Under Darker

 第1章白夜の夜想曲

第25話 03
*前しおり次#

 にっと笑い、バスケットボールを取り出して男の子へと放る。不思議そうに受け取ったその子は、じっとボールを見つめているではないか。
「ひとりって漢字、いっぱいあるんだよ。『独り』の意味は孤独だけじゃないって知らねえんだろ」
 ――あんたやっぱしつこかったよ、バカ教諭。
 一言一句全部思い出せる。もう忘れたりしない。
 男の子と目が合って、隻は笑った。
「たったひとつ、他にないもの。ひとつだけの大切なもんなんだよ」
 くぐもった声が鮮明になった。
 頭を何度も叩かれ、痛みに呻く隻は、口の中に残る水が気道に入りかけてせ上がった。
「うんよかったわね、息吹き返したわよ。さて、それじゃあ私はあっちに行きましょうか」
華淋かりんねえ何したかったんすか!」
「何って……もう、千理くんたら本当にお莫迦ばかさん。単にいじめたかっただけに決まってるでしょう? 私を誰だと思ってるの」
「え、鬼――たんまたんまたんまっ、ガチたんま!! ってか隻さん! 隻さん本気で大丈夫なんすか――だっ!?」
「負傷者の前で騒がない!!」
「ごっ、ごめんなさい!!」
 必死な声に、笑いが込み上げてきた。
 相っ変わらずうるせえ……。
 ふと驚いた女性の声が聞こえ、隻はぼんやりと目を開けた。
「うそっ、術式が解けてる……隻様? 大丈夫ですか?」
「え? あ……」
「あら、自力で解いちゃったの? つまらないわあ」
 いや待って。どなたですかそこの真っ黒ゴシック衣装の女性。
 千理が茫然ぼうぜんとし、なんとか起き上がる隻をまじまじと凝視ぎょうししている。
「……未來ちゃん、間違えてません?」
「何か仰りましたか?」
「い、いいえ何も! ってか、隻さん永久の真水めっちゃ飲んだんじゃないんすか、大丈夫なんすか!?」
 隻が耳を疑って固まったその途端、腕が一瞬だけがくりと力が抜けそうになり、目を丸くした。
 視えたのだ。焦点の合わない目で千理を見下ろす中学生頃の少年の姿が、うっすらと。
 驚いて永咲のほうへと振り向けば、押されている様子はないのに何故か渋面を作っている。翅と響基が舌打ち三昧ざんまいだというのに。
「――会わせるのはあの世だと、まだ聞き分けられないのかい?」
「誰に言って――」
 翅が口走った言葉に、耳を疑った。
 霧の中に佇んでいるかのようにうっすらとしている少年は、ぼんやりとしたまま永咲へと首を振っているのだ。

 もうやめて

 口がかたどるだけの言葉が、わかる。
 千理と未來が永咲へと振り返ったその途中、確かにその少年を見たはずだ。どうして気づいた様子がない。
 ゴシック衣装の女性が、卵人間ハンプティ・ダンプティを操りながら「そうそう」と隻へと目を移してきた。
「今はなるべくしゃべらないでね。永久の真水で、あなたが言ったことと反対の事柄が起こってしまいかねないの。全身かった時は焦ったわぁ、これでも」
 それなら、もしかして浄香も――
 はっとしてジャケットのポケットに手を突っ込み、子猫を引っ張り出した。不機嫌顔から一変、にやりと腹黒く笑んでいる。
 ですよね――――――――――!
『私に人間の体などないわ!!』
 叫んだ、次の瞬間。
 金髪を波打たせた二十歳頃の女性の顔が、豊満な胸が隻の間近に迫り、け反ってまで後ずさってしまった。幻術でカクテルドレスを作って纏う元猫は、悪役じみた笑いをらしている。
「くくくくくくくくくっ……! ははっ、ふははははっはははははははっ! ぬかったな守護者! これで私復活だ!!」
「え、もしかして体なかったんですか!?」
「まあどうしましょう、魔王が増えたわ……」
「誰が魔王だ女帝と呼べ女帝と!!」
 魔王、増えた……。
 遠い顔をする隻は再び咳き込んでしまう。思いのほか肺のほうにまで水が来ていたのか、呼吸がかなり苦しい。
 赤面して顔を背けていた悟子には本気で同情する。
 隻はひとつ溜息をつき、千理と目が合ってにやりと笑った。千理がぞっとしたような顔をしたのですねを蹴飛ばす。
 悶絶された。
「お前の兄貴、ここにいないぞ
「えっ!? いやそれは知っ――……」
 隻の真隣に視線が集まった。
 誰も彼も現在の状況を忘れて、千理と万理を足して二で割ったような容姿の中学生男子を見て、固まっている。焦点の合わない目が、ぼうっと千理と永咲を見つめている。
 華淋と呼ばれていたゴシック衣装の女性が、満面の笑顔で頷いた。
「わかってるわねぇあなた」
「そりゃどうも」
「天……兄……?」
 呆然と声をかける千理へと、男の子は確かに、ぼんやりとした焦点を合わせた。
 ややうつろな瞳が細められ、放心顔の千理を映す。
「せん……り……」
 千理の顔が歪む。
 歪んで歪んで、流れ出そうになるものを全部堪える顔は、ぐしゃぐしゃになっていた。
「――にい……っ!」
「――完全にひたし損ねたか」
 永咲の冷えた声に、翅と響基がはっとして振り向いている。
「ごめん本気で忘れてた」
「おや。そのまま首をねればよかったかな。残念なことをしたよ」
「冗談きついなー相変わらず。なんでこう師匠なんて呼ばれる人は鬼畜ぞろいなんだ」
「それって私のことかしら? ねえ、翅くん?」
滅相めっそうもない!!」
 華淋にぞっとする翅の叫び声に、響基が苛立った顔をした。口の中からも、肺の中からも水分の気配が飛んだ隻は、何度か深呼吸して痛みがないことを確かめ、立ち上がる。
「一度力使えば消えるんだな、あの水」
「……オレ、やっぱりそれ飲まされてたんかな……」
「他にないでしょうね」と、華淋が淡々と肯定していた。
「人間離れした動きをしてもガタが来ないのは、そういうことでしょう? ――霊薬の存在も忘れさせられていたのね。気づいて使えば、千理くんの体は死んでしまうから」
 目を見開く千理に、浄香はフンと鼻で笑う。金髪にふちどられた蒼の相貌がすっと見据える先には永咲だ。
「守護者よ。既に余る狼藉ろうぜき、今ここでつぐなうか生涯しょうがいして償うか、選ばせてやろう。今日の私は寛大かんだい中の寛大だからな」
「その狼藉者の持つ霊薬で体が甦った身だろうに。選ばせてあげるのはむしろ、私のほうだよ」
「はっ、たわけが」
 上から目線の女の合戦がゴングを鳴らす。辺りに満ちる水球に、翅が苦い顔になった。
「下手に取り込むと言葉全部ひっくり返して言わなきゃなぁ……うえぇだるい」
「はっ、霊薬なんぞ」
 浄香がすっと真上に手を掲げ、水滴の動きを止めた。かと思えば、そのまま真上に集め始めるではないか。
 隻と千理、揃える気もなかったが遠い顔になる。
「だからRPGの最強キャラ仲間に入るようなゲーム嫌いなんすよもおー……」
「俺も格闘ゲームぐらいしかやる気ないの、それなんだよな……」
「何をほざいている。後はお前たちがやれ。これは私のものだ」
「超傲慢!?」
「それだけの量があれば化粧水にいいかもしれないわねー」
「用途違っ!?」
「でも確かにいいですよね、化粧いらずですよ美肌ですよ!」
「えっ、未來ちゃん!?」
「ああ、かなり楽だったよ。肌の手入れが要らなかったからね」
 守護者――――――――――――――――――!
 翅がついに床を叩いてまで笑い転げ、響基が呆れて「翅戦闘中!!」と釘を刺している。現に番傘が翅を狙い、千理が間一髪助け出した。それでも笑って力を出せない翅へと、隻はバスケットボールを床に打ち付けて黙らせた。
「形成逆転だな」
「戦力は減ったようだけれどね。エキドナを倒した男は笑いに弱い、か。とんだ酔狂だよ」
「師匠が変なこと言うからでしょうよ!」
「おや、そこまで私が悪者かい?」
 隻が投げつけたバスケットボールが永咲を狙うも、永久の真水が分裂したために威力を削がれた。衝撃で飛び散った水を、隻はまたうっかり飲んで苦い顔になる。
 バスケットボールは番傘で防がれるも、番傘を一部濡らす。
 華淋が笑み、呼び出すのは暗黒騎士の成れの果て。首を落とされてもなお動き続ける死を告げる騎士とその騎馬、さらに軍馬車チャリオットだ。
「改める気がないならこうさせてもらうわ。正直、息子の力も借りたかったのだけれど……その気も失せたわ」
 千理がはっとして華淋を見た。隻は黙るしかなく、永咲を睨む。
 彼女はふと笑って、華淋を見据えた。
「師を殺す、か。君も随分と冷酷になったね。はっきり言えばどうだい? 子供を殺す一端になったのは私かどうか。怨んでいるんだろう?」
「ふふふっ、当たり前でしょう。母親だもの。夫と息子を亡くした原因に怨み以外の何を抱けるのよ。でもね」
 艶やかに笑う黒の女性が、赤の番傘の下で笑む女性を静かに見据えた。
「誰かを怨んでなげいて手に入れた言葉も想いも。くだらないものでしかないわ――生きるのに疲れたからこそ愉しく生きてみるのも一興。滑稽こっけいを貫いてあげるわよ。家族と私と、大事な子供たちと。それからあなたのためにもね」
「――本当に滑稽な、言い訳だね」
 姿が消えた。
 敵を捉えようと目を回す。けれど見つけられない隻は、そういえば天理は無事かと転身しようとした。
 瞬間。
 貫くように出された番傘と腕がこすれ、痛みに呻く。
「隻さん!?」
「言ったろう。君が一番弱いと」
 目を見開いて、永咲を凝視した。
 笑わない目は、酷く疲れた色をしていた。
「君がレーデンの弱点なんだよ」
首なし騎士デュラハン!」
「アヤカリ!」
「鳳勇!」
「ま――!」
 貫かれた色は、美しいほどに透き通っていた。
 水などそこにはない。流れ出るものは血ですらない。ただ溜息が零れるように、デュラハンの槍に、アヤカリに貫かれた姿から流れる色は、透き通っていた。
 それなのに、見えるもの。
 手を伸ばして固まっていた千理に、永咲は薄く笑んでいて。
「し……」
「飽きたと……言ったろう」
 まさか
 奥歯がきしむ。鳳勇に翅の近くへと下ろされた隻は拳を固め、永咲を睨んだ。翅も苦い顔でアヤカリを引き戻す。
「……いい迷惑だよ」
「はは。師弟の宿命……知っている、だろう」
 守破離。
 師より学ぶ。弟子は後に自分なりの改良を加え、そして最後は――
「……超えられない、師など。退屈だよ。君たちが気づかずにいてくれれば……」
 光と闇の糸が、流れていく。
 透き通っていくものと一緒に、柔らかく、はかなく。
 未だ燃える炎を見つめ、デュラハンの槍に一滴の水を落とした永咲は、千理へと笑んだ。
 拳を震わせ、茫然としているはずなのに、顔を歪めたままの弟子へと。
「師匠――!」
「こんな甘い弟子を持って、私は随分と不幸だったよ」
 ほどけゆく糸。
 最期に顔まで全て消し去った光と闇は、柔らかく千理の脇を流れて、どこかに流れていってしまった。
 残された永久の真水の一滴を見つめ、隻は火を見上げた。
「家、ボロボロだな」
 その言葉で。
 何事もなく元通りに戻った屋敷は、どこよりも幻の様だった。


ルビ対応・加筆修正 2020/11/08


*前しおり次#

しおりを挟む
しおりを見る

Copyright (c) 2026 *Nanoka Haduki* all right reserved.