Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第22話「掛け違えたボタン」01
*前しおり次#

 ホールが綺麗だ。埃が床にない光景に目を疑った隻は、追いついた翅が苦い顔をしているのを見て怪訝な顔になった。
「誘われてるな、こりゃ。想耀、万理がどこにいるかわかるか?」
『うんとねー』
 ひょっこり翅の胸ポケットから顔を出した想耀が、すぐに上の階を指した。エレベーターは機能しているようには見えず、右手の非常階段を駆け上がる。
 変な気配が漂いすぎて吐き気すらする。
 非常階段は全て扉を壊されていた。想耀がひたすら鼻を動かし、階を確かめてくれる。
 三階、四階、五階……
 七階……八階、九階……
「ちょっ、こここんなにあったか!?」
 小さなホテルとしかここを見ていなかったけれど、いくらなんでも階層が多い。いい加減息が切れ始めた隻と翅は、志乃に舌打ちされて気まずくなる。翅の肩へと走った想耀は首を傾げた。
『変だねぇ、おいらもここは四階もないと思ってたんだけどなぁ』
「まさかまた結界……」
「神隠しじゃなくてか?」
「同じ場所をぐるぐる回らせる結界、あんねんで」
 上の階も下の階も見やる志乃は、顔をしかめている。
迂闊うかつやわ。これ術中じゅっちゅうまってるんやないの? どっちでも糸玉持ってへん?」
「迷宮ラビュリントス風にか。うん持ってない」
「っち、使えへんな」
 本日何度目かの挫折体勢。さすがにいたたまれなくなり、翅の背を優しく叩いてはやったものの。あまりにもザクザクと刺す少女は隻ではなく周囲を見やっている。
「お兄さん、万理くんから目、離さへんかったんよね」
「そりゃ……」
「なんで衣纏っただけで消えたと思う?」
 目を丸くした。志乃が周辺を警戒したまま問いかけてきた言葉に愕然がくぜんとする。
 言われてみればそうだ。衣は幻術使いたちが、幻生と戦うために、また一般人から自分たちの存在を認識させないために作り出すもの。形は衣以外にも色々とある。力量によっては衣を出さずに戦える。そしてその用途は全て同じだ。
 一般人にだけ見えなくなるはずの幻術使いが、何故衣を纏うだけで幻術使いからも姿が見えなくなる?
『あれねぇ、バンちゃんじゃないように見えたよぉ』
 想耀が翅の頭の上まで走ってきて鼻を動かしている。
『正真正銘の幻ー。でもバンちゃん、この中にいそうなのは間違いないんだよねぇ。でも変だなぁ、探せないんだよぉ』
「結界の中に嵌められてるから、やろうね。今あんたを呼び出してる術者のお兄さんも、あたしらと一緒に術中に嵌まってるんやから」
「原形幻術と結界……両方使えるモンスターか妖怪か。考えなくても後衛型だな」
 ようやく復活したらしい翅が立ち上がって考え始めている。想耀もしきりに鼻を動かして、周囲の臭いを探っているようだ。
『バンちゃんどこぉー……ツッキーに出されてると落ち着かないよぉー。センちゃんも早く来ないかなぁ』
「お前な……。千理は今潰れてるだ――」
 勢いよく壁を殴りつけたような音が、階段を揺さぶった。ぎょっとした隻は慌てて階段の手摺りから身を乗り出し、外を見やったと同時に悲鳴を上げて後ずさる。
 ショックを受けたように固まっただけでなく、怒って拳を振り上げる竜騎士にど肝を抜かれたのは隻だけなはずがない。翅も志乃も絶句している。
〈ひっでー! なんでそこまで驚かれなきゃいけないんすか! やっと追いついたっすよ……ねえちょっと聞いてる!? なんでそろいも揃って固まってるんすかちょっと! ひっでーちょーひでぇー!!〉
「っ、本物!?」
 中は空洞なはずのよろい幻生、ゼンスと、その竜騎士の鎧が操るワイバーン、エヴェイユが、隻たちがいる踊り場の高さに合わせて飛んでいる。鎧の手が自らのかぶとの頬面を持ち上げたではないか。
 途端に見える、いつもの真っ黒髪に真っ黒目のひょうきん少年。
 志乃が勢いよく接近してその頬面を叩き落としたのは言うまでもない。ついでに千理が〈いだっ!?〉と叫んだことも。
「見たないわあんたのアホヅラ!!」
〈ひどっ!? ってか頬面上げないと一々意思飛ばさなきゃいけなくて面倒なんすよ!? 前見えねえしどうしてくれちゃってんのあんさんもー! 兜ずれたじゃないっすか!〉
「……本物、だよな……」
「おー、多分? あれだけ出るなって忠告飛ばされたはずなのになぁーあっははー」
 翅の目が据わっている。明らかに怒っているにも関わらず、千理はといえばまた頬面を持ち上げてむすくれた顔。
「本物に決まってんでしょーよ、なんなら証拠見せましょうか?」
「ジャージバカの低身長ニートで、禿げ進行をDNAと当主のせいにしてる奴に確かめることなんてあるか」
 あからさまに千理の頬が持ち上がった。本物だと納得しかけた隻目がけて、目と口をこれでもかと見開いてくる。
「だっからジャージイコールニート言うなっつーの!! イモっぽいって何度も言わせないでくださいよ、ってか低身長関係ないし! めっちゃくちゃ関係ないし!! 禿げはじーちゃんのせいで間違いないけど低身長だきゃあ言われたくないっすよ特に隻さんには!!」
 確かめるつもりで言ったのに、最後の余計な一言にかちんと来る。翅が見事に笑いこけているのには蹴りを見舞った。
「ふごぉぅ!?」
「てめえよりはたけぇよ! 百七十中盤だぞこっちは、お前百六十前半で止まってるじゃねえか!! 低身長だろニートだろ実力主義で実力抜かされた低下層だろ三下口調野郎!!」
「さっ、さんし……っ!? なんつうこと言ってくれんすかあんさん! この慣れ親しみやすい大らかな口調のどこの何にケチつけて三下とか言いやがるんすか、ええ!? 大体百六十前半とか一くくりにしてんなっつーんすよ! 中盤とか抜かして百七三センチでしょ!! 前半だろーがってんでしょーよ隻さんだって!!」
「るっせえ!! 三下口調のどこがおおらかってんだ、社会性の欠片もない奴が偉そうにエバってんじゃねえよしゃらくせえ!! この木仏金仏石仏軽佻けいちょう浮薄ふはくの横紙破り!!」
「人にすんげえ罵詈ばり雑言ぞうごんっすねっとにもー! いい加減腹に来るんすよ東京方言フルに使ってけなすとかどうなんすか! 大体なんで来ただけでそんな言われなきゃなんねーんすか断固抗議っすよ抗議ー! 大人の欠片もねえ切れ方してくれやがりましてどーもありがとうございますー!!」
「てっめぇだって人に謝る態度じゃねぇだろうが!!」
『貴様らいい加減にせんかやかましい!!』
 猫が吠えた。
 吠えたと同時にびしりと体が動かなくなる隻と千理。猫が毛を逆立ててまで苛々していたことにやっと気づき、ついでに志乃の呆れ果てた顔、翅の生温かい顔にもやっと気づく。
「……うん。隻さん本当に東京っ子だったんだなぁ……」
「あーうるさ」
『全くだ! 本人かどうかを確かめるだけで白昼堂々、この時にバカげた喧嘩を繰り広げるなど言語道断、文句なら終わってからつけろ面倒くさい! 我らがなんのためにここまで来たか忘れたかど阿呆め!!』
 ……頭は冷えた。一応。
 冷えたけれど、猫が最後の最後で東京弁に入った辺りで、隻は冷めた目になる。
 本当にこいつ、何歳なのだろう。今は突っ込むまいとは思うけれど。
「……悪かったよ。とりあえず本物なんだよな」
「本物以外の誰がいるってんですか。とりあえずオレもさーせんでした。で、ずっと同じ場所で地団駄じたんだんでたの、あれなんなんすか?」
 千理が志乃から華麗な飛び蹴りを食らったのは言うまでもない。千理が泣きながら謝って、挙句ゼンスから不服の声を直に上げられたようで、顔が青ざめていた。
 翅から事情を聴いた千理は眉間にしわが寄っている。
「――なる。同じ場所回らされる結界ね。……結李羽さんも未來ちゃんも置いてきちまったんで、三人には悪いんすけどそのまま回ってて」
「られるか!!」
 面倒くさそうな顔の千理に掴みかかろうとしたが、慌ててよけられる。やっと苛立ちを抑えたはずの隻がまた怒りを再加熱し始めたからか、浄香が呆れて尻尾で叩いてきた。
『外に出れば術中からは逃れられるのだろう。なれば私を一度ワイバーンに乗せろ。一気に術を消し去るほかあるまい』
「え、なんで……わっ、ちょっとたんまエヴェ猫嫌いなんすよ!? あ……エヴェおちつ、ちょっ、待ったすぐ終わりますって頼むから!」
 浄香が飛び乗った途端に暴れ始めるワイバーン。なんとか宥める千理の頭に移動した猫が、隻たちをじっと見据えてきたではないか。
 特に変わったものはなく、戸惑って周囲を見渡して、顔が引きつった。
 階層を表すプレートが一階で止まっている。壊れた扉の奥に見える景色は、あからさまにあの入り口のホールではないか。
「嘘だろ……!」
『一応解けはしたか』
「……あんさん本当何者……とりあえず早く降りてくださいよ、エヴェ怒らせたままって嫌なんすけど。ゼンス、後でみがくからもうちっと勘弁」
 猫が軽やかに、隻のほうへと戻ってきた。鎧についた足跡がなんだか申し訳ない。ようやく想耀も勘が冴えてきたのだろう。鼻をひくつかせると上を指した。
『間違いないよ、上だねぇ』
「っしゃ、なら一気に上るで」
 千理もワイバーンらを還し、ともに階段を駆け上る。一瞬後ろで何かがざわついた気がしたが、足を止める暇はない。
 最上階らしい三階で、想耀がこの階にいると教えてくれた。すぐさま扉を一つ一つ開けていくも、見つからない。
 三〇三、三〇五……
 三〇七、三〇八、三〇九……
 最後の三一〇を開けた翅がぎょっとした。
「うわあああああああああああああっ!?」
「どうした!?」
 即座に隻の後ろに逃げ隠れる翅。慌てて千理と隻が扉へと殺到さっとうし、志乃も翅を置いていこうとして、本人に待ったをかけられ苛立っている。
「ちょいとでも男らしいところ見せんかい情けないなぁ! で、そっちはなんなん!?」
 思わず固まっている隻と千理のうち、動けたのは千理のほうで。
「……階段。十三段」
「――え?」
 志乃も一瞬にして固まっている。躊躇ためらいが顔に出ている彼女へと、隻が苦い顔で振り返ったその時、千理が中に入っていくではないか。ぎょっとして止めようとした隻だが、それも途中で投げ出して後を追う。
 いつ飛び移ってきたのかは知らないが、想耀が隻の頭にしがみついて毛を逆立てる。
『バンちゃん……嫌なものと一緒にいるよぉ……』
 階段の数は数えてはいけない。わかっているのに、自然と頭に数字が浮かんでいく。
 屋上に着くかと思ったその段の先。柱もない広いコンクリートのフロアに出た隻と千理は目を疑った。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2026 *Nanoka Haduki* all right reserved.