Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第24話 02
*前しおり次#

 戸惑うように揺れる千理の目が、訴えてきている。けれどその訴えを、隻は気づかない振りしかしてやれない。言えば間違いなく、こいつは置いていく気だ。
「……気づいてるんすか?」
「お前が何か引っかかってるのにはな」
「じゃあオレ一人で行きますから」
「なんでそうなるんだよ、誰もその辺突っ込んでないだろ」
 ぐっと押し黙る千理に、隻は眉をしかめた。
 気づかない振りは、簡単じゃない。
「何隠してるんだよ、お前」
「隻さんの言えたことじゃないっしょ――!」
 目を見開く千理が家の方角を見て固まっている。つられて振り向いた隻も言葉を失った。
 紅い。
 まだ青い空の中、レーデン家の屋敷の真上を、紅い光が夕闇のようにきらめいている。
「なっ……!」
「――っ、エヴェ!」
 しまっ――っ!
 瞬時に足元の影からワイバーンを呼び出す千理は、飛び上がる飛竜の背にしがみついて飛び去ってしまったではないか。風圧を踏ん張って堪えた隻は、舌打ちして睨みつける。冷たい汗が一気に噴き出す。
 まずい
 今この状況で、千理だけ行かせるのは。
立標たひょう、行けるか!?」
 すぐに思い描いた翼の生えた猫もどきが、隻の足元の影から飛び出してきた。喉を鳴らして足元に擦り寄ってきた猫は、すぐに乗るようしゃがんでくれている。空元気で笑み、背を撫でた隻は飛び乗り、立標がサイズを合わせてくれた次の瞬間、背を軽く叩いた。
「頼む――おわっ!?」
 ばさっ。
 翼が大きくうねり、しなった。
 その勢いで飛翔し始めた姿に、隻は茫然とする。
 次の瞬間。駆けるような速さで飛翔する立標は、隻が走るより圧倒的に早く火の手前に到着した。
 千理の姿も、エヴェイユの姿も見当たらない。
 表の弁当屋は――臨時休業の張り紙だ。玄関先へと回り込み、結界の探知を掻い潜り、足が止まった。
 火の海だ。
 立標が燃え盛る建物に怯えて後ずさっている。猫もどきの頭を撫でて宥め、壁を見上げた彼は愕然がくぜんとした。
 結界がない。元旅館のバカでかい敷地と、そこを出入りする幻術使いが人目につかないよう、普段から薄布のように広がっていた結界がそこにない。
政和まさかずさん……!」
 滅多にすれ違わないけれど、よく千理から食事を取られる隻に、こっそり差し入れをしてくれていた人が今日の担当のはずだ。レーデンで一番強固な結界を張るその人のものが破られているなんて、嘘だろう。
 ぞっとして思わず飛び込んだ次の瞬間、怪訝な顔になる。
 なんで熱くないんだ……?
 周りの火が光を反射するかのように輝いている。火の中に入って見える世界ではない。どちらかというと、綺麗な川の中にいるような煌めきが、焦る隻の周りで踊っている。
 確かに息苦しいし、酸素が薄い。けれどそれ以外はまるで幻を見るような不可思議な火だ。
 なんなのだろう、この火は――
 走り回る音が聞こえ、はっとした隻は思わず足音を追いかける。火の熱が結李羽の式神に伝わらないよう胸元を押さえ、心臓が急くように脈打つ音に戸惑う。
 視界が、揺らぐ。
「くそっ、幻だろ……!」
 ――そうなのだろうか。
 幻だけれどそこにいるのは、立標もそうだ。エヴェイユも、雷駆も。作楽呑もアヤカリも。熱くないと頭が拒否しているだけで、本当はこの火は……
「うわっ!?」
 縁側の角を曲がった瞬間、離れのほうでガラガラと崩れ落ちる音が響いた。絶句する隻の目の前、幾重いくえにも咆哮が上がる。
 何かが入り込んで――いや違う。外に出られた声だ。そういえば、ここに入りたての頃箪笥などについている札をがすなと言われなかったか?
 顔が青くなった。
 急いで片付けなければいけないのに。生きている人がいないか、探したいのに……!
「っそ……誰かいないのか! おい!!」
 気配が感じられない。立標も不安げに空気の臭いを嗅いで、首を振った。
 母屋のほうには人がいなかった。離れのほとんどには近づけそうにもなく、立標が中を素早く走って確かめてきてくれた。人はいなかったようだ。
 あとは当主らの部屋がある母屋の一画ぐらい。
 当主らの部屋の付近まで来て、立標がぴくりと耳を動かした。立ち止まる立標に目を見開き、次期当主の書斎を仕切る焦げた障子を開け、隻はぞっとする。
多生タオさん!」
 出血がひどい。燃え盛る布団の傍で、浅い呼吸を繰り返しながら倒れ込んだその体は、着物を完全に血に染めているではないか。
 即座に多生を抱え上げ、立標の背に乗せた。火の手のない場所まで来ると、多生が僅かに呻いている。
 頭からも出血を確認し、隻は顔を強張らせた。
「隻……か……」
「はい! 無理に喋らないでください、傷が――!?」
 頭を撫でられ、目を見開いた。
 多生はほんの少し笑み、頷いてくれる。
「よく、ここまで」
「――多生さ……」
「千理は……」
「……それが、ここの近くまで一緒だったんですけど、まだ見つからなくて……偽者は……消えました。けど」
「そうか……早く逃げなさい」
 口元が、くっと引き締まった。
 火の爆ぜる音が間近に迫る中、隻は一呼吸置くとしっかり多生を見据えた。
「……すみません。聞けません」
 多生の目がやや見開かれ、複雑そうに笑んだ。
「君もやはり、貫くか」
「え――?」
「他の者は、政和に、匿わせた……皆、無事だ。足止めをしたが、私の力不足、だったよ。水に――あの人に、気をつけなさい」
 ふっと目を閉じる多生に顔を青くした隻は、まだ燃えていなかった着物の帯を使って多生と立標の体を固定し、立標の頭を撫でる。
「頼む。多生さんを京都駅まで送ってくれ。後は結李羽たちがなんとかしてくれる」
 立標がほんの少しだけ、隻をじっと見てきた。意表を突かれた彼へと、喉を鳴らして名残惜しそうに頬を摺り寄せてくる。
『名前、ありがとう』
 顎を外しかけた。
 何度か目を瞬かせる隻に、立標はただ見つめてくる。
「え……!? お、お前っ、しゃべ」
しるべを、隻の中に、置いていくよ』
 目を見開く。猫舌で頬を舐められ、ざりざりとした感覚が撫でていった。
『隻の標は、ぼくが知っている。闇でも、光でもない標。またぼくの名前、呼んでね』
 胸元に甘えるように、大きな猫もどきが鼻を押しつけてくる。
 ふっと顔が緩んで、立標をあやすように頭を撫でた。
「――ああ。ありがとうな」
 一度だけ、強く頭を押しつけてきた。立標は隻から離れると翼を広げ、あっという間に羽ばたいていく。
 しばしその姿を見送っていた隻は家の中へと目を向け、睨みつける。
 敵はまだ中にいる。間違いない。
 立標が全力を出して飛んでくれたとして、京都駅に着くまで最低でも十分は見ておかなければ。それまでは絶対、どんなものも創り出せない。
「間に合ってくれよ……」
 連身や憑依の過程で習った身体強化も禁止。自分で自分に限界を付加する。一度大きく息を吸い込み、吐き出した。手のしびれをごまかし、中に走り込む。
 足音だけが響く縁側の道を駆け抜け、周辺へと何度も視線を走らせた。
 ――本当に変な火だ。熱を感じない。
 奥からガラガラと音がし始め、隻は顔を引きつらせた。
「嘘だろ、もう柱……! おい、バカ千理どこだ!!」
 ずんっ
 重たい足音は、明らかに千理のものではない。思わず固まる隻は、ふと頭上に差した陰に顔を上げ、顔が引きつった。
 大きな――坊主。
 坊主、だろうか。鬼の角が生えた柔和な顔の男というべきか……いや、袈裟に法衣とくれば坊主で合っていると思う。
『我が名は節鬼せっき。よろしゅうに』
「……あ、は、はぁ……ご丁寧にどうも……」
『そちの名は』
「……隻、です」
『ほう、新たな養子か。福は外――!!』
「なんでだよ!!」
 避けた。超全力で。
 怒りをあらわに、もう過ぎに過ぎた節分の勢いで大豆をぶつけにかかる鬼坊主の、明らかに大豆三十個分が一塊になった巨大な大豆は、もはや砲台の弾丸だ。
 家の柱を破壊していく大豆にぞっとする。鬼坊主は泣きながら投げつけてくるが、的が大きすぎる分避けるのは容易い。
『だって我に福来ないもんっ、投げつけられるばっかりだもん、鬼にだって福あっていいじゃんうわあああああああああん』
「ガキだなあんた!? 自分で探せばいいだろ、道端にだってあるよ福なんて!」
餓鬼ガキじゃないやいえてないやいうわあああああああああん!』
「漢字変換して自爆するな!!」
 思わず叫んだその時、後ろからぬっと何かの影が見えた気がしてぎょっとした。
 振り返ったら、負ける。なんだかそんな気が――
『通せんぼしーちゃった」
 うああああああああああああああもおおおおおおおおおおおっ!!
 頭を抱えたくなる。事実抱えてしまっているが、正直自分でもシリアスまっしぐらだったのに。どうしてこう、周りはコミカルな連中ばかりが寄って集って……!
 おそらくだがあと八分。それぐらいで立標は京都駅のはずだ。なんとかそれまでに逃げきれればきっと大丈夫だ。根拠はない。
 目の前には巨大なきっと節分の鬼な、鬼坊主の節鬼。
 後ろはバカでかい男の子。きっと名前は通せん坊。
 面倒くさい。
 何度でも言える。面倒くさい!
『今までの恨みはーらーさーでーぇ……』
「……恨みぃ……?」
 目が据わり、苛立ちが堪りすぎて我慢ならない。限界だのなんだのもうどうでもいい。
 瞬時に衣から刀を思い描こうとしたその時、目の前にさっと何かが飛び出してきた。ぎょっとした隻の目の前、突然節鬼も後ろの通せん坊も慌てて逃げ出していくではないか。
『招き猫嫌いいいいいいいいいいいいい!』
『猫引っ掻く嫌いいいいいいいいいいい!』
『誰が猫だ誰が!! 招くものなどどうでもよいわ、詫びろ訂正しろ逃げずにひざまずけ!』
 もう、白けた顔しかできなかった。
 福がほしいと泣いていた節鬼は、その福を呼ぶ猫を嫌いと言って逃走する。通せん坊は過去に猫と何かあったのか逃げ出す。
 敵がいなくなってラッキーなはずの現状なのに、招いてもない足元の猫はあれこれいちゃもんの連発とくる。蹴りたい衝動に襲われたが、耐えに耐えて重い溜息を長く吐いた。
「あんた……翅たちと一緒に駅に行ったんじゃなかったのかよ」
『お前の猫もどきが見えたから追ってきただけだ、たわけが。呼び出す幻生は一体で精一杯のくせに、すけに礼も言わんとはな。失礼なガキめ』
「一番礼欠いてるのはあんただろ! だいたいそれだけで来る優しい性格かあんたは!」
 苛立ち任せに言い返せば、猫は不機嫌そうに耳を寝かせている。尻尾を左右に一度振った後、即座に姿勢を低くしている。
『優しくはないな。私は約束を守るだけ。他のことなど考える気も起きん』
「隻さん!?」
 真上から風圧がかかる。飛竜の高い鳴き声が響いた。隻と浄香の目の前に着地したジャージ姿の少年は戸惑った顔で、隻はふっと笑む。
「なんでここにいるんすか! さっき置いてったはずなんに」
「誰が保護者だと思ってんだてめえ!」
「さっ、さあせええええええええん!」
 殴りかかるも、千理の交差した腕に止められた。同時に飛竜が上空で鋭く鳴き、はっとした千理が苦い顔で無月ナヅキを呼び出した。
「今度はなんだよ」
「いや……結構でかいもんがいたんで、戦いやすい場所まで誘導してたんすけどね。まさか進行方向に隻さんいるって思わなくって……つい」
 ……つい、何?


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


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