Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第20話 02
*前しおり次#

 涼やかな女の声が響いた。
 塗り壁もボール顔も、首無しですらも瞬時に光の糸と化して消え去ってしまう。
 塗り壁が立っていたその向こう、シルクのような淡い光を纏った布地でできたカクテルドレスを纏う、プラチナブロンドの髪をショートにした青い目の少女が、悠然と歩いてくる。ヒールの音が際立ち、隻も翅も絶句。
 少女は鋭い瞳をやわらげることなく、塗り壁を形作っていた光の糸へと手を伸ばした。解けゆく糸をすっと撫でる指は華奢で、絵画の一場面のようにも映った。
「そのような下らん情報、私たちに対しての撹乱かくらんが狙いではない、か」
 少女目がけ、頭上で待機していた大鴉が強襲をしかけてくる。それすらも、少女に触れるどころか彼女が瞬き一つするかしないかで、光の糸に変わってしまった。
 実力がけた違いだ。まるでその歩みのように事もなげに力を振るう少女は、一度隻たちへと指を伸ばし、こちらへと来るよう曲げて悠然と歩いていく。
 翅と顔を見合わせ、隻は思わず首を振った。
 誰だ、あんな少女知り合いには――
「速くこんかバカどもめ」
 ……誰だったっけ。知りたくない。
 想像したくないが想像できそうな言葉のおかげで、隻も翅もびしりと固まった。口いっぱいに溜まった空気を一気に吐き出し、少女を凝視する。
「浄香!? なんで女の子に化けた!? 合わねえな!?」
「貴様ら、人が元の姿を忠実に再現すればそれか!!」
「いやいやいやいやない! あんたに限ってそれはない!! そんなキーキャラによくあるお得設定いらない!! 金髪碧眼の美女より白髪三白眼の老婆だよ!!」
「誰が老婆だクソガキが!! そもそも私は外人だぞ何が悪い!!」
「え、そうだったの!?」
 知らなかった。そんなこと一番ないと思っていたのに――!
 絶句する隻たちへと、かなり腹の虫が治まらない様子で、少女――元三毛猫が苛立った口調でおどしてきた。
「来い」
 とだけ。
 
 
「一つ言っておくが、これは本来の体ではない。諸事情で再現までしかできん。力も半分振るえていいほうだ。後はお前たちでやるんだな」
「要するに本当の体に戻らないから若作りしたと……ごめんなさい!!」
 ぎろりと睨まれて青い顔の翅。ヒールであっても軽やかに走っていく少女の真後ろを走る隻は溜息一つこぼし、うつむきかけた傍ぎょっとする。
 なんだろう、ポケットが淡く光っている。ジーンズのポケットに入れっぱなしのものなどあっただろうか。しばし考え、隻は慌てて取り出した。
 桜紋の印籠だ。母から預けられた、父方の祖父の――え?
 光っているものが頭の中と目の前をよぎり、まさかと思って浄香を見やる。
 ドレスが、光っている。
「……なあ。そのドレス、もしかしてあんたの衣か?」
「ほう、気づけるぐらいには目を養ったか」
「じゃあこれなんだよ」
 印籠を見せる。光が漏れているのを見、翅もぎょっとしているではないか。浄香の目の色が素早く変わり、奪い取られそうになる。隻は慌てて手を引っ込め、ポケットにしまう。
「や、やるわけにはいかないからな! これじじいの形見――」
「ならそれで構わん。それとその光は標印しるしつけの光。私の術では強力すぎて、近づけば光が漏れるだけ。むやみやたらと取り出して敵に奪われてみろ、ただでは済まさんぞ」
「あ……ああ……」
 道理で追いかけてくるのが毎度速いと思ったら。隣で翅がいぶかしげに印籠が入ったポケットを見ていて、隻は肩を竦めた。
「おじいさんの印籠に、なんで……」
「……さあ。肌身離すなって母さんに言われたものだからな、これ……」
 普段は猫になっている彼女の耳だ、あの時も聞こえはよかったろう。肌身離すなと言われたものに標印つけをして、いつでも追いかけられるようにしていても不思議ではない。
 東京駅付近に向かうかと思いきや、何故か北へ北へと進路を向けつつあるではないか。このままでは新幹線云々ではない。後ろからモンスターや妖怪の追従もある上、北に向かっても京都に辿り着けるはずもない。
 大きな家の壁をなぞるように、四つ角を左折した。そのまま目の前の寺院へと走る少女に、隻も翅も困惑する。
「ちょっ、駅は!?」
「先にここに寄らねばならんから寄ったまで。安心しろ、すぐに片づける」
 寺の本堂の扉を容赦なく開け放つ浄香に顔を青くする隻。中に人の姿はなく、周辺にも猫の子さえ通る様子がない。翅の腰が退けているようだ。
「ここの結界……誰が……」
「あったのか?」
「さっき曲がった四つ角から、それっぽいのが。でも柱人はしらひと――あ、えっと、結界支えてる人な。その人の姿がない……」
「当然だ。ここの柱人は即身仏そくしんぶつとなってこの世を去っている」
 顔が引きつる翅。隻だけ意味がわからず、周辺を見渡した。
「なんだよそれ」
「は、早い話……ミ、ミイラ……!」
 隻もやっと固まった。浄香はさっさと仏像の裏へと回り込んでいく。あまりにも不躾ぶしつけな行動を止めようとした隻は、足を動かすのを躊躇ためらった。
 もしあの裏にミイラがいると思うと……!
 隣の翅は既に回れ右をしているし、逃げ出さないよう腕を掴んでいる隻も正直逃げたい。逃げたいのに
「何をしておる、早くこんかバカどもが」
「っ、一般人の感覚わかれよ!!」
「そもそもお前たち、一般人を辞めて何年だ。いい加減慣れんか」
 ご尤もだけどミイラは怖い!!
 翅が逃げようとするのを押さえるだけで精一杯だというのに、誰が行きたがる。浄香が呆れたように戻ってきて、仏像を見上げた。
 光が纏わりつき、消える。隻も翅も顔が青くなった。
「久しいな、留華蘇陽とめはなのそよう
 干からびた手が――ない。
 穏やかに笑う銀髪の女性が、目を閉じたままこちらを見てくる。淡い光を纏った姿に、隻ははっとした。肌理きめ細やかな肌と二十代の女性らしい面立ちに確信すら抱く。
 原形幻術で、俺たちに見えている姿を変えている……?
「久しいね。また私に力を使わせるとは。ここの守護だけではいけないということか」
「いや、ここだけで十分だ。そなたが動くほどのことではなかろう。今日は別件だ」
「おや。わたくしに求めるとは。えにしむすびかな」
永久とこしえ真水しんすいの守護者が動いた」
 女性の笑みが引っ込んだ。深い溜息をつく彼女は、一言「そうか」とだけ零している。
「そうか……あの子が……」
「知り合いなんですか?」
「ええ、ええ……共に駆けた頃が懐かしい」
 女性は隻へと顔を上げ、優しく微笑んできた。
「わたくし、留華蘇陽は花木の精霊。神木として崇められ、樹に宿る神として人と共に世にあり続けました。わたくしを体に取り込み巫女となった者と、末長らく共に」
 ミイラというのは、その女性の遺体なのだろうか。今の姿もその女性の若かりし頃なのだろうか。
「引き伸ばされた寿命を迎え、ここにまつられた私たちは、長らく人の願いを叶えて参りました。その後だったね、あなたと出会ったのも」
 隻は耳を疑った。女性は優しくこちらへと微笑んできているのだ。
 けれど――こんな寺、来たことなんてない。
 女性は浄香へも閉じた目を向け、「あなたはその後だったかしら」と微笑んでいる。浄香自身は不服そうで、質問を流している。
「もう奴は人をあやめすぎた。今回企む規模、そちらと相容あいいれぬ世界を築き上げようとしていると見える。いい加減姿を教えてもらいたい」
「あなたは会っているでしょう?」
 そう言って顔を向けられたのは、隻だ。戸惑う中、翅も困惑している。
「状況がわからん。隻さんになんでそう言うんだ?」
 女性は意外そうな表情を浮かべている。浄香へと振り返ったではないか。
「あら、彼じゃないのかしら……そうだと思ったのに」
「まあ、違うな……話を逸らすなお前たち!!」
「逸らしてるの翅だろ……」
 なんだか疲れてきた。黒幕とこの神だか巫女だかが知り合いなら、早く聞いて出ねば。
 女性は柔和に微笑んでくる。
「いずれにせよあなたたちも会っているね。彼女の糸があなたたちにもかかっている。あの子もまた、乙女であり、孤高。絡め取られ、逃げられなくなる前に身を退きなさい」
 隻は耳を疑った。浄香のきつい目が鋭さを増す。
「そうなっては、彼女はあなたたちまで傀儡かいらいにしてしまう。愛しきものが朽ちた世界は黄泉と同じ。彼女が守るべき泉も水も家も、人に奪い尽くされてしまったということ。あの子が動くなら、もう教え子たちに未練はなくなったのでしょう」
 教え子? ――誰かを教えていた人?
 目を見開く隻だが、浄香は苛立たしげに音を立てる足をぴたりと止めた。
「――話す気、ないな。それならそれで構わん」
 さっさと戻ってくる浄香へと、女性は顔を向けている。扉を開け放って出て行く背中を慌てて追おうとして、隻は呼び止められた気がして振り返る。
 女性は嬉しそうに、微笑んできた。
「やはり、あなたは彼と同じ世界にいるね。そして彼よりも先へと進んで、未来を変えた。迫られた時、我が名をその口に含みなさい。その桜がそこにある限り、私は花木の精として、この地とあなたの役に立ちましょう。――気まぐれだけれどね」
「あ……はい……ありがとう、ございます……?」
「さっさと行くぞ!」
 ぴしゃりとした声。翅と肩を竦め合い、走りながら隻は思わず考え込む。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


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