「思った以上に小さいんすね、隻さんちって」
「開口一番失礼にも程あるだろ!」
千理の哀れんだ視線と、猫のバカにしたようにほくそ笑んだような目に、隻の腹の虫が治まらない。
「サラリーマンの親父がここまでやっただけ偉いと思うけどな――な、なんだよ」
生温かい目を向けられ、毎度思うがどうにも気が治まらない。睨むようにして言い返せば、千理は「いや……」と微妙そうな声。
「オレ、サラリーマンって下っ端ってイメージしか……さーせん」
「今すぐ自宅警備に戻ってろジャージ野郎」
「ひっでー! ジャージ=ニートはイモっぽいって朝も言ったじゃないすか、学習能力って言葉覚えないんすか!?」
「その学習能力まともに養ってからサラリーマンの有難み知れよ! 就職氷河期わかるんだろ、フリーターが聞いたら激怒するぞ!!」
「だってオレ職あるもーん! 十三から働いてるんすよこっちは!!」
『……それが高校年齢と大学年齢の会話か』
「猫に一番言われたくねえっすよ!!」
けれど釘を刺された内容は確かにその通りだ。千理同様言い返しそうとした隻は、頭痛を覚えてそっと止めた。失礼なのはこんな言い争いをする自分もではないか。
開いた玄関から母が顔を覗かせていることに気づき、隻は気まずくなる。
「あ、あら、お、お友達……?」
母さん、声引きつってる。隠せてない。
千理は人懐っこい笑顔で、今の剣幕を綺麗に忘れている始末。
「あ、こんちわーっす。突然お邪魔してすいません」
「いえいえ、いいのよ。あんな後だから変な場所行ってるんじゃないかと思って……隻! あんたはもう! きちんと連絡ぐらいしなさい!!」
「……いいだろ、寄り道ぐらい……バスケの帰りとかもあっただろ」
「そういう問題じゃないでしょう。結李羽ちゃんのご両親から連絡いただかなかったら、状況もわからなかったのよ!? おまけにふらふら出歩いて、本っ当にあんたは――」
迷惑ばかり、問題ばかり――だろ。
聞き飽きた責め句を言い連ねられたところで、隻には毛ほども恐怖を感じない。むしろ隣の少年が見せた怒気のほうがよほど厄介だと、今なら言える。
事情を説明したいからと母に告げ、全員を家に上げる。親の困惑した顔が自分へと向けられても、隻は千理の分の茶を冷蔵庫から出しつつ視線を逸らした。
「いったいどういうことなの?」
「説明する。言っただろ。――客に茶出さないほうが文句言ってたくせに」
「あんた、こんな時にまでそんな言い方するの!? 人をダシにするなんて」
あんたのやり口だよ。
言いたいことを堪えて、隻はふいと視線を逸らした。千理が気にした様子もなく浄香とを猫じゃらしで遊んでいたことに、気を遣わせたかと舌を巻いた。
茶を渡すと、彼は朗らかに礼を言う。
母が自分の茶を持ってきて、猫には水を。そうしてテーブルに着いた中で、隻は千理とともに交通事故の現場に向かっていたことを説明した。
隻の座る場所に茶がないことを、千理はちらりと目を留めていたようだった。
「え、じゃあ一緒に事故現場まで捜しに行ってくれてたの!? 悪いわねえ……昨日お父さんが帰りに警察に寄ってくれて、結李羽ちゃんからのプレゼント、受け取ってたのよ」
母が電話台の隣に置いてあった、ややくすんだ包みを渡してくれた。ほっとした隻は、すぐに苦い顔になる。
「そっか……親父、今日帰り何時?」
「また十二時になると思うけど……それより、君どうしたの? その傷」
「ああ、うっかりして竹林ん中に突っ込んじゃったんすよ。動けなくなってたとこを隻さんが助けてくれたんです。なんか話聞いてたら他人事に思えなかったもんで。しかもこの猫につき纏われちまって……すいません、こいつまで上げてもらっちゃって」
浄香の目が鋭く千理を射抜いている。また引っ掻こうとする猫の手を、隻は構うふりをして注意を逸らしてやった。母はおかしそうに笑っている。
「ああ、いいのよ。この子よくお兄ちゃんと一緒に動物拾ってきてたから。子猫を拾って世話してた時期もあったのよ」
「あり、そうなんすか?」
不思議そうな様子の千理。「それはいいだろ」とこぼしはしたものの、それにしてもと、隻は困り顔になった。
「親父にまで話回す時間ないか……」
「何? どうかしたの?」
言葉に詰まる。千理もどう答えていいのか悩んだようで、一瞬だけこちらをちらりと
しばし考えて、母を見る。
「……俺、大学辞めて京都に行く」
「――はい?」
母の目が点になった。千理が頭を下げた。
「すいません。オレのせいなんです。家がちょっと厄介な血筋なもんで、隻さんにうっかり事情話しすぎちゃったんです。それで本家に色々怒られちって……その……」
「俺もこいつの家の家業に適してるから、雇ってくれるって話になったんだ。色々面倒見てくれるらしいし、親父たちにもこれ以上迷惑かけなくて済むし、このほうがいいから。こっちは
「あ、あんたね、そんな簡単な話じゃ――それに家業って、失礼だけどあなたいったいどういう」
「ぶっちゃけ害虫駆除っすねぇ……」
「どこに厄介なご事情があるの!?」
だから、この説明は絶対やめたほうがいいと思ったのに。母の血管が笑えるほどに浮き上がったのを見て、隻は目を逸らした。
「他にいい言い方なかったのかよ」
「えーっと……
「本当のことを話してくれる?」
千理が押し黙る。ちらりと隻を見やるふりをして、猫に視線をやっていた。猫が
千理は一度だけ弱ったように隻の母を見やって、「わかりました」と席を立つ。母の呆れるほど真剣な表情を見て、もどかしさが喉を圧迫する。
そんなに決められる歳じゃない。
「親御さんには話してもいいはずなんで……ただ、他言しないでください。家族だけで留めてもらわなきゃいけない話になるんすけど、いいですか?」
「構わないわよ」
千理が頷く。紙を用意してくれと頼まれ、電話帳の隣のコピー用紙を渡した。毛筆のペンを取り出す千理は、慣れた手つきで不可解な文字を書き連ねる。
その行動で意味が通じたのだろう。母の目が冷ややかなものに一変したが、千理が唱え始めた言葉と共に、紙が独りでに黒く染まり始めたのを見て目を見張っている。
「我 闇に沈み 闇に生き 夜の住人たる者を
紙が完全に黒く染まった。独りでに折り紙のように、紙がカサカサと折られていく。
「夜の住人
黒く染まった紙が独りでに破かれた。紙片が闇に包まれ、鳥の形を成す。
塗り潰された色の鳥は翼を広げ、千理が差し出した腕に留まったではないか。
目を疑ったのだろう。母はあまりにも愕然としている。千理は気まずそうにしつつも、隻の母を見やる目は真剣そのものだ。
「害虫駆除――って、ふざけて言ったわけじゃないんすよ。オレの家の仕事はこいつらの力を借りて、この世界中にいる幻想を潰していくんです。今回隻さんたちがそれに巻き込まれたかもしれないからって、オレが協力して探ってました。……
言葉を失うほどに
「それ、
「おっ、隻さん見てるんすか! まあ、著作権引っかかるんで内密に頼みます。簡単に言っちまえば、オレの家業っていうのはお
特に日本じゃ人一人消えたら報道されますしね。
千理の言葉に、猫が微かな音でフンと鼻を鳴らした。
「上――オレらも家業って言ってもほぼ業界みたいなもんなんで、上層部連中から正式に隻さんに勧誘が来たんです。実際隻さんも、記憶を飛ばしてこいつらを見えなくする、なんて平凡な話で終われなくなっちゃいましたからね……」
「そ、そんな簡単に――それじゃまるで、この子の気持ちは無視して」
「無視してなんてねえよ」
隻は慌てて止め、苦い顔になった。こんな
「結李羽をあんな目に遭わせた奴がいるなら償わせる。こいつの傷だって、俺が手伝えって言ったから、そいつらに目つけられてやられたんだ。後戻りできない場所まで来たんならやる。結李羽や知り合いがいつ、そいつらにやられるともわかんないだろ」
「そんな警察みたいなこと」
「そうっすね。実際警察みたいなもんです」
言って、千理は頭を深く下げた。
「本当すみません。少なくとも隻さんは、本家にいる間は確実に守られます。それから外に出て、どいつを相手にするかは隻さん自身で選べますし、オレも実力着くまでサポートつくようにします。――親御さんの知らない場所で話進めまくってすいません」
「――謝って済む話ではないでしょう。特にあなた、まだ子供でしょう? 責任
「いいだろ行かせれば」
隻が顔をしかめたその時、彼とそっくりな声が響く。母が驚いた様子で廊下を見やり、千理が驚いた様子で振り返って、納得した顔でこちらを見てきた。隻が顔を歪めているのを見て、千理は目を丸くしている。
見なくてもわかる。隻と同じ焦げ茶色の髪に焦げ茶色の目。あちらの表情のほうが柔らかいのは性格の表れだろう。身につける服も、向こうはロックテイストだ。
「お前は関係ないだろ」
「母さんがうだうだ言ってたんだろ? 止めに入ってやったってのに」
「黙ってろ」
「隻! もう……
「だって行きたいって言ってんだろ?」
なおも後ろから聞こえる声に、隻はかちんと来る。
関係ないって言ってるのに……!
「いいんじゃねえ? おれらもう十九だぜ。母さん過保護すぎ。折角こいつがやりたいって言ってること潰してたら、成長も見送りって話だろ?」
「いい兄貴面してんじゃねえ」
うわ、
「さっさと向こう行ってろ」
「なんだよ、人が手助けしようってのに――はいはいわかったよ。トランク好きに使えば」
「お前の? 誰が借りるか」
素知らぬ様子で口笛を吹きつつ、廊下に出て階段を上がっていく兄を、千理は見送ったのだろう。驚いた様子をこちらに見せてくる。
「そっくり……双子?」
「……さあな。忘れた」
母が溜息をついてくる。千理が平然と笑っている様を繕ったものと捉えたのだろう。困り顔をして謝っている。それでももう一度隻を見てくる目が、隻はもう嫌だった。
「……どうしても行く気? 結李羽ちゃん、まだ目を覚ましたばっかりでしょう」
「……このまま終わって、ユリを巻き込んだ奴がまだ生きてて、そいつが平気な顔して次の誰かを殺すかもしれないのが嫌だってのが、そんなにおかしいかよ」
沈黙が居間を包む。渋面で言葉を探す母が折れるまで、程なかった。
「――お父さんには話しておくわ。連絡は取らせてもらえるのよね?」
「はい。そこは保障します。帰りたかったら時間作って会いに行くことも許されてます。ただ本当に、他の人にこのことは言えないんすけど……」
「わかりました。着いたら、ご実家の大人の方にご挨拶差し上げてもいい?」
「はい。ありがとうございま――っれ、隻さん?」
「みぎゃっ!?」
猫が膝にいるにもかかわらず、椅子を蹴るようにして立ち上がった隻は扉へと走る。廊下に出る直前、なんとか立ち止まって、母を見やった。
「――ありがと」
「謝るならお母さんじゃないでしょう……しっかりやりなさい、いいわね」
頷いた。頷いて、階段の上へと駆け上がる。
自分の部屋に入ってすぐ、兄が勝手に人のベッドに寝転んでいるのを見て腹が立った。