Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第24話「空に上がる赤」01
*前しおり次#

 目を見開く一同の前で、子供のものだろう左腕が、地面に落ちて――
 弾んだ。
「――なっ……おい!?」
 名前を呼ぼうとして躊躇ためらう。出そうと言葉が、決してその少年を指す言葉ではなかった。
 ないのだ。彼を示す音が。彼だと示す音が。
 言葉を失う千理と志乃の隣、万理が急いで駆け寄って腕を拾い上げた。苦々しい顔は戸惑いばかりが浮かんでいる。
「……術式が解けてる……完全に壊されて……そんな……」
「解けて――って、せやったら、あの子は!?」
 想耀が顔洗いの仕草をし、不安そうにまた顔洗いをしている。
『消されちゃったよぉ……もう幻術の世界にも、こっちの世界にもいない……』
「くそっ!!」
 後にしなければよかった。名前を……決めてやればよかったのに。
 口を覆う志乃。千理が万理から、自分の左腕を奪い取るように手に収める。何も言わずに重ね着していたらしいジャージを一枚脱ぎ、その中に包み込んだ。
「術式破壊するなら視界に捉えてないとできないっしょ。探してきます」
「そうは行かせると思うなよ」
 翅が真顔で、千理の右腕をきつく握っている。万理も周辺に目を走らせて頷いた。
「今狙われているのは十中八九兄さんです。十年前の証言者を今のうちに――だと思いますよ」
「けど!」
「兄さんらしくないですね」
 苦渋の色が見える万理は鋭く兄を制し、首を振っている。兄を見下ろすその顔は精一杯の真顔。
「今焦って、いったい何が見えて、何が片づくんですか」
 ぐっと黙り込む千理。歯を食いしばる隻が、視線を建物の影から道端まで走らせれば、浄香が飛び乗ってくるなり尻尾で後ろ頭を叩いてきた。
『気を静めろ。今怒るより先に敵を見出さんか』
 わかっていても拳が固まる。翅が「響基がいればな」とぼやいた。万理が想耀に頼んだのか、シマリスが空気の匂いを嗅ぐも、不安そうに顔洗いを始めた。
『ごめんね、おいらじゃ探せないよぉ……誰か特定できないと。知ってる人じゃなきゃいけないしねぇ……』
「……なあ、永久とこしえ真水しんすいの守護者が、あいつを作ったに一票」
 渋面気味の翅。顔色が険しい中、口を開いている。
「状況判断でしかないけどな。千理の腕から体全部を再生させる術式を、腕が死ぬ前に組むなんて無茶苦茶なやり方、霊薬の力でもない限りまず無理」
『京にあやかしの類で類推るいすいしても他になかろう』
 唸る浄香。万理が耳を疑う中、千理が訝いぶかしげに翅を見やった。
「とこし……何それ」
「五神さんが探してた霊薬だって。治癒や若返りの力が――あ、違う不老不死か。そういう力があるらしい」
『正確には別の名もあるがな。有名なものは反言水はんごんすい=A真否まこといなみの水=B世の理を否定してもなお存続可能。不老不死や治癒に繋がるのも頷けるだろう』
 千理が目を丸くしてまで驚いている。万理が「有名でしょう」と呆れ、隻も苦い顔で顔をしかめた。
「習った後忘れてたんだろ……。そういえばあんたに紹介してもらった、あの神社の女の人、ヒントっぽいことは言ってくれてたよな」
『あれは詩人なだけだ。既にお前が会っているというのは、気にはなったが』
「あと、孤高とか乙女とか……女の人?『あなたたちは会っている』だったから、俺か五神さんも知ってる人だろ?」
 翅が尋ねた傍、浄香はさらに不機嫌な顔だ。既に出会っているなんて言われて隻も不気味に感じたが、そんなに露骨に顔に出されると言いたいことも言えない。
『……かつ、恐らくは幻生。座敷童のあの娘は外れるがな。ほかに私たちと隻が共通認識している者など限られるだろう』
「……本当だな。よっぽどじゃない限り同じ知り合いなんてほとんどいないぞ」
 なんだろう。何かが急く。
 どうにも落ち着かず周辺を見渡している中、千理がふと、うつむいていた顔を上げた。
「師匠……」
「あ? ――そうだな。永咲ながえざきさんなら詳しそうだけど、今どこにいるか知らないだろ」
「……そうっすね。うーわーどうしちゃったよオレ……」
 珍しい。普段なら千理が助けを求めなさそうな鬼畜師匠の名前を出すなんて。共通の知り合いのほとんどがレーデン家の人間で、残りはと指折り数えていきつつ、的を絞れない。翅が首を振る。
「――うん、キリないストップ。現状もう一度おさらい。千理のコピーを利用して京都の幻生を脅した奴がいて、恐らくだけどそいつは千理の家族を殺した奴と同一人物。そいつが多分コピーの術式を壊したんだよな。術式を一瞬で壊すなんて、普通は創造主以外無理だから。そいつ次に何すると思う?」
「何って……もし俺が敵だったら、千理消すか関係者洗いざらい――」
 言った隻の顔が凍った。翅たちも同じ考えだったのだろう。万理が頷いた。
「決まりましたね。本家に戻りましょう」
「――お前戻って平気か?」
「戻らずに後悔するぐらいなら前線で走ります。おじさんたちだけ前にいるなんて」
「いや、あんさんは京都駅。志乃ちゃんも」
 万理と志乃が「はあ!?」と抗議の叫び。千理は弟へと、自分のかつての左腕を、包んだジャージごと渡している。
「これ頼むわ。翅、よかったら送ってやって。家に何向かってようが、今日は政っちの結界なんすよ。持ち堪えてくれますよ。――あと、ちょっと見ておかないとってもんがあるんで。阿苑当主に言伝ことづて頼んでいい?」
「いいけど言葉選べよ、まんま伝えると俺が怒られる」
「じゃあないだろうけどオブラート包んどいて。『夕焼け小焼けの前に片すんで、戻ってこなかったら対魔結界の一番きつい奴よろ』」
 耳を疑った。翅が目を据わらせて千理を睨む。
「オーケーわかった。つまり薬包紙は必需品だなグッジョブ」
 ――後でまた打ち上げられる千理を見ることになりそうだ。
 げんなりしつつ、話が終わったなら行くかと隻が声をかけようとしたその時。千理から渋面を作られた。
「隻さんも京都駅戻ってください」
「却下」
 翅と声が重なった。千理が一瞬怯んだ顔をしたが、それも視線がさまよっていく。
「いや却下って……正直これ以上は足手まといっすよ」
 ブチッ
「さっきの戦闘も含めて限界来てるんじゃないんすか。万理もこれ以上前線出て何かあったら兄貴たちに合わせる顔ないし、オレ」
 ミシッ
「志乃ちゃん巻き込んだらそれこそ大目玉もんでしょうよ。翅が上手く言伝できんかったら帰ってきてもオレの首結局飛びますし」
 バキャッ
 それぞれ、手に持っているものか地面がへこむ勢いで、全員怒りを大気に放出させている。にもかかわらず、上の空気味な千理は、今さら隻たちを見てぎょっとした。
「えっ、ちょまっ」
「誰か一人は連れてけど阿呆――――――――――!!」
 バスケットボール数個、医療用の針数本。ついでにハリセンと飛び蹴りが鮮やかに決まって、泣く泣く千理は隻を選んでいた。
 
 
「ひでぇ……みんなひでぇ……万理一番ない針ない……!」
「縫合用の針まであったもんな。自業自得」
「いや待って!? 地面に縫いつけられそうだったんすけど! 隻さんバスケボールで後押ししてたでしょ、ひどすぎじゃないすかさすがに! 超理不尽!!」
 その万理たちと別れてからというもの、文句を飛ばす千理の表情がいきなり曇った。走っていた隻は驚き、速度は落ちないもややうつむき気味な千理に目を見張る。
「どうした?」
「――いや……怒ってないんすか?」
「足手まといって言ったのを? そりゃ誰だって怒るだろ。今足手纏いなのは自覚ある」
 気まずそうにする千理は本当にらしくない。見抜いたと同時、隻は平然と前を向いて家の方角を眇める。
「どう転んでも俺を置いてく気だっただろ」
「……なんでばれるかなぁーもー……」
 走りながら頭を抱えられる千理には、別の意味で脱帽だ。「気づくだろそりゃ」と返せば、千理は押し黙っている。
「足手纏い、体力限界ってまで言うくせに俺を選ぶなんて、今までのお前なら絶対なかったぞ。小堺と万理はともかく、阿苑当主への伝言は俺だってできたわけだろ。さっき翅を選ばなかったからある程度納得いった」
「……じゃあ引き返してくださいよ」
「ははっ、断る」
 口をあんぐりと開けられたのが、前を向いていても分かった。さすがにずっと走り続けるのも酷なもので、一度歩き始めると、千理も戸惑うように速度を落とした。
「それでお前が死んでたら目覚め悪いんだよ。体力限界だ? めんな。やろうと思えば限界リミッター外したって戦える」
 体力の回復の早さは折り紙つきだ。既にバスケットボールをあれだけ出せるまでに回復した時点で確信した。
 同時に脳裏で響く、あの言葉。
「お前を独りで行かせると思うなよ、この暴走癖――なんだあれ」
 紙が、ひらひらと落ちてくる。人型をしたそれは柔らかく隻たちの周囲を旋回し、隻の目の前、中空で直立したではないか。
『隻くん!? 隻くんだよね、合ってる!?』
「ユリ!? え、これお前の式神しきがみか!?」
『うん。よかったぁ、千理くんがうちの当主に反抗して飛び出しちゃって! 隻くんに伝えようってしてたんだけど、式神に目を描くの忘れてて途中でね、えっとね……!』
 必死に伝えようとしてくれるのはありがたいものの。視線を逸らして口笛を吹く真似をする千理の後頭部を殴りつけ、白けた顔で式神を見やった。
「うん。今隣にいる」
『やっぱりそうな――ええ!? ど、どうしよう今どこにいるの!?』
「落ち着けよ頼むから。千理の偽者騒動はもう心配しなくていいよ。家の様子見てくるだけだから、ちょっとそっちで待ってろ」
『えっ、でもレーデン家の皆さん、仲居さんや未成年者以外の方の姿がないんだけど……まだ非常事態なんでしょ?』
 千理がまた何か言おうとして、隻は素早く口を塞いだ。勢いがよすぎたのか顔を叩いてしまい、千理が呻いている。
「非常事態終わったって知らないかもしれないだろ。……伝えてくる。もう少しそっちで待ってろ」
『……隻くん、何か隠してるよね?』
 千理の声が聞こえたのか。
 一瞬苦い顔になるが、すぐに平静を装って肩を竦めた。目を書いていないと言っていたから、恐らくは見えないだろうけれど。
「んな訳あるかよ。――ちゃんと帰ってくるから心配するな。保護者で引率してくるだけだから」
 千理が目を見開き、見上げてきた。すぐに頭を押さえつけるようにぐしゃぐしゃと強引に撫で、黙らせる。
「それじゃ行ってくる」
『……うん。行ってらっしゃい。……隻くん、この子もうすぐ呪力切れるけど、よかったら持って行って。これ以上通話は難しいかもしれないけど、盾の効果だけは残せるから』
「ああ。ありがとな」
『……うん……っ』
 泣きそうな声。紙を手元に引き寄せ、折れないようにジャケットの裏の胸ポケットへとしまった。
 紙に見出した気配はもう、消えている。隻はほんの少しだけ笑ってしまった。
 また泣かせてしまうなんて、彼氏失格だろうか。
 隠し事も下手、見抜かれてばかり。結局弱いままで、ずっと心配させて。一度でも安心させてやれないなんて、本当に最低野郎だ。
「隻さん……ちょい、今の」
「守護者、検討ついてるんだろ」
 体を強張らせた千理に、隻は睨みつけるように見下ろした。
「ぶっ叩く。いるなら本家の可能性が高いんだろ。お前の記憶操作をがそうって試したのが、俺たちだけなわけあるか」
「気づいて――」
「バスケ経験者、甘く見るなよ」
 臨機応変な試合展開、縦横無尽に移動するボール。
 常に仲間の配置や役割を考え、場面に応じて切り替えて回す。
 簡単じゃない。どのスポーツにも言えることだけれど、バスケに求められる技量はそれこそ総合的なものだ。そうして小さい頃からつちかってきた経験則で言うなら、今現在で考えられるのはそういうこと。
 隻と翅、もしくは浄香に共通した知り合い。永久とこしえ真水しんすい。人にずっと協力してきた。長年生きていて、恐らく女性。孤高で、弟子への未練を断った。
 そして千理の化け物じみた体力でも、恐らく死んでも不思議ではなかったはずの左腕も、千理自身も生かせる力を、身近で振るわれていたとしたら。
 千理がもし、気づいているのなら。
「……一つ確かめさせてください」


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2026 *Nanoka Haduki* all right reserved.