Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第22話 03
*前しおり次#

 万理が目を見開いた。もう一度無月ナヅキを呼び出した千理は冷や汗を見せつつも姿勢を低くして構えた。さらにもう一体呼び出そうとしているのか、辺りが暗くなり始めている。
「捕らえるの上手いの、どっちかわかってるっしょ。やるだけやるんで頼むわ」
 靴底が、床をにじった。
 すぐさま駆け寄る足音の主は、隻の手を見て顔をしかめ、術を紡いでくる。一度だけ笑んだ千理が、後を追うように召喚の準備を始めた。
「我 闇に沈み 闇に生き 闇を忘れし者なり」
「我 闇に沈み 闇に生き 闇をる者なり」
『何度も同じ手には乗らぬ――!』
 影が千理をいで吹っ飛ばした。痛みに呻く千理は、それでも無理やり息を吸い込み、咳を飲み込みながらも言葉だけは続ける。
 万理も兄を、恋人だったはずの鬼を見ないよう目をきつく閉じ、言葉も動作も続ける。
「闇消えぬ 闇忘れぬ 光滅さず 光も追わぬ 忘れ空の雪の 紡がれぬ絵図とここにうたう」
「夜の住人 名は清羽セイハ 闇を闇に還す象形とし 我が意に応えよ――っほ、げほっ、オレ偉い!」
『己で言わなければな』
 普段なら飛ぶはずの文句が飛ばない。手に深く刻まれた切り傷に帯びた熱が、さらに増して呻く隻。
 宙で羽根が、舞った。
 闇から生まれ出たはずのそれは、白ではない光に包まれ、輝きながら緩やかに降り立っていく。
 くるくると、くるくると。
 竹とんぼが回るよりも緩やかに、穏やかに。床にその根を触れさせたその時、辺りの空気が一度に浄化される。あまりにも澄んだ気配に、隻は痛みも忘れてぎょっとした顔のまま見入った。
 羽根が、柔らかな光に包まれて、長い尾羽を持つ優美な鳥の姿になる。白い色と光を魅せてはいるが、あの姿は――
『不死鳥を操れる者がまだいたか』
 苛立たしげに呟く雅殺之朱鬼。万理が続ける詠唱に、すぐに彼へと狙いを定めて影の手を振り上げる。気づいたのだろう万理の顔が、辛そうに歪められた。
「清羽!」
「糸よほどけ 紡ぎの雪はそこにはない」
 不死鳥が力強く鳴き、影を払うように間に割って入ってきた。苛立たしげに棍棒を殴りつけようとした影は、不死鳥が見事にかいくぐって影をついばみ、消し去る。
「じーちゃんガチ感謝! ワルキューレ以外で初めて助かったっすよ」
 千理が前に飛び出し、女性の注意を逸らす。清羽と呼ばれた不死鳥が隻のもとへと降り立ち、驚いた彼の手の傷口にとろりとした涙を落とす。
「――あ……え!?」
 沁みるかと身構えた刹那、手の痛みが癒えた。驚いて傷口を凝視しても、その跡はどこにも見当たらないではないか。
「光よしずまれ 世の果てはここではない 闇よ静まれ 我らの終焉はここにあらず」
 傷も痛みも癒えきった。それでは万理の詠唱が、無駄に――
 雅殺之朱鬼が千理へと、中空から取り出した槍の雨の先を向けている。
 青い顔をした千理が、ほんの少しだけ口に笑みを見せた。
 万理の声と重ねるように、音を響かせる。
「忘れ空の雪の香よ 我らの光を影とせん」
 鬼の動きが止まった。
 目を見開く女性は、悔しそうに歯を軋ませている。ずらりと覗いた鋭い歯に、隻はぞっとした。千理が素早く槍へと無月を振るい、宙から叩き落す。
 不死鳥が高く鳴く。体の芯から温まるような気持ちになる。なんとか起き上がれた隻に頬をり寄せ、心を穏やかにしてくれた清羽の羽を優しく撫でる。
 万理が苦汁で満たした顔で、女性を見やっていた。
「……菖蒲さん……約束が違うでしょう。どうして」
『……私以外のものにならないでと、言ったこと?』
 優しい、声。
 優しいのに、その言葉の本当の意味が見えた今、隻たちだけでなく万理もまた、苦しげな表情で。優しい面立ちの女性は、その顔に諦めにも似た笑みでからからと笑っている。
『惜しかった……お前を喰らって成りをいただければ、レーデンに復讐できたのに!』
 怨嗟えんさ
 恋人の顔ではない狂喜に走る笑いは、美しすぎて、隻たちの背筋を震わせた。
『知っていたはずだぇ、万理。お前は私が鬼だと知っていて、私の要求も偽りも全て受け入れたんだろう。手を出すな? 誓いにそのようなもの、入っておらぬわ』
「菖蒲さん――!」
『本当にお前はさとく、莫迦ばかで、愚かだねぇ』
 目が見開かれる。
 少年の目が開かれたまま、真っ黒な目に、光が消えていく。
『本当に私の傷を癒せると思うなら、お前の肝を寄こせば早かったろうに。折角三つも揃ったんだ。今が好機と踏んだのに』
 手が、拳を作る。震える腕に不死鳥が頭を寄せて宥めてくれても、怒りだけは取り払えない。
永久とこしえ真水しんすいの守護者に便乗したのが運の尽きか。時が熟すまで待つべきだったか――かつて目の前で殺せなかった屈辱、今ならと思ったのに。折角の馳走だったのにねぇ』
「てめぇ……」
『先に仕掛しかけたのはお前たちだ』
 嘲笑あざわらう雅殺之朱鬼。目を合わせるだけで射殺いころされそうなほどの何かを発する鬼の相貌そうぼうは、面白おかしそうに隻を見てくる。
ふるくは我らが界と怪を利用したお前たちの責。面白きものにかれておるお前たちの末路、見てみたかったわ……終幕をこの手で引こうとは』
 隻の隣で不死鳥が、浄香が何かに反応したかのように姿勢を低くしている。驚いた隻は、不死鳥をなだめるように撫でつつ怪訝けげんに思う。
「どうした――? うわっ!?」
 爆発。
 雅殺之朱鬼を中心に起こった衝撃波に耐え切れず、なんとか伏せて耐えた隻以外全員が吹っ飛ばされる。壁に叩きつけられ呻いている千理や、頭をぶつけたのだろう万理はぐったりとしていて動かない。その万理が庇ったのだろう猫が、苛立った声で文句を吐いているではないか。尻尾で何度も万理の頬を叩いている。
『バカ者め、呪術まで封じていなかったか』
『いや? 封じてはいたさ。弱かっただけよ』
「っほ、げほっ……! がっ――あああああああああああああっ!」
「千理!?」
 絶叫が上がる方向に目を向け、ぞっとした。
 左手が、貫かれている。女性の手に。
 痛みに苦しむ顔を見せる千理へと駆け寄ろうとし、隻ははっとした。不死鳥が飛び上がり、女性の背中を高い場所から狙っていく。
 手を引き抜き、振り向いた雅殺之朱鬼が隻へと狙いを定めてくる。千理を貫いた手を振り上げ、その白の肌が女鬼の目の高さで止まった。
 赤がない。雫がそこに流れていない。
 目を見開く女性へと、千理がにぃっと口に孤を描く。
「はーずれ」
『な……ああああああああああああああ!!』
 真一文字に横切る闇色の切っ先が、確かに女性の体を横切った。
 やっと起きた万理が、手を伸ばそうとして――痛みに呻いている。
 冷たい目の色を見せつける千理は、怒りを静かに放って、消えつつある鬼を見下ろした。
 光の糸が。闇の布が。
 薄い影すら糸となり、解けゆく中で、息も絶え絶えに静観した鬼の乾いた笑いが響いた。
「これでてめぇのくだらねえ遊びは終わりだ」
『何度でも蘇るさ……私が語られる限り、何度でも……我らは蘇る……蘇って、お前たちを呪ってやる……』
「菖蒲さ――」
「呪えば? お前を殺した奴をね」
 けどと、必死に体を動かして鬼へと近づこうとする万理を一度見やった千理は、もうほとんど消えかけて首より上しか残っていない鬼の耳元にしゃがみ、何かを呟いた。
 鬼の驚いた顔が、気のせいだろうか。一瞬だけ、本当に優しい顔に変わったような気がする。
『ああ――呪うてやる……貴様らに……死の……しゅを……此度こたびの礼として……やろう……』
 朱鬼はそう残して、眠るように消えていった。
 呼ぶ声も出せず、消えていった光と闇の糸を必死に探すように中空を見上げていた万理が、膝もひじもついて震えている。
 階段から離れた端から、壁がゆっくり崩れて白い世界が覗き始めている。この結界も――世界も、崩れていくのだろう。
 万理を助け起こしても、隻はかける言葉をなくしてしまった。
 目に光が灯っているように見えなかった。
「万理」
 兄の声に、怯えの色を見せる万理。一人さっさと出口の階段まで向かっていく千理の声は、いつもの飄々ひょうひょうとしたものではない。低いけれど怒りのないもので。
「好きだったんだろ」
 ほんの少しでも、確かに万理は頷いていた。
 見えていたわけでもないはずなのに、「ふうん」と返す千理は、清羽を腕に停めている。
「忘れんな」
「……わかって、ます……」
 苦しそうな声。不死鳥は一度首を傾げ、千理が腕を少し持ち上げると同時に万理の肩へと羽ばたいた。
「言っとく。あの人が裏切ったことじゃねぇ」
 問うように、虚ろな目で見上げる万理へと、千理は振り返らずに無月を還している。
「お前があの人のことを想ってたこと、忘れんな」
 歯を、食いしばる音。
 虚ろだった目を、口を歪めて、彼は目を閉じた。小さく引きつるような音を、隻は黙って聞いて、少年を支えた。
「――はい……」
 掠れた声を、振り絞るように。一切目から、雫を落とさずに。光を取り戻した黒の目が、小さな兄の背を見据えて自分の足で立っていく。
 隻に頭を下げ、上げた後はしっかりと自分の足で歩いていった。
 不死鳥は、兄弟の間を優しく巡っていた。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


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