Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第16話 02
*前しおり次#

 
 ガキだったからなんでしょうけど、そんなに記憶ないんすよ
 
 まずい
 千理の言葉が、櫓から見たレーデン家の敷地が頭をよぎる。警鐘を鳴らすように鼓動が耳の内で響く。
 雷駆の蹴飛ばしよりも恐ろしい現実を目の前で広げようとしている。
 知っているのは自分と、結李羽と――
 そこまで思い出しかけて、隻は目を見開いた。
 あの夜、千理はスライムのことをある程度話せていた。彼が一番に思い出せたはずだ。なのに彼の口からは、一切あの化け物について出てこなかった。
 気づいたなら千理のことだ、説明する気もなく一目散に外に出る。それに多生が清水寺の一件で千理が記憶操作されていると見抜いていたのは何故だった? 千理が頭を押さえて、頭痛を堪えて……
 覚えているはずのことを覚えていないと言っていたからだ
「そこまで記憶操作されてやがったのか……!」
「え? あっ、隻さん!?」
「隻くん!?」
「皆を頼む!!」
 走る。頭の中で警鐘が鳴り止まない。
 まるっきり、さっきの千理と同じだ。清水寺の一件の時の千理と、あまりにも。
 下手をしたらとよぎる想像が、千理の過去と綺麗に重なる。名前だけが書き換わる惨状が、いやと言うほど残像のように目の前を横切りそうになる。
 まずい――!
 蹴飛ばすように靴を履く。玄関を開けて勢いよく閉める。日の光が突然薄暗く感じ、慌てて幻術を使用する際に用いる衣を出しながら、道路へと飛び出す。
 激突音。
 玄関の石畳をえぐった姿に、隻は冷や汗を流す。
「嘘だろ……!」
 ライオンの体、蝙蝠の翼。尻尾は幾重にも棘を重ねたサソリの尾。
 聞いたことがあるも名前までは出てこない。獣型の幻生が姿勢を低くしたのを見て、素早く呼び出す。
立標たひょう!」
 猫とも豹ともとれるような、奇妙なほど小さい猫型の幻生が飛び出した。背中に鳥の翼を背負い、随分と小さく頼りない。
 背に飛び乗った隻に合わせるように体を膨らませた猫は、飛び上がると同時合成獣のようなモンスターをよけてくれた。
「げっ、隻さん!? なんで出てきてるんすか!!」
 空から声がかかり、はっとして上空を見上げた。空を駆ける黒馬の背に、二人ほど人の姿が見える。
 千理と――響基だ。青ざめた顔のまま苛立った様子で何かを叫んでいる響基の頭を、千理がついに叩き落した。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁああああああああっ!!」
「文句だらけなら降りろっつーの! ってわけで用件言ってくださいよ、ってか避難して――無理っすよねこれじゃあ!」
 沈黙の黒の刃と、獣の爪がせめぎ合う。
 千理が操る闇色の刀、無月ナヅキと、ライオンもどきの爪での鍔迫り合いだ。押され気味の千理を援護するべく、軽々と跳躍してきた翅を見て隻は肝を抜く。
「我の前に敵はなしいいいいいいっ!!」
 叫ぶ翅を睨んだライオンは、素早く身をよけて攻撃を捌いた。逆に落ちていく翅へと、慌てて猫もどきに指示した隻。翅を回収すると同時に、一回り大きくなった猫、命名立標たひょうにぽかんとする。
「……お前、伸縮自在だな……」
「サンキュー……あれ、隻さんが創る幻術って全部ゴムみたいだな」
 隻、納得した。
 向かってくるライオンもどきに慌ててボールを作り出そうとするも、吐き気が襲ってきた上に立標が消えてしまいぎょっとする。
「あっ、そうだ!!」
 幻術二つをまだ保てないのを、忘れていた……
 ぐんと地上が眼下に迫る。翅が苦い顔で着地の体勢に入ったのを見、真似をしようとして地面に足を突っ立たせる。見事に鈍い音が足元から全身を殴ってきた。
 ……痛い。本気で痛い……!
「なんで……忘れ……! いっだああああああっ!!」
「うん痛そう。身体強化で足強くすればいいのに」
「るっせ――ああああああっ!?」
 爪が襲い迫る。割り込もうとした千理へ、サソリの尾が牽制をしかけた。
 舌打ちついでに他人の家の瓦からよたよたと戻ってきた響基が、苛立たしげに何かを呟いている。次期当主の多生タオが記憶操作の時に使っていたものと近いような……
 あれは――え、なんか聞いちゃまずい気が
来礼ライライ 法魔ホウマ 滅翔メッショウ重呪ジュウジュ
 全身を襲う圧迫感。ぎょっとして地面に手と膝を突き、必死で立とうとする。大岩が体の上に圧し掛かったかのような凄まじい重量感に、汗がとめどなく溢れてくる。
「やっぱり呪言しゅげんか……! 使うなら……っ、先に言えよ!」
「あ、そうか隻さん初めてだっけ。ごめんねごめんねー」
「てめえぶん殴る!!」
 隣で平然と立って見下ろしてくる翅が異様に憎たらしい。耳元に手をやり、軽々と何かを取り出した。隻の青筋がびしりと浮かび上がる。
 耳栓よこせよっのバカ!!
「よし」
「よしじゃねえ!! 俺まで地面釘付けで何が『よし』だ!!」
「いやだって動かれたら埒明かないし。隻さん危ないし。スライムが化けたマンティコア、えーっと固体命名スラマンも今動けないみたいだし、チャンスかなーって」
「スラマンってどういう名前だ!?」
「え、じゃあスマン?」
「謝ってどうする!!」
 拳を無理やり持ち上げて力強く地面を打った。力を込めすぎたのか、コンクリートがミシリと言ったような気がする。翅はぽりぽりと頭を掻き、隻と同じように立ち上がることも飛ぶこともままならない、ライオンもどきならぬマンティコアを見て「いやあ」と真顔。
「勝手に名付けてごめん的な意味で、スマン。あ、いいなこれ」
「あいつがかわいそうだろ!! 生きててごめんねって逆に言いたくなるよ切ないよ!!」
「隻さん呪言聞いてる割には元気っすねー」
「空悠々と飛んでるてめえに言われたくねえ!!」
 呪言は術内容の言葉を聞き、条件に当てはまるものに効力を発揮する。言葉の内容や込められるエネルギーにより、効く効かないに差は出るが、隻のように耐性のない人間には容赦ない効力を発揮するのだ。
 しかも響基は生粋の呪言使い。呪術に耐性が強そうなマンティコアですらこの有様なのに、耳栓がない状態で戦えるわけがあるか。
「翅、あいつスライムから変形すると呪言効くみたいだ!」
「さっき効かなかったもんなー。変化したモノが音を聞くことができるなら、効くってことじゃないか?」
 分析専門の未來へと目を向ければ、輝かしい顔で頷いている。千理が軽々と飛び降りてきて、マンティコアになっているスライムへと近づいて訝しんでいる。
「なんなんすかねぇ……こいつ。ってか、用がないならさっさと滅しちゃっていいでしょ。じゃないと未來ちゃんが全力で研究しそうっすよ。分裂怖い」
「あ、そっか。スライムだから分裂しかねないな。珍しいなーお前の頭が回ってるって」
「いや頭回ってるっていうか知ってるって……あれ?」
 全員が固まって千理を見る。その千理はと言えば目を瞬かせて、話し相手だった翅を見ていた。
「なんでオレ知ってんの?」
「そりゃこっちのセリフだよ」
「おっまえ……千理、記憶操作されてるんだよ気づけ!!」
 一同がぎょっとする。マンティコアの唸り声と、辺りに満ちた湿度に顔が引きつる。
「……い、いや、記憶操作云々はありえないから脇に置くとしてっすよ……ガチで分裂できて、分裂体近くにいるんじゃないすか、これ!」
「ま、まあこいつが記憶操作されてたって鈍いから後で締め上げるとしてだ……マジで分裂体いるよな、囲まれたんじゃないかこれ!!」
「えっ、分裂体!? そんなサンプルいっぱいだなんて……誰得なんですかこれ!!」
「あっ、有川さん性格豹変してる!!」
 必死で教えたのに輝かしい笑顔が煌いている未來。千理はげんなり顏だ。
「うっげ……響基、一体抑えてる間は別の呪言紡げないっしょ……周り囲むぐらいだから分裂体は最低四体、推定六体前後。間違いある?」
「ないな。うわあ……ピンチかもなあ」
「千理、お前の記憶操作な――耳栓してんじゃねえよタコ!!」
 きゅぽっ。
 コミカルな音が聞こえそうなほど鮮やかに耳栓をしてくれた千理に苛立ちが湧く。ゆらりと立ち上がる隻に、響基がぎょっとしている。
「えっ、呪言無理やり解かれた!? うそっ!?」
「てめえ……」
 いざ得物の刀を構えようとした千理の襟元を掴み、ぎょっとして振り返った千理は目を見開いている。
「えっ……ちょっ」
「人の話ぐらい聞け!!」
 頭突き。
 額に額で挨拶した形になったおかげで、千理の首が後ろにフェードアウトして……返ってこない。
「記憶操作されてる中にあのスライムの弱点あるかもしれないんだよ、何全力でスルーしにかかってんだ! 人が動けないからって調子乗ってんじゃねえ!」
「全力で動いてるよ……俺の呪言きれいにぶった切ってくれたよ……不良モードつよいなあ……」
「戦力減ったな……」
 上空で待機している雷駆がいなないた。隻は気絶している千理を放して地面に転がす。背中の衣からダイヤモンド製バスケットボールを大量に地面に出して落とした。
 翅と響基が、全力で顔を引きつらせた。
「……隻さん、普段自分の全力……無意識に制御セーブしてるんじゃ……」
『阿呆め。そうではないわ』
 何か聞こえたが、無視。
 道路のあちこちからやってきたスライムを見、隻は鋭く睨みつけた。
「雷駆、雷よこせ」
『承知。……今の無礼は許してやろう』
「助かる」
 バスケットボールに雷撃がいくつも落ちる。準備ができた。
 ボールが独りでにドリブルを始める。近づいてくるスライムが変形する前に、隻のボールが全部のスライムに抉るように打ち込まれる。
 再び雷駆が嘶き、ボールへと雷が落ちていく。
「ひ、避雷針……強引だけど」
「強引すぎて凄く効いてるのが恐ろしいな……」
『隻の能力は普段、周りを見すぎる分、感情が激化して一点集中しないことには解放されんのだろう。よくも悪くもな』
「なるほど……なあ、五神ごしんさん。あんたいつからここに来てるんだ?」
『追いつくのに必死で疲れたわ労え!!』
 外野が煩い、無視。
 一気に辺りの湿度が増し、さらに苛立つ。分裂体同士が水のように延び、互いを繋げて大きさを保とうとしたところに、もう一撃加えようとして躊躇う。
 分裂体の形が、人間に――!?
「こいつ――! 隻さん!? なんで止めるんだ!?」
 翅が武器を構えようとして、慌てて手を上げて止めさせた。
 この男の子……見覚えがある。
 黒い髪。あどけない微笑みを浮かべる知的な顔。気絶したまま動かない千理を見る、真っ黒な目。
 愕然とする隻へと笑いかけてきた。
 口を開け、何かを言っている彼の声は、ない。

 残念だったね
 君は弱い

「――!」
 何を言っているのか、わかる。なんで――
 目の前を毛玉が過ぎ去った。はっとした隻が足元を見た途端、猫が姿勢を低くしている。翅が隣を駆けていった。
「はっ!」
 雷撃を纏った刃が、男の子からスライムへと戻ろうとしたその物体を貫き、感電させた。
 目を見開いて止めようとしたその時、スライムが弾け飛んだ。
 飛び散った水のようなゼリー状の物質は、地面に落ちると同時に完全な水となってコンクリートに浸み込んでいく。
 マンティコアが咆哮ほうこうを上げた。そちらへは、響基が振り返って呪術を紡いでいる。
「俺たちを舐めるなよ」
 火が、鎖が、マンティコアの皮膚を蹂躙じゅうりんする。
 全て焼き尽くされる間際、スライム状の球体がマンティコアの肉片から転げ落ち、炎の中で朽ちた。
 茫然とする隻の前、響基が炎も鎖も消滅させる。呆れた顔で振り返られた。
「隻さんのスイッチ、千理だなぁ」
「――は?」
『本当だバカ隻め。私相手ですらここまではなかったろう!』
 振り返り、声の主を探そうと足を動かした。
 浄香の悲鳴が上がる。慌てて足元を見て、ぎょっとして後ずさり、今度は真後ろから鈍い悲鳴が上がった。
 今度は千理を踏んづけていた。
「いでえぇえぇぇぇぇぇぇえええぇぇぇぇぇぇええ……!」
「……ぁ……いいやお前は自業自得」
 ギブアップを訴えようとコンクリートを何度も叩く千理を見、やっと足を退ける隻。
 呆れ顔をする翅たちに苦い顔になり、彼らが家の中に戻る様子を見送る。よろよろと千理も入っていく。ぐちぐちと小言を吐く、京都に置いてきたはずの三毛猫が続き、未來がとぼとぼと中に入った。
 やっと吐き気を顔に出す。
 慌てて口を押さえ、しばらく地面に手を突いて堪えて。地上まで降りてきた雷駆を見上げ、頷く。
「……そうだよな」
『やはり汝も見えていたか』
 響基に聞こえてはまずいと悟ってくれたのか、いつも以上に雷が弾ける音が大きい。彼の地獄耳なら、とっくに吐き気にも気づかれているかもしれないけれど。
 恐ろしいほどの寒気に体を震わせ、一度黒馬の顔を撫でる。気丈に振る舞っても、この黒馬に気づかれていても、まだ弱音を吐きたくはなかった。
 まだ、立っていなければ。まだ千理たちに悟られるわけにはいかないのだから。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/07


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