万理が、こちらを睨んできている。後ろの女性を庇うように立って。言葉が出ない隻たちの後ろ、扉が勢いよく閉まる音に、翅たちとの連絡を分断されたことも悟る。
「兄さん……」
「……何やってる」
低い声音に
「……手を
「な、何言って」
「今すぐここから去ってください。僕はこの通り無事です。兄の偽者はレーデン家に標的を変えています。自分が本物だと認めなければ、一族を滅ぼすと」
「それとこの現状、どこに関係がある」
さらに低くなる声。動じない万理は衣を
「てめぇバカか」
「……兄さんに言われるとは思いませんでしたよ」
「万理――」
「すみません、隻さん。口を出さないでいただけますか」
違う。
今まで幻生を見てきた万理がこんなこと、するはずがない。
学校を抜け出して、女性を守って――幻生たちの襲来に対して他の誰も守らない、なんて……
万理が医者を目指す理由になった、母でさえも守らないのか? 兄と慕う養子の人々とさえも一緒にいられないのか?
てこでも譲る気配を見せない少年に、隻の拳が固まる。
「曲がらないんじゃなかったのかよ……!」
「曲がっていませんよ」
言い返してくる万理は、瞬時に刀を手にしている。召喚された武器に、千理まで手に、闇で塗り潰されたそれを呼び出した。
「曲がるつもりもありませんし、曲がってもいません。それに兄さん以上のバカになり下がった覚えもない」
白い刀と、黒い刀。
双方が構えられた時、千理を睨む万理の目に明らかな憎しみが灯された。
「僕は僕が守りたい世界を守っているだけだ。それをあなた方が邪魔するなら」
「万理!」
「たとえあなた方でも譲らない!!」
金属音がぶつかる。音が跳び、離れた。
舌打ち交じりに着地する千理は、即座に駆け、壁に勢いよく手をつけてその影から巨大な鎧人形を出したではないか。兄に斬りかかろうとした万理は方向転換。地面に転がり、横凪に振るわれた人形の
ぞっとした隻は立標を呼び出そうとして、吐き気に
「っ……くっそ、お前ら落ち着け! 万理、お前が今庇ってるのが何か――つっ!?」
頭痛。
「わかっていますよ。わかってるからこそ譲れないことだってあるのは、隻さんだって知ってるはずだ!!」
「そこで隻さん巻き込んでんじゃねえよ!!」
千理が吠えている。いつもなら出さないだろう激しい怒気に気圧されかけた隻は、薄っすらとしか明けられない視界の中、女性から延びた何かが迫ってくるのが見えた。なんとかよけるも足元がふらつく。
「やっぱり幻生か……!」
『
急に頭が軽くなった。はっとして手をやったも、小さなシマリスの毛並みがない。
「
『強制送還されたか』
肩にしがみついている浄香が唸っている。頭痛を耐えつつ、隻は鬼と呼ばれた女性から目を離さずに次の攻撃をよけた。
なんだ――棍棒を握る、大きな手の形をしたあの影は。
「この頭痛も、あいつの
『そこまでは知らんわ。だが厄介なのは変わらん。鬼の中には人を喰らい、犠牲者の姿になる者もいる。こやつがどうなるかは知らんが、お前たちが喰われてみろ。幻術の力も取り込まれてしまえば洒落にならん』
冗談じゃない。
なんとか女性の影から伸びる手と棍棒から逃れ、
頭痛からなんとかしなければ、勝ち目が――
千理逃げろ!
こっちに来るな――……
「っ!? がっ」
目を見開くと同時に、上から力強い圧迫が来た。床に叩きつけられ身動きができなくなったその時、女性が近づいてきたのか、靴が目の前に来る。
『どうして……我らを滅す』
「……あ……んた、万理の……ぅっ……」
そうでなければ
ほかになければ、万理がこれほどまでおかしな行動をとるはずが、ない。
『私は万理に
力強く背中を踏まれ、息が詰まる。
『その欲で生み出したくせに』
また力強く踏まれ、目が
『満足行かなければ邪魔者扱いして』
棍棒を持った手の影が、背中を殴ってきた。
『我らを害虫のように、我らが命を踏み荒らして!!』
「てめえ!!」
女性の悲鳴が聞こえた。途端に頭痛も背中への重圧もなくなり、咳き込む。隻を庇うように立った千理を、万理が刀を
「
「本当にそいつが幻生ってわかってるなら」
「知っていますよ。知っているから兄さんなんかを近づけたくないんだ!」
千理が一瞬固まったのが、隻からですら見えた。
「家族をずっと放って、責任全て投げ出したくせに! あなたに偉そうに言われる
それとこれとは――
言いかけた隻は思わず口を噤んでしまう。千理も何も言う気配がない。
一番上になった千理は、自分は当主にはならないと言って兄を探し続けた。結果的に万理が分家の当主候補に担ぎ上げられ、苦しんでいる
母のことすらも触れられたくなかった万理は、千理に見放されたとしか見えなかったのか?
自分たちの兄を、生きているかも死んでいるかもわからない兄を追う千理の姿を、その過程≠、きちんと見ていたはずではなかったのか。
こんなにも溝を作っても、互いに埋める様子が――
違う。埋めようとはしていたはずだ。互いに。
万理だって言っていた。千理の過程≠知らないからと。千理が隻の過程≠見ていると。
千理だって埋めようとしていたはずなのだ。
伸びてきた影を見て、咄嗟にボールを出して女性にぶつけた。悲鳴が上がると同時に万理の注意が逸れ、即座に千理が弟を組み伏せにかかるも、いなされる。
万理は意固地だ。意地を捨て切れずに、ぶつけたい気持ちに突き動かされている。今まで誰にも吐き出さなかっただろう苦しみを、わかっていない振りをし続けている千理に八つ当たりして。
あの女性のことも重なって磨り減った精神で、本当は意味がないとわかっている当てつけでも、しなければもたないほどに疲れきって。
地面に転がった千理へと切っ先を向けようとした万理に、やっと立ち上がれた隻はぞっとした。
「やめろ――お前まで曲がるな!」
振り下ろされた。
白が力強く下ろされ、無理やり止められる。腕も刀も固定された万理が微動だにしなくなり、紅が、剣先より十数センチほど手前から流れて、千理の首筋へと落ちた。
目を見開いたのは兄弟二人で。
痛みに
「つっ……ぅ……!」
『バカめが! 何を考えておる!!』
「……ぁ……っ!」
刀が、消えた。
留まる場をなくした血が、そのまま地面に、千理に落ちていく。
即座に跳ね上がるようにして飛び起きた千理も焦っているのか、黒い刀の姿がなくなり、隻へと近づいてきた。
「あんさん何やって……! 万理、
「――っ! は……い……うわ!?」
壁に叩きつけられる万理に、千理が叫んだ。
その千理も吹き飛ばされないよう踏ん張って――相手を睨みつける。
「万理! っそ、本性出しやがった――!」
今まで肩で休むだけだった猫が、千理たちの前に
「……万理、生きてる!?」
「っ……殺すな……っ、げほっ……菖蒲さ……」
『いい色……その血をよこしなさい』
狙われている。浄香が苛立たしげに鼻を鳴らした。
『フンッ、さすがは雅殺之朱鬼と呼ばれるだけはある。血を欲するとはな』
「雅殺――!? ちょい、いつ復活しやがったよ……!」
千理の顔から一瞬にして血の気が奪われたように見えた。隻が問うように見上げたその傍、万理まで顔を凍らせている。
「そん……な、はず……確かに菖蒲さんは、鬼だけど……雅殺じゃ……!」
「知ってるのか……?」
「うちん
目を見開いた。戸惑いを顔に浮かべている万理はただ、信じられないようで。
女性が優しく微笑み、鋭い目で笑い始めた。隻を庇うように立つ千理が舌打ちしている。
「ったく……兄弟
『
「ははっ、それこそ冗談」
猫に苛立たれ、軽く笑う千理に余裕があるようには見えない。すぐに目が据わっている。
「けど高くつかせますよ。人の弟
「――! 兄さ」
「殺すかどうか、てめーに任せる」