自分たち双子に関しては加害者だと思っている節があったのには薄々気づいていた。
翅が一人っ子である以上、ああいう比べられ方をされたこともないんだろうと、いつかは言われるんじゃないかと、思ってはいた。わかっていたのだ。
それなのに。
「――なんでだよ……」
中学校の頃。
家を飛び出しても、痛くも痒くもなかった。探されたくないからと向かった先は、あの国語の先生だけが知っていた。親が来なくても平気だった。そのほうがよかったから。
なのになんで
……息を吸い込むのも億劫になるほど、何もしたくなくなるのだろう。
「うっわ、さすがにボロくなったな……」
管理する者のいなくなった隠れ家というのは、六年そこらでこんなにもジャングルさながらの様相になるのだろうか。
すぐ近くの大橋の下、満潮でもぎりぎり水が浸入してこない土手との境。ここに隠しておいたボトルビンから鍵を取り出す。
土手から上がり、真隣の丘にある浅い
全て手作りだった。作り方が雑だったおかげで、もう閂もほとんど意味をなさなくなっている。
洞穴も、当時少しはゆとりある空間だった。けれど今は隻自身大人の体だ。立ち上がって身を屈める必要があるどころか、雨風をぎりぎり凌げるかどうかというほど浅い
なんのために
――それでも、昔はこれだけで十分身を守れた。
下校の時は、何か必ず待ち構えていたのだ。ここは自分だけしか知らない。校区だって違う上、人通りも少ないと知っていた。
土が剥き出しになった壁に背を預け、壁についていたはずの落書きがどこにもないことに寂しさすら感じられる。
「――なんて書いてたっけ……」
――
大切なことだった気がする。
もうほかに何も、それ以外で書くことがないほど、大切な。
誰かが、あの時教えてくれたはずだ。この間もそれを思い出したはずなのに。
この後どうしようか。旅行
……結李羽が来て、本当に賑やかで。いつも笑ってくれて……
心配をかけなくていいと……安心できたのに。
やめよう。考えたところでもう、あの家に案内するなんて考えられない。翅には悪いとは思っても、あの家にだけは。
それよりも気がかりなのは結李羽の家だ。両親は結李羽が幻術使いになったことに理解がある。その分狙われやすいはず。