千理の表情が凍りついている。まずいと感じた隻は、雷駆へと顔を向けていた。
雷駆はただ静かに、急いでポケットを漁る千理を見つめていた。
カードケースに印章と一緒に突っ込まれていた、折り畳まれた写真を取り出す彼は、必死そのものだ。
「そっ、それ! こんな顔!?」
示される写真は、三人の兄弟のものだった。
一番小さい顔は縮小コピーだ、誰かはすぐにわかる。千理が指しているのはその一番小さい子供を肩車している、真ん中だろう男の子。
確認した翅が、その隣で音を感じ取った響基が、表情をにわかに強張らせた。
愕然とする千理の手から落ちた写真。覗き込んだ未來が、息を呑んでいる。
「……そんな……じゃあ、あのスライムの術者って……」
「……
写真を見なければ、まだ確信せずに済んだのだろうか。
吼えるように詰め寄る少年を、ただ雷駆は黙って見つめる。落ちた写真に目を留めて、隻は顔を逸らしたくなった。
雷駆が静かに、呼び出した術者にしか心情がわからないことを承知の上で、伝えてくる。
確かに千理の兄、天理そのものだったと。
見たことがある気がしていたのは本当だ。あの男の子は一度、隻の目の前にいたのだから。
だから雷駆は、想耀は――
肩を震わせる千理の、こんな暗い顔を見るために、彼らはこの三男坊に協力し続けたわけではないはずだ。次期当主だって。
「……あのスライム、暴走して……じゃあ、嘘っしょ……天兄……オレにスライム、けしかけたって……こと……そん……なん……っそ!!」
拳が床に、叩きつけられた。
「……ちょっと、休ませる」
「おれの部屋使えよ。お前の部屋埃だいぶ落ちたろ」
「――ああ。千理」
隻は千理へと近づき、しゃがむも、顔をしかめた。翅に手伝うよう頼む。
ぐったりと動かない千理の左腕が、一部から消えていた。
「一応、横になるよう言ったけど……あれじゃ、移動は無理だな……」
千理を、隼の部屋に置いて降りてきた隻は、首を振って一同にそう伝えた。
翅が話しかけても、千理は表情どころか目すら動かなかったのだ。あの状態では何か別の幻生に出くわした時が洒落にならない。
隼が苦い顔をしていた。
「あいつ、相当兄貴のこと大切にしてたんだな……道理で……」
「お前の定期連絡を親身に聞くぐらいわけなかったわけだよな」
「おっ、おいおい嘘だろ、なんでバレてんだ?」
隼の顔が引きつっている。隻は肩を竦めて、苦い顔で天井を見上げる。
「千理がバラした。俺が戻ってくるようにって。あいつ、俺のことまで兄貴呼びできるぐらいには、家族一番だからな……」
「あいつが?」
翅の驚いた声。面食らって頷けば、相手はなおのこと顔を曇らせている。
「タイミング悪かったか……」
そうなのかもしれない。彼なりに、三年前から東京で消息を探せずにいたことの折り合いをつけようとも、していたのかもしれない。
だとしたらこんなのって、あんまりだ。
「あ、あの。天兄って、
結李羽に尋ねられ、隻は「他にないだろ」と渋面を作る。
「俺、あの写真の子どもを、雷駆や想耀と一緒に伏見稲荷で見たんだ。あの神隠しの空間の本堂の中で。だから雷駆と話し合おうって、呼び出す練習してたよ」
「それおかしいだろ。スライムが起こしてるはずの事件、ほとんどここ一ヶ月、東京らへんだぞ」
翅の指摘に、雷駆が頭を少しだけ垂れる。
『分裂体が京都にも入り込んでいるか……あるいは、あれもまた幼き頃の天理の姿を模した、異質なものか』
沈黙が辺りを覆う。思案げに声を漏らすのは、結李羽の母だ。
「その、天理さんがどんな人かは存じ上げないから、こんなこと言っていいものかわからないけれど……きょうだいってね、そうそう殺せるほど憎み合えないのよ。どちらか片方でも、相手に対して特別大切な気持ちを抱いていると」
一瞬否定しようとして、できそうになかった。思えば激しく憎んでいた隻も、隼を否定はしても、殺したいとまで思ったことがない。
――双子だということも、あるからかもしれないけれど。
「私ね、思うのよ。天理さん、千理君にあれだけ好かれていたんでしょう? 上のきょうだいって、どうしたって一生懸命ついてきてくれる子には弱いものなの。千理君は大きくなってもあれだけ一生懸命になれているんだもの。そんな弟さんに、本当にそんな真似ができるかしら。心があんなにボロボロになるって、目に見えているはずだもの」
天兄がオレを突き飛ばして叫んできてたのぐらい……ですね
彼が覚えていると言っていた言葉に、偽りがないのなら。記憶操作されていないのなら。
結李羽の母が言っていることが、天理にも当てはまるのだとしたら。
「……スライムの暴走は、あいつの兄貴のせいじゃないと思います。俺も」
信じたい。
こんなすがるような言葉、以前なら口にしなかった。考えただけで反吐が出そうだった。
それでもこんな自分を信じてくれたのは、結李羽や翅だけではない。見放すことも怒ることもなく、見守ってくれていたのは千理なのだ。
「あいつ途方もないバカだし、言葉足りないしムカつくけど……それでも兄貴をずっと探してたんです。俺が結李羽のこと守りきれなくて、悔しいの見て……それだけで協力するって言うぐらい考えなしだけど、あいつは自分に嘘はつかない」
もうほとんど、捜索もされてないんです……オレだけ諦め効かなくって
「嘘つかないっていうか、つけないんだと思います。そのあいつが信じてる兄貴なら、俺も本当のこと知るまで探し続ける。いい加減借りてきた借りぐらい返さないと目覚め悪い」
「同感、っと」
隼がにやりと笑う。隻は一瞬げんなり顔になったが、ひょいと翅が肩を叩いてきた。
なんだろう、この隼とシンクロしたような、ニヤニヤとした笑みは。
「そうだよなぁー、目覚め悪いよなぁ。俺も悪いどころか腹の虫が治まらないわ」
「お前いつでも千理には治まってないだろ」
「あれ、ばれてた。まあ、家族≠ェああなったのに
「俺も兄弟に数えられてたしなあ。複雑だけど」
目が笑っていない響基は、それでも懐かしむような顔。
「でもまあ、壊音波が黙ってるのも不気味だし、俺も手伝うよ」
「あれまだキレてたのお前」
「あれ、翅もだろ? 正直まだ反省足りてないかなって思ってるんだけど……やっぱりやめたほうがいいかな」
「
「……ごめん、やっぱり嫌」
何があったかは知らないし知る気もないが、千理の日頃の人徳と行いの悪さを痛感してしまう。それにしたって、響基の怒りは少々度が過ぎていないだろうか。
悟子がぶつぶつと、何やら呪術を紡いでいるようだ。
「十の群れにて鴉、百の群れにて鳩、千の群れにて雀」
ばさ、ばささ
ばささ、ばさばさばさばさばさ、ばさばさばさばさばさっ
大量の鳥型の式神が、悟子が広げた細い巻物から溢れ出して行く。皆、手品のような光景に目を奪われる。けれど隻の父は雀ではなく、浄香へと目を移して呆然としていた。
あっという間に飛び立つ鳥たちを名残惜しそうな目で見送る浄香は、ただの猫同然だった。
「この周辺にスライムらしい幻生がいるかどうか網を張り直します。運よくいるなら、
「データ採取できるんですね……!」
しおらしい空気から、いつもの賑やかさが戻ってきた。階段上から
よろよろとしている千理が、案の定廊下で勢いよく倒れ込んだ。
「お、おいバカ! 下手に動くな、飯持っていくから!!」
「……手がかり、掴んだんに……スライム、探さないと……」
「今悟子が網張ってくれたぞ。かかるまで寝とけー寝ないと潰す」
後ろから聞こえる声の主がどれほど笑顔か、考えたくもない。千理が顔を強張らせ、立ち上がろうとしている。
隻は溜息をつくと彼の前の前にしゃがみ、軽く頭を叩いた。
あまりにも、焦りに
「そんな手がかり潰されるみたいな顔するなよ。お前の兄貴、まだ死んでないんだろ。探すの手伝うから網張ったって気づけバカ」
拍子抜けたような顔の少年。翅がにやりと上から笑っているのがわかる。
「家族総出で探すからよろ」
「……かっ……」
「俺が関係ないって切り捨てようとした時、いったいどこのバカがついてきたっけか」
震えている。俯く少年の肩が、とめどなく。
泣くまいと、声も絶対漏らすまいとしている肩を叩いた。衝撃を耐える力もないのか、床と頭が鈍い音を響かせる。痛がる様子もない千理は、翅が「さっさと戻れ」と言う命令にもあっさり従って戻っていった。あまりの変貌ぶりに、隻のほうが肝を抜かれた。
「……なんであんなに素直……」
「うん、十年前に戻ったっぽい」
「も、元はああだったのか……」
「多分? 俺も全部は知らないけど、響基や多生さんはそう言ってたな」
十年間、いろいろあってああなったのはわかってはいるつもりだ。けれど、普段突っかかってくる少年があんなにも弱々しいのは初めて見た。
翅が隻の部屋の開け放たれたクローゼットを閉めに向かってくれる。階段下に向かいつつ、その翅の盛大な悲鳴が上がって階段を踏み外した。
「うああああああああああああああっ!?」
「おわああああああああああああああああっ!!」
「なんだなんだなんだ!? ……あ、お帰り隻さん……大丈夫そうだな」
廊下に飛び出した響基のぞんざいさと言ったら。あっさり跳び越え、「翅どうした!!」と走っていく薄情さに、隻は彼を睨み上げて、既に響基の姿がなく泣きたくなる。
足痛い……踵っ、いや足首!
「ぎぃやあああああああああああっ!!」
「だーもう! うっせえやい! 寝かせるんじゃなかったんすかあんたらぁああああ!?」
「な、何!? ……だ、大丈夫? 隻くん……」
「……もうあいつら知らねえ……! いぃぃぃぃ……!」
背中も強打したのに。結李羽によしよしと撫でられ、さすがにプライドが折れそうだ。やっと立ち上がった隻は、結李羽の頭を撫で返して微妙な気持ちになる。
なぜ、人のクローゼットで一々悲鳴が上がる。
「お前ら近所迷惑だろ、何見て――あっ!?」
上がって見に行って、気づいて、叫んだ。