隻が家へと戻ると、翅たちが顔を突き合わせていた。彼らも深刻な様子だ。
「――あのスライムが鴉天狗に化けてた可能性は高いなー。知性はありそうだったけど、動きが単直気味だったし」
「マンティコアみたく、物理攻撃力が
「え、隻さん」
「へっ!? うっそ冗談きっつー! ……え、ガチで?」
「ガチで問題でもあるのかよ」
リビングに戻って早々、見事な声に青筋が浮かぶ。千理が額を擦りつつ、青い顔でソファへと逃げたのを見て、隻は目を据わらせた。
「さ、さーせ……! たんま、もう頭突き勘弁っすよやめたげて!」
「香ちゃああああああああんっ!」
『みぎゃあああああああああああああああっ!!』
必死で逃げようともがくのに、結李羽と彼女の両親に取り囲まれ毛並みを堪能され、悲鳴を上げる浄香。さしもの隻も千理も、翅たちまで気力を殺がれて
「……
「……バカ猫にとっては運の尽きだな……」
『たっ、助けろ、助けんかバカども!! 私を誰だと心得ている貴様ら! セクハラで訴えるぞ――ああああいやあああああああっ!』
威厳もへったくれもない下っ端五神と心得ている。問題ない。
リビングに影が差す。驚いて外を見れば、雷駆が回り込んできていた。結李羽の父が朗らかに「お疲れ様」と声をかける度胸には完敗だ。
隼が目を輝かせて立ち上がった姿を見、なんとも言えなくなる隻。
雷駆に会った時、自分がいったいどんな顔でこの黒馬を見ていたのかよくわかった。
「やべえっ、なんだよあの黒い馬! かっけえ!!」
「……なんでお前までアンテナ一緒なんだよ……」
「そりゃあ双子だからっしょ。あだっ!? だからバスケボール勘弁!」
『先ほどの不定形生物だが』
「
「お前どこの小学生だ! 霊視能力も有りすぎだろ、俺昔は雷駆の声聞こえなかったのに! ――って、そうじゃない。雷駆、さっきはありがとな」
『礼には及ばぬ』
至極当然のように見据えてくる雷駆。足元でバチバチと爆ぜる音を響かせる雲に目をやる隼には呆れそうになるが、隻は戸惑い気味に雷駆へと目をやる。
『千理、一度我を幻境へと還せ。隻に一度我を呼び出せるか試させたい』
「げっ、本気で乗り換える気じゃないすか! 嫌っすよ雷駆はオレが出すーっ!!」
『相も変らぬうつけに呼び出されたくなどない!! 我が主人の血を引きし者なれば、自覚と相応の緊張を以って呼び出せ!!』
足元の雷が、もの凄い音を響かせている。
家を感電させられてはたまらないと、千理を睨んで雷駆を幻想の世界へと還らせた。隻自身一度庭に出て、雷駆の姿を思い起こす。
「間違えないでくださいね。下手したらあいつ、隻さんでも蹴飛ばしますよ……」
「お前のおかげでほとんど間違えないと思う」
蹴飛ばしの動作を見て、関節がどうなっているのか嫌と言うほどわかったから。
雷駆が隻にわざわざ召喚させ直すのだ。あの話をしたいからに決まっている。千理に出してもらったまま憑依連身をしたのでは、会話が千理に筒抜けてしまうのだから。
ずっと自分が創り出したものを呼び出していたから、久々の召喚に緊張する。
「我 闇に沈み 闇に生き 夜の住人たる者を
衣が降り、一色に塗り潰された影の中から、黒馬が姿を現し始める。
「夜の住人 名は
ずず、ずずず
ずずずず……
馬が高く
『上出来だ。よくぞここまで成長した』
隻の顔がほっとして綻んだ。千理が
「嘘っしょ……オレ雷駆出すの五年かかったんに!」
「俺まだ呼び出してなーい……」
翅のやや
『今はまだ集中力を保てているからこそ、我も隻へと試すよう言えた。普段ならご
「そんっ……!?」
「いやまあ……そうっすよね。オレも幻生だったら、隻さんに出されんの怖いっす」
結李羽が苦笑いしているのが見えた。腕にぐったりとした浄香を抱えて。
「でもよかったね。一度呼び出せたら、ある程度特徴覚えてる証拠だよ」
『千理は
「……い、いや和為は勘弁……あいつカマじゃないすか……」
顔を引きつらせる千理。どうでもいいと言いたげな雷駆に目を向ける。
……本当、この馬もだがレーデン家は千理に
『あの不定形生物だが』
「ああ、もの化けスライムのスマンか」
「だから止めてやれよその名前!」
『話の腰を折るな』
ビリビリとした声音に、さすがに翅も隻も体を強張らせて黙った。
『あれの本体はまだ現世に存在している可能性がある。分裂体もあの数だけではなかろう』
『ふむ。そちらも同じ意見か、レーデン家の守護者よ』
半ば干からびかけていた浄香が、結李羽の手をやっとすり抜けて隻の肩に飛び乗ってきた。意外と軽い。
『伏見稲荷の件、並びに清水寺。さらにこの東京で起こった鴉天狗との遭遇に、術者一般人問わず引き起こされる失踪事件。どうにも裏で糸を引いている者の臭いがしておるわ』
「そんなにレーデン周辺を潰しにかかるような動きをして徳なんてあるか?」
『レーデンを潰しにかかろうと動いている者の臭いではないわサボり魔め。向こう側に、我ら幻術使いを完全に滅そうとしている動きがあるように思わんか?』
『それそのものは史上故に当然の行為。が、手を引く者が何故そのようなことを企むか
「ど、どういう話だ……?」
考えてもみろと、浄香が固めの肉球で隻の頬を押してきた。
『もし、幻術使いという外敵が消え、幻術で創り出されてきた生物たちはどうなる? 存在を認知されぬモノたち。それはつまり自然衰退・消滅を招く。たとえば学校に関係のない者がいよう。誰にも知られぬそやつに、学校と言う空間に居場所があると思えるか?』
奴らもそれを熟知しているからこそ、私たち幻術使いを完全に滅さずにいるのだ。
肉球でうりうりと頬を押してくる浄香が、憎いのに何故か憎めない。
『だから私たちも自然界のバランス上必要な者、害意なき幻生とは抗争を避けた。我らが五神の役回りとはとどのつまり調和。幻生と人の世界の棲み分けだ』
浄香の肉球が、やっと頬から離れた。結李羽からときめいた顔をされたが、肉球の跡一つで喜べる彼女の気持ちはあまりわからない。
『人を攫わねば生きられぬ者が、
「……やっとバカ猫に威厳が見えた気がしたっすよ」
『はっ、ついに隻にまで実力を追いつかれそうになっているようなレーデンの三男坊には、この輝ける器など見えるわけもあるまい!』
「上等っすよこの毛皮だけ化け猫!!」
「耳元で喧嘩するんじゃねえ!!」
怒鳴れば、一瞬で身を縮める一人と一匹。ある程度納得した悟子が眉をひそめている。
「確かにそうですね。ぼくら幻術使いが完全に消えるということは、認知者が減る。幻生自身の消滅に近づく。考えられないことじゃないですけど……」
「そうっすよ。幻術使いが消えても、あいつらは生きていけるからオレらと戦ってたわけじゃないんすか?」
『それは否だ。幻術使いの血が絶えれば、この世界に定着した者には不利益しか残らぬ。我らは幻術の世界より汝らの力を媒体に、この世界へと呼び出されることで存在している。が、奴らにとってはこの世界に留まる体しか得ていない』
認識者がいなくなり、幻術使いから自然放出される力もなくなる。存在も忘れられる。世界そのものから追い出される。そうして行き場をなくしたエネルギー体は、形も失い、崩れ去るのを待つだけとなるそうだ。
だから、棲み分ける。互いの命を守るために。
必要な食物や場所はそれぞれ違っても、必ず取り込まなければならない酸素のようなもの。それを絶やすことができないのだと、雷駆は言っているのだろう。
それを、千理らと同じく、現代の幻術使いらはほとんどが知らないのだと浄香は言う。
『五神の連中も最近は頭が固い。一人いなくなればすぐ
愚痴も珍しく、自分が所属する統治組織へと向けられていた。
一方で、結李羽が困ったような顔をしている。
「じゃあ、あたしたち、どうしたらいいのかな……少なくともあのスライムは倒さないとまずいんでしょ? 野生化したら大量発生しちゃうし」
『無論。あのような
「……なあ、雷駆。もしかしてあんた、横文字嫌いなのか?」
黙られた。
『それで不定形生物がとった姿だが』
しかも流した。やはり横文字がない。
「マンティコアと、子供だろ。他の姿とる前に隻さんが潰したし」
「デ、データ取ってたのか……」
申し訳なくなった。が、響基が苦笑して首を振っている。
「子供の姿なんてとってたんすか?」
「そういえばお前潰れてたな。そうそう、お前と万理を足して割ったような顔の、小学生ぐらいの――」