京都では自分も結李羽も天狗らに顔を見られている。結李羽の両親は、彼女を知っている人なら一発でわかる。
今この時誰が動くだろう。誰か動いてくれているのか、もう間に合っているのか――
――
ぼんやりと見上げて、意を決して外に出た。
考えて待つだけなんて好きじゃない。行動しなければ。
土汚れを払う。数分程度しかいなかったというのに、眩しい日の光に目を細める。葉の影から身を出して、固まった。
黒髪黒目のジャージ少年が、ほっとしたように笑っている。
「ここだったんすか。道理で想耀が早かったわけっすよ」
「――なん……!」
「行くんでしょ」
「行かな」
「え、結李羽さんのご両親保護しに行かないんすか?」
慌てて口を
「……行く」
「じゃあ行きましょっか。あ、翅たちには敵方の情報収集頼んでますんで。オレらだけで行きますよ」
絶対こいつ、気づいてやってるな……。
自販機で驕ってもらった天然水の蓋を開け、千理はといえばコーラ。礼を言って蓋を開けた。なんだかデジャヴな光景に目を細めて、隻はふと思い起こす。
「――翅、あれで治まらなかっただろ」
「あー……うんまあ。オレも久々に見たっすね、あそこまで切れてるの」
千理が少しぼやけた返事をしたことで、隻は視線を逸らした。
そうだろうとは思っていたが、予想を遥かに超えていたようだ。
「まあ、未來ちゃんも一緒に抑えてくれたんで。……一応、隻さんには悪いと思ってたんすけど、話しました」
話しても、余計、火に潤滑油とメタンガスだっただろうに。
でも、そうか。やはり千理にあの時の記憶が流れたのか。
あの、永咲師匠との稽古の時に。
「で、オレが捜索員に回って、その間に翅は頭を冷やして先に敵見っけたら捕獲しといてとは伝えたんすよ」
「……わるい」
「別にいいですってこのぐらい。兄弟子ですからね」
威厳がない兄弟子だし、それらしくない。そう思ったのに、なぜか言えなかった。
「隻さんさ、最初に万理に会った時、隻さんと似てるって言ってたじゃないすか」
頷いた。コーラの缶を頭の上に乗せて「おー乗った」と嬉しそうに呟いているこいつが見えていたかどうかはさておいて。
「今さらですけど、なんとなく意味わかりました。同情とかじゃないっすよ。客観的に見て、似てないけど似てるんすね。正直オレらは双子じゃないんで、隻さんたちとは別次元かもしれないんすけど」
「――いいよ、翅何か言ってたんだろ。万理のことを前置きになんかするなよ」
うわ、バレてた。苦い顔をする千理に、隻は肩を竦めた。
一応、もうそのぐらいの歳ではいるつもりだっただけだ。
「あんの意固地が……!」
「想耀よろ!」
『あーい』
軽やかに翅の頭まで駆け上がるリス。恋人が慌てて抑えようが、窓から飛び降りようとした青年は、それだけで顔色を一変させた。
翅は熱しやすいが、同時に極端なほど冷めやすい。すぐに収まってくれた弟弟子に、千理は口から滝が出そうなほど疲れた溜息を吐いた。
「頼むから……あんさんまで暴走したら洒落ならん……!」
「……悪い」
『うん偉い偉いー。さすがツッキーだねぇ』
撫でるように髪の上で手を動かすリスがくすぐったかったのだろう。口元が引くついている。そんな彼を未來に任せて、結李羽と顔を見合わせた千理は弱った顔しかできない。
「オレが探してきますよ。結李羽さん、あれの後じゃ気まずいっしょ」
「……うん……ごめんね」
今までは全く見なかった、結李羽の弱りきった謝罪。口を真一文字に結びかけて、千理は気の抜けた笑みで取り繕った。
「いやまあ、オレも昨日地雷踏んじゃいましたし。翅、まだ結李羽さんのご両親のほうは当たってないんでしょ。オレ隻さん捕まえたらそっちに向かいます。隻さんちの住所はメールで送るわ」
「わかった――そっちよろ」
「ういーっす。後……」
言うべきだろうか。――言わなくとも、翅なら気づいていそうだけれど。
「隼さん、もう目覚ましてますよ。隻さんも本気で家族のこと嫌ってはないとは思うんすよ。最近ずっと記憶操作で昔掘り返してばっかだったから、頭に血上りやすくなったんでしょ。そこだけはわかってやって」
「……りょーかい」
「さっすが兄弟。じゃあ行ってきまーっす」
拳を軽く突き出し、翅のそれとぶつけた。にっと笑って部屋を出、すれ違い様響基に手を軽く謝るように上げる。慣れたように、相手からは気にするなと手を上げてもらえた。
「ごめん、俺隻さんのことよく知らないから」
「気にすんな兄弟っ!」
「きょっ……う、うんまあいいけど、忘れてないよな千理? 三年前の」
「わーいさーせん! 行ってきまーす!」
悪寒に背筋が泡立ち、逃げるように飛び出した千理である。
「……教えたのか住所……」
「……あ。うわぉうっかり」
ぎくしゃくした笑顔で乗り切ろうとする千理に、隻は溜息がこぼれた。
「いいよ、もう……想耀、人探しできるんだろ。一撃で見つかるぐらい想像つく」
「あれ、やっぱ気づいてました? おかげで隻さん見つけられたんすけどね。オレ東京そんな詳しくないですし」
その想耀は隻から聞いた住所を頼りに、先に安全確認で結李羽の実家へと向かっている。千理はボトル缶が頭からずり落ちる前に掴んで戻し、頭に乗せたまま歩いている。
本当に、三年前から変な奴だ。――今はもう理由もわかって、変と言うほどではなくなったけれど。
「――お前も怒ったんじゃないのか。頭に血が上っても上ってなくても、本心だってわかってただろ」
またもずり落ちるボトル缶を手に納めて、千理は苦笑していた。
「うん……まあ、そりゃあね。けど言いたくなるのもわかります。多分、オレが隻さんと同じことずっと兄貴からされてたら、やっぱり隻さんと同じことしますよ」
同情とは違う、言葉だった。
少し低くなった声音が、物語っていた。
「隻さんの過程を先に知った以上、隼さんの過程見なくてもいい……って、思ったりもしました。当然だと思いますよ。――『オレだったら』って考えたらね。翅はもういっちょ上まで考えてるから、なおさら怒ったんでしょうけど」
一つ上を想像して、容易く想像できるようになったのも、三年分の付き合いがあるからだろう。言葉に詰まり、苦し紛れのような溜息しか出せなかった。
千理が笑って見上げてくる。
「やっぱりわかってくれてるんじゃないすか」
三年で、あの修行で。隻の
万理に教えられていなかったら、「わかったような口を聞くな」と心ない言葉を吐いていたかもしれない。
「――さっき結李羽さんが言ってたこと、本当です」
「なんでお前がそんなことわかるんだよ」
「あー……さーせん。実は定期的に連絡もらってました」
えっと、隻は目を丸くして千理を見下ろした。
しょうがなさそうに笑っていた。
「隻さんが元気にしてるかって内容ばっかり。もし隻さんに対して気がかりなことがあって、本人が言わないなら、自分に聞いてくれって。自分が原因だってものが多いから、あいつの口から言わせるのは違うって、ね」
――なんだよ、それ。
そんなこと、一言だって……いつも軽口と見下しばかりだったのに。
「そんだけ心配してるくせに、隻さんには全部言わないでくれって言うんすよ。不器用な兄ちゃん持っちゃいましたね」
「……器用だよ、あいつは」
「あ、そうっすね。じゃあ器用貧乏か。うっわーオレと真反対じゃないっすか」
誰もそんなこと言っていないのに。一人不服を訴える千理は、少ししてふと笑っている。
「なんだかんだ言って隻さん、オレらのこと甘やかしてくれるじゃないすか。叩いたり殴ったりはひどいですけど」
「……あれ、厳しいとか暴力的とかって言わないか、普通」
「優しいっすよ。海兄や天兄は平気でとった飯の五倍奪っていきましたからね。隻さん取られた分取り返すか、普通にくれるじゃないすか」
それは、それ以上自分がとっても利がないからだ。
「部屋で寝たって突っ込み入るだけで追い出したりしないですし。蹴飛ばしは痛いですけど。あと、
それは――少しは
「極めつけはあの遊園地っすよ。Wデートで行くスポットで、オレが一人でつまんなくなる率一番少ないの選んでくれたじゃないすか」
それは……
独りがどれだけ退屈か……知っている、から……
「あの女の子の情け童のことだってね。結李羽さんもですけど、隻さんが一番あの子を庇ったでしょ。たった数時間で情が沸いたって、普通は異形の存在相手にあそこまでできませんよ。それなのにあんさん、こう言ったでしょ」
それでも独りでいたくないから! 誰かと一緒にいたいから、観覧車でもコーヒーカップでもひたすら楽しんでたんじゃねえのかよ!
虚を突かれた。
足まで止まった隻を見て、千理がおかしそうに笑っている。
「オレも翅も――ってか、皆? 隻さんが問題児≠フレッテル貼られてるの、見たことないんすよ。皆知ってるんですよ。隻さんみたいな兄ちゃん≠ェどれだけ優しいか、知ってるんですよ」
――それは、一番嫌いな響きだった。
「人のこと足蹴にしたり、自分からは滅多に謝ろうとしなくったって、一生懸命オレらと向き合ってくれてるの、皆知ってるんすよ。結李羽さんだけだと思ってました?」
一番耳障りで、一番なくなってほしかった、音だった。
なのに。
「なのにさ。兄ちゃん≠ェそんな目に遭ってたって知らなくて、翅ものっそ悔しかったんすよ。説教だけじゃだめだねって思ったから、一人でも家に行くって張ったんすよ。――隻さんが……家族≠ェ、未来で万が一にでも後悔するような種、残したくないんすよ」
昔オレも怒られたなー。
けらけらと笑うその姿は悪びれもなくて。後悔も反省もしていないのではないかと思いたくなるほど、爽やかだ。
なんでこんなに……
「隻さんにとっては家族って、一番嫌いなものだったのかもしれないんすけど、変わったんでしょ。オレら家族≠フこと一番大切に思ってくれてるように、オレらも隻さんのこと大事なんすよ。まあ若干名翅
こんなに、ムカつく口調なままなのに。
汚くていいだろ部屋なんて! 余裕なくてなんぼだ。お前はそれだけ余裕がなくても、周りをしっかり見ようってできてるんだってことだ!
隻の字、先生にも子供がいたらつけたいって思うなぁ
──
あの時のように。
一番聞きたくなかった音が聞こえる度に、耳を塞いでいたのに。今は聞き漏らさないように、手をどけて、耳を傾けてしまう。
一度持ち上がった喉が、戻らない。苦し紛れにやっとそっぽを向いて、震えかけた喉をごまかして、やっと憎まれ口を叩く準備ができた。
「……お前兄貴じゃないだろ、弟だろ」
「えっ、ひっでー! あ、そこ笑うとこじゃないっすよ! もっと前に笑ってくださいよもー! そんなに笑うんだったら唐揚げまた一個追加よろっすよ!」
込み上げてくる。色んなものがとめどなく、途切れなく。
文句ばかり言うくせに、嬉しそうに笑う相棒は、いいことを思いついたように目を輝かせているではないか。
「どうせなら翅からも奪っちゃいましょーよ、未來ちゃんお手製唐揚げ!」
「ははっ……お前の唐揚げが十個減りそう!」
「え、うそん。あーでもあるかも……じゃあ翅行きの唐揚げ百個取ればいいんすよ!」
「ばっ……ぶっ、一万個に換算されるぞ」
「……うーん、それは困りますね。対抗できん」
本気で考え込むなよ、バカ。
なぜだろう。笑い声が漏れる。真剣に唐揚げを多くとれる方法を探る千理に、声を立てて笑う自分がいる。
気づけば、深く深く、息を吸い込んでいた。
「――あー……ほんと、バカだよなお前」
「はい!? いきなりなんすかもー!? 唐揚げともずく没収っすからね!!」
「ぶっ、はははっ!! なんでもずくだよ!!」
「え、そりゃあ――ちょい隻さん笑いすぎっすよ!?」
もう飛び出した時のような、あの霧を吸い込むだけのような世界ではなくなっていた。